ユエは馬車に揺られながらしきりにドレスの皺を伸ばしていた。この時のためにと父が大金はたいてダーハルーネの商人から取り寄せたドレスだ。いつも姉のおさがりを着ていたユエにとって新品の、ましてや自分のために仕立てられたドレスは嬉しいを通り越してプレッシャーの具現化のようなものさえ気がしてきた。袖を通した時は高鳴った胸もいまは暗雲が立ち込めている。

 「いいか、ユエ。おまえはこれから我が家の命運も背負うのだ。くれぐれも・・いいかい、くれぐれも粗相のないように。おとなしくなさい」

 クレイモランの屋敷から出る間際の父の言葉を思い出しながらユエは「大丈夫よお父様」と一人呟く。ふと隣の二つあるトランクが揺れる馬車にバランスを崩してユエの方へと雪崩れてきた。ユエは小さく悲鳴を上げるとトランクと一緒に椅子から崩れ落ちた。

 「お嬢様、どうかされましたか?」
 「大丈夫よ、大丈夫。すこしびっくりしてしまったの。気にしないで頂戴」
 「いやあ、ここの道さえ抜けてしまえば平原になるからすこしは落ち着くと思うんですけどねぇ」

 「なら早く」と心の中で呟いてユエは馬車の外の景色を見る。雲一つない快晴、日の光が麗らかに木々に降り注いでいた。ふと、途切れた山脈から城が見えた。あれが目的地のユグノア城ーーユエはそれをみるなり大きく溜息をついた。期待半分、緊張半分といった溜息だ。

 次期ユグノア王が花嫁候補を探しているといった発表があったのは一月程前の事だった。復興を遂げたばかりの国ではあったが、もともと由緒ある大国だったこと。次期ユグノア王となるその人は世界を救った勇者であること。世界樹に選ばれた奇跡の子だったこと。色々なことが重なった次期ユグノア王のその発表に世の貴族はそろって我が娘をとユグノアに向かわせていた。何を隠そう、ユエもその向かわされている花嫁候補の一人だった。
 ユエの家はもともとクレイモランではそれなりに知れた名家だった。しかしそれは時がたつにつれ家の外装が少しずつ剥がれていくように、家柄も少しずつ剥がれていった。今では娘たちをどうにかそれなりの地位の男に嫁がせることでかろうじて貴族というレッテルを保っていた。
 一番上の姉は手先が器用で裁縫が得意だった。二番目の姉は料理が上手だった。末のユエは不器用で、姉たちがひょいとこなしてしまうことを何倍も時間をかけなければできなかった。
 きらびやかなドレスを着て嫁入りしていく姉の姿を見送るたびに落ち込んではいたが、いざドレスを身にまとう側になってみるも如何せん素直に喜べなかった。理由はなんとなく想像がついてはいるのだが理解はしたくはなかったーーそう物思いにふけっていれば、再び馬車は大きく揺れてユエはまたトランクと一緒に椅子から転げ落ちる。

 「きゃっ、ちょっと、どうしたの?平原につくんじゃないの?」

 八つ当たり半分、怒り半分でユエはそう御者に投げかけたが答えはない。しびれを切らして馬車の扉に手をかけた時だった。窓を大きく太い、緑色の何かがゆっくり横切った。びっしりと生えた鱗が太陽の光を受けてきらきらと窓に反射する。ユエは息を止めるとそのまま震えながら元の位置に戻る。直後、聞こえてきた低い唸り声と鼻息に体をもっと震わせたーー魔物だ。しかも、中でも一番旅人達が恐れるドラゴン種。

 (ああ、なんてことなの)

 綺麗な馬車、御者、荷物とドレスを用意するのに精一杯で用心棒を雇えなかったユエ達には成すすべがない。馬車の壁をはさんで座っている御者の泣きそうな短い息遣いが聞こえる。ドラゴンはゆっくり馬車の周りをまわって、窓からこちらを覗いてきた。大きな目が窓一杯に映る。じっと見つめられたユエはまるで石になってしまったように体が動かなかった。
 死ぬ。直感的にそう思った。どれほどそうしていただろうか、御者が情けない悲鳴を上げるとどっと時が動き始めた。刺激されたドラゴンが勢いよく馬車に体当たりをする。揺れる車内に押し寄せる荷物。このままだとドラゴンに食われる以前に荷物に押しつぶされて死んでしまう。そう感じたユエはドラゴンの目が見えている扉とは反対側の扉に手をかけて開ける。それと同時にもう一度馬車が大きく揺れて荷物と一緒にユエは外へ投げ出された。

 「いった・・!」

 痛みに呻きながら体を起こそうとするーーふと、ユエの周りだけ日が翳る。恐る恐る地面を見れば、それは大きなドラゴンの影であった。全身からどっと冷や汗が吹き出す。振り返らなくても分かる。先ほどみたあの目のドラゴンがユエをじっと見下ろしている。ユエはその場で浅く息をしながら震えていることしかできない。

 「うわあぁぁ、勘弁してくれよぉ」
 「ちょっと・・!」

 ドラゴンがユエに気を取られている間に、御者がわめきながら逃げ出していく。ユエはその後ろ姿をただただ見るしかなかった。追いかけたところで背後のドラゴンも追いかけてくる。どちらが早いか、考えるまでもない。
 ユエは目を閉じ、胸元で手を組むと首元のネックレスを握り締める。今はもういない母が唯一残してくれた大切なネックレス。

 (ああ、なんて惨めな人生だったの)

 なんの取り柄もなく、いつも余りものだった。
 姉達ができることができるようになるまでに何倍も時間がかかった。つい先日まで縁談を持ち掛けていたデルカダールの将軍に「好きな人ができたから」と断られ、こんどはそのままユグノアへとたらいまわし。
 人生で一度でよかった、物語のような恋をしてみたかった。
 小さな頃に読んだ絵本ではいつも余りものが最後には特別になっていた。ユエにはそれはない。ユエはこのまま余りものとして、誰にも知られず見知らぬ土地でドラゴンの昼食になるのだろう。
 ドラゴンの息遣いが聞こえる。首の後ろに、生暖かい息があたる。

 「ああどうか、王子様・・・・なんて」

 いやしないのに。

 瞬間、ふわりと体が宙に浮く。てっきりドラゴンのかぎ爪にでもかっさらわれたのかと思っていたユエは、自分の腕を思い切り引っ張る力に慌てて目を開けた。視界に広がるのは、淡いブロンド色。

 「大丈夫ですか!」

 返事をする間もなく、ユエはそのまま後ろへと半ば飛ばされる。そのばにへなへなと座り込みながら、先ほどのブロンド色の髪を持つ青年が大きな剣を片手にドラゴンへと斬りかかっていく。それを合図に森から大勢の兵士が出てきて、ドラゴンに向かってゆく。ユエはその様子をぼんやり見ながら、ただそのブロンド色の髪を目で追っていた。 

かぼちゃの馬車はもういらない

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