喉の焼けつくような痛みと胃液の臭いに思考が冷静になっていく。
 シャワーを直接口で受け止めてうがいをする。
 
 自分の現状に最適な言葉を探す。出てきたのは因果応報と自業自得と天に唾を吐くといった、自分の行動が今の自分の状況を作っているという冷めた指摘。
 
 俺はどこかで自分を哀れんでいた。苦しい初恋、悲惨な初体験、上手くいかない恋人関係。そんなことを思いながら自分を哀れんでいた。上手くいかないのは他人のせいで、俺は悪くないと見ないふりをした。冷静になれば俺も他人を振り回している。
 
 祐樹の仕事を否定するわけじゃないけれど、俺が全くの無関係とは思えない。
 お金を稼ぐやり方として男相手のデリヘルが高給取りなはずがない。
 女性の相場よりも男は値段が低いと聞いたことがある。
 男が男相手の水商売をするにはこの国は小さすぎる。
 需要がゼロではないとしても男が好きで、抱かれかたも抱きかたも分からないから仕事にしている人間が多いんじゃないだろうか。それとも今はマッチングアプリか。
 こういったゲイ知識は俺を犯した、父の男の発言から学習した。
 自分と一緒にゲイとしての人生を送ろうと勧誘してきた彼はきっと男に犯されて救われでもしたのだろう。
 
 気づけなかったあるいは抑圧していた自分の性癖を他人に認められた気持があったから、俺に同じことをして同じ場所に引きずり込もうとした。
 
 俺が自分と違う考えの人間だときっと思いつきもしなかった。悪気なく「ゲイはみんなこういったものだ」繰り返すその言葉を鵜呑みにしたわけじゃない。けれど、嫌悪感は刻み込まれた。その後に不良たちからの暴力で性的な行為を受けた記憶があいまいになったのは、ある意味ではよかった。
 
 原因不明の不快感が残り、祐樹に近づくことに拒絶感が増したとはいえ、気持ちの悪い初体験の記憶が頭の中で繰り返されるよりもマシだ。
 
 心への暴力、体への暴力。どちらも俺は耐えられるものじゃなかった。耐えたくなかった。
 弱音を吐き出しすがりついて慰められたい。そう思いながらも今の今まで放置していた。
 高埜にだけ父がゲイであり、そのせいでゲイが好きではないと告白できたが、他の誰にもこんなことは言えない。
 知られたくなかった。
 父がゲイであることを隠したいわけじゃない。
 そこから、俺の見ないことにしていた過去を暴かれるのではないかと怯えていた。
 
 親や親戚に暴力を振るわれて家を飛び出してきたような奴はたまり場の中で少なくなかった。
 夜はそういう人間がいくらでもいた。ただの好奇心の火遊びの子供は危ない気配を察知して温かく安全な家に帰っていく。変えれないのは帰る場所がない俺のような子供だ。
 
 ヒロさんが話をつけて暴力が収まった家庭もあれば、どうにもできない家庭もあった。
 後者の人間はそもそも危ないから自分の家にヒロさんを近づけようとはしなかった。みんな耐えることには慣れていた。自分が殴られることはいつものことでも、ヒロさんが殴られることには耐えられない。ヒロさんが一発殴られたおかげで、暴力をふるう父や母に立ち向かった少年少女は確かにいて、それはそれでヒロさんからすれば成功なんだろう。
 
 ヒロさんは壊れた家族を一般的な形に戻そうとしていたわけじゃない。壊れた場所と一緒に戻れない場所に落ちていく誰かを引き留めていただけだ。
 
 酷い暴力に包帯だらけの子に向かって、ファッションなのか顔に傷があるのか包帯を巻いた人が話しかけていたことがある。
 
『大丈夫だよ。そのぐらいの傷なら跡は残らず消えるから。かゆくなっても引っかいてはいけないよ』
 
 転んでひざを怪我したような軽すぎるあつかい。
 重々しい空気を出して心配しろとは言わないけれど、あまりにも薄情すぎる。
 
『耳と目、……鼓膜が破れたり、失明したりって意外と簡単にするから、そこは気を付けてね』
 
 声はおだやかで優しげなのに「次」があることを想定しての言葉に包帯だらけの子は怖かったのか漏らしてしまった。
 言ったほうは理解できなかったようだが、ヒロさんは静かに横から口を挟んだ。
 
『傷に触れてやるな』
『触ってないよ? まだ傷口はじゅくじゅくして痛むだろうから』
『言葉で心の傷に触れてるんだよ』
 
 そこまで言っても分からないようで、ヒロさんの言葉に首をかしげる。
 おだやかな声に反して恐ろしく感じるのは、優しさが見えないからかもしれない。
 思いやりの言葉をかけているはずなのに優しくない。
 
『まあ、たとえ心に傷があっても、そのうち治るよ。そういうものだよ。だからきみは、かわいそうじゃないし、痛くない』
『……人の傷をお前が語るな。お前が痛くなかったとしても、痛いと感じるやつはいる。同じ怪我をしても痛みはそれぞれ同じじゃない。痛みに弱い人間が悪いわけでも、痛みに強い人間が凄いわけでもない』
 
 痛みに強い人間の鈍感さは何より恐ろしい凶器になる。
 痛みを自覚しない人間の言い分はどうしようもない狂気でしかない。
 俺は近くで聞いていたこの会話できっと勝手に救われていた。
 男にレイプされて喜べる人間がゲイだという暴論に吐き気がする。
 けれど、的確に性感帯を撫でまわされて体は相手の言いなりだった。
 俺は祐樹が好きだったのに、祐樹を抱く想像をして罪悪感を持つような甘酸っぱくも純粋な気持ちがあったはずなのにいつの間にか塗り替えられた。
 前立腺を指で刺激されるだけでは物足りなくて、男のペニスを欲しがった。淫乱だと指摘されても気持ちよさに流されて犯されることを悦んだ。身体は確かに達する快感に負けていた。射精の解放感が俺の理性を壊していた。こんなに気持ちよくなった俺は被害者ではないと言われて否定できなかった。
 大人の男にレイプされて怖かった気持ちとは別に切り開かれた強すぎる快楽は身体を甘く狂わせる毒だ。俺はケダモノに落ちた。そのことがショックなのだと、分かってくれる人はいない。
 俺自身もまた自分の傷など拾い上げてこなかった。けれど、俺が見過ごした痛みが確かにあるのだとヒロさんの言葉で無意識のうちに気づいた。優しく治療された気分だ。
 
『自分が痛くないから他人も大丈夫だと思って、いじめてやるなよ』
『そういうつもりじゃなかったけれど、ヒロにそう見えたなら変えていかないといけないね』
『もっと自分に優しくなれば、痛がりの気持ちも理解できるようになりそうだけどな』
 
 ヒロさんは漏らしてしまった子に着替えとタオルを渡して後始末をしてあげた。
 周りはヒロさんを止めていたけれど、他の誰かではなくヒロさんがすることに意味があった。
 ヒロさんは誰が漏らしたとしても同じようにその始末をしてくれただろう。
 たまり場にいる他の誰かが掃除をしたら、きっと恩を着せようとする。
 俺がやってあげたから感謝しろと。
 ヒロさんはいつものことだという顔で感謝を求めることはない。恩を着せようとしない。
 すでに精神的にギリギリだからこそ漏らした、そんな子からすればどれだけ助かるかわからない。
 
 トップであるヒロさんが片づけたということは漏らすという行動を責めていないということでもある。
 ヒロさんが責めないことを他の奴が責めたりいじったりすることはない。
 何重もの意味がヒロさんの行動には含まれている気がした。
 それは一人を救うだけじゃない俺をはじめとした弱さを抱える全てを救ってくれていた。
 自分が責められていなくとも、苦しくなることがある。
 誰も責めてはいなくとも勝手に追い詰められてしまう。
 弱さを許してくれない、間違いを受け止めてくれない、そんな雰囲気に遭遇すると息苦しくなるけれど、ヒロさんは大抵のことを責めない。だから、みんな気を張っていなくてもいい楽な場所としてたまり場にいた。
 その延長線上にある会社だから、経営は心配になるけれど、社内の雰囲気は悪くないはずだ。
 
 引っ越しそうそうに葛西といろいろとあったとはいえ、俺は新しい生活に幸せがあると信じている。
 
 
2018/09/07

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