good boy | ナノ
胡蝶先生って、本当に綺麗だよなぁって思う。
いつ見ても、どの角度から見ても綺麗じゃない時がない。
手入れが行き届いたつやつやの長い髪とか、女性らしいファッションとか、本当に何処から見ても綺麗としか言いようがない。
おまけにスタイルもいいときた。
同性の今でさえそう思うのだから、私が男だったら絶対に一度は惚れるし、高嶺の花として憧れる存在なのは間違いない。

それに比べると…

考えようとした事を意識的に外へ追いやった。
これはもう比べたらいけない、考えてはいけない。胡蝶先生はきっと物凄く前世で徳を積んだか創造の神に愛されているのだ。そうに違いない。
寧ろ胡蝶先生自体が女神だ。神に勝とうとするのは愚か者だ、みたいな教えがきっと探せばどこかの国とかにあるんじゃないかと思う。
胡蝶先生を人間として分類するなら私はもはや人間じゃないレベルだ。
私は胡蝶先生みたいになれない。
ないものねだりした所で何も変わらないし結局今自分が与えられているものでどうにか生きていくしかない。


good boy



「お疲れ様です」
「あら、お疲れ様。苗字先生も今帰るところ?」
職員玄関で偶然鉢合わせた胡蝶先生は内履きから外履きへ履き替えている所だった。
「はい。…可愛いですねそのパンプス」
思った事をそのまま口にすれば、その表情が心なしか嬉しそう。パンプスもそうだけどその笑顔が可愛いなって思う。本当に。
「この間駅前で一目惚れしちゃって。セール対象商品じゃなかったから迷ったんだけど…、ちょっと奮発して買っちゃったの」
話の内容からも堅実性が見えて、胡蝶先生をお嫁にもらう人は絶対に幸せなんだろうなぁとか考えた。
「すごく似合ってます」
「ありがとう」
笑顔を深めるその姿はやっぱり綺麗としか言いようがない。
この笑顔が見られるならずっと胡蝶先生を褒めていたいとすら思える。
ロッカーを開け、外履きを出そうとした所で
「そうだ苗字先生。良かったら今から飲みに行かない?」
突然のお誘いに、つい何度も頷いてしまった。


* * *


2人掛けの席に通され、周りを見回す。
「こんなオシャレなお店、近くにあったんですね」
洋風居酒屋と胡蝶先生が言っていたが、全体的にアイボリーとブラウンで統一された店内は居酒屋というよりもカフェの雰囲気に近い気がする。
「最近出来たらしいの。一度来てみたいとは思っていたのだけど、なかなか1人で入るのは勇気が出なくて…苗字先生を誘っちゃった」
テヘッと微笑う表情にこれが男だったら落ちない奴はいないと本気で思った。
「確かに外観の感じからして敷居が高そうですもんね」
胡蝶先生に誘われていなければ私も1人では訪れないだろう。
真ん中に置かれたこれまたオシャレな合皮の冊子を手に取った。
「メニューどうぞ」
「ありがとう」

料理の系統としてはイタリアンに入るらしい。
並ぶ横文字に、2人でああでもないこうでもないと迷った挙句、無難にタコのマリネやら鶏ももとオリーブのアヒージョやら聞いた事があるものと、胡蝶先生は白のサングリア、私は赤のサングリアを頼んだ。

「あ、美味しい」
配膳されるまでの間、サングリアを一口飲んだ胡蝶先生が驚いたように口元を抑える。
「ちょっと苗字先生も飲んでみて?すごくフルーティーで美味しいから」
差し出されたグラスにちょっとドキッとしてしまう。私胡蝶先生と同性で良かったと思う。男だったら卒倒してる。
「いただきます」
一口飲んでから
「あ、確かに。美味しいですね」
小さく頷いた。
「でしょう?」
「こっちも飲んでみます?」
まだ口をつける前だった自分のグラスを差し出せばその顔が嬉々として輝く。
「あら、いいの?そっちも気になってたのよねぇ」
あぁ、本当何で胡蝶先生って何でこんなに可愛いのかな。これはもはやデートだ。そう思おう。
「うん、こっちも美味しい」
穏やかな笑顔に心が癒されていくのを感じた。


* * *


「すみませーん。もう一杯くださーい」
鈴を転がしたような声で右手を上げる胡蝶先生。もう既に4杯目だがその表情も喋り方も一切ブレない。
「胡蝶先生、お酒強いんですね」
「そうかしら?余り自覚はないのだけど…」
言い終わる前にバッグの中から音を立てる胡蝶先生のスマホ。
「…あ、ちょっと失礼するわね」
そう言って席を立つ姿を見送ってからタコのマリネを口にした。
彼氏から電話かな?とか無意識に考えてみる。
そういえば胡蝶先生って恋人いるのかな。三大美人って言われてるくらいだし居ても全然全くおかしくないんだけど、胡蝶先生が好きになる男の人とか考えると羨まし過ぎるな。
「ごめんなさいね」
そんなに間を置かずに戻ってきた姿に「いえ、気にしないでください」と答えれば
「苗字先生と飲みに行くって伝え忘れてたから怒られちゃった」
テヘッと笑う。
「恋人に、ですか?」
「え?違う違う!妹のしのぶよ!夕飯作ったのにってもうカンカンで」
「あぁ、薬学研究部の…。すみません私のせいで。大丈夫ですか?」
「大丈夫よ〜。いつもの事だから」
のほほんとした答えに、いつも苦労してるんだろうな妹さん…とちょっと哀れみを覚えた。
テーブルに置いた胡蝶先生のスマホがまた短く通知音を鳴らす。
手には取らず、画面を覗き込む胡蝶先生の口から
「…あら、冨岡先生」
物凄く聞きたくない名前を耳にしてしまった。
ささっと開いたのはLINEの画面。
ちょっと待って。胡蝶先生のLINE知ってるのあの人。何それめちゃくちゃ羨ましいじゃないか私も知りたい。
返信する事なく閉じた画面に気付いて口を開いた。
「返さないんですか?私に気を遣わなくて大丈夫ですよ」
世の中には目の前でスマホをいじられると不快に思う人も一定数居るが、今此処で胡蝶先生が画面に夢中になっていてもそれすら綺麗だと思える。
「え?あ、ううん。違うの大丈夫よ。この間の報告みたいなものだから」
一口サングリアを飲んでからその瞳が何か考えるように天を仰いだ。
「…そういえば、苗字先生、冨岡先生と何かあったの?」
「……っ!」
胡蝶先生につられるように喉へ流し込んでいたサングリアを吐き出しそうになるのを何とか堪える。
「…っ何か、とは…」
「いえね、実は最近冨岡先生から相談されてる事があって、苗字先生にも頼ってみたらいいんじゃないかしらって提案してみたのだけど『苗字には訊けない』って返されて」
何だ。何か凄く嫌な予感がする。こう、何ていうか足元から何かが徐々に這いあがってくるこの感じ。
「2人ともあんなに仲良かったから、急にどうしたのかしらって思っていたの」
「…胡蝶先生。その…冨岡先生の相談事ってもしかして、いわゆる恋愛系の話だったり、します…?」
否定されますように否定をしてください否定でしかありませんように。
そう必死で脳内で繰り返した願いは
「あら、やっぱり苗字先生も知っていたのね」
何の罪もない笑顔によって木っ端微塵になった。
「冨岡先生、好きな人が出来たのでしょう?この間急にLINEが来たのよ」
「それはちなみに…いつ頃の話ですか?」
「えーと…職員会議の1週間後、くらいかしら」
完全に何かが一致してしまっている。完璧にあの後だ。あの前世は犬事件。飲み過ぎていない筈なのに頭痛がしてきた。
「突然、どういうシチュエーションなら心が動くのかって訊かれたのだけれど…お相手がどういう人なのか良くわからないし、その時テレビで流れていた後ろから両手での壁ドン…だったかしら?っていうのをアドバイスしてみたの」
保健室での光景を思い出して項垂れる。
そうか…私が危うく死にかけたあれの参謀は今此処に居る胡蝶先生だったのか。
「でもまだお付き合いはしてないとも聞いたから、控えめにねとも言っておいたのだけど、あんまり上手くいかなかったみたい…」
「胡蝶先生…」
口唇が鉛のように重いと感じたのはこれまでの人生で初めてだ。
「…その冨岡先生の相手、多分ですが…私だと、思います」
その一言は何て言うか、絶対に口にしたくなかった。
「あら!そうなの?…だから冨岡先生はあぁ言っていたのね〜」
一瞬で全てを理解したように頷く姿に「すみません、巻き込んでしまって」とすぐに頭を下げる。
人の恋愛沙汰を面倒見る程、胡蝶先生も暇じゃなかろうに。しかも同じ職場でそんなゴタゴタを持ってこられたら迷惑以上の何物でもないに決まってる。
「私は良いのよ?気にしないで」
穏やかな笑みが変わらないのが、せめてもの救いだ。
「それより苗字先生は、どうするの?」
「どうするも何も…」
改めて第三者に訊かれると、色々気付く事があるのかも知れない。
だけど、私は…。
「一度断っている通り、正直それ以上はないかと思っています」
別に物凄く嫌いだとか、生理的に受け付けないとかは思わないけれど、でもあの人との未来はどうやっても見えない。
「そうね。それでいいんじゃないかしら」
包み込むような優しい声色と笑顔。
「何も今全て決めなくたって良いのよ。そう思わない?」
「…そうですね」
そうか、そうなのかも。今この時はそうでも、冨岡先生の気持ちがいつ私から変わるかなんてわからない。気にするだけ無駄だと思おう。


不変なはないから




(それより胡蝶先生、LINE交換しませんか?)
(良いわよ〜。友だち追加ってどうやったら出来るのかしら?)
(この右上の所を押して…)


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