「この書類なら私も作り方覚えてるわ」 「校舎の見回りは俺が率先して行おう!」 「冊子作りは慣れてる」 胡蝶先生、煉獄先生、伊黒先生の言葉と共に仕事が一つずつ減っていく。 それでも全部が片付いた訳じゃない。 今しがた鳴った電話は中等部に在籍する生徒の保護者からで、最近娘が余り良くない連中と付き合っているという旨の電話だった。 「もしお時間を作っていただけるのでしたらお電話ではなく直接お話を伺いたいと考えているのですが…。本日…、これからですか?」 反射的に眉を寄せてしまったのは、完全に顔が見えないから来る油断。 腕時計を確認してから、大丈夫です、と返事をしようとした所でスッと受話器が手から離れたと思えば 「…突然お電話を代わってしまって申し訳ない。悲鳴嶼という者です。本日苗字は先客がございまして、代理の私で良ければお話を伺えるのですが…」 話を続けるその姿を見上げるしかなかった。 静かに受話器を置く右手に声を掛ける前に悲鳴嶼先生が口を開く。 「これからいらっしゃるそうだ。私が話を聞いておく。苗字先生は冨岡先生を救う道を進んでくれ」 「そーそー」 後ろから飛んできた声に振り返った。 「この際通常業務なんか全部俺達に押し付けちまえ。冨岡の処分はお前次第なんだからよ」 先程私から掻っ攫っていったPTAにまつわる活動報告書を処理している不死川先生の背中。 "まだ道はある"と私の台詞を宇髄先生が伝えたのだろう。 山積みにされていた仕事が一気に片付いていくのを不思議に思いながら 「ありがとうございます。これなら私が居なくても皆さんやっていけますね」 嫌味ではなく素直に思った言葉を口にしたが、途端に黙り込む姿に眉を寄せる。 「…何で止まった上に目を合わせようとしないんですか」 「いや、だってよォ…手分けしてるとは言え流石に毎日はこんな量捌けねぇし捌きたくねぇなって思って…。なぁ?悲鳴嶼さん?」 「…うむ…。やはり苗字先生には教務主任として居て貰わなくては困る…」 「それは体の良い押しつけってやつでは…?」 未だ固まっている2人にまぁいいや、と溜め息を吐いてから立ち上がる。 「これから外出からの直帰します。後の事はお願いしても良いですか?」 「あぁ」 「おぅ任しとけ」 「ありがとうございます。お疲れ様でした」 鞄を持つと職員室を後にした。 good boy 2階建てのアパート、202と掲示された部屋の呼び出しを迷わず押す。 インターフォン越しではなく突然開いた玄関に少し狼狽えはしたものの、その隙間から覗く姿にこの間の反抗的な空気はない。 「話を、聴かせてくれる?」 出来るだけ穏やかに訊ねれば、黙ったままだったがその扉を預けられ部屋へ入った。 「お邪魔します」 軽く頭を下げてから靴を脱ぐ。 「ご両親はお留守ですか?」 「…仕事。いつも夜まで帰ってこない」 「そうですか」 「座れば?此処しか片付いてないから」 ダイニングテーブルに付属する椅子に促され腰を下ろすもそこは郵便物や恐らくではあるが買ってきてそのままにされた常温の食料やらが占拠している。 「…風邪でも引いてんの?」 ぶっきらぼうながら訊ねてくる声に自分のマスク姿を自覚する。 「すみません、万が一移してしまわぬよう付けています」 「…あっそ」 「あれからずっと休んでると聞きました。学校には来ないんですか?」 我ながら陳腐な問い方だと思ったが、それしか思い付かなかった。 「行ける訳ねぇじゃん。冨岡に殺される」 「冨岡先生は今自宅謹慎中ですよ。それに流石に殺したりはしないと思います」 「…謹慎って、何で!?」 心底驚いている表情は本物だ。 もしかしてこの子は何も知らないのかと一瞬巡った考えも 「あの時貴方と一緒に居た彼が冨岡先生に殴られたと訴えたためです」 「……ッ!」 明らかに動揺した後、黙り込んだ事で私が考えていた可能性が肯定されていく。 「じゃあ何で俺達のやった事はバレてないんだよ?」 「簡単な事ですよ。それを知っている人間が一切公にしていないからです。冨岡先生、私、…そして彼があの時の事を誰にも話していない」 「それこそ冨岡が謹慎くらう理由なくねぇ?」 「そこに関しては運が悪かったとしか言えません。本来ならばここまで大事になる案件でもありませんでした」 俯く姿に溜め息ではなく深呼吸をひとつ。 「出来る事ならば、私はその口から真実を聴きたいと、そう思っています」 「……お前、おかしいだろ」 明らかに敵意を持った視線を受け、真っ直ぐ見つめ返した。 「何がですか?」 「良くこうやって俺と二人きりになれるよな!この間俺お前のこ「それが本気や本音じゃないのがわかるからです」」 訴えをむやみに遮るべきではないのは理解している。 けれど今この場では違う。 それをわざわざ口に出させてはいけない。 「突然他人から与えられる優しさや理解程、怖いものはありません。警戒と攻撃は当然の自己防衛です」 彼の場合は特にそうだ。 反抗的な目は脅えていたし手首を掴む指は震えていた。 あの時、私が言い返す余裕を持てたのもその為だ。 「だからこそ改めて向き合いたいと、此処に来ました」 「何だよ。やっぱ煙草吸ってたの認めろってか?」 「違います。それを認めたとしても今更何の意味もありません」 「…じゃあ、何しに…」 「私はあの時、貴方達にひとつの提案をしようと考えていました。私一人の胸中に留めるという物証を渡そうとしたのですが色々立て込んでしまったせいできちんと話が出来ませんでしたので」 「…物証?」 「動画でも音声でもそれを残しておけば貴方達にとって安心材料にも武器にもなります。今からでも録る事が出来るのでいかがでしょう?」 私の言葉に黙り込む姿はきっと今、思考を巡らせている。 何故、そんな事をわざわざ提案してくるのか、と。 「…別にそこまでする必要ないじゃん。冨岡にもバレてんだし」 「冨岡先生がこの件を報告する事は有り得ません。貴方達が自分で認めない限りは外には漏れないんですよ」 というかそもそもあの人の場合、何で私達が揉めてたのかすら把握していない気がする。 あの時の怒りは完全に"私が触れられている"ただその一点で、それ以外…煙草ですら視界に入っていたかも危うい。 「…そこまでして何が狙いなわけ?」 「狙いがある訳じゃありません。そこまでしないと貴方達と対等の立場に立てないという自覚があるからです」 「……」 黙り込む姿に続ける。 「大人は…、嘘吐きでしょう?いつも口だけで自分の都合が悪くなると約束でさえ反故にするから。なので信じるに値するものを差し出さなければ最初から対等に話など出来ない。というのが持論です」 きっと彼にも心当たりがある筈。 それが例えどんなに些細な事でも"裏切られた"という経験をしている。 だからこそ今も虚勢を張って反抗的に睨むのだ。 「…そんなに生徒に取り入りたいのかよ」 「取り入りたいというのとはまた違いますが、嫌われるよりかは好かれたい、というのは正直気持ちとしてあります」 険しいままだった表情が少し弛んだのを感じた。本当に、少しだけど。 「…この間、ツレが言ってた」 突然の語り出しこそか細いもの。 聞き逃さないように耳を傾ける。 「…あんたに進路相談した時、すごい親身になってくれたって…味方になってくれたって。俺ぜってーそんなの口だけで嘘だって思ってたけど…ホント、だったのかも」 「…正直どの子の事を言ってるのかはわかりませんが、進路相談に於いては親身になるだけでは余り意味がない気がします。解決の道までを示すまでが教師の仕事なので」 「…俺一応今あんたの事認めた…って感じの事言ってんだけど自分で否定してどうすんだよ…」 「すみません、気になったもので」 苦笑いに近い笑顔は少し心を許してくれたのだろうか。 しかしそれもすぐに俯くとか細い声に戻った。 「…俺、あいつに言っちゃったんだよ。このままだと煙草吸ってた事絶対チクられるって。だから…」 続く言葉は何となく想像出来た。 「だからバレる前にどうしかしろ、冨岡に暴力振るわれたって嘘吐けって…。だから多分、あいつ…それでそんな事言ったんだと思う…」 「…そうでしたか」 今まで見えてこなかった概要が頭の中で繋がっていく。 文化祭後から欠席を続けているため恐らくLINEか何かでやりとりをしたのだろう。 冨岡先生が謹慎になったのを知らないという事は今は連絡を取っていない状態。 彼の虚偽の告発は父親によってキメツ学園を通り越して教育委員会に伝わった。 概要が見えたのは良いけど、状況自体の変化は何もない。 「あいつホント馬鹿だよ。いっつも俺の言う事聞いてさ…ほんと馬鹿…」 「彼との付き合いは長いんですか?」 「中学入ってからだから…5年くらい」 「学生時代の5年はなかなか長いですね」 「あいつ昔から気が弱くて弱虫なんだよ。俺の事もビビッてるくせにいつもついてくんだぜ?友達いないからさあいつ」 乾いた笑いに視線を左上に向けたのは過去を思い出そうとする無意識な心理。 「…本当にそうでしょうか?」 訝しげに変わる表情を真っ直ぐ見つめる。 「確かに彼は気が弱いとは思いますが、弱虫ではないと、あくまで私は個人的に感じました」 本当に意気地がない人間なら、きっと… 「冨岡先生が現れた時、敵対したのはわかりやすく私の傍に居た貴方だけで、後ろで脅える彼の事は全く気にも止めていませんでした。その時点で逃げようと思えば1人で逃げられた筈です。ですがそれをしなかった」 「足が竦んで動けなかったんじゃねぇの?」 「その可能性も否定は出来ませんね」 「…いや、え?肯定すんの?何かそこもうちょっとさ…」 「私と貴方では解釈が違って当たり前なので、貴方がそう思うならそれで良いと思います。私の考えを押し付ける気はありませんし、全て正直に答えて欲しいとも思っていません」 この子は頭の回転が良い。 私の言いたい事はもう伝わっているだろうとこれ以上言うのをやめた。 落ちた沈黙に破ったのはまたか細い声。 「…なぁ、俺、どうすればいいかな…?」 「それは何の事柄に対しての質問ですか?」 「…あいつに、何て言えば良い…?」 それが明確な答えを探しているのか、望む言葉を掛けて欲しいのか、どちらなのかを一瞬考えてから口を開いた。 「貴方の想いを言えば良いのではないかと思います」 「…だからそれがさ…」 「どんな言葉でも、それが貴方から出た言葉なら、彼は受け入れてくれるのではないかと私はそう思いますよ」 存外、脅えてるのはこの子なのかも知れない。 裏切られるのが怖いから、いつ誰が居なくなっても良いように心を硬くする事を常として生きてきたのだろう。 「素直になるのは勇気が要りますけどね」 苦笑いをしたものの、マスクのせいで見えてはいないだろう。 それでも何かしら響くものがあったのか、その目は決意に満ちていて、この子はきっともう大丈夫と確信を持った。 * * * 「…苗字先生、大丈夫ですか?」 昨日も見た顔が、私を視界に入れた途端、心配そうに眉を下げたのに対し、軽く頭を下げた。 「少し体調を崩してしまいまして、万が一お母さまに移してしまっては申し訳が立たないとマスクを着用しております」 「そんな…無理なさってるんじゃないですか…?」 「お気遣いありがとうございます。ただ本日は玄関先でのお話に留めさせていただいてもよろしいですか?体調が万全になりましたらまた改めて…」 「それが…あの子、苗字先生と話したいって言っていて…。さっき急に、なんですけど…」 突然の言葉に眉を上げたが、私が此処に来るまでにあの子が何かしらの連絡を入れたのだろう。 これは突破口にはなるにはなるけども… 「でも体調が悪いなら今日は無理しないで明日でも…」 「いえ、ご本人とお母さまさえよろしければお話をさせていただきたいです」 明日、なんて今は悠長な事を言っていられない。 「うちは構いませんよ。あの子、部屋に居ますからどうぞ?」 「お母さまもご一緒にお聞きにならないんですか?」 「それが私には聞かれたくないって…」 納得はしていないのだろうが受け入れたのは優しさなのだろう。 「…そうですか。余り長居はしないようにいたします」 「…そんなに気にしないで良いですよ?」 困ったように微笑う表情にもう一度頭を下げた。 コンコン、と控えめにノックをしてから扉を引く。 「…失礼します」 「苗字先生…」 久々に見たその姿。 状況が状況なだけに余り元気とは言えなさそうだ。 「ごめんなさい!」 その場ですぐに声を上げたかと思えば頭が床に付くほど蹲る。 「…俺、嘘吐いちゃって…!こんな事になるとは、思わなくて…!」 「話はさっき聞きました。彼から連絡があったんですか?」 一応疑問形には返したが、でなければこうして私に会おうとは今もしていないだろう。 「…あ、はい…。あの、ごめんって、あともう嘘吐かなくて良いって…言われて…」 「そうですか」 「父にもあと学校にも本当の事を話します!俺達がたば「それは隠し通しませんか?」」 そう提案した私に、わかりやすく驚いた表情を見せたものだから予想通りだ、なんて考えてしまった。 「冨岡先生が暴力を振るってないという事実が明らかになれば今回の件はそれで解決します。わざわざその背景を正直に言う必要はないのではないかと、考えてました」 「…でも、そしたら…」 口籠った先、何を言いたいのかは何となくわかる。 「要は"殴られたと嘘を吐いた理由"を作ればいいんですよ」 とても軽い口調で言ってはいるけど、私自身何も考えついてはいない。 「少し考えてみます。もし良いアイディアが思い浮かんだら、口裏合わせしてくれますか?」 「…え?俺は良いですけど…先生、そんな事して大丈夫なんですか?」 この期に及んでこちらの心配をしてくるのは、本当に親子だと考える。 「大丈夫でなければそもそも提案をしません。協力していただけます?」 「……はい!」 大きく頷く頭に私もつられて 「ありがとう」 そう返して頭を下げた。 究極の与太話を作ればいい (カナ子ちゃんのポスターですね) (…あ、苗字先生知ってるんですね) (はい、私も大好きなので) [ 26/220 ] [*prev] [next#] [mokuji] [しおりを挟む] [back] ← ×
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