033 研究者のテンションって独特だ
A兄さんをジッと見ると頭を撫でられた。
そんなことで誤魔化されたりはしない!!
ギリリと奥歯を噛みしめる。
これは適当には済まさない。徹底追及の構えだ。
A兄さんは俺の眼力に恐れをなしたのか「ベルトルに禁断症状を一度味わった方がいいと言われただろう」とあっさり白状した。
Bの言う通りA兄さんは好き勝手に射精できる人らしい。
そういう体質の人とか訓練すれば出来るとか聞いたことある。
AV男優さんとか相手役が好みの女性じゃなくても勃起しないと仕事にならないから自由自在なのかもしれない。
それにしても俺のした苦労っていったい何だったんだ。
最初から射精する気がなかったくせに俺にチンコしゃぶらせるとかA兄さんの考えが分からない。
嫌がらせなのか、冗談を俺が真に受けて動いちゃった結果なのか。
口内射精のあげくに蹴り飛ばしたんだからその点に関しては酷さはイーブンなのかどうなのか。
どっちもどっちというか罪悪感を俺ばかりが抱いている気がする。
A兄さんは何も悪いことしたと思ってなさそうだ。
それにしても快楽に関係せずに射精可能なのは逆にオナニーを一切しなかったりする空気を感じる。
だから童貞なのか。
というか――。
「会ってないけど普通に女性いるよね?」
「境界内だと少数派じゃなあ」
「大体が邪教に飲み込まれるからな」
「女子は感受性が豊かじゃし、感情を高ぶらせっからダメなんよ」
この話題に具体的な話を切り込むべきなのか様子を見るべきなのか分からない。
Bの目のやり場に困る格好のせいで頭が回らない。
なんで無駄に乳首がピンクで綺麗なんだ。
だから見せびらかしたいのかもしれないと考えたあたり染まってしまったかもしれない。
それにしても訛りというか方言というか適当な語尾は何だ?
全部の言葉が統一してるならともかく法則として一定してない感じ。
もしかして日本語下手なのか。
「どの程度の説明受けたんじゃい?」
「後でまとめてって事で全然知らない……」
思案するようなBは溜め息の後、呆れ顔でA兄さんを見た。
ガラスの瓶の中に手を入れてその中に入った飴のようなものを取ると俺に渡してきた。
「糖分おとりよ」
伺うようにA兄さんを見たら頷かれたので素直に口に入れる。
これから難しい話をするから脳に栄養を入れておけってことだと立ち上がって口を開くBに思った。
「せめて白衣の前を閉じてもらえます?」
幸いなことに俺の願いは無視されなかった。
やはり大切な話をしてくれるんだろう。
どこから切り込まれるのかと思ったら意外なところからだった。
「 |十七夜月《かのう》|季史《きし》の話は聞いたん? なら、八尾比丘尼は? 落語の寿限無は? どこまで知っとるか?」
「一般知識なら、わかります」
「人魚姫、白雪姫、シンデレラは?」
「知ってます」
それらは一般教養みたいなものだろう。人魚姫とかは女子向きなのかもしれないけどアニメは見てるし絵本も読んだし大人向け解釈とかのちょっとエッチな本やホラーなものだって見た。アンデルセン童話はそんなにドロドロしていないけれどグリム童話はエログロだと思う。読んだ解説書のせいかもしれないけど近親相姦が余裕で出てくる。
当時の時代背景を映しているんだかなんなんだか。いろいろ考察されている。
「ウチの兄弟はなぁ、知らなかったり欠けてんのよ」
「具体的に言うと?」
欠けているというのは昨日からちょっと聞く単語だ。
足りない状態にあるから正しくしたいという話の方向性だと思うけれど着地点がよく分からない。
「白雪姫ってどんな話よ? へいよー、説明よろしゅう」
ぱんぱんっと手を叩くBに俺は咳払いして思い出す。
白雪姫は嫌いじゃない。白雪姫コンプレックスなんていうのは結構面白い。母と娘の潜在的な対抗意識の説明として童話の物語は理解しやすい。
元々グリム童話はグリム兄弟が考えた創作物ではなく各地に散らばった民話をまとめたものらしい。別の地方でも日本神話のような話があったりするんだとマイナーな童話を読んで思ったことがある。改訂は当時の時代背景なんかを反映されながらのことだから初版との比較はちょっと興味深くて面白い。
「継母に美少女だからって殺されかけた娘が森に入って猟師から殺されそうになって命乞いして助かって七人の小人の家に居候してたら変装した継母に毒りんごを食べさせられて眠りについたけど王子様のキスで目覚めてハッピーエンド」
「他には? 知ってるのはそれだけじゃないっしょ」
探るような瞳で見つめられて俺は一般的なものじゃないのを思い出した順にバラバラに口に出す。
「継母が実母だったり、
鏡よ鏡っていうのは間男を召喚する合図だったり、
頭の弱い美少女かと思いきや白雪姫は魔性のサディストだったり、
淫乱娘で父親を手玉に取ってたり、
継母がいい人だったり、
逆に若さのためにカニバリズムってたり、
毒りんごの前に二回暗殺計画があったり、
白雪姫が目覚めたのは王子様のキスじゃなくって従者が棺を落っことしたら林檎の欠片が出たからとか、
王子様が白雪姫に惚れた理由が死体愛好家だったからとか、
ラストシーンは王子様と白雪姫が結ばれてめでたしめでたしハッピーエンドじゃなくて、焼けた靴を履かされた継母が踊り狂ったとか」
本当は怖いとか本当はエロいとかの知識もあるけどグリム童話が初版と現代に伝わる内容が違うっていうのは有名だ。
白雪姫に限らずシンデレラも継母が靴を履かせるためにシンデレラの義姉のつま先や踵を切って靴に合わせようとしたり結婚式に呼ばれた継母たちが鳥に目を突かれたりして失明するとか、そもそもガラスの靴なんか履いてなかったりとか色々と違う。
グロテスクさと近親相姦やバイオレンスな成分などを削ったり改変してマイルドな内容にしたっていうグリム童話。
白雪姫が小人相手に身体を売って居場所を得ていたとかは生々しい以前に健気なお姫様からただのビッチみたいな落差にドン引きだ。これはエロい風に解釈するとそうなるって話だったかもしれない。
「同じ話なのに全然違って感じるのはどーしてじゃ?」
「語り手の解釈によって内容が変わっていくことはあるし、グリム童話なら根本的に出版するごとに内容に改変が加えられてたから……ジェネレーションギャップ? 確か、童話だと今の発行物だと人魚姫は泡になって消えたりしなかったり、昔話のかちかち山のカニバリズム描写、タヌキの死亡が削られて改変されてたり」
「それが童話じゃなく人間の記憶全般に起こったら?」
「それは……混乱する、だろ」
具体的な例えが見当たらないけれど、自分の中で綺麗でかわいいお姫様だった白雪姫が淫乱ビッチなサディストだと誰かに主張されたら暴動ものだろう。お互いに妄想を語るなってことになる。
「だしょー? じゃからベルトヤカは一緒に住んでいられなくなっちゃったーわけよー。理解おーけー?」
全然OKじゃないのでA兄さんを見た。
「王の経験や能力は大なり小なり境界の人間全員が受け取っている」
A兄さんの言葉はDから聞いていて知っていることだ。
王が交代する際の儀式。彼らが日本語を喋れる理由。
ベルトヤカ以外に会っていないけれどこの国の人間は多分日本語はみんな使えるはずだ。
王の血を飲んでいるのだから。
親や周囲が日本語を話していれば子供が覚える言葉も日本語になるだろう。
「個人の記憶はその中には含まれない。
一足す一が二であるとか機械の使い方などの生活に必要な知識はあるが思い出の類は継承しない」
プライバシーは侵害されないのかと思ったがBはどこか歪んだ笑みを見せる。
「まぁさ、それベルトヤカ以外は、の話やけどねぇ」
Bの笑い方に嫌な予感がする。近寄って来たBはどこか虚ろな瞳をしているように見える。
怖いと思っても伸ばされる手を避けられない。DがそうしたようにBは俺の頬を撫でる。
ゾッとした気持ちを紛らわせる。目をそらすのは簡単だ。
何を言われるのか身構えながら俺はいつか誰かに言われ台詞を思い出す。
『その世界には不思議なことなんか何一つない。彗星が怖いのは世界を崩壊させるかもしれない力だろう? 大丈夫。不用品は全部クランティグランティが食べてしまうから』
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