優しさはそのうち沈んで消える泥船(年下α×中年Ω)
※年下α攻め視点。(受けのΩは特殊な状況の中年)


 世界が平等でないというのは生まれたときから誰もが感じることだ。
 平等ではなく不正がまかり通り、賢さよりも狡賢さが必要とされる。正義や正論というのは大多数の人を説得させるための建前でしかなく、道徳の教科書が説く聡明で美しい人間像などこの世に存在しない。教科書は教科書だ。現実ではなく子供の基本的な人格を構築するための手助けをするための前知識。現実にはない美談をノンフィクションとして掲載する。
 
 創作のお話ではなく現実の善人の行動として紹介された逸話がテレビで実は事実は違っていたと暴露される。もちろん、バラエティは報道ではないので脚色を加えて構わないだろうし、子供に教える際に裏の事情は必要ないと教科書に載らないのも理解できる。
 
 けれど、教科書や教育、果ては、それを教えた教師などの大人に対して不信感を持つことになる。
 俺はある瞬間から他人を信用することをやめた。
 建前と本音の使い分けをする大人に絶望したわけじゃない。
 そんな簡単な反抗期を迎える時間は俺にはなかった。
 
 平等ではないという事実が心に突き刺さり、俺を突き動かさずにはいられなくなった。
 
 
 
 バース性の中でも勝ち負けや優劣はある。
 
 αが勝ち組というのはβの幻想だ。
 
 自分たちがその中に立つことがないからこそ外側から好きに言える。内部にいる人間、つまりαがαであることを驕るとなると教育が悪いか、頭が悪いと言うしかない。αはαでしかない。αであるだけで優位に立てると思っているαは努力することなく勤勉なβにその立場を奪われる。
 
 αにだって得意分野や個性がそれぞれあるので他人から無能のレッテルを貼られても水の合う分野で才能を開花させることもある。
 
 ただ世間はαにはαらしさを望む。その一つとして自尊心の高さゆえの傲慢さが少なからずある。支配欲が高いαは自分のテリトリーに敏感で優秀であればあるほど排他的になる。自分の番以外を自分の心の中や生活圏に入れたくないというαと性に奔放で人を人とも思わずΩもβも食い荒らすように関係を持つαと二種類に分かれる。
 
 どちらも能力が高いからこそ許される無礼な振る舞いだ。他人を蔑視するようなαは前時代的ではあるが、それが格好よく思われていた日々が確かにあり、現在もその中で暮らす人もいる。
 
 αはこういう考え方をすると大多数のβは創作物から刷り込みを受けている。そのためαである人間がαらしからぬ言動をすると不思議な顔をされる。場合によっては不快感や嫌悪感すら誘発させる。αらしからぬαなど不要な存在でしかない。
 
 
 たとえば、俺のようなΩ保護に尽力しようとするαなど世間ではあつかいに困るものだ。
 
 
 物心ついた頃には、もうすでに自分の生き方を決めていた。
 俺は俺を産んだΩの味方でありたいと願った。それは子供として当たり前の感覚かもしれない。親がα同士であるならα上位の考えになるのは理解できるが、Ωから生まれたαすら、α上位の考えに染まる。そんな不平等な世界が気持ち悪くて仕方がなかった。
 
 俺の人生の大部分は今の社会を変化させるために費やすと決めていた。少なくともどうやって理想的なものを作り上げるのか、その模索に青春時代を使っていた。俺と同じ気持ちのαが他にもいると信じて多方面にアプローチをして、形になったのは大学生になってからだ。想像よりも遅かった。
 
 俺の両親は誰か分からない。
 
 α生産工場なんていう最低のネーミングで揶揄される非合法の施設で生まれた。
 
 自分の子供としてαを欲しがる人間は数多い。
 けれど、αは突然変異の個体とされて極端に数が少ない。
 長年の研究からαとΩの間から生まれるのは高確率でαかΩだと判明している。
 稀にαとΩの親からβも生まれるが、αとΩの組み合わせ以外、たとえばβ同士の男女とはαの生まれる期待値が違う。
 そのためにα生産工場としてΩにαを産ませるためだけの非人道的な場所ができた。
 秘密裏とはいえ人身売買は行われていたのだ。
 
 αを欲しがる理由はさまざまで、将来が保障された子供が欲しいという理由は実のところ一番少ない。
 もっとも多いのはαとβの間に子共が出来ず夫婦関係が破綻しかけているとか、α至上主義の一族の圧力がありαの子供を求めたというもの。自分たちの血を引いていなくてもαであるだけで一族あつかいされる、そういうことはあるという。
 
 子供ができないから施設から里子や養子を受け入れるというのは簡単にいかない。
 親がいない子供たちは数多くいるが、αは受け入れ先が決まっている。α至上主義を掲げている富豪が作った財団法人がある。普通のβの家庭よりも優れた教育環境などを保証しているので、αの持つ優秀さを発揮するべき環境を与えてくれる。その財団のせいだけとは言えないが、身寄りのないαの子供を育てたいと言ってもなかなか難しい。
 
 俺が産まれたとされる施設を突き止めたときにはすでに何も残っていなかった。
 俺を産んだΩの名前も姿も生き様も教えられることはない。
 関わった人間は被害者も加害者も箝口令が敷かれ事件のことは何も口にすることは許されない。
 すべての施設を根絶やしにしたわけではないので、警察としては情報の漏えいを避けたいのだろう。
 
 自分が産まれた施設の崩壊に俺の感情は動くことがなかったが、俺の親が誰だったのか、生きているのかいないのか、分からないのはストレスだった。
 
 Ωのための福祉施設、ΩをケアするためのNPO。
 大学生になってから出来上がった俺の理想は遅かった。
 見知らぬΩではなく俺はたったひとりのΩを支えて助けて慈しみたかった。
 その観点でいうのなら、αらしくない善意の英雄ではなくαらしすぎる利己主義のかたまりだ。
 
 俺は自分を産んだΩに触れるためだけに世間を欺いて、慈善家の顔をした。
 
 
 自分を産んだΩに出会えないと分かってから俺から覇気が消えた。周りはそれを分かっていただろうが、すでに天才学生実業家としてNPOの広告塔のようになっていた俺は生活を変えられない。
 
 大学生活、NPOを維持するための資金集め用の会社の運営、悲惨な扱いを受けるΩの保護などを淡々とこなす。
 とくに性犯罪に巻き込まれたΩのフォローを請け負った。
 不思議なことに発情期(ヒート)しているΩを前にして俺は理性を失うことはなかった。
 もちろん勃起するが、それだけだ。無理やり襲いかかろうと思うほど切羽詰まったりしない。
 精神的にインポテンツをわずらっているのか、自分でも理解できないが、Ωからすると安全圏にいるαだった。
 
 それも、そのうち例外があるのだと知った。
 
「林田さん、林田尚久さん」
 
 呼びかけながらベンチでうたた寝をしている相手の頬に触れる。
 両手足を切断するような大きな事故を経験した林田尚久さんは先月から俺の管理する支援施設で暮らしている。
 
「あぁ、すまない。……どうにも昼食後は眠くなる」
「義足の調整にまだ時間がかかりそうですね」
「メンテナンスをサボっていたせいで法外な額を請求されてしまった」
「義手で義足の掃除は億劫ですよね。仕方ないですよ」
「誠人(まこと)くんの優しさはあったかいねぇ」
「老人ホームでも同じこと言われます」
「まだ三十代だから! 勘弁してくれよ」
 
 肩をすくめるような動作をする林田尚久さんに劣情を抱いていた。かわいらしい、いとおしい、抱きしめたい、孕ませたい。そんな欲望が気づくと生まれていた。
 かわいそうなΩだから力になりたいと注意を向けていたのかと思いきやそんなことはない。俺はどこまでも自分の欲求に正直だった。
 
 義手と義足のメンテナンスは繊細な作業になる。
 国から手当をもらっても足りない。
 そんな中で生活に困っているΩを助けてくれる場所として俺のところに来てくれた。
 
「尚久さん、汗かいちゃいましたね。お風呂に入りましょうか?」
「なんだか悪いよ。そんな頻繁に」
「快適に過ごしてもらうために僕たち介護スタッフはいるんです! 遠慮せず使ってください」
「……じゃあ、軽くお願いしようかな」
 
 移動のための車椅子もあるが俺は戸惑う彼を抱き上げる。
 エレベーターを使わずに階段を使うと息がわずかに乱れる。
 尚久さんが申し訳ないと恐縮する姿に微笑んで否定する。
 これは心から俺がしたくてしていることだ。
 
 四十手前の男に心を寄せている俺の姿は異常だろう。Ωとはいえ年の離れた兄弟よりも親子ほどに年齢差がある。そんな相手に夢中になっていた。尚久さんのためなら何でもしたい。そう思わせる。特別扱いだなんて文句を言わせないだけの権限は当然ある。俺は俺のやりたいことのためだけに生きている。生みの親のため、Ωのため、それは欺瞞だ。切っ掛けとして耳に心地いいものを当てはめただけで、本心は違う。俺は本音だと思っていたものが建前に変わる瞬間を知ってしまった。
 
 支えたい、助けたい、そういった尊い感情から、触れたい、犯したいといった邪なものに変化する。
 身だしなみを整えるのが面倒だと感じている尚久さんの世話を細々と焼くのが楽しい。
 寝癖を直したり、剃り残したヒゲに触れると照れたように視線を泳がせる。尚久さんを、何時間でも長めていられる。
 
 中年の男の身体はΩとはいえ、魅力的とは言い難い。そのはずなのに興奮する。
 とくに誰の痕もついていない首筋を見ると噛みつきたくなって仕方がない。αとしての本能がうなじを見ると刺激される。
 
 この歳で未だに番の居ないΩは珍しいどころじゃないだろう。尚久さんがどんな風に生きてきたのか聞き出したいが、意外と彼のガードは堅かった。
 
 義手や義足のない尚久さんは俺が片手で支えられるぐらいに軽い。
 俺を信頼して全身に触れることを許可してくれている。
 
「湯船はうっかり溺れて死ぬからって、経験少ないんだよね」
「気持ちいいですか?」
「俺だけ悪いなーって気持ちが強いけど」
「僕も本当は一緒に入りたいですよ」
「……誠人くんってさ、違ったら悪いけど俺のこと好き?」
 
 年上としての潔さなのか、ズバッと聞いてくる。
 正解の返事が分からなくて「そう見えますか」とはぐらかす。
 
「君は奉仕活動に熱心で良い子だから俺みたいな一人で生きられないっぽい人間を放っておけないのかもしれないけど、そういう親切とか優しさは愛とは違うと思うんだよね」
「愛じゃない……」
「同情されてるのが嫌とかじゃなくって、君の人生はまだまだ続いていくわけで」
「はあ」
「おっさんのΩに必要以上に優しくするのはおやめなさいって話なんだけど分かんない?」
「わかりませんね」
 
 首は普通に動くので表情以上に上や下、右や左にゆれる。
 尚久さんはしかめっ面で顔の筋肉が硬直しているような人だが、気持ちは明るく軽やかだ。αとして生まれて何もかもを早いうちから手に入れた、そんな俺よりも楽しそうに日々を生きている。平等じゃない。四肢の損失は痛手だ。暗く腐っても誰も責められない苦しみがあるはずだ。
 
「髪の毛、伸びて邪魔になりますね。俺でよければ切りますよ」
「お、俺って言った? もしかして、怒らせたかな」
「怒ってませんよ。ちょっと素が出ただけです」
「一人称が変わると介護スタッフから敏腕経営者に変わるって噂があるんだよね、君」
「僕は初めて聞きました、その噂。……出所はどこですか?」
「優しいばかりだと思っていたけれど、ある程度はやっぱりαらしい強かさはあるんだね。ちょっと安心した」
 
 はぐらかすつもりなのかよくわからない理由で尚久さんは笑った。
 
 
 
 風呂から出てタオルでくるんだ状態の尚久さんに俺はきちんとした告白をすることにした。
 
「俺と一緒に暮らしてください。今以上の快適で安全で安心の場所を提供します」
「なんとも、まあ……αらしいプロポーズだ。いやいや、悪くはないよ。相手が俺じゃあなければね」
「それは断るってことですか?」
「短気だなぁ。俺の年齢と体の状態とか分かってるのかって話。冷静なら選ばないだろ」
「俺の気持ちは俺が決めます」
「うーん、ほら、なんつーの? 期待して裏切られると俺も悲しいし、お互いに時間の無駄になるだろ」
「別れることの心配? うなじを噛んだら離しませんよ」
 
 首に触れると尚久さんは迷った顔で「あのな」と口を開いだ。
 
「番はいないけど実は出産経験あるようなふしだらなΩなんだよ、これでも」
「……望んだんですか?」
「いや、なんか発情期(ヒート)のときに強姦されて、中絶しようと闇医者みたいなところを訪ねたら監禁されて産まされて〜みたいな、ドン引きだろ……。やめとけよ」
 
 尚久さんの口から出たのはα生産工場にΩが来ることになってしまった理由だ。望まぬ妊娠によって中絶を考えるΩは多い。年齢が低いとどうしても人に知られたくないと思って非合法の医者を頼ったりする。
 
「見るからにわかりやすくハズレだろ。見える地雷ってヤツだ」
 
 卑屈になっているわけでもなくそれが事実だと淡々と口にする。
 大丈夫だと伝えるために首を舐めると「結構な変態だったのか」と呟かれた。
 どんな真実がどこに隠れていても気にならない。俺の気持ちは生まれたときから変わらない。
 
 
 
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受け視点は「月明かりの下で俺たちは幸せを拾えるだろうか」です。
2018/02/15
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