運命の番には番がいた(平凡オメガ受け)

12:榊原春樹の現状認識「そんなこと言われても、というのが偽りない本音」

「それでも君に私の子供を産んでほしい」
 
 
 聞き間違いではないなら、妻と別れて君と一緒になるという反応に困る発言だ。
 
 榊原春樹は自分の感覚が普通だと思っている。
 テレビドラマで見るような修羅場とは無縁の暮らしをしていた。
 ご近所トラブルの再現VTRすら春樹からするとドラマティックだ。話を盛っているのでなければ、世の中には未知の人種がいる。
 
 この世界に来て人から怒鳴られたり、人を不快にさせてしまったが、バース性への理解力が低いせいだと反省している。同時に周りが春樹への配慮があるかないかの違いも大きい。ウララは春樹が別の世界からやってきていると分かっているので、この世界の常識からズレた発言をしても無知からきた疑問や勘違いだと思ってくれる。面白いとは感じても不快に受け取りはしなかった。
 
 今までのバイト先では平凡顔のΩの傲慢や挑発と思われて批難されるか嫌味を言われた。
 春樹にそのつもりがなくても相手は自分に対して攻撃してきたと感じ取って倍返しどころか十倍返しにしようとする。
 屈辱を受けてそのままではいらない。憂さ晴らしをしないといつも通りの自分が戻ってこない。
 年齢や性別に関係なく人には許せない言葉や反応というものがある。
 
 この店には春樹とトラブルになりえるコンプレックスを抱えるβや高圧的で人を見下して鬱憤を晴らすαはいない。店に来るお客さんはチャチャンのような男の娘に高飛車に見下されたいαやαの真似をして恍惚とするβなど。
 
 お客さんも店員も今まで出会った人たちと人種が違う。癖があっても悪意を持って接してくるわけではないので春樹としては気が楽だ。雑用としての仕事が多いこともまたクビを恐れずに立ち回れていい。
 
「このまま長話をするわけにもいかない。一旦、場所を変えようか」
 
 眼鏡とスーツの三十二歳らしい意見を口にする桐文隆司。
 理知的な横顔に昨晩の野獣じみた気配はない。
 
 備品として置かれているタオルで身体をふいてぐちゃぐちゃになった店の制服に頭を抱える。
 下着はもちろんのこと下半身は精液と謎の分泌液で汚れている。Ωの尻は春樹が長年付き合ってきた尻ではない。排泄する場所ではなくαの子供を宿すことができる生殖器である。
 
 この世界にやってきてΩになった春樹は身体の構造が変化している。
 ウララが口にしたようにローションなど使わずとも濡れる。
 性交する上で便利かもしれないが、汚れた下着を前にすると気分が沈む。
 
 ロッカーに私服があるのでタオルでも巻いてバックヤードまで走っていくことを考えていると隆司が申し訳そうな顔をする。服を買ってこようと言われたが気分的に借りを作りたくなかったので遠慮した。
 
 春樹は人の厚意に甘えることに抵抗はないが、親切心や善意が必ずしも良い方向に働くものではないと知っている。良かれと思って行動しても結果が最悪なものになることはどこにでも転がっている現実だ。過去のバイト先で役に立ちたい気持ちから何かを手伝おうとして痛烈な拒絶をされたことがある。
 
 Ω差別ではないが、Ωを気持ち悪いとか怖いと感じるβは少なからずいる。Ωとして生きていくなら、相手が何を求めているのか見抜きながら暮らさなければならない。高度な技術に思えるが、店のΩたちを見ていると誰もが息をするように自然とできている。他人の求めているものを察することができない春樹がここでは無神経ということになる。
 
 運命の番のためになんでもしたいというαとして自然の欲求を口にする桐文隆司の心情がくみとれない。
 
 人からの好意に鈍いわけではないので熱意のこもった視線は嘘ではないのがわかる。眼鏡をして改めて春樹を見ても隆司は「かわいい」と口にして幻滅などしなかった。泣きはらした顔は平凡を下回りぶさいくの境地に達した気がするが、隆司は気にしたところはない。
 
「店の人にも私たちのことを説明しないと……ハルちゃんは、今日休みなのかな」
 
 年上からのハルちゃん呼びは春樹に衝撃を与えた。
 SNSでは名字の榊原からとって「サカキ」と名乗っていた。
 友人知人たちは「サカちゃん」「サーちゃん」が一般的だった。
 あの場所で待ち合わせをした友人の次に仲が良かった相手からは柿くんという独特な呼び名をもらっていた。
 
 成人男性に「ちゃんづけ」も問題視したいが、距離が縮まったように愛称で呼びかけられて困惑する。
 春樹からすると心を許せる唯一かと思ったら「番がいる」発言により崖に突き落とされた。隆司が何を言っていても春樹からすれば崖の上からの声かけでしかないので意味が掴み取れない。
 
 距離がありすぎて声が反響している。
 物理的な距離は一メートルも離れていないが精神的には富士山の頂上とふもとだ。声が届く方が逆に奇跡かもしれない。
 
「今日は休みですが、説明などはこちらからさせていただきます。自分のことですから」
「もう二人のことだよ。仕事はすぐに辞めなくても構わない。でも、引っ越しが必要になるからね。店長に休みの都合をつけてもらわないと」
 
 ハルちゃん呼びを阻止することを考えていた春樹に更なる不可解が襲い掛かる。
 隆司の言い分が春樹の頭には入ってこない。自分がものすごい馬鹿になってしまったようで怖くなる。
 当然の共通認識だという顔で仕事を辞める、引っ越すなど言われてもついていけない。ここで疑問を口にすると考えの至らない春樹が頭が回らない愚図だと表明することになる。
 
 今まで何度となく気分の悪い空気を味わってきた春樹は次の展開を察して気持ちを切り替えた。そうしなければ、店のプレイルームから出られない。延々と裸でここに居座ってしまう。
 
 勝手なことをしたと店のみんなに謝るのが先だ。最悪でも店長代理であるウララに説明しなければならない。
 身体が痛いので部屋の清掃は苦しいが放置はできない。春樹が片付けなければウララかラクトが片付けることになる。
 
 立ち上がると足元から崩れ落ちそうだったが、なんとかこのプレイルーム特有の道具につかまって体重を支える。この部屋は大きめのベッドと拘束具つきの椅子と大人を張り付けにできる壁がついている。
 
 いろんなプレイに使えるオーソドックスな部屋らしいが、チャチャンはそれぞれ面識のないお客さんを複数連れ込んでの見せつけプレイに使用していた。
 
 拘束された人は見ていることしかできない。どれだけ自分が苛められたくても別の人間が苛められているのを見ているしかできない。自分が贔屓にしているキャストが他のお客さんに奉仕という名の嗜虐を加えているのを見ているという苦痛。それもまたプレイのひとつ。
 
 スイッチ一つで破壊的な動きをする仕掛けやゴツゴツとした装飾品がない安全な部屋を選び取った昨日の自分を春樹は褒めた。この部屋以外だったら怪我をした可能性が高い。
 
「本能は正解を導き出すものだよ」
 
 春樹の内心を知ってか知らずか、隆司は「君は私に、私は君に出会うために生まれてきたんだ」と残酷にしか聞こえない言葉を口にする。
 
 扉がノックされたと思ったら数センチ開かれた。
 春樹を庇うように前に出る隆司。
 今の春樹の姿を人に見せたくなかったのかもしれない。
 
「ラクト、さんですか?」
 
 一瞬見えた瞳に覚えがあった。
 正確に言えば身長だ。目の位置がラクトだと思った。
 昨日に引き継ぎをしなかったことを思い出すが、謝るべきはそれだけで済まない。
 
「店長か、オーナーはいないかな? 出来ればオーナーの山田さんと連絡が取れるとありがたい」
 
 αにしてはβに対して高圧的ではなく、丁寧であるあたり育ちの良さが感じられる。
 ラクトは何も話さない。
 隆司の背中から顔を出すようにしてラクトを見ると傷ついたような顔で袋を扉から手だけで室内に入れている。
 春樹が受け取りに近づくと「ハルちゃんダメだよ」とやんわりとした言い方とは反対に力強く止められる。
 
「恥じらいがないのは男らしくて格好いいけど、もっと自覚を持たないといけないな」
 
 年上の忠告は素直にうなずく春樹だが、甘ったるい声の隆司から感じる違和感をやりすごせない。
 目が合ったラクトは何かを言いたそうで、言葉が見つからないという春樹自身、同じ気持ちだと握手を求めたくなる顔をしていた。
 
 隆司がラクトから受け取った袋の中には春樹の着替え一式があった。
 ロッカーから春樹の荷物を持ってきてくれたのか財布などが入った鞄もある。
 ありがたかったが自分の行動が外にも筒抜けだったということになる。一週間とはいえ上手くいっていた自覚のある職場をクビになるのはショックだ。
 
 運命の番であるらしい桐文隆司からすでに番がいると聞いた上に子供を産んで欲しいというキャパシティをオーバーしすぎる発言よりも目の前にある無職が怖い。貧困や生活苦のほうが春樹には現実的な問題だ。
 
 ラクトが何かを口にする前に桐文隆司は扉を閉めた。
 職場の新人の見苦しいところを先輩に見せ続けるわけにはいかないので正しい判断かもしれないが、隆司からすると「私以外を誘ってはいけないよ」という謎の思考回路からだ。
 春樹に服を着せながら隆司は眼鏡とスーツと理知的な雰囲気を蹴り飛ばすようなデレデレとした顔で「やっと君と出会えた」と口にする。
 
 春樹だって番になれるαを探していた。
 薬や金銭的な話だけではなく未来への不安が大きかった。
 
 新しい場所でやっていけるのかという等身大の不安と普通の生活では味わうはずのない孤独感。
 そういった精神的な心の空白のようなものが桐文隆司との出会いで埋まるのだと思っていた。
 期待を裏切られたことを悲劇というのは自分勝手であるのかもしれない。
 
「番と言っても彼女ならわかってくれる。なにせβだからね。便宜上、番ってことになっているだけで、ただの結婚相手に過ぎない」
 
 どこか侮蔑するように結婚指輪を見ながら隆司はつぶやいた。
 結婚相手を「過ぎない」と表現する価値観が春樹には理解が難しいが、政略結婚なのかと想像する。
 
 αとβでは子づくりは期待できない。男女であっても二人の間に子どもは出来ない。αの個体数が低い原因がαの子供はΩからしか生まれないせいだ。基本的な知識として春樹でも知っている。
 
 優秀な人材であるαを増やすことを重要視するならαを産むΩである春樹の方がβの女性よりも優れているといえるのかもしれない。間接的にでも自分を選んでくれているのが伝わってくるはずなのに春樹はどうしてか喜べなかった。
 
 
2017/08/24
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