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  038 白昼夢的な過去


 ひんひん、アンアン喘げば楽かもしれないと思いながら俺は声を押し殺す。
 後ろと前のどっちがいいか聞かれたけれど、答えられない。
 どっちって答えるべきなのかも分からないでいたら頭を撫でられて落ち着くように言われた。
 どうやら俺は息をしていなかったらしい。
 キスをされながら聞こえるはずのない声が聞こえた。
  
『そろそろお父さんって呼んでくれないかな?』
  
 正気と狂気が混ざり合い自分を手放せば死に至る。
 ベルトヤカの毒が染み込んで座標軸を固定する。
 今どこにいるのかを場所を打ち込まれる。
 
『ベルトヤカは残虐で冷酷無慈悲で有名なんだ。王国内部の掃除屋さん。……でも、安心していい。彗星はほうき星だから掃除屋さんと相性は悪くないよ』

 泣かないで、怖がらないで、諦めないでと聞こえる声が世界の全て。
 誰も周りに居ない。
 そんなわけない。声は確かに聞こえている。
 
『君が感じているのはバニッシングツインの症状じゃないかな』
 
 訳知り顔で俺を見る男を俺は許せない。
 
『失ってしまった半身に対する無意識に生じる罪悪感』
 
 アイツさえいなければ母さんも俺も父さんもこんなことにはならなかった。
 目の前にも近くにも居ないはずの男の声がする。
 気持ちが悪い。
 
『幸せになっちゃいけないって……どこかで思ってるから人に心を開けない』
 
 そんなことはない。
 友達が出来たし、これから俺は――。
 
 
 
 一発で夢だと分かる夢は俺の場合だいたいが悪夢だ。
 過去の記憶の再生だったり、改変だったりしてロクなことにならない。
  
「ねえ、お父さんって呼んでくれないかな?」
 
 誰が呼ぶか。死ねよ。
 
 四角形の黒縁眼鏡で顎ひげなんて胡散臭さ丸出しの格好の遠い親戚という名の他人。
 本当に親戚かも怪しい男。
 剛毛の天然パーマは母さんにも俺にも似てない。
 目の色は灰色で全体的に日本人らしさがない男だった。
 
 何が目的で母さんに近づいたのか知らないけど目の前の男は犯罪者だ。
 母さんは騙されているというか利用されようとしてる。
 そうじゃないとおかしい。
 
 コイツが母さんを好きだなんて嘘くさい。
 仮に母さんが好きだとしても母さんには父さんがいるんだから素直に諦めとけよ。
 俺は今日もコイツのことが気に入らない。明日も同じだ。ずっとずっと気に入らない。
 
「無視しないでよ、すぅちゃん」
 
 不愉快だ。気持ちが悪い。猫なで声で俺に話しかけるな。
 その思いのままテーブルの上にあったマグカップを俺は男に投げつける。
 中身は入っていなかった。
 丈夫だから床に落ちても割れなかったけれど母さんにバレたら説教ものだろう。
 
「悪い子にはお尻ペンペンだぞ☆」
 
 気持ち悪い口調はやめろ。お前の品性が下劣なことなんか分かりきっているんだ。
 笑っているようであって目が瞬きしてないでこっちを凝視してる。
 
「おかしいんだ。キミは知っているはずがないんだ。この家から一歩も外に出てないキミが知るはずがない事実をどうやって手に入れた?」
 
 アイツは俺に嘘をつかない。お前みたいに嘘だけで塗り固めた人間とは違う。
 騙されていたのが恥ずかしくて情けなくて気持ちが悪くて不快で吐き気がする。
 
「誰が教えたの? 素直に言って。そうしたらお仕置きはなかったことにしてあげる。昔、言ってた鏡の中の――」
 
 唐突に小柄な身体が椅子を振り回して男を沈める。
 粘土のように崩れて消えていく男に夢の中だという確信を強める。
 
 
 Bがあの変態性や偏執狂なところがあの男と似ているから、あるいはベルトヤカの毒が身体に及ぼした影響?

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