小さく息をする


 一.

その池は、満開の藤の花に包まれるように、一周をぐるりと囲まれていました。
辺りは白い靄(もや)がかかり、静かに水面を揺らしながら、池の水は日の光を吸い込み、まばゆい光を放っていたのです。
この池へ近づくことのないようにと、近所の子供たちは親たちに云いつけられていました。その親たちもまた、けして近づくことがあってはならないと、何代にも渡ってそう云い伝えられてきたのです。
それほどに恐ろしいというその池を、杏寿郎はこの目で見てみたいと思いました。
そうして、およそ此の世のものとは思えないほどうつくしい、まるで吸い込まれてしまいそうな幻想的な雰囲気を醸し出しているこの池の正体を、彼は見極めようとしていました。
まだ九つであった幼い彼は、どうして皆がこの池を恐れているのかわからないといった様子で、目の前の竹柵に手を掛け、身を乗り出しました。
そっと水のなかを覗き込むと、その水はどこまでも透き通っていましたが、何故だか一向に底を見ることは叶いませんでした。
こんなにも水はうつくしいというのに、生き物たちの息づく気配はなく、鳥たちさえもこの池へ降り立つことはないので、暫く見つめていると何とも不思議な心持ちがしてくるのでした。

杏寿郎は、暫くして真っ白な一匹の鯉が何処からともなく現れ、泳ぐのを目にしました。水面にたゆたう光沢のある背中に、纏った鱗はその身をうねらせ泳ぐたび、幾つもの色に変化しきらきらと耀いて見えました。
その姿をまじまじとよく見ていると、背びれから尾びれにかけて金色の模様が一つ二つとありました。その上に添えるように赤い小さな楕円のしるしがあり、そのめずらしい模様は、自分の髪色と同じ色をしている、と彼は食い入るように見つめました。
すると鈴の鳴を転がしたような澄んだ母の呼ぶ声がして、この場を離れなくてはなりませんでした。彼は鯉をいつまでも見ていたいような思いがしましたが、遠く消えていく声を追いかけ走り出しました。

そして池の水はぽちゃん、と静かに音を立てて、尾を揺らした鯉がまるで彼の後を追うかのように、いつまでも空高くを見上げているのでした。




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