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元亡霊さんと一緒

「今日、外で待ち合わせてメシ食いに行かねえか」

黒のTシャツにオフホワイトのパーカー、青のジーンズと、すっかり「彼」が現代の服装を着こなす姿も見慣れたこの頃。彼は満員電車の中でそんなことを言い出した。
私の通う大学と彼の通う専門学校の最寄り駅は隣り合っている。一際混み合う通勤快速ではなく各駅停車を利用しているものの、朝の混雑は故郷の単線列車からは考えられない程に殺人的だった。
本人曰く、人並みになったというその身体付きは随分逞しく、毎朝私をそんな人混みの圧迫から守ってくれている。
今朝も私の顔の両脇に手を付いて踏ん張っていたと思いきや、淡々とそんなことを言い出すから少し返事が遅れてしまった。

「良いけど、珍しいね」

祖母の三回忌をきっかけに姿を現した彼は、不気味な再会の仕方とは裏腹に私の日常にすんなり侵入してきた。
いや、私の下宿先の近所を選んでわざわざ引っ越してきたあたりも大概不気味だが、退院するにあたりどうせ下宿先を探していたと言うからまあ許容出来ないことは無い。このあたりは通勤快速やら特急やらが停車しない上に主要道路から大きく外れている為、家賃が少しだけ安くなっているのだ。家賃の安さだけで言えば独り者には人気の町である。

「偶にはな」

電車がいつものカーブにさしかかるその一瞬、半歩の距離を更に縮めてきた彼の胸板が鼻先に当たる。鼻腔を擽る柔軟剤の匂いは私と同じもので、その奥には彼の体臭がある。思わずもう一嗅ぎしたくなるその匂いは、彼がもう亡霊でないことを突き付けていた。

「もうお店決まってるの?」

別人の身体であるはずなのに、その顔は日に日に亡霊であった彼の顔へと変貌していく。両頬にあった縫合痕こそないものの、もう五年も経てば歳の頃も同じになるだろう。
そんな我が子の変わりようを恐れた幼馴染みの両親は家を引き払い、誰にも行き先を告げずに去ったらしい。息子の振りをしなくていいと彼は笑っていたが、そのスマートフォンに両親という名の登録があることを私は知っている。このあたりは多分時間が解決してくれるだろう。

「ああ、流行りの店らしいから煩そうなのが難点だが、美味いんだと」

彼はデザイン系の専門学校に通っている。今から学もない自分に出来るのはそれくらいだと嘯いて、楽しそうにカメラを弄り回している。生きるつもりがあるのだと安堵したのは内緒だ。

「立ち呑み系じゃないよね?」

そのカメラのレンズを頻繁に私に向けてくるのだけは困りものだが、彼は動物を被写体に選んでいることが多いから練習と言われてしまえばそれまでだった。
事実、彼の撮る写真は躍動感に溢れていて素晴らしい。とかくタイミングを捉えるのが上手いのだ。
そう褒めれば、腕の良い狙撃手だったからなと、亡霊だった彼を知る身としては何とも笑えない冗談を返されてしまったっけ。彼は己の名を削ぎ落としてまで狙撃の腕を誇っていたらしい。

「…そこは確認してねえが、まあそうだったら一杯だけ呑んで帰りゃいい。 俺も腰を落ち着けて呑めねえところは嫌だ」

彼は生きている。存外普通に、十年寝たきりだったことを体の良い言い訳に使う器用さまで見せて現代に生きている。
そんな彼は周囲に、私のことを十年来の恋人だと触れ回っていると最近知った。
なんでそんな嘘をと詰め寄れば、久方振りに見る昏い瞳で嫌なのかと逆に問い返されてしまった。嫌だと言えなかったのは、また彼がいなくなるのが恐ろしかったから。次の別れに、再会は無いと分かっていた。

「なあ。 俺の家、来いよ」

耳朶に彼の唇が当たる。男性にしては少し高めになるのだろう彼のよく通る声は、脳内にまですんなり侵入してきた。
そして、この誘いは初めてではない。
普段私の家に当たり前の顔をして入り浸る彼は、思い出した様に私に誘いをかけてくる。また今度にするねとはぐらかせばあっさり引いてくれるからここまで引き伸ばしてきたが、最近、誘いの頻度が増えてきている。酒を持ち出すことも多くなり、なんとなく焦れているらしいと察していた。多分、お互い卒業が近いからだろう。

「…今夜?」

店で呑んだ後、そのまま彼の家に行くという流れのいかがわしさに困惑する。思わず縮こまれば、くすりと笑った彼が突っ張っていた腕から力を抜き、思い切り身体を寄せてきた。電車の連結部分の扉脇、窓とも壁とも言えない部分と、彼とにぴったり挟まれる。

「俺が誰の為にこの身体になったと思ってるんだ?」

頼んでいないとは反論出来なかった。彼に黙って村を去ろうとしていた私は、つまり彼との別れを惜しんでいた。彼が生身の身体を得て再び目の前に現れたことを少しでも、一度でも嬉しいと思ってしまったからには、もうそんなことは言えない。

「安心して諦めろ。 俺ほど一途な男はそう居ねえから」

頬に寄せられた彼の唇から紡がれる一言一言は酷く甘ったるい響きを孕んでいる。
…例え今日断っても、私はいつか彼の家に行くのだろう。なら今日行っても同じことではないかと後押しする自分がいる。
そろりと見上げた先、底無しの黒い瞳が弧を描いて私の答えを待っている。絶対に逃がしてやらないという狂気が潜んだ瞳に、私は今日こそ負けてしまった。

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