月明かりの下で俺たちは幸せを拾えるだろうか(年下α×中年Ω)
※「優しさはそのうち沈んで消える泥船」の受け視点。


 月は人を狂わせるというのは西洋では昔から言われている。
 都市伝説レベルだとしても人は頭上に輝く光を恐れている。
 太陽は朝を告げ、世界を照らし、あたたかくさせて、植物を育たせるという恩恵が目に見える。その一方で、月は夜に何をしているのか分からない。だからきっと、人を悪い方へ誘導すると思われるのかもしれない。
 
 
 その日は塾の帰りだった。
 
 星がなく月に支配されたような満月の晩、俺は妊娠した。
 詳細な記憶はないが、はじめて発情期(ヒート)をして誰かに、たぶん通りがかりのαに、車の中に連れ込まれて乱暴された。
 
 幼いΩの発情期(ヒート)に巻き込まれたαは災難だが、多少理性的だった。俺のうなじを噛むことはなかった。番になる気などなかったとも言える。
 
 たった一度の過ちが俺の人生を大きく狂わせるとはその時は思わなかった。
 Ωとはいえβの両親と一緒に普通に暮らしていた。
 俺は自分が強姦されたことを両親に打ち明けられなかったし、両親はそれぞれ仕事で忙しくて俺の異常に気付くこともない。元々、Ωの身体の作りをβである両親は理解しきっていなかったのかもしれない。
 
 どうすればいいのか途方に暮れていた頃に俺を犯したαが現れた。
 堕胎の手術をしようと提案されて俺はうなずいた。まだ子供だったので子供を育てることなど出来ないし、今後の生活や親への説明など考えたくなかった。悪い夢を見ているのだとお腹の中のことは忘れたかった。
 
 αを訴えない代わりに資金や両親への言い訳などは請け負ってもらった。
 わざわざ自分が犯した罪を謝罪しに来たαや医者が嘘を吐くわけがないと思っていたので、俺は数日の入院を了承した。
 子供だったとしか言いようがない。
 
 賢いΩならきっとαの謝罪などありえないと本能で察したはずだ。俺は鈍かった。
 
 いろいろな理由をつけられて入院日数が増えていき、お腹も成長していく。
 意味が分からないと思っていたところで出産の流れになって、やっと騙されていたことを知る。
 自分の子供がちょうど必要だったとαは俺に礼を言って去って行った。もちろん、子供を連れて。医者は堕胎も産むのも自分の戸籍に入れるわけじゃないなら同じだと言い捨てた。
 
 釈然としないまま一旦は家に帰されるが、すでに海外に留学するという話を両親に吹き込んでいた。
 俺は意味が分からなかったが、居なかった間の言い訳なのだと理解した。俺が類まれなる才能で人の役に立ったのだと両親は喜んだ。詳細は聞かされていないが、謝礼金をもらったらしい。
 
 このときに自分が受けた仕打ちを両親に打ち明けておけば、その後の最悪な人生は避けられたかもしれない。
 
 俺は言わなかった。なかったことにしてしまいたかった。現実を見たくなかった。自分だけ口をつぐんでいれば、いいと思ったのだ。
 
 そして、俺は両手両足を失った。
 
 Ωの義務と称して俺はいくつかの検査を受けさせられた。その結果として分かったのが、俺はとても妊娠しやすい体だということ。Ωの中で数十万人に一人いるというαと相性のいい魔性の身体。βである両親はその特異性や意味を理解しない。俺の身体を調べるとαや世界にとって有益だと言い包められた。
 
 俺に待っていた生活は研究の協力などではなくαの子供を産むこと。
 次の世代がいなければ滅んでしまうという危機感がαの中にあるのは仕方がないが、俺が割を食うのはおかしい。
 三人目を産んだあたりで脱走を企てたが、そのころには俺の特異体質は施設の要になっていた。
 
 大金を積んででも自分の子供が欲しいαは少なくなかった。俺は予約待ちの大人気Ωだった。一人産んだらすぐに次という、ある種の流れ作業状態になっていた。
 
 妊娠出産の工程の中で俺の抵抗というのはいらない行動だったので手足をバッサリカットされた。
 体力が落ちて妊娠出産どころじゃないと思うところだが、現代の医療はすごかった。
 幻肢痛をわずらうことなく、狂うこともない俺。
 
 クソみたいな人生だと思って過ごしていたら三十手前で解放された。
 何人産んだのかはもう覚えていないし、記録もないらしい。
 手足だって戻ってこないが、俺からの仕送りだと信じて溜めこんでいたお金を両親から貰って義手や義足を作った。
 ショッキングな事件なので報道規制が敷かれ、情報を外部に漏らさないように書類を書かされた。考えても分からないがきっと俺が資産家や著名人のαの子を産んだので人の道に外れた行為でも国としては有益だと判断されたのかもしれない。
 
 顔もよく知らないが自分の子供たちが変な状況に陥らないならそれがいいんだろうと俺は口をつぐむことになった。両親は俺が事故で両手足を失ったことを気に病んでいたが、事実を知れば気に病むどころじゃないのは目に見えている。何も行動を起こさないのが最善だと学んでいた。
 
 人の善意に期待するのは馬鹿なんだと悲しいことを教え込まれる日々だった。
 良心がある誰かが助けてくれることを願い続けてひとり身だ。
 俺の妊娠を喜んだαたち。俺の腹を嬉しそうに撫でていた彼らと連絡を取ることはない。
 番にならないかという言葉をどこかで望んでいた。
 
 家系として子供ができにくいαは俺に対して紳士的でとても優しかった。
 飴と鞭の飴だったのかもしれないが、俺を抱きしめるαの子を産んであげたいという気持ちにさせるほどだった。俺の身に起きたことや俺の状況は最悪なのにまるで誰も出来なかった偉業を成し遂げたと称えてくれるので喜びや満足感があった。それもカウンセラーか何かの仕業だったのかもしれない。
 
 馬鹿な子供を騙して使っていたのだ。
 思春期に過ぎた快楽を与えられ、擬似的な恋愛で逃げ道を潰す。物理的にも手足がないので逃げられないし、逃げたところで普通の生き方は出来ないと想像して自分から産むための存在になろうとする。
 
 
 学校に通い直したり、義手や義足に慣れようと頑張っていると、あっという間に四十手前。
 番の居ないΩはめずらしくはないが、俺の身体のことを考える両親は不安でいっぱいだ。
 そうは言ってもαとの見合いは冗談じゃないという気持ちがあった。α嫌いではないが、自分から近づきたくない。無意識にトラウマになっているのかもしれない。
 
 
 そんなこんなな日々の中で俺は急に借金を背負わされた。
 Ωが代理として産む行為が合法化されそうということで、俺にまた子供を産めと言い出す人間が現れた。
 情報をどこから得たのかはともかく、冗談じゃない最低の提案だ。それを蹴った後に義足の新規契約として法外な請求をぶつけてきた。どう考えても悪徳商法なので無視していたら、訴えられて俺が犯罪者になるという訳の分からない展開。まず間違いなくハメられているのだが、助けは見当たらない。
 
 αの血筋を増やすことに貢献するために俺という個人の犠牲はやむなし、なのだろう。悲しいことだ。
 
 月は人を狂わせるなら、常に月明かりの下で暮らす夜型人間は全員、狂人だ。
 両親に迷惑をかけないようにアパートを借りて一人暮らしを開始したが、骨が折れるどころの話じゃない。
 
 αの母体として丁寧に扱われていたし、実家では母や介護士が手を貸してくれた。
 自分が一人では生きていけない状態なのだと思い知って、思わず泣いた。涙をぬぐう手もないのだと思うと逆に笑えて頑張っていこうと活力がわく。
 
 自分を哀れんだところで何も好転しない。
 ただ人に迷惑をかけず、自分にとっても心地よい場所を探したい。そんな気持ちから巡りあわせたαがいる。
 
 若いので介護スタッフだと思っていたら施設の出資者で凄腕の経営者だというからαは卑怯だ。
 お金がないΩの駆け込み寺として有名になっている非営利団体に半年契約で面倒を見てもらうことになった。
 半年後にお金も居場所もないと考えると首でもくくらないとならないと思いつつ過ごしていた俺にむず痒くなるほどに細やかな気配りをして接してくる誠人くん。俺を含めた施設利用者であるΩに大変腰が低く接していたので、しばらくαだと思わなかったし、αだと聞いても信じられなかった。優秀さの度合いがαでしかないので、αだと理解したけれど、今もまだどこかで疑っている。
 
 俺が心のどこかでαに対する不信感を持っているから信頼している誠人くんをαだと思いたくないという気持ちが働いているのかもしれない。
 
 
「俺と一緒に暮らしてください。今以上の快適で安全で安心の場所を提供します」
 
 
 誠実な人柄がうかがいしれる誠人くんを信用しないわけではないが、俺がオッサンだと分かっているのかと自虐を交えて語るのは実は心が痛い。そもそも番(つがい)と出会ったりする時期に延々と妊娠マシーンをやってたんだから、救いようがない終わった人生だ。来世に期待するために現在を頑張ろうなんて気力はない。
 
 百歳以降も元気に生きていこうとかバカ言ってんじゃねえよと思う。
 
「見るからにわかりやすくハズレだろ。見える地雷ってヤツだ」
 
 俺が五体満足であっても誠人くんとは年齢差がありすぎる。
 ちょっとした気の迷いで人生を終わらせようとするなと経験者として言いたい。
 
 俺はきっと初めての相手だったαに期待していた。
 好きだったというよりも好きになろうと努力していた。
 俺が産んだ子供ごと彼と一緒に暮らすのだと言われても平気なように心構えをしていた。
 幼い俺は愛を望んでいた。
 それが当たり前だと思っていたから。
 
 学生時代からの恋愛で両親は結ばれた。
 だから、十代の恋を俺は否定したりしない。
 変な始まりでも終わりよければすべて良しってあるなんて思いながら出産した。これで終わりではないと期待していたからだ。産んだ子供を抱くこともなく、出産の際に俺を励ましていたαともう会うことがないと知った日の空虚感を覚えている。未だに消えることなく損失感は胸の内にある。
 
 どんな結末を迎えたかったのか本当のところは自分でも分かっていないのかもしれない。
 ただ、今の状況じゃないことだけは確かだった。
 こんな自分になるために生まれてきたわけじゃない。
 
 普通に愛し愛され、家族を持ちたかった。
 
 誰かと一緒に生きていくなんてこりごりだと思えない。
 まだ俺はどこか子供で、大人になりきれていない。
 幸せを夢見ずにはいられない。
 そんなものはあるわけないと苦々しい気持ちはいくらでも味わったのに希望を捨てきれない。
 
「尚久さんが地雷なら俺が踏んだら爆発するってこと? 最高だね」
「昼間だってのに狂った意見だ」
「時間帯って関係あります?」
「若者には知られてない? 月の光を浴びると人は頭がイカレちゃうっていうの」
「まあ、英単語で月は精神異常とかの単語で使われてますけど、ルナティックとかルナシーとか」
「これって常識だった?」
「まあまあ、知られてることですね。英語圏だと月関係ってよくないって」
「……物心ついたころには聞いてた覚えがあるから、なんかのアニメやゲームの影響かな? なんか、ずっと全部を月のせいにしてたな」
 
 月のせいにすれば人を憎んだり嫌わなくていい。
 うつくしい月の魔力に頭がおかしくなったのだと思っていた方が精神衛生上、楽だ。
 誰のせいでもない。もちろん、自分のせいでもない。
 
 俺の言動に分岐点があって、悪手を打った覚えがあっても月のせいにして後悔しない道を選んだ。自分に与えられる優しさがその程度のことだった。
 
「それはなんだか、月に妬いちゃうな」
「かわいいこと言うね」

 初めて見る誠人くんの不満気な顔に気が抜ける。

「俺、尚久さんにお前のせいだって責められたい」
「意外と誠人くんってどうしようもない性癖なのか? まあ、さっさと服を着せてくれないで話し込んでるから、俺が風邪を引いたら君のせいだ」
「風邪引かせたくなっちゃうからこのタイミングで言わないで下さいよぉ〜」
「笑ってるけど、スゲー怖いよ?」
 
 年下とはいえαである相手が一筋縄でいくわけがない。
 そんなことを思いながら、俺は押し切られて彼に身を任せたいと心の隅で思ってる。
 このままいっても俺はお先真っ暗だ。でも、誠人くんなら俺の状況を打開してくれる。それは分かっている。若くても経営者として独り立ちして、慈善事業などに資金援助をして、積極的に社会に貢献している。立派な人間だからこそ、半端なことはしないだろうと俺の中で計算が働いている。
 
 自分が不釣り合いだと分かっていても求められたら仕方ない、なんて、気持ちがあるんだから大人って汚い。
 
「俺は人生に疲れちゃってるんだけど」
「そうですか、俺もです」
「若いのに……」
「俺の若さを取り戻すための手伝いしてくださいよ」
「君の中には他人を籠絡するための単語集でも登録されてるのか? 俺はそんなに強くないからね」
「結婚を前提にお付き合いしてくださるってことでいいんですね」
 
 よくないとは言えなかった。
 言いたくなかったのかもしれない。
 
「誠人くんの気持ちが俺が施設を出ていく日まで変わらないなら、っていう条件でね」
「じゃあ、明日から一緒に暮らしましょうか」
「だいぶ人の話を聞かない!? ……好青年じゃなかったのか」
「尚久さんの言葉を聞いた上での判断です。俺が後悔しなくて、俺が不幸じゃないなら、あなたのこれから先の時間を俺にくれるんでしょう? それなら、今すぐにでも俺はあなたが欲しいんです」
 
 誰しも、欲しい言葉の一つや二つあるものだ。
 俺は俺という人間を誰かに望まれたがっていた。
 
 誠人くんの瞳の銀色がどこか月と過去の何かを連想させるけれど、これから先のことは何も分かっていない。
 後悔するかしないかも。
 裏切られることになるのかも。
 
 まだ、分かっていない。
 
 
2018/02/16
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