good boy | ナノ
今年の夏は冷夏でしょう。

なんて、確か1週間あたり前に涼し気な表情をしたアナウンサーが言っていた。

その時はながら見だったので、へぇ、そうなんだ。と心の中で思うだけ思って忘れていた。

今わざわざそれを思い出しているのは、どこをどう見たって"冷"とは真逆の数字を叩き出す温度計をぼうっとした頭で見つめていたせいだと思う。

「あっちぃなぁ!どこもかしこもよぉッ!」

乱暴に扉を開け放った宇髄先生は見るからに不機嫌だ。

「開けっ放しにすんじゃねェよォ。ますます暑くなんだろーがァ」

後ろで聞こえる声に振り向けば、元々大きく開いた胸元をパタパタと動かす不死川先生。その顔には青筋と、うっすら汗が滲んでる。

「これ冷房効いてんのかぁ?教室の方がまだマシだったぞ?」

教科書で扇ぎながらデスクに戻っていく姿をまた何となくぼうっと見てから、パソコンに顔を戻す。

突如として襲ってきた連日の猛暑。

基本的に設備投資にまで手が回らないここキメツ学園では、冷暖房も必要最低限しか備えられていない。
それにプラスして長年の劣化も手伝い、フルパワーで稼働させてはいるが効き目は雀の涙ほどだ。
いや、それでもないよりかは格段にマシだけど。

「……はあ」

背中に滲む汗で貼り付く服が若干気になる。しかしどうしようもないのでとにかく仕事をしようと手を動かした。

「大丈夫か?」

律儀に溜め息を拾ってくれた右横に視線を動かせば、群青色の瞳が涼しく感じる。

「…ここまで連日だと、ちょっとくるものがありますね……」

どうにか熱中症にはならないよう気を付けてはいるけれど、この暑さに身体がついていっていないのも事実。
それは私だけじゃなくて、さっきの宇髄先生や不死川先生を始めとした教師陣もそうだろう。
日に日に口数は減り、不機嫌さは増していくばかりだ。

一部全く変わらない面々もいるけれど。

胡蝶先生とか悲鳴嶼先生とか、あと―…。

「冨岡先生、暑くないんですか?」

そんなわけがないのに訊ねてしまうのは、その身体から全く"暑さ"というものを感じないからだ。
見たところ汗すらかいてないように見える。

「暑いか暑くないかと訊かれれば暑い」
「…その割には全く変わらないですね」
「暑さにへばってる暇はない。いつ何時お前のピンチが訪れるかわからない」
「ピンチはそうそう起きたりしないんで大丈夫ですよ」

この間の交流研修のこと、未だに引き摺っているのだと知ったのは数日前だ。

赤道に近い島での暑さは、流石の冨岡先生も堪えたらしい。

私にはそこまで顕著に現れているようには思えなかったが、本人曰く私の傍を離れたのも、スマホを失くしたのも、暑さ故に回らなかった頭が原因だと悔いていた。

だから今、こうして気を張っているというのがその経緯。

無理してるのではないかと心配にはなるけれど、水分補給はこまめにしているようなので、とりあえずは見守ることにしている。

というか正直、私の方がこの暑さに音を上げそうだ。

昼食の時間を迎えたのはいいけれど、開いたお弁当のわかりきった中身にまた溜め息が出る。

食べなきゃ持たない。

それはもうどうあっても崩しようがない真理なのでとにかく箸を運んでみるけれど、全く食べたいと思えない。
自分が作ったものだから味を知ってるというのもある。だけどそれ以上に、固形物を口にすることに抵抗が湧く。

「食べないのか?」

動かし続けていた箸が止まったと思えば、口元にご飯粒をつけた冨岡先生。
相変わらずだ、なんて笑いが込み上げて、ちょっと安心もした。

「ついてますよ」

それを掬った指先を自分の口に運ぶ。
これくらい少しなら違和感なく飲み込めるな、と考えたところで、

「俺のモノしか食べたくないのか…」

まるっきり語弊がある言い方に溜め息が再発した。

「やめてくれませんか?ちょっと気持ち悪くて食欲がないだけです」
「まさか俺との子「違います」」

今日もお元気で何よりだ。
こちらは本調子じゃないので、ついていくだけでだいぶ疲れるけど。

これ以上お弁当を見つめていても仕方がないと蓋を閉めれば、その顔が驚いてる。

「本当に食べないのか?」
「えぇ。ちょっと冷蔵庫のゼリー戴いてきます」

数日前、胡蝶先生が「皆で食べてね」と用意してくれたフルーツゼリー。
あれなら少し喉を通る気がしてる。
もしかしてこうなることを見越して気を遣ってくれたのかもしれない。

席を立とうとしたところで冨岡先生の手が伸びてきて、一瞬何かと身構えた。

「食べないなら俺が食べる。くれ」
「…いえ、でも……」
「駄目か?」
「駄目というか…、無理してませんか?」
「してない。名前の手料理ならいくらでも食べられる」
「…それは、ありがとうございます」

癖で苦笑いを返してしまったけれど、素直に嬉しいと感じてる。

2つ分のお弁当を抱える冨岡先生を横目に、胡蝶先生から戴いたゼリーを2つ食べ終える頃には、それが綺麗に空になったのも、嬉しいと思った。


good boy


照り付ける太陽が低くなって少し和らいだ暑さの中、帰り道を歩く。
それでもアスファルトにまだ残るじわじわとした熱を感じた。

「そういえば夕飯、何にします?」

歩幅を合わせてくれている隣を見れば、真剣な顔で言う。

「名前」

思わず能面になる前に、

「は、何を食べたい?」

軌道修正してくるあたり、本気で怒られることを一瞬にして悟ったんだろうな。

「私は、別に何でもいいです」
「また食べないつもりか?」
「いえ、そういうつもりではないんですけど」
「食べられそうなものは何だ?」
「…そうですね。冷たいもの、とか」

そうは言ってみるけど、どこかで聞いたことがある。

暑いからって冷たいものばかり食べるのは良くない、と。

それでもこう、どうにも喉に通りやすく食べやすいものを自然と身体が求めてる。

だから王道に素麺とか冷やし中華とかって思ったりもするけど、それを茹でる熱気などを考えると憂鬱以外の何物でもない。
例えばそれが冨岡先生が所望するものなら気概も違うが、そうでないなら尚更だ。

だから敢えてもう一度、言葉を変えて伝える。

「冨岡先生が食べたいものを作りたいです」

正直ひとりなら疎かになってしまうけど、喜んで食べてくれる人がいるからそう思う。

趣旨は確実に伝わってるはずなのに、怪訝な表情を見せるものだから少し怯んだ。

「それなら家に残ってるものがいい。温めたらすぐにできるような、そういうのはないのか?」
「残念ながら皆無です」

即答してしまってから、苦笑いをひとつ。

「明日が休みだからってちょっと怠けまして、今日は何かしら調達しないと何もないんですよ」
「それなら出来合いのものを買っていこう」
「いいんですか?それで」

心の内で望んでることではないと容易にわかるのでそう問いかければ、喉を動かして止まった。
確かにたまにならいいかもしれない。
そうは思うけど、これまでの食生活でそれらを食べ飽きてるというのも知っているから、どうにかできるだけ努力は惜しみたくない。

「カレーがいい」

観念したように呟かれた料理名に、納得するものはあった。

何というか、家庭料理の代表格、かつそこまで手間もかからない。
そして暑い時に何故か無性に食べたくなる。

それは、冨岡先生の折衷案なのだろう。

そういえばこの間の"隣人のお裾分け"の時もカレーと即答してた気がする。

「わかりました。作りますね」
「違う」
「はい?」
「俺が作る。名前のために」

真剣な表情に嬉しさよりも不安が沸き上がったのは、いつだか鍋のまま出された水分が飛んだお粥を思い出してしまったからだ。

* * *

スーパーの袋を互いにひとつずつ片手に持ちながら、家まであともう少しといったところ。
当たり前のように私に軽い方を持たせてくれたその紳士な群青色を盗み見る。

「これから俺が料理を作れるようになれば、名前の負担が格段に減ると気が付いた」

そう言った冨岡先生に、負担とは思っていないという旨は伝えたが、それもそうかもしれないと思い直して、

「じゃあ今日は練習がてら一緒に作りましょうか」

今できる最大限の折衷案を出した。

てっきり反論されるとは思いきや、それはそれで冨岡先生の中で刺さるものがあったらしい。
瞳をキラキラさせながら「作る」と即答されて、あぁちょっと可愛いな、なんて笑ってしまった。

だから帰宅して早々、念入りに手を洗う表情も、エプロンに身を包む姿も、弛む頬を隠しながら眺める。
当然、エプロンなんて私のしかないので冨岡先生が着けると小さめに見えるのも、何だか微笑ましい。

「まずはピーラーで人参の皮を剥きます」

カレーを作る中で、一番簡単であろう工程を最初に提案した。
途中、何回か閊えながらも一周する頃にはなかなか慣れたものになっていて、続くじゃがいもの皮むきは少しハードルが高いかと思いつつ、想像以上にスムーズに進んだことに驚いてる。

「冨岡先生、上手じゃないですか」

思ったことをそのまま口にすれば、若干動いた口元が嬉しそうなのがわかった。

「じゃあ次は、細かい皮と一緒に芽を取っていきましょうか」
「め?」
「このじゃがいもに所々あるヘコんでる所です。刃では取り切れなかった部分を、このピーラーの側面にあるこの"耳"を使って取ります。こう、抉るようにして」
「目を耳で抉るのか。料理というのはなかなか斬新で物騒だな」
「斬新で物騒なのは冨岡先生の思考だと思います」

危なっかしくも徐々に力を加減していく両手は勘がいい。
丁寧に、皮のひとつも残らず綺麗に取り除いていく几帳面さには少し笑ってしまったけれど。

「そこまでしなくても大丈夫ですよ?」
私がそう言えば、
「…そうなのか」
新しい発見をしたみたいに驚くから、またついつい頬が弛んでしまう。

「あとは玉ねぎの皮を剥くんですけど」
「これくらいなら教わらなくてもできる」
「そうですか?じゃあお願いします。私じゃがいもと人参切っちゃうんで」

普段はひとりで使ってるまな板を半分ずつ共有する。
そんな不思議な感覚を抱きつつ、適当な大きさになるよう包丁を入れていく。
ひとまずボールに移し終わってから横を見れば、ぺリぺリと小さな音を立てて茶色い皮をちまちまと剥いている右手。

「…冨岡先生って」
「何だ?」
「全体的に皮剥くの苦手だったりします?」
「苦手じゃない」
「…そうですか」

まぁ。そういうことにしておこう。

「貸してください。玉ねぎは頭の部分を切ってから」

尖った部分に刃を入れたあと、刃元を身と皮の境目に差し込んだ。

「このあごの部分を使って下の方へ持っていくと簡単に剥けます」
「器用だな」
「慣れれば誰でも出来ますよ。そしたら根の方に集まった皮を取り除いて、この残った根の部分を切り落とします」

真っ白な身になった玉ねぎを手渡せばマジマジと見ていて、また笑いが零れそうになる。

「じゃあ今度は半分に切ってみましょうか。包丁どうぞ」

無言ながら右手に持ったのを確認してから続けた。

「玉ねぎは繊維に沿って切るのが基本なので、頭から根の方まで真っ直ぐに包丁を入れます」
「こうか?」
「そうです。あ、ちょっと」

一度止める前にサクッと音を立てて、真っ二つになるのを見る。

「どうした?」
「いえ、とても上手だったんですけどちょっと左手が危なっかしかったもので…」

もう少しズレてたら指切ってただろうな。正直ちょっとヒヤヒヤした。

「包丁を使う時、左手はこうやって、猫の手にするといいですよ」
「目、耳、あごときたと思ったら今度は猫か」
「有名な言い回しなんですけどご存知ないですか?」
「知らない」

即答されてしまった。まぁ、今まで料理なんて興味なかっただろうし、それはそうか。

「次はどうする?」
「…あぁ、そしたら半分にしたものを薄切りにしていきます。今切った面を下にして、端からこう、縦に、そうです」

一回一回丁寧に刃を下ろしていく手つきも、それをじっと見つめる瞳も真剣そのもの。

「炒めて煮込んじゃうので、そこまで均等になるよう気を遣わなくて大丈夫ですよ」

聞こえてはいるんだろうけれど、ゆっくり確実に切っていく動作は変わらなくて、そのまま見守ることにした。

半分ほど進んだところで、冷蔵庫から豚肉を出さなくてはと思い出す。
あと鍋の準備も。

「…さっき」
「はい?」

動きながらも返事を返せば、またゆっくりサクッと音がした。

「皮を剥くのは苦手かと言っていたが」
「えぇ」
「苦手じゃない皮もある」
「何ですか?それ」

嫌な予感がするのは気のせいじゃない。内容までは掴めないけど。

「名前の皮なら上手く剥ける自信がある」
「……。すみません、言っている意味がちょっと良くわからないんですけど」

私の皮?って、何言ってるんだ?この人。
まさか服を脱がすとかそういう?

こちらは疑問符しか浮かんでこないのに、その横顔は明らかに含み笑いをしてる。

「まだ試したことはないが、皮を剥いて与える刺激はすぐに達するほど気持ちいいらしい」
「…聞かなかったことにしますね」
「どこの皮かわかったのか?」
「まぁ、何となく…」
「…「言わなくていいですから!」まだ一文字も口にしてない」
「はい!玉ねぎ切れたら炒めますよ!まず豚肉から!」
「照れてるのか。可愛いな」

ムフフと笑うその顔は腹立たしいものがあるけれど、具材を炒め始めれば、また真剣なものに変わった。

「どれくらい炒めればいい?」
「そうですね。全体的に油が回って豚肉の色が変わってじゃがいもの表面が白くなってきたら丁度いいかと」
「……。なってきた」
「じゃあ水入れましょうね。この箱に書いてある分量の水を量って入れてもらっていいですか?その間混ぜてるので」
「わかった」
「きっかりじゃなくて大丈夫ですよ」

そうは言っても、目盛りを見る目は相変わらず真剣で、その一生懸命さが微笑ましい。

「入れたらどうする?」
「このまま沸騰するまで待ちます。その間に包丁とか片付けちゃいますね」

じっと鍋を見ている冨岡先生にそちらは任せることにして、今できる限りの洗い物を終わらせる。
その間も全く目を離さないものだから、ついに我慢していた笑いが零れた。

「ふふっ」
「オカシイか?」
「いえ、こういう時間も楽しいなって思いまして」

目を合わせるのは気恥ずかしくて、作業台を布巾で拭く動作を止めるように重ねられる手。
無言のまま見つめてくる瞳が徐々に近付いて、口唇が触れる時は目を瞑っていた。

「…んっ」

引き寄せられる腰に気付いたところで、逃げる間もなく距離は詰められていくだけ。
深くなっていく口付けと身体中を撫でる手に、勝手に何かが沸き上がっていく。
それでもグツグツと音を立てる鍋に顔を逸らした。

「…まっ、て、沸騰してます」
「……。気が付かなかった」

名残惜しそうに離される手が、何だかいつもと違う。

「どうすればいい?」
「火を弱めて…、そうです。そのくらい。あ、灰汁も取りましょうね」
「あく?」

不思議そうな表情で訊き返されて、一瞬返答に困った。
何となく知識として知ってはいたけれど、結局"灰汁"って何なんだろうという、根本的な問題に行き着く。

「雑味というか…、茹でると出てくるこの白かったり茶色かったりするあぶくがそうです」
「これか」
「これを掬って、捨てます」

お玉を受け取った右手はまた真剣になっていく。

「完全に取り切らない方が味に深みが出ますよ」
「わかった」

慎重にお玉を動かす動作が可愛いな、なんて思うのは、やっぱりその全てが一生懸命だからだ。

「冨岡先生って、勉強熱心ですよね」

思えば仕事もそうだけど、教えれば教えたぶんだけ全てを余すことなく吸収してる。

「名前の教え方が上手いからだ」
「…それは、ありがとうございます」

冨岡先生のことだからまた分厚いフィルターがかかってるのはわかってはいるんだけど、そう言ってくれるのなら嬉しい以外の何ものでもない。

「あくを取った」
「じゃあ具材に完全に火が通るまで待ちましょう。15分から20分くらいですね」
「…そんなに待つのか」
「待つのも料理のうちですよ」
「わかった」

素直なことで。

そう思い掛けた思考は突然引っ張られる手と服に止まったし、両手はそれを止めた。

「…ちょっと、何するんですか」
「20分あれば充分だ」
「充分じゃないですよ。そこからルー入れて混ぜるんですから。そんなことしたらシャワー浴びたり「挿れるわけじゃない」」

随分とハッキリ言われて、少し引いてしまう。

「皮を剥くだけだ」

耳元で囁かれたものだから、今度はハッキリとわかりやすく身体が後退した。

「やめてください。絶対嫌ですよ」
「怖がらなくていい。剥くといっても野菜と違って元に戻る」
「何の話ですか。元に戻ろうが戻らなかろうが嫌です。大体何でそんなこと知ってるんですか?」
「調べた。名前がもっと気持ち良くなるように」

そんなところでも勉強熱心なのか、と思ってしまった自分が恨めしい。

「だが力任せに剥くのは良くないとも書いてあったから実行するのは憚られた」
「憚られたままでいいのでは?」
「しかし皮剥きを憶えた今ならできる気がする」
「もしかして冨岡先生、私を野菜と同等だと思ってませんか?」
「思っていない。だが力加減は何となく掴めた」
「これまでの過程のどこで何を掴んだのか謎すぎるんですけど…」

抵抗も虚しく甘噛みする耳にビクッと身体が震えたのも束の間、

「やはり調子が悪いな。返しに切れがない」

そう言って頬を寄せる仕草は、まるで犬みたいだった。

「……。わざと試しました?」
「試したわけじゃない。お前が無理しようとするから自覚させようとしただけだ」
「…それは、恐れ入りました」
「座ってろ。あとは俺でもできる」

優しく誘導する手に抗う理由もなくて、大人しく椅子に座る。
ルーを入れて掻き混ぜる姿をぼんやり見てるうちに、漂ってくるいい匂いに鼻を動かした。

何ていうか、久々かも知れない。

人が作った料理の匂い。

一緒にキッチンには立ってはいたし、仕上げを任せただけとも言えるけど、こんなにも感じ方が違うのか。

自然とワクワクしている自分がいた。

「出来た」

目の前に配膳されたカレーライスに、自然と鳴るお腹を咄嗟に押さえる。

「…いただき、ます」

向かい側に座る冨岡先生をチラッと見て、またカレーへと視線を落とす。

スプーンで掬った一口は、私が作ったものとは明らかに異なっていた。
どうしてこんなに違うのか。

「どうだ?」

思わず絶句していたのに気付き、動かした口は勝手に笑ってる。

「美味しいです。…すごく」

どうしてそう感じるのか、説明がつかない。

「そうか」

安心したようにスプーンを運ぶ冨岡先生を訝しい表情で見てしまう。

「…何か、入れました?」

ここまで顕著な味の違いにはそれしか思い浮かばなくて訊いてみるも、

「愛情だ」

返ってきたその言葉には喉を詰まらせそうになった。

「…なに、をっ」
「そうだと思わないか?」

優しい群青色の瞳に見つめられて、あぁ、そうかも、なんて考えたのは暑さからくる頭の回転の遅さじゃない。

「…そうですね。そうかもしれません」

材料が同じ。

そんなのはどうでもいいと思えるほど一生懸命作ってくれた事実があって、その心が"美味しい"と感じさせてくれている。

確かに"愛情"なのだろう。

それに気が付いたと同時に、どうして冨岡先生がいつも私の料理を美味しそうに食べて、逐一感想を述べてくれるのかを知った気がする。

「今まで食べたカレーで一番、美味しいです」

照れ臭さを心の外へ追いやって発した言葉は、その顔を綻ばせてくれるから口にして良かった。

「また作りたい」
「ぜひ、お願いします」

いつもより進む箸ならぬスプーンに、早々空になった皿を持ち上げる。

「おかわりしてもいいですか?」

返答するよりそれを攫っていく手に、大人しくその場で待つことにした。
きっと最初から少なめによそってくれたのは気遣いなんだろうな。

だから、嬉しそうにご飯をよそってカレーを盛り付ける姿を私も同じ気持ちで眺める。

「たくさん食べるといい」

テーブルに置かれたお皿にまた嬉しくなった。

「いただきます」

単純な夏バテだなんて感じていたけれど、どうやらそうでもないらしい。

自覚した途端に、活力が湧いてくるのはそれこそ単純だけど。

「ありがとう、義勇」

きちんと目を見てそう言えば、伸びてきた手が頭を撫でるものだから隠し切れない笑顔が零れた。


明日は100倍の愛情を返そう


(そういえば、よそう時じゃがいも避けました?)
(避けてない。混ぜてるうちに消えた)
(…成程。大きな味の違いはこれですね)


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