good boy | ナノ
今年の冬は暖冬らしい。

何度も聞いたことがあるそのフレーズをふと思い出したのは、確かに今年は暖かいなんて、今現在感じているためだ。

体感温度でいえばそこまで寒くはない、気がする。

それは貴重な連休をほぼ家でダラダラと過ごしているからかも知れないし、炬燵という魔力によって終始ぬくぬくしているからかも知れない。

ボーッとしている間に変わっていたテレビ番組から聞こえる、

『新年、あけましておめでとうございます』

お決まりの挨拶に、あぁ、気象予報士が言っていた今年はもう去年なのか、なんてどうでもいいことを考えながら剥いたばかりのミカンを一房口に放り込んだ。

「ん」

短い声と共に差し出された手の意味を一旦考える。

そうしてその主の顔を見た。

半分ほど閉じた瞳は完全にまったりしていて、思わず笑ってしまいそうになったものの、

「ん」

もう一度、今度は少し声量が上がったそれが催促しているものだと判断して、ミカンを一房その手へと差し出した。

てっきりその掌、もしくは指に渡るかと思っていたので、こちらの手ごと持っていく動作に驚きもしたけれど、まぁこの人だからな、なんてなかば諦めもあってそのまま口へと渡っていく一房を眺める。

どさくさに紛れて指先を啄むようなキスも、この人だからな、と思うことで納得した。

「…美味い」
「それは良かったです」

短い会話のあとで続く沈黙、というより静寂の中、テレビの音が響く。

満足したのか離された手で房を分けたところで、

「1月1日にご結婚を発表されました〜」

弾むような声に、ふと顔をそちらに向けた。

「……へぇ」

映し出される名前と顔に感嘆に近い声を上げたのは、それこそタイムリーな話題だったからだ。

「なんとお相手は去年の冬ドラマで共演なさった女優さん!どなたかわかります?」

スタジオがざわつく中、陽気に進ませていくアナウンサーさんに私も考えてみた。

テレビ番組に聡い方ではないが、その冬ドラマは社会現象になったほど有名なもの。

特に生徒の間では毎週話題に上がるほどの注目度だった。

何でも才色兼備な息子役である俳優と、過保護な母親役である女優の掛け合いが秀逸かつ衝撃的でジワジワとハマって抜け出せなくなるのだそうだ。

そういえばその俳優と結婚したいと言っていた子もチラホラいたっけ。

「そうなんです〜!なんと!ドラマでは母親だった方が現実では奥さんになっちゃったんですよ!その歳の差25歳!すごいですよね〜!」

今度は感嘆の声も出ないほどには驚いた。その事実に、というよりはあまり触れようとはしないコメンテーター陣の罰の悪さに。
気まずい空気が画面越しにもひしひしと伝わってくる。

世の中何が正しいかなんて一概には言えないし、本人達が幸せであるなら外野がとやかく言うことでもないのは確かだけれど、賛否が大きく分かれる話題なのは間違いないだろう。

「そして同じく、元日に入籍を発表されたのは」

滞りなく進んでいく有名人の結婚発表を聞き流しながら、三学期には落胆している生徒をたくさん見そうだな、なんて考えたら複雑な気持ちにはなった。

ロス、なんて言葉を使った休学や遅刻がまた増えそうだ。

そうして意外だったり、何となくそうではないかと前から噂されていた人達の結婚発表を眺めながら、最後の一房を口の中へ収めたところで、またぬっと出て来た手に眉を寄せる。

「もう食べちゃいましたよ」

てっきりまたミカンを欲してるものだと先回りした回答は、皮だけになったそれを擦り抜けて右頬で止まった。

「結婚しないか?」

さっきまでの気の抜けた表情はいずこへと突っ込みたくなるくらいには一変した真剣な表情と熱視線に、ときめいてしまった自分が悔しい。

「どうしたんですか突然」

その手を掴んで離そうとした手は逆に握られて、その体温の高さにこの人が短い時間寝入っていたことを知った。

「ますます名前と結婚したくなった」

頭の中は疑問符が浮かぶけれども、いまだにおめでたいニュースを伝え続けるテレビに少し悟れた気がしている。

「人が結婚していくのを見ると触発されると言いますが、冨岡先生もその口ですか?」
「違う」
「それなら「名前のドレス姿はこの上なく綺麗だった」」

握った手の力が強まっていくに比例して、こちらは困惑が増えていく。

「何ですかその確定してる言い方。どこで見たんですか?それとも想像で言ってます?」
「夢だ」

キラキラとさせていく瞳が嬉々として語り出したのを、私はここから終始見守るしかなくなった。


good boy


……──微睡みの中で、様々な情景を良く観る。

夢はただの夢だ。現実じゃない。

そこまで重要性を感じないと思っていたそれは、名前に出逢ってから見違えるように魅力的なものとなった。

夢は夢だから、到底現実では起きえないことが起きる。

──起こすことができる。

何度も何度も夢で逢う名前はいつもの名前ながら、どこか違うそのギャップを、心待ちにするようにもなっていた。

最近では夢を見る直前に自分が寝入っているものだと知覚することも少なくない。

その時に逢える名前はこの上なく可愛く、愛おしい。

いつもは日常の延長線上の情景も、今この時ばかりは違った。

ふと目を開けた先に飛び込んできたのは、真っ白な光。

眩しいと思った時には、

「誓います」

聞き慣れた、それでいて何度耳にしても心が昂ぶっていく声がして横を見やる。

少し笑みを浮かべた横顔に大きく心臓が音を立てたのも無理はない。

薄いベールから透けて見える、いつもとは異なる髪型に化粧。

綺麗だ。それしか言葉が思いつかなかった。

「それでは指輪の交換を」

どこの誰かも知らない老爺に指示され、身体ごとこちらへ向いた姿には更に心臓は高鳴っていく。

真っ白のそれがウェディングドレスだということに気が付いたのは、名前が小さくはにかんでからだった。

「……。綺麗だ」
「さっきも聞いたけど」

気恥ずかしそうに視線を落とす仕草を、瞬きを忘れたまま見つめる。

「義勇、指輪」

いつの間にか目の前に差し出されている2つの指輪に思わず記憶を辿った。

そうして前後の記憶が全くない。すなわちこれは夢だという結論に至る。

そういえばさっき、そんな気配もしていた。

名前の姿ですべて吹き飛んだが。

そうか。これは夢なのか。

催促されるがままにいつの間にか左手で持っていた白い手袋を傍で待機している良くわからない人間に渡した。

一回り以上小さな指輪を迷わず取って、その柔らかい手に触れる。

「愛してる」
「……それもさっき聞いた」

完全な照れ隠しであろう困った表情も愛おしい。

夢だとはいえ敬語ではない口調がどうにも心を揺さぶってくる。

これは夢なのだからと付け根まで嵌った指輪に口付けを落とした。

「義勇…っ」

咄嗟に身を引く名前を追いたくなるのはそれこそ犬の本能に近い。

「可愛い」
「ちょっと、式の最中ですよっ。皆見てますから…!」

小声で諭していくのは、まさにいつもの名前でそれも愛おしくなった。

引き寄せたくなる腰に触れるのを我慢して、一歩退く。

「我慢はする。その代わりあとで褒美が欲しい」
「……またそうやって交渉事を思いつくんだから」

短く吐いた溜め息のあと、触れられた左手に心臓が脈打った。

薬指に通っていく金属の感触が止まって何とも言えない感情が沸き上がる。

「俺が…、名前と結婚か……」
「今頃実感してるの?」

小さく笑った顔がただ愛おしい。

夢だとわかっていても、この目に焼き付けておきたくてその姿を凝視した。

「それでは誓いのキスを」

横から茶々を入れてくるのは恐らく牧師とかいうやつだろう。

白いベールをゆっくり頭上へ上げれば、愛おしいその顔がはっきりと見えた。

俺と目が合い暫く見つめ合ったあとで、突然視線を落とす名前も名前らしくて可愛い。

それが罰が悪いだの恥ずかしいだのそんなことはわかっていて尚、俺を見て欲しくて肩に手を置いた。

「キスだけじゃなくその先がしたくなる」
「……義勇」

戸惑いから眉間に増える皺が俺を誘っていくのだということは生涯わからなくていい。

距離を詰めたところで肩が強張るのはいつものとこで、その力が抜けるようにゆっくりと口唇を押し当てた。

その柔らかさも、それとは反対に堅く瞑る目も、全部、全て、夢だとは思えないほどに現実な気がした。

色濃い目蓋が上げられて、照れ臭そうに笑う名前は俺にとって夢でも現実でも"初めて"の名前だった。

拍手が響く中、その腰を引き寄せて深い口付けをする。

「……んっ」

抵抗をしようと捩った身体の力点を利用して、更に身体同士を密着させていく。

これは、夢だ。

それならここにある他人の目というものも虚像に過ぎない。

呆れながら笑う姉も、何故か顔を赤らめている不死川も、明らかに敵意を向けてくる名前の弟も、夢の中の産物だ。

だから何をしても、実際には見られていることにはならない。

「…んんっ」

やめてと言いたげな甘い声も、抱き寄せた柔らかい身体も、夢じゃない気がするのはそれだけ俺の脳が覚えているからだ。

そのまま抱きたいという欲のままに身を任せても構わないはず。

何故ならこれは夢で虚像だ。

現実でこんなことをすれば容赦なく叱られるだろうが、夢の名前ならそこまで怖くはない。

それに作り上げた産物に欲をぶつけるのは構わないと本人も言っていた。

「…んん!」

口付けを深くする前に離れた口唇は、割って入ってきた右手に抑えられて、不満を表すために目を細める。

「……待って」

隠すように口元へ持っていった左手と戸惑う表情は、夢の中でも名前だ。

素直になるまでは時間がかかる。

「おあずけか?」

まだ腰に固定したままの手に力を入れれば、指輪が一際光って見えた。

しかしそれもすぐに視界から外れ、頬に触れるのは真っ白いベールの感触。

「あとで。ご褒美としてあげるね」

耳元で響いた甘い声に茫然自失となったところで次に見たのは、ミカンを一口頬張る斜め横顔だった。

……――そうだ、夢だったのだと気付いた瞬間から、その姿が更に愛しくなっていく。

完全に閑適し丸めた背中も、どこか気の抜けた表情も、教師である時は決して見せないのを、俺は知っている。

さっきまで見ていた夢の内容を話している間中、全く隠そうとしない呆れ顔も俺にしか見せないものだ。

「……。もはや誰だそれって話になってますね」

暫しの沈黙のあと、ようやく口を開いたのはいいがどうにも腑に落ちないらしい。

「名前の話だ」
「夢の中の、ですよね。一足早いご結婚おめでとうございます」
「妬いてるのか?」
「いえ、妬いてはいませんけど幸せそうで何よりだなと」
「夢の中の名前も綺麗だったが、やはり名前は着飾っていなくても綺麗だ。遜色ない」
「そうですか。それは、良かったです。ひとまず幻滅されなくて。ほぼメイクしてないんで。ミカン食べます?持ってきましょうか?」

溜め息混じりに捲し立てる返答が照れ隠しなのも知っている。

「ミカンより名前を食べたい」

立ち上がろうとした腕を掴んで引き寄せれば、途端に心臓が激しく音を立てるのを触れなくてもわかった。若干、頬の赤らみも窺える。

「…可愛いな」

思ったそのままを包み隠さず口にすれば、また困惑していく様は何度見ても飽きることがない。
それどころか何度でも渇望してしまう。

夢の中とは色味が異なる口唇が僅かに結ばれたのを見計らってしようとした口付けは横を抜けて行く顔で止まった。

「あとで、ご褒美としてあげますね」

これもまた、さっきとは違う。

気恥ずかしさを宿した、消え入りそうな声に込み上げる感情をぶつけるより早く、小さく吹き出す音がした。

「どうですか?夢の中の私に似てました?」

普段はそこまで動かない表情が、今はくしゃっとした笑顔を見せる。

それも長くは続かないが、その一瞬を視界に入れられるのは俺だけだ。

「全然違う」

見られるのは、俺だけでいい。

「こっちの名前の方が断然いい」
「…冨岡先生……!」

加減をしながら床に倒した背中の隙間から手を這わせては金具に手を掛ける。

「…ちょっとっ」

モゾモゾと動きはするが、俺の胸元に添えるだけの手は本気で抵抗をしているわけではないことを伝えていた。

「今、欲しい」

耳元で囁けばその動きが止まるのも知っている。

一度合わせた口唇を離して見るのは、居た堪れなさそうに、それでいて気丈に振る舞おうとして目を泳がせる名前。

「好きだ」
「……それは、知ってます」
「何度言っても足りない」
「それも……、知ってます」

饒舌さがなくなるこの瞬間もたまらなく好きだ。

「結婚はいつがいい?」
「またそれですか?」

少し余裕を取り戻す瞬間の変化も好きだ。

「また元旦は逃したが1月23日というのも悪くないと思った」
「…それは憶えやすいからですか?」
「そうだ。もしくは……」
「冨岡先生の誕生日とか?」

この言葉には今度が俺が驚いた。

「よくわかったな」
「直近でわかりやすい日だと必然的にその選択肢しか浮かびません」
「誕生日プレゼントは結婚式か」
「いや式は無理だと思いますよ確実に」
「何故だ?」
「多分挙式とか披露宴ってなると何ヶ月も前から予約するものだと思うので」
「……そうか」
「そうです」

確かに姉の時も打ち合わせだの何だの聞いたことはある。

それなら入籍だけでもすべきかと考えていたところで、前髪を振れる指先と

「そうだ。何がいいですか?誕生日プレゼント」

優しく目を細める姿に、何もかもがどうでも良くなった。

「名前がいい」

即答したことでまた呆れていく表情で上がっていく俺の口角はそのまま口唇へと押し当てる。

「……それ以外、ないんですか?」

会話を続けようと口へ触れる指先の温度が心地好い。

「ない」

即答したことで小さく吐く溜め息さえも愛しく思えた。


とにかく傍にいてくれれば


(入籍って返ってくるかと、思いました)
(それも含まれてるが名前がいれば何でもいい)
(……それは、何よりも嬉しい言葉ですね)


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