飾り気のない君が、あるとき、その唇の色を染めた。その理由を俺は知っている。
「及川、岩泉くんってさ、彼女いるの?」
夕暮れの誰もいない教室で、ピンク色のリップが茜色に染まって揺らぐ。新しい色に変えたんだね、きっとそんな些細な変化に岩ちゃんは気づかない。なまえちゃん、せっかくおめかししたのに可哀想だね。
「さーね。」
「絶対知ってるくせに!意地悪」
「自分で聞きなよ」
「…聞けるわけないじゃん」
「俺にはそういう可愛らしい恥じらい、ないわけ?」
「だって及川でしょ」
「岩ちゃんより及川さんの方がモテるんだけど?」
「はいはい。岩ちゃんには彼女いないよ。そういう話も聞いたことない」
「そうなんだ!ありがとう、及川!」
ロマンスの始まりは、いつだって必然だった。俺が頼み込んでやっと観に来てくれたバレーの試合。なまえちゃんは俺ではなく、岩ちゃんに目を奪われてしまった。それからというもの、なまえちゃんはあれだけ興味がなさそうにしていたバレーの試合に頼まずとも通うようになった。その目はいつも岩ちゃんを写していて、そのキラキラとした眼差しはいつも岩ちゃんだけに向けられている。脇役でも構わないから、君の世界に僕を写してよ。
「、あ。わりぃ。取り込み中だったか?」
「え!あ、いわ…いずみくん」
「及川、忘れ物してたぞ」
「岩ちゃん、ありがとう」
「…及川とみょうじって仲良いの?」
「、…岩泉くん、私のこと…知ってたんだ」
「同じ学年だろ。それによく試合、観に来てるし。及川の知り合いだったんだな」
そうじゃない、そうじゃないんだ。岩ちゃん。
「そうそう。俺となまえちゃん、幼馴染だからね」
飾り気のない君が、好きだった。君にたったひとこと「かっこいい」と言ってほしくて、ここ一番の試合に呼んだ。頼み込んでも来てくれないと思っていたから、コート脇に立つ君を初めて見つけたときには胸が高鳴った。そんな君が、その綺麗な瞳に映しているのは俺ではない。それから、飾り気のない君はさらに綺麗になった。俺だけのものだったのに、急に遠く、寂しくなった気がして、不思議と胸の奥底がひんやりとした。
「でもなまえちゃん、俺のこと応援してくれないんだ。岩ちゃんのことばーっかり観てるから」
「ちょ、及川!なに言っ、」
「みょうじが…俺の、ことを?」
君が恋をして俺のもとを離れていくなんて遠い未来の話だと思っていたけれど、互いに頬を赤らめて俯くふたりをみて、もうそんな遠くない未来なのだと自覚をする。岩ちゃんのことも、なまえちゃんのことも、よくわかっているからこそ会わせたくなかったんだけどなあ。
「邪魔者は退散しよーっと」
「え、ちょっと!及川、」
「岩ちゃん、なまえちゃんのこと家まで送ってあげてよ」
なんだか恋のキューピットになったみたいだ。これでもしふたりが付き合いでもしたら、俺に感謝してほしいね。試合中、ふとした瞬間、岩ちゃんがなまえちゃんのことを目で追っていたこと、俺だけは知っているんだから。
(2023.5.30)
いろごと(色事)
男女間の恋愛や情事。
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