good boy | ナノ
人は肉体的にも精神的にも弱ると、冷静な判断が難しくなるので、疲れたと思った時にはとにかく休む事が肝心だと良く言う。
その時に"考える"という行為は他でもない、自殺行為なのでしない。

何も考えない。

とりあえず淡々と日々を過ごして心が動かされないようにする。
そして眠る。
良く食べて良く眠る。
そうしていれば時間と経過と共に辛い事は過ぎて、いつの間にか元気になっている自分が居る。

要は誤魔化しだ。

私は大丈夫だと言い聞かせる。
脳に刷り込ませる。
眠れないのも食欲がないのも気のせいだ。
これは辛くもないし限界でもない。
キメツ学園に来た時もこの精神で乗り越えた。

ふと、あぁこれも強靭な狂人の世界に通ずるものがあるのかと、思い出しかけたジャージ姿を意識の外へ追いやる。

答えを見付けなきゃいけないとは思っているけれど、今この時は正直そこに重きを置いている訳にもいかない。

真っ黒なフォーマルスーツに袖を通し、いつものように髪を纏めてから玄関を出た。
蕾は大きくなったものの、まだ開花は迎えていない木々を眺めながら、キメツ学園へと向かう。
春物のアウターですら必要がない程に温かい日差しは、まるで生徒達の新しい門出を応援しているようだと感じた。


good boy


卒業証書授与式と厳かに書かれた紙立て看板が掲げられた体育館の出入り口、受付と称した長机の上、保護者、来賓者名簿にチェックをしてもらってから、入場の案内をする。

「あの、何処に座れば〜…?」
「あぁ、こっから後方な。全部自由席になってるぜ」
「ビデオ席とかないの?後ろ姿しか撮れないんだけど」
「ド派手な式典をド派手に撮りたいのはわかるけど悪ィな。卒業生が緊張しないようにっていう教務の配慮ってやつだ」

一応補助としてついている私の存在なんて要らない程、受付にやってくる保護者を次々と素早く捌いていく宇髄先生。
その顔の広さにも関心しながら、入場していく保護者達に頭を下げていく。

「あらぁ、良い男が立ってると思ったら、宇髄先生が受付なの?」
「お、良い女の気配がすると思ったらやっぱおめェさんか。アイツももう卒業って考えるとあっちゅーまだなァ」
「ふふふ、宇髄先生にはたくさんお世話になったものねェ。色々と」

これまた綺麗な、マダムという言葉が似合うお母様との並々ならぬ雰囲気に、この人まさか生徒の親に手を出したりはしてないだろうな、とちょっと身構えてしまった。
いや、本人達が良ければそれで良い…いや、倫理的に良くはないんだけど、とりあえず問題になければそれで良いと思う。
そこまで考えてから、そういえばどうして彼女は宇髄先生の事は敵視しないのだろうと、疑問が湧いた。
グループLINEでは結構際どい事を言っているし、この間は3人目の本命が出来そうだ、という話もしている。
正直、私より宇髄先生の世界の方が特殊だと言えるけれど、彼女は嫌悪を感じる所か、嬉々としてその話に乗っていってる。
受け入れていて、そこに相互理解があるという違いが大きいのだろうか?

「さて、とだいぶ埋まってきたな。後は俺が回しといてやっからお前は一旦戻って良いぜ?冨岡が寂しがるだろ?」
「その名前の人物はともかく、やらなきゃいけない事は山ほどあるのでそうおっしゃっていただけると助かります」
保護者に配るプログラムを整頓した所で
「最近冨岡とイチャコラしてないのは実習生のせいか?」
その質問に眉を寄せたのも一瞬、珍しく真面目に向けられる表情に視線を落とした。
「一概にそうだという訳ではありません。そもそも教師が学校内でそんな事している方がおかしいんですよ」
「そうかぁ?」
「そうです」
きっと宇髄先生には理解されないんだろうけれど。

「俺からしてみれば、それが苗字と冨岡って感じだけどな」

一瞬、何と返せば良いのか、迷ってしまった。

「どんなイメージなんですか私達…」
「あん?必死で躾ようとする飼い主と嬉々として逆らってる犬って所か」
的確過ぎて今度こそ返す言葉が見つからない。
黙り込んだ私に、宇髄先生が小さく笑うのを頭上で聞いた。
「良いんじゃねェの?そういう特殊な関係も。俺は好きだぜ?」
誰が何と言おうがな、と最後に付け足したのは、宇髄先生の優しさなのだろうか。
同時にこの人が何処まで把握しているのかを考察しようとするのを止めたのは

「おはようございます」

聞き慣れた威圧的な声だった。

昨日も印刷機の件を電話で伝えた際、ひとつやふたつじゃなく、拾い切れない小言を言われ能面で聞いているふりをして、漸く承諾を貰った事を思い出す。

「…おはようございます。どうなさいました?」
「どうなさいましたって来賓ですよ来賓、次期PTA本部会長として」
「今年度はまだ現在の会長が「勉強がてらってか?良く来たな」」
自然と割って入ってくる宇髄先生に言葉を止めた。
「本来なら入れる訳にはいかないんだが特別な?俺が派手に認めてやるぜ」
ぽ、と顔を赤らめる新会長を来賓席に促す宇髄先生の右手が早く行けと払う動きをしていて、小さく頭を下げると体育館を出た。
今のは明らかに、私の現状を的確に理解していた動きで、何処から何処まで周りの事を把握しているのだろうと気にはなったが、きっと訊いてもはぐらかすだろうな。宇髄先生の事だから。

新会長の窓口は私より宇髄先生が適任かも知れないと思いつつ戻った職員室。
全員がスーツを身に纏った空気は自然と張り詰めていて、キメツ学園の卒業式の裏側はこんな感じなのかと、無意識に口角が上がった。
在校生の入場が放送で指示されていく中、ふと冨岡先生の右隣、若干青ざめているような表情に足を止める。

何があったというのか。

見回しても周りは気に止めていない事から此処で誰かと問題が起きた訳ではないのはわかる。
それでもその右手が心許無く左胸に触れるのと、髪を整える仕草を繰り返しているのを視界に入れた事ですぐに胡蝶先生の元へ向かった。

「準備でお忙しい所すみません。もしかしてこのコサージュ、人数分ありませんでしたか?」
そう言うと、自分の胸元に触れた。
卒業生と同じものを教師陣も装着する。
その風習がこのキメツ学園にはあるらしく、それを用意するのはいつもPTA本部役員だと聞いた。
小声で訊ねた私にその瞳が驚いている。
「良くわかったわね〜。いつも余っちゃうからって今回最低限しか頼まなかったみたいなの。だから…」
一度言葉を切ると、ちらりと彼女を一瞥しながら
「私の着ける?って訊いても、良いって言われてしまって…」
困ったように眉を曲げると頬に掌を当てる胡蝶先生。
「苗字先生が戻ってきたら相談しようと思っていたのだけど、こんなに早く気付いてくれるとは思わなかったわ」
嬉しそうな表情から視線を落として、自分の左胸に挿していたコサージュを取ると差し出した。
「在庫があったと胡蝶先生から渡していただけませんか?」
「…え?でもそれじゃ…」
わかりやすく迷う指先に触れるのは申し訳ないと思いながらも両手でそれを握らせる。
「私からだとどうしても角が立ってしまうので、胡蝶先生からという事でお願いします」
それだけ言うとすぐに放した両手。
言葉の意味を理解したように
「わかったわ」
穏やかな笑みを向けてくれた事に安心して、その場を離れた。

* * *

感動的な式典を終え、号泣する悲鳴嶼先生と彼女を眺めながら、座っていたパイプ椅子を片付けようとした時
「苗字先生」
不満気に満ちた呼び声に動きを止めた。
「この度はご出席いただき、ありがとうございました」
頼んでもないんだけども、というのは心の中だけで思うだけにする。
「貴方、卒業式をなんだと思ってるの?」
棘しかない言い方に遠くを見つめたくなった。
私、多分じゃなくて絶対この人にも嫌われてるんだろうな。
「どうしたどうしたァ。教師への不満なら俺がド派手に聞いてやるぜぇ?」
宇髄先生が自然なふりをして間に立つも、それを避けるように私を見つめる。
「感動的な式典なのよ?表情も浮かないし少しはニコッとしないものなのかしら?しかもそこら中チョロチョロチョロチョロ、デジカメでカシャカシャうるさいったらありゃしない。それに何なのこの子!コサージュ着けてないじゃない!祝う気持ちもないのね!」
まぁ、何ともある意味目聡いと関心してしまった。
忙しなく動いていたから今の今まで誰も気が付いていなかったのに。
「申し訳ない…その件については私が」
悲鳴嶼先生が庇おうとするのを

「は?コサージュ着けてなかったら気持ちがないとか意味わかんなくない?キッモ」

止める暇もなく一気に言い切った彼女に頭を抱えたくなった。

「ずっと顔とか写真とかどうとかさぁ、何?式の間ずっと見張ってたの?自分こそ何処見てたの?途中オバサンがアクビ我慢してたの私だって見てましたからね〜。あと鼻毛出てますよ〜?感動的な式典を何だと思ってるんですか〜?」

不謹慎なのはわかってはいるんだけども、笑いそうになるのを宇髄先生の背中を借りて隠して貰った。
私だけじゃなくて不死川先生と事務方の教師陣も笑ってはいけないと俯いている。

「人の事ばっかに文句つけてほんと可哀想な人〜」
「何よこの生意気な小娘!!」
まぁ、当たり前に修羅場と化すだろうというのもわかってるのですぐに頬へ力を入れた。
「まぁまぁ落ち着けって。話なら俺が聞いてやるから。なぁ?あっち行こうぜ?」
優しく肩を組む宇髄先生の動作はそれはもう慣れたもので、この人のこういう所は素直にすごいと思う。
すぐに頬を赤らめた新会長が大人しくなったのに感嘆の声が出てしまいそうになった。
遠くへ誘導していく背中を見送った所で、胸元に何かを投げつけられたのに気付く。
それがコサージュであるのは床に落ちてから気付いた。

「予備を見付けたとか嘘だったんですね〜。余計な事しないでくれません!?」

敵意を向けてくる瞳を何とか抑えようと胡蝶先生が困ったような笑顔を向ける。
「まぁまぁ、落ち着いて?ね?苗字先生は貴方のために「頼んでません〜。私が感謝するとでも思いました?マジそういうの迷惑でしかないんですけど」」
新会長への敵意と私に向けられるものは全く
差異がなくて、この子もある意味平等なのかも知れないと考えると小さく笑いが零れてしまう。
「何笑ってるんですか?馬鹿にして…」
「いえ、恐れもせず誰にでも向かっていけるのは強味だな、と思いまして」
それが良いか悪いかはひとまず別として。
「…ありがとうございます。個人的に少し、スッキリしました」
これからの事を考えると全く手放しでは喜べないけれど、今だけは思った事を素直に伝えた。
その瞳が大きく見開かれたのも数秒。
「…ただ、教員としては、保護者の方に喧嘩を売るのは余り良いものとは言えないですね」
苦笑いをすれば、すぐに鋭いものへと戻ると自分の髪を整え始めた。
あぁ、またやってると考えた所で、彼女越しに冨岡先生が視界に入って、その表情が彼女ほどではなくとも険しいものになっているのに気付く。

…確実に怒ってるな。

そろそろこの人が大人しくしていられるのも限界かも知れない。
無言で私に背中を向ける彼女から、落ちたコサージュへ視線を落とすと、それを拾いながら小さく息を吐いた。

* * *

開き直った事で、少し、いやだいぶ本来の自分に戻ってきた気がする。
そして、答えも見えてきた。

いくら鏡を覗き込むように自分と向き合ったって、そこに在るのはただの空虚。
私という存在は、正面のダレカ、他人が居る事で初めて形を成しているのだと、思い悩んで初めて気付いた。

さて、問題はこれをどう冨岡先生に伝えるか。
的確に伝えるとなると言葉を選ぶのが難しい。

「あとこれがリースの契約書と、引き落とし口座の申請書です。住所とかは判子でも大丈夫です」
「わかりました」

PTAが主に使用するコミュニティルーム。
会議用の白テーブルを挟み、お互い向き合って座るとすぐに手元の書類へ視線を落とした。

「すいません、今日卒業式だったんですね」
まだ片付けていなかった立て看板と私のスーツ
姿で確信を得たらしい。
小さく頭を下げるのを一瞥してからボールペンを走らせる。
「いえ、式は午前のみなので丁度良かったです」
廊下から生徒の声がした事で引き戸へ視線を上げた所で、恐らく通り掛かった冨岡先生と窓越しにバッチリ目が合ってしまったものの、すぐに逸らされ姿が見えなくなった。
この状態では確実に乱入してくるだろうと一瞬肝が冷えたけれども"同僚"としての立場を守っているのか、と思い掛けた瞬間、ツンとした青みがある黒髪が窓から僅かに覗く。
つい訝し気に見つめる私に
「苗字先生?」
不思議そうな瞳が向けられて視線を剥がした。
「何かわからない所でも…?」
「いえ、大丈夫です」
止めていた手を動かしつつ、もう一度見てもツンとしている。
本人なりに隠れているつもりなのだろうか、と頬が弛んでしまった。
「…何か、この間より少し…元気出ました?」
安心したような声色に何と返そうか迷いながら口を開く。
「えぇ。気に掛けていただいてありがとうございました」
淡々と答えたけれど、この状況は選択肢を間違えたら彼を巻き込んで即死のパターンじゃないかというのに気付いた。
何とか当たり障りのない会話で終わらせなくてはならないと気を引き締めた矢先

「苗字先生って、恋人居るんですか?」

何の脈絡もない質問にえらいタイミングでぶっこんでくるな、と盛大な溜め息が出そうになった。


多分それ結構な起爆剤


(…すみません、思い切り書き損じました)
(おわ!僕が余計な事言ったから…!すいません今新しいの出します!)
(お手数をお掛けして申し訳ありません)


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