good boy | ナノ
彼と会うのにお決まりとなったレストラン。
一昨日訪れた時と同じスタッフの方が私を見るなり
「いらっしゃいませ〜どうぞ」
五本指で示した事で彼が先に来店している事を知る。
促された先、スマホの画面を見つめる姿に自然と笑顔が零れた。
「遅れてごめんね」
一昨日と同じようにそう言ってから椅子に座るとその肩がビクッと跳ねる。
「……苗字先生…!」
「驚かせちゃいましたか?」
「あ、いえ!あ、ちょっとゲームに夢中になってたから…」
慌てて消す画面に眉を上げた。
「途中でやめちゃって大丈夫?」
「大丈夫です!今はロビーに居たんで」
「…そう」
そのロビーとやらが何なのかはわからないけど、とにかく大丈夫なのは本当なのだろうと頷くだけにした。
「何食べます?何でも好きなもの頼んでね」
「良いんですか…?ほんとに…」
「勿論。これくらいしかお礼が思い付かないので、受けていただけると助かります」
へへっと小さく笑う瞳がメニューへ落ちて
「じゃあ、またハンバーグにしよう」
呟く声に同じくメニューを見ていた視線を上げる。
「遠慮してない?」
一昨日も食べたばかりだというのにまた同じ物を頼もうとするのは、私が前回、此処のハンバーグを薦めた事と、そしてそれが比較的安価であるからかと浮かぶ邪推も慌てて首を振る姿に否定された。
「あ、違います!一昨日食べてすごい美味しかったから!此処のハンバーグ、中の玉ねぎが生じゃないですか!?」
「…そういえばそうですね」
「それがお母さん…あ、母の作ったハンバーグに似てるんです。だからまた食べたいなぁって」
「そういう事ですか」
「はい」
ニッコリと笑う表情に一昨日食べたばかりの味を思い出す。
「私もまた食べたくなってきました。決まったなら押しても良い?」
「あ、はい!」
今度は慌てて答える彼に少し口元を弛めると呼び出しボタンを押した。


good boy


「ご馳走様でした!」
綺麗に完食し、手を合わせる彼に少し遅れて私も同じように手を合わす。
片付けやすいように端へ食器を寄せてから口を開こうとするも
「でも、良かったです。ほんとに…その、とみおか先生…って人が無事で」
耳に入れた言葉にすぐ返事を考えた。
給仕前に私がかいつまんで詳細を話した所でつい名前を出したのを覚えていたのだろう。
「レコーダーを託してくれたお陰です。でなければ追い詰める事が出来ませんでした」
結局冨岡先生が用意したレコーダーは物証として使えなかった訳だし、そう考えるとやはりあれがなければあの人を打ち負かす事は不可能だった。
「失礼いたします。食後のコーヒーです」
タイミング良く運ばれたカップに視線を落とす。
空になった食器をトレイに乗せ頭を下げる姿が去ってから口を開いた。
「…そのレコーダーの事なんですが」
若干言い淀んでしまったものの、意を決して続ける。
「実はコーヒーを溢して壊してしまいました。…申し訳ありません」
小さく頭を下げたため気配だけで感じるが、驚いていると思う。
「すみません。でもコピーはしてあるので万が一また何かが起きても問題は…」
「大丈夫です!そんな謝らなくても!苗字先生がそういうの珍しいなって思っただけで!それに…」
一度言葉を止めた表情にこちらは息を止めてしまった。
「今、すごいスッキリしてます。何か…わかんないけど、壊れて良かったなって」
嬉しそうに笑顔を深める彼に、コーヒーへ視線を落とす。
「…ずっと、申し訳なく感じていました。あの時、何の力にもなれなかった事を」
「だからそれは…!俺…!」
「だからこそ偶然でも、またこうして会う事が出来て良かった、今はそう思います」
顔を上げた先、目が合ったもののすぐに逸らす動作に疑問を抱いたと同じく
「…あの、本当は…」
泳ぎ続ける視線が意を決したように一点で止まった。

「……偶然じゃ、ないんです」

発せられた言葉に思考が止まりかける。
偶然じゃ、ない…?
「実は俺が…キメツ学園の前に居たのわざとなんです…!苗字先生が居るってわかってて待ってました!」
「…どういう、事ですか?」
「ある人が教えてくれたんです。先生が今キメツ学園に居るって」
勝手に心臓が脈打つのを感じた。
「その人は…もし俺が苗字先生の事を恨んでないなら、それで…もし会っても良いと思うなら会いに、行って欲しいって言ってました…。でも、その人、自分の事は絶対に言わないで欲しいって…あの、さっきも…その人とチャットしてて…」
小さくなる語尾に苦笑いが零れてしまう。
何故タイミングを謀ったようにレコーダーを持っていたのかも、そう考えると頷けた。
本当は、この子は最初から私に事実を伝えようとしていたのだと。
「ある人、というのはどなたですか?」
そんな事を彼に言うような人物は思いつく限り1人しか居ない。
それでも憶測だけで確証は全くないため冷静に訊いた。
「名前…あ、えっと…本名は知らなくて…ディスプレイネームしか…。ゲームからやりとりを始めたんで…」
「直接その人と会った事はないの?」
「あ、それはあります!1回だけ…」
「どんな人物でした?見た目の情報を何でも良いので思い付く限り言葉にしてみてください」
私の言葉に視線を動かしながら思い出そうとする様子に黙って待つ。
「…えっと、まず男の人で、ジャージ着てて、髪の毛とあと目が青っぽくて…あ、髪は長くて後ろで縛ってました!あと…あんまり、っていうか全然笑わなくて…ちょっと怖いなっていうか…」
もうそれだけで誰なのかという確信を得たが、更なる確証が欲しいと考えるのは、もはや突き詰める事が癖になっているせいだ。
何か、絶対にこの人物で間違いないという言質が欲しい。
そこでふと蘇る記憶に急いで鞄を開けた。
あれからずっと眠ったままになっていたそれを取り出す。
「…もしかして、この男性じゃない?」
逸る気持ちを堪えて冷静に出した言葉と共に差し出した一枚の写真。
私が持つ、唯一その人が映っているもの。
我妻くんが撮ってくれたそれがまさか今、こんな形で役に立つとは思いもしなかった。
「あ…!そうです!この人です!カッコは違うけどこの人です!」
思わず人差し指を指しながら丸くさせる目がわかりやすく驚いている。
「ほんとに苗字先生の知り合いだったんだ…」
「えぇ。この人が私の言っていた冨岡先生です」
「……え!?…えぇええっ!?あのtogiさんが!とみおか先生っ!?」
私と写真の人物を交互に見比べる彼に、苦笑いをしそうになる前に気付いた。
「…トギさん、というのは?」
「あ…、togiさんっていうのは、ディスプレ…えーと、そのゲームの中の名前なんです…。ローマ字でtogiって…」
空を滑っていく指先を目で追う。
togi…
成程、"と"みおか"ぎ"ゆうでトギか。
「そのtogiさんはどうやって貴方にコンタクトを取ってきたの?」
「…えっと…」
記憶を思い返すために視線を右上に向けたのを、黙って眺めていると間を置いてからゆっくり口を開いた。
「…フレンド申請が来たんです。togiさんのアカウントじゃなくて…何だっけな…結構長い名前で…」
思い出せなかったのか、一度言葉を区切ると続ける。
「最初はチャットでゲームの話とかマッチもしてたんですけど、段々、お互いの話をするようになって…そこで、アカウントを新しくしたからってtogiさんの名前になって…すぐかな。苗字先生の事を覚えてるかって」
「…不気味だ、とか恐怖だとは思わなかった?」
「ちょっと、思いました。togiさんのアカウントになってから全然別人みたいで…ゲーム自体してないし…ブロックしようかなって。でも、その、togiさんになってから…なんだろう…すごく、苗字先生の事を考えてるのがわかって…会う事にしたんです」
「それは、最近の話ですか?」
「はい、えっと…あ、丁度1週間前です!先週の水曜日なんで!」
…水曜日。
記憶を巡らせてからすぐ気付く。
あの人に会いに行って、煉獄先生が助けてくれた時。
とすると集合ポストで鉢合わせた冨岡先生は、この子と会った帰りだったという事になる。
「中学校の近くまで来てくれて、ファミレスでコーラ奢って貰いました」
「とみ…togiさんはどうして貴方のアカウントを知っていたのでしょう?」
「それが…訊いても教えてくれないんです。調べた、とか言ってたけど…」
「そうですか…」
アカウントを知っているのはこの近辺では私しか居ない筈。
咄嗟にLINEを見た時か、と思考が働いたけれどそれは金曜の話だ。
あぁ、だからあの時、私がこの子と再会したと報告した時も別段驚きもなかったのか。
今になると冨岡先生の態度も全て腑に落ちる。
それにしても、水面下でこんな動きもしていたなんて…。
全ては本人に訊かないと解決しそうにないな、と写真をしまいかけて
「…良かったぁ」
安心したように気の抜けた声に視線を上げた。
「どうしたの?」
「あ、あの…この、苗字先生、楽しそうだから」
遠慮がちに指を差す先へ目で追う。
「俺、ずっと思ってたんです。俺のせいで苗字先生が苦しんでたら…自分を責めてたらやだなって。だから…、楽しそうにしてるの、良かったぁって…」
穏やかな笑顔を見せる彼に、何て言葉を返そうか迷い
「…ありがとう」
それだけしか言えなかったけれど、代わりに緩まる頬を隠そうとするのを意識して止めた。

* * *

駅の改札まで見送ってから家路についた所で考える。
このまま手ぶらで506号室を訪れるのも申し訳ないのではないか、というのを。
今回の件は全部、本当に全部、冨岡先生が導いてくれた。
それこそご褒美って訳ではなくとも、手土産のひとつ位は持っていくべきだと思う。
LINEを開こうと鞄を漁ろうとした右手を止める。
例え何か買っていこうか、という趣旨で訊ねてたとしても、冨岡先生の事だから私が良いだの言い出して、素直に答える筈もない。
いや、ある意味素直といえば素直なんだけど、私が欲しい質問の答えは返ってこない。
こう、かしこまった物じゃなくても良いかな。
とりあえず通り掛かったコンビニへ足を踏み入れた。



ピンポーン、ピン
2回目のチャイムはドアを開ける音で完全に掻き消されて
「……出るの早過ぎませんか?」
ついつい面を食らってしまう。
「先程のLINEで今くらいには名前が此処に着くであろうと予測していた」
「…成程。だから早かったんですね。冨岡先生ってお菓子とかって食べます?」
「あれば食べるが…それがどうした?」
「色々新商品が出てて買ってみたんですけど、1人じゃ食べきれないんで貰っていただけません?」
そう言って上げた右手。
レジ袋の中には何も考えず詰め込んだスナック菓子の数々。
選択肢は次々に浮かんだものの、結局何を買っていったら良いかわからず、冨岡先生のためにというよりは、自分が気になったものを購入するだけ購入して満足するだけになってしまった。
何度か瞬きを繰り返した後、レジ袋を受け取る冨岡先生が疑問に満ちた顔をしてる。
「…お邪魔しても良いですか?」
その驚きが最高潮に達したのも束の間
「上がってくれるのか?」
俄かには信じがたいという表情に変わった。
「湿布貼るのに玄関先っていうのも…そんなに長居するつもりはないんでご心配なく」
「名前の長居は大歓迎だ。何なら明日の朝まで居ても良いし、明日の終業後、此処に帰ってきても良い」
「いえ、大丈夫です。お邪魔します」
「同棲するのならもっと広いベッドを買わなくてはならないな。俺は構わないが窮屈なのはお前の性格的にストレスになるだろう?」
「…私の性格を的確にご存知なのに、すぐそうやってどっか行っちゃうんですよね。冨岡先生、牧羊犬とか絶対無理だと思います」
「まず名前の言う事しか効かないからな」
「そこはちゃんと答えるんですね…。私の言う事も半分は効いてないと思うんですけど」
「丁度良い。どれ程のサイズにするか決めよう」
そう言ってリビングを抜け寝室へ向かおうとする背中に溜め息が出てしまう。
「あの、私ベッドのサイズを決めに来たんじゃなくて湿布を貼りにきたんですけどとりあえず腕出して貰えますか?」
「湿布を貼りながらサイズは決めれば良いという事か」
「………」
もう既に帰りたくなってきたな。
多分この人、私が自分から家に上がってきた事を凄く喜んでいるんだと思う。
それはまぁ、わからなくもないんだけど…
「名前のベッドもシングルだった。ならばひとまずこちらのベッドだけを大きめに変えて、あちらはそのままにした方が…」
腕を組むとベッドを見つめ呟く背中はこのままだと長くなりそうな上に暴走する可能性もあるのが予想出来るため、口を開く。

「…togi、さん?」

確信的な証言を得て尚、正直今の今まで半信半疑だったけれど、途端に止めた動きに疑問の余地はなくなった。
ゆっくりと振り返った冨岡先生の表情がたじろいでいる。
「…何だそれは」
棒読みに近い台詞を吐いて、その目がわかりやすく泳いだ。


こういう時だけが下手


(とぼけなくても良いです)
(湿布を貼って貰うのを忘れていた。頼む)
(貼りながら話しましょうね)


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