good boy | ナノ
最近急激に冷えてきたな、と街並みを歩きながら思う。
自宅からキメツ学園に向かう途中の並木道、銀杏の葉がほぼ落ちかけていて、思い出しそうになる過去の記憶を無理矢理止めた。

"直接会って話しませんか?"

答えを求めたあのLINEの一文に、迷った挙句今日の朝、そう返信した。
まだ既読はついてない。

見つめていた画面を消しそれを鞄に入れてから、出勤時には縁のない角を曲がり比較的大きめなホームセンターへ向かった。


good boy


店頭に見本として並べられたおひとり様用の炬燵を眺めながら、どれが良いか考える。
出来るだけ今リビングで使っているテーブルと同サイズか気持ち小さめの方が何かと不便がなくて良い。
家に居る時間が長い訳でもないので最低限温まれば良いかと無難に安いものをチョイスし、大型のカートへと乗せた。
あとは炬燵用の布団か。
ふと、茶色を基調とした白熊柄のそれが目に入ってあぁ、こういうのも可愛いな、と見本と比べてみる。
でも…、と一度手を止め考えたのはその白さ故の不安。
ざぶざぶ洗えるとは大きく書いてあるけども汚れが目立つ、その一点が気掛かりだ。
一色にした方が無難かと暗めのグレーの布団を見ながらこれはこれで地味過ぎるかと早々に選択肢から消す。
ふと目についたダマスク柄に手を止める。
グレーとブラックで構成されたそれはサイズも手触りも丁度良い。
迷う事なくそれを取ってレジに向かおうとした所で通知音を耳に入れた。

"今日の15時以降だったら会えるよ"

瞬間的に寄った眉を意識して戻した。
一度画面を消して向かったのは、レコーダー類の売り場。
これも豊富な種類が並べられているけど、迷う事はしない。
安価で良い、とにかく録音を出来るボイスレコーダーをひとつ手に取って、早々にレジへ足を運ぶ。
今なら最短で明日の配送が出来ると言われたため、それでお願いします、と伝票に自宅の住所を記入した。

* * *

"着きました"

一言LINEを入れてから見上げた元職場。
まだ陽が照らす時間に来たのは凄く久しぶりな気がする。
あの人は今日も出勤らしく、15時には学校を出ると言うので、丁度良いと私が此処を指定した。
時々吹いてくる強い風の冷たさに息を止める。
肌を突き刺すようなこの寒さを我慢しても、あの人とは此処以外の場所では会いたくはない。
上着のポケットに両手を入れ、その姿が見えるのをただひたすら待っていれば門を出てくる姿に、ポケットの中に忍ばせていたレコーダーの録音ボタンを押した。

「お待たせ!寒かったろ?どっか入る?」

何というか…人畜無害な笑顔をしているな、と素直に驚いてしまう。
「いえ、此処で大丈夫です」
ポケットから両手を出すと口を開いた。
「冨岡先生の謹慎を解いた理由についての答えを求めてましたよね?」
「うん。その頭の良さならわかるかなぁって思ったんだ。俺の真意」
「単純に一つの理由ではなく、様々な思惑が絡まっているのはわかります」
「さぁ、その中で俺の胸中を簡潔に表すとしたら名前先生。どの言葉を選ぶ?」

此処で選択肢を間違えてはいけない。
冷静に、一切の感情を捨てて考える。

小さく息を吐いてから、その両目を見つめた。

「私のためですか?」

刻まれそうになった眉間の皺を意識して止め続ける。
驚きで見開く目は、少なからず動揺はしているように思う。
「最初は、私や冨岡先生を更に苦しめる策を用意しているのかと考えてましたが、でもそれをした所で、貴男には何の利益もならないどころかマイナス要素にしかならない事に気が付きました」
「その要素とは?」
「例え強引に冨岡先生を解雇にし、私を此処へ戻したとしても、感情で動く人間なのでご自分の手元に戻したいという貴男の望みが叶う事はありません。なら謹慎を解除し、いつでも解雇させられるという爆弾を抱えさせながら日常生活へ戻す。こうやって私が連絡せざるを得ない状況を作る事で、徐々に感情に訴えかけて絆す方が可能性として効率が良い。違いますか?」
「…うん、まぁ大体合ってるよ。名前にとって今の俺への心証は最悪だろうし?しかしどうして"名前のため"という答えが出たのかな?」
「簡単な事ですよ。全て貴男の感情で左右されてるんです」
「…俺の感情?」

何処からこの抗争に近いものが発生したのか、遡って考えれば、あの勉強会の時からだ。
冨岡先生が私へ出した助け舟は、この人の感情を波立てるきっかけとなり、偶然にも起きた虚偽による暴力事件。
それが契機となり決壊した。

「気付いていませんか?今回の貴男は、全部感情で動いてるんですよ。私に向けて挑発に近い脅迫状を送ったのも、冨岡先生を謹慎にさせたのも、懲戒処分へ持っていこうとしたのも、そして学園メールを送ってきたのも、以前の貴男ならしようともしなかった筈です」
「…確かに。それは認めざるを得ない」
「だからこそ、ご自分の選んだ方策でまた私を苦しめるのを、躊躇ったんじゃないですか?」
黙り込むその表情がどちらなのかはわからない。
「…そこまで考えた所で、"私のため"という答えが出ました。貴男はそれに気付いて欲しくて、そう問い掛けたのではないですか?」
奇しくも、この人が私に向けた数々の言葉は、この考察で本気のものだったのだと気が付いた。
「…名前の、ためかぁ」
自嘲に似た笑みは初めて見たかも知れない。
「言われてみればそれが一番近いかも知れない。流石、面白い所を突いてくる」
「こちらが用意した"答え"は気に入っていただけました?」
「うん。点数を点けるなら100点満点。合格だよ」
穏やかな笑顔を真っ直ぐに見る。
「もう、こんな馬鹿らしい事はやめにしませんか?権力を振りかざしても、私は貴男の元へ戻しませんし、情に絆される事はもう二度とありません」
「…それは俺がイジメを黙認した挙句、教育委員会の委員長である父親に泣きついて隠蔽したから?」
「違いますよ」
どうして、私はこんなにこの人に対して敵対をしているのか、正直自分でもはっきりとした原因を突き詰めて考えてこなかった。
根底に沈んだままの心は言葉にすると気付く事もある、というのはその通りなのかも知れない。
今でも後悔している、と冨岡先生の前で言葉として出した事で、その原因のひとつを初めて理解出来た。
「貴男の中で、吹けば飛ぶような存在だった無力な自分を、思い出すのが辛いんですよ」
敢えて笑顔を作ったのは、それがこの人を責めるものではないというのを伝えたかったから。
私が敵意を向けていたのは、この人にではなくて過去の自分だ。
「覚えてますか?」
「…何を?」
「私が夏休み中に発注しなければいけなかった教材を忘れてしまった時です。初めて犯してしまった大きなミスに青ざめる私に、貴男は顔色ひとつ変えずいくつもの会社に連絡を入れてくれました」
「…あぁ、そういえばあったなぁ。そん時の名前、この世の終わりみたいな顔してたから覚えてるよ」
「ひたすら謝るしか出来なかった私に貴男が言ったんですよ。"間違いのない人間なんていないんだから"と」
俺なんか一桁多く発注かけた事あるし、それよりまだ救いようがあるよ。と自分のミスを笑いに変え、励ますような懐っこい笑顔に、いつかこの人が窮地に立った時、僅かでもその救いになれたらと思った。
「あの時の私は、どんなに貴男が間違った道を選んでしまっても、傍に居て支えよう。本気でそう決めていました」
この想いを今まで消化できなかった分、きっと辛かった。
この人の事を恨んでいる訳じゃない。
恨みたいとも思わない。
ただ抱いていた気持ちが、今も何処にも行けなかったのが苦しかった。
「…名前…」
「昔の話です」
眉を下げて俯く表情が何を考えているのか身構えてしまうようになったのも、喜ばしいものではない。
「…ごめんな。俺あの時…」
詰まらす声に眉を寄せた。
「……いや、わかった。もう諦めるよ。俺だって馬鹿じゃないし、最初から名前が戻ってくるとは思ってない」
「そうしていただけるととても助かります」
「…最後にさ」
一度言葉を止めた姿に黙って次の言葉を待つ。
「抱き締めて良いかな。ホントに最後だから…」
此処で嫌だと言ったら、また振り出しに戻るだろうか。
それだけは避けなきゃならないけれど、肯定はしたくない。
「………」
黙ったまま俯く私にその両腕が回されて、息を止めたのも束の間、右ポケットを漁る左手に心臓が跳ねた。
逃げようとした所で身体が離れ
「…あ、やっぱり録音してた」
ボイスレコーダーを手に微笑むと停止ボタンを押される。
「……!!」
「言質が取れたからって油断は良くない」
「…いつから…気付いてたんですか?」
「最初から、かな。会いたいっていう時点で何か仕掛けてくるだろうと疑念はあったよ。名前の事だから逃げ道を探すよりこちらの弱味を握ろうって考えたんだろ?攻撃は最大の防御ってやつだ」
「それでもさっきまで確信はなかった筈です」
「それはね、過去の話をしだしてからの違和感。確信を得たのは抱き締めて良いかと訊ねた時。絶対突っぱねると思ったのに黙り込んだだろ?とにかく早くこの場を収めて離れたい、その気持ちが若干だけど表情に出てたよ」
レコーダーに視線を落とし何度かボタンを押すしてから私に見せる。
「はい、消去完了」
ニッコリと微笑う表情と反比例するように眉を寄せる私に
「惜しかったね。これを持ってなかったら俺、ホントに諦めてたと思うよ」
また人畜無害な笑みを見せる。
「それも本当かどうかわかりかねます。そうやって人の心を抉っていくの変わりませんね」
「名前だって感情を盾に俺の事言いくるめようとしたろ?せめてもの仕返しだよ。はい、これも返してあげる」
意味をなさなくなったそれを力なく受け取った。
「昔の事まで出して俺の同情を誘おうとしたのは面白かったけど、少し白々しかったかな」
「…そうやって誰の事も信じないで壁を作る辺り、同じなのかも知れないですね。私達」
「また感情論で訴えるの?懲りないね。名前とは違うよ。俺は簡単に絆されたりしない」
「そうですね。確かに全然違います。少なくとも…」
「…名前?」
あぁ、どうしよう。
悔しさと情けなさで涙が溢れそうだ。
「そんなに俺の事好きだったの?」
無邪気に訊いてくるその表情は全く悪意がない。
「それは過去の話です。今は私の邪魔をしなければ貴男が死のうが生きようが心底どうでも良いです」
「流石、辛辣な言葉を選んでくれる。でも俺は今名前の事が本気で好きだよ」
さらりと言ってのける神経がわからない。
「先程"私のため"と言ったのは撤回しますね」
その選択肢は間違っていなかったという自負はある。それでも敢えて続けた。
「結局、今になって思うように手に入らなくなった私に付加価値を感じてるだけで、それそのもの自体はどうでも良いんですよ貴男は」
否定も肯定もしないその姿に、乾いた笑いが出てしまいそうになる。
「例えこの先どんな手を使っても私が貴男の元へ戻る事は二度とありません。無意味な感情は捨てた方が合理的ですよ」
失礼します、と頭を下げ帰路に就こうとした時力任せに引かれた腕に身体が捕まった後、すぐに顎を持ち上げる左手に何をしようとしてるのか理解した瞬間、その頬を思い切り引っぱたいていた。
パンッ!と乾いた音が響く。

「…いっ、てぇ…」

小さく呟きながらも口角を上げるその表情が何を考えているのかわからない。
咄嗟に手が出てしまったとはいえ、次の言動が出る前に逃げるように走り出していた。

息が切れるまで全速で走ったのは久し振りで、そこまで距離を稼がない内に足を止めると苦しくなった呼吸を整えながら、殴ってしまった右手が震えているのに気付いて、両手を握り締める。

漸く、あの時から消化しきれなかった感情を終わりに出来た。
そう思えたのに、今度はあの人にこれ程にない嫌悪を抱いてる。
こんな風に憎んでしまうのなら、宙に舞ったままの方がまだマシだったかも知れない。


綺麗に終わりにしたかった


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