good boy | ナノ
「カッコイイです!冨岡先生!」

開店まであと10分を切った頃、その言葉に机を拭いていた手を止めた。
振り返れば藍色の着物と白銅色の半纏に身を包んだ冨岡先生が竈門くんを始めとした生徒達に群がられている。
「これならお客さんたくさん来ますね〜」
すぐに視線を戻し手を動かすが、女生徒のセリフによって頭に看板犬という三文字が浮かんで上がりそうになる口角を抑えた。
一通り拭き終わった所で時計を確認してから、布巾を片手に視線を上げる。
「あと5分で文化祭始まりますよ〜」
「はーい!苗字先生!手伝ってくれてありがとうございました!」
「どういたしまして」
何とか形になった事に安堵し、小さく息を吐いた。

good boy


つい30分前、見回りついでに顔を出した竈門くん達のクラス。
今年は『大正浪漫カフェ』というテーマで和菓子とお茶を提供する事になっていたのは聞いてはいたが、想像していたより準備に手間取ってしまっていたらしい。
私が来た時には、和の雰囲気を出すためにと用意した生徒達の着物も、肝心の着付け出来る人間が誰もおらず完全に混乱している状態だった。
段々と不穏になっていく空気に生徒たちをなだめつつ、胡蝶先生と煉獄先生を校内放送で呼び出し着付けをして貰っている間、こちらはカフェとして形になるよう着替え終わった生徒を総動員し用意したため、何とか時間内にはある程度の準備は間に合った。
華道と剣道をそれぞれ習っている胡蝶先生と煉獄先生が居なかったらどうなっていたか…そう考えると恐ろしい。
バタバタと慌ただしく動き出す生徒と対照的に私へ近付いてくるのは冨岡先生。
「…どうだ」
「何がですか?」
「この衣装だ」
「全体的に落ち着いた雰囲気ですね。その中でも芥子色の帯がアクセントになっていますし、若干青が混じった半纏がまた洗練された感じを出していると思います。纏まっていて大人っぽいですね」
「そういう事じゃない。俺が着てどう思うかを聞きたい」
「あぁ、そっちですか。そうならそうと言ってください。似合ってると思いますよ」
「…そうか」
淡々と伝えたものの、嬉しそうに口角を上げるその表情に目を逸らす。
事実を述べただけで褒めたつもりはなかったんだが。
生徒達だけでなく何故この人までこんな格好をしているか…というか、何故そもそも此処に居るのかは、冨岡先生が通り掛かった際に私が此処に居たから、という至極単純明快な理由。
そしてこの恰好をしているのは一人の生徒の提案だった。
「冨岡先生と苗字先生も着替えて呼び込みしてくれませんか?二人ともカッコイイし綺麗だし!」
お世辞は受け流しつつ、見回りがあるため無理です、と簡潔に断りを入れたが正確に言えば見回りだけではない。
文化祭の盛り上がりを学園のホームページに載せるため写真も撮って回らなければならないし、不測の事態に備え同じ場所でじっとはしていられない。
一方、じゃあ冨岡先生だけでも!と、見事にそれに捕まり、煉獄先生に着付けされたという経緯だ。

「…良く抵抗しなかったですね」
今までの冨岡先生なら着せ替え人形にされそうものなら暴れだしていただろうが、すんなり受け入れている姿に若干驚きを感じている。
「抵抗する間もなく事が進んでいった」
そう言いながらも表情は穏やかなもの。
暴力ではなく生徒と対話する事によって少しはその心境にも変化が生まれたのかも知れない。
子供達のために受け入れる姿勢はとても素晴らしいものだと言葉にしようとした瞬間
「それにこの恰好をすれば名前にぎゃっぷもえというのをさせられると聞いた」
思い切り眉を寄せた。
「動機が不純なのは変わらないんですね。一瞬でも感動した気持ちを返していただきたいですし、純粋に喜んでる生徒達に土下座して欲しいです。誰がそんな事言ったんですか」
「この前ストラップを渡してきた片割れだ」
「…あぁ、あの子ですか…」
そういえばこのクラスだったな、と思うと同時、眉間の皺が増える。
「って…何であの子がそんな事言うんですか?」
「名前の事が好きなのか訊かれたからだ」
「…は?」
「俺が名前の事を好きなのかと訊いてきた」
「言い換えてもそれほど…寧ろ全く変わってないんですけど…。訊かれて何て答えたんですか?」
「決まっている。好きだと答えた」
真っ直ぐ見つめてくる群青の瞳にこれ程にない溜め息が出た。
「どうして馬鹿正直に答えるんですか。そこは否定してくださいよ」
「口が裂けても否定など出来ない。俺がお前を好きなのは紛れもない事実だ」
「わかりました。わかりましたから今はっきり言わないでください」
冨岡先生の声量自体は小さい上、周りの喧騒もあるにはあるが、万が一にも誰かに聞かれていないか確認してから小声で続ける。
「否定しなくても上手く受け流す事は出来なかったんですか?」
「出来ない」
「…でしょうね」
訊くだけ無駄だった。ほんとに。
「…変な噂が立たないと良いですけど…」
「変な、とはどういう事だ?」
「付き合ってるとかそういう類の事ですよ。まぁあの子は誰かに面白可笑しく言ったりはしないと思いますけど…」
「全く変じゃない。俺にとっては寧ろ願ったり叶ったりだ」
「……。でしょうね」
ほんとにこの人とは話にならない。
呆れと諦めから来る溜め息をわかりやすく吐いた。
同時に文化祭が始まる合図のチャイムと花火の音に我に還る。
此処で時間を潰してる場合じゃない。
「見回りに行ってきますので後は宜しくお願いします」
「…わかった」
大人しく返事をしたかと思えばスッと差し出された右手。
「何ですか?」
「忙しいのだろう?片付けておく」
相変わらず主語はないがその視線で持っていた布巾へ視線を落とした。
「…ありがとうございます」
そこまで他人に気を遣えるようになった事を関心しつつ差し出した右手の布巾、ではなく手首を掴まれたと認識すると同時
「あとで褒美が欲しい」
耳元で囁かれ、折角戻った筈の眉間の皺がまた増える。
「今日一日問題を起こさなかったら考えなくもないです」
「答えが曖昧過ぎる。その時になったら上手くはぐらかして逃げる気だろう」
最近知恵がつき過ぎて扱いにくくなってきたなこの人。
「…わかりました。冨岡先生のご期待に添えるかどうかは約束出来ませんがご褒美は用意します。これで良いですか?」
「…名前以外のものじゃないならそれで良い」
手首を掴んでいた指が布巾を浚っていく。
『苗字先生、苗字先生、至急校長室へお越しください』
ブツッと切れた校内放送に動かそうとした足を止めた。
「あ、言っておきますが今後一切誰かに私の事をどうこう聞かれても正直に言わないで下さいね」
「さっきも言ったが否定は出来ない」
「それなら聞こえないふりを徹底して下さい。とにかく肯定をしないで下さい」
返事を聞く前にもう一度鳴り響く校内放送に冨岡先生の横を通り過ぎ、校長室へ向かった。

* * *

「は?爆破予告?」
素っ頓狂な声が出たのは校長が机の上に置いたのは脅迫状。
明朝体で書かれていたのは
『文化祭を中止しろ。さもなくばキメツ学園を爆破する』
わかりやすい脅し文句だった。
「あら、今年も来たわね〜」
頬に手を当てながら穏やかに笑うのは胡蝶先生。
「今度は爆破か…」
静かに悲鳴嶼先生が両手を合わせる。
「何のためにやってるのか甚だ疑問だ。理解が出来ない」
それに続いたのは伊黒先生。
慣れた様子の対応に
「いつもの事なんですか?」
疑問を素直にぶつければ、脅迫状へと視線を落としたままだった不死川先生の目が私を捉える。
「苗字にはまだ言ってなかったなァ」
手に持っていたそれを粗雑に机へ置くと続けた。
「毎年こうやって同じ様な脅迫状が届くんだよ。変わるのは脅しの内容だけ。去年は火を点ける、だったかァ?」
「えぇ、確かそうだったわ」
胡蝶先生が笑顔を崩す事なく答える。
「皆さんが慌てていない辺り察すると実害はないように見受けますが、何か問題でも?」
私の言葉に校長は机の引き出しから何かを取り出すと差し出した。
「…実は今日、もう一枚、届きまして…」
歯切れの悪い言い方に、真っ先にそれを掻っ攫うと広げる不死川先生。
すぐに私に渡すその表情は今までに見た事もない程険しくなっていた。
それは今日の日付から始まっていて、とてもシンプルなもの。

『13;00 キメツ学園の誰かが犠牲になる』

その手紙を手に校長室を後にし、ほぼ無人と化した職員室へ移動した後、ひとつのデスクを5人で囲む。
「…今までにはなかったものだな」
悲鳴嶼先生の言葉に空気が重くなった。
恐らくではあるが、考えてる事は皆一緒だろう。
これは毎年恒例となっている脅迫状とは明らかに別の人物から送られたものだ。
封筒から文字のフォント、何一つとして共通点がない。
余りにも抽象的な一言ではあるが、これをただの悪戯として片付けるには圧倒的に情報が不足している。
「誰か、というのが生徒なのか我々教師なのか…それとも外部の人間なのか…判断が難しい所だな」
「…そうですね」
一体何の目的でこんなものを送ってきたのか。
巡らそうとした思考を止めたのは、今此処で考えても答えが出ないのをわかっているからだ。
当面の問題はそこじゃない。
「念の為12時から14時まで見回りを強化しましょう」
「そうね。特に13時前後は私達が最優先に回るべきよね」
「でもよ、俺や悲鳴嶼さんなんかは良いけど、胡蝶や苗字なんかが不審者と対面したらそれこそ危なくねぇか?」
「そこは連携を取れば問題ない。発見したら応援が来るまで待機を徹底すれば良い」
「具体的な連携の取り方はどうする…?」
一旦止まった会話も、胡蝶先生の「あ」と可愛らしい声の後の
「グループLINEはどうかしら?」
ひとつの提案に一同が賛同する空気が流れる。
ただひとり、私を除いては。
「まぁ一番それが手っ取り早いか。ってめちゃくちゃ嫌な顔してんなァお前」
「…気のせいです。緊急事態なんで止むを得ません。これが解決したら抜けるんで大丈夫です」
「やっぱ嫌なのな」
苦笑いをする不死川先生に、そりゃ嫌ですよというのは心の中で返す。
「今からグループを作っても私達以外気が付かないし時間も掛かるから、元々作ってあるグループに苗字先生を招待するわね?」
画面をその細い指が滑ったとほぼ同時に私の画面が通知を告げた。
「………。入りました」
『キメツ学園』と表示されたそれに参加ボタンを押してから顔を上げた。
「これ誰がメンバーなんですか?」
「私達と宇髄先生、煉獄先生、冨岡先生、かしら?」
その言葉に3人が頷く。
「…そうですか。わかりました。宇髄先生と煉獄先生の居場所の見当はついているので今から伝えに行ってきます。7人でこの件に当たる事としましょう」
「…何故、冨岡を外す?」
言葉と共に伊黒先生の蛇がうねうねしている。
「冨岡先生、今看板犬として駆り出されてるんですよ。折角生徒達が喜んでるんで出来れば今日は1日そのままにしといてあげたいんです」
ましてや確実に何かが起こると言い切れる訳でもないのに、折角生徒達と縮まり始めた距離を
取り上げてしまいたくない。
「…冨岡先生が戦力外となると…それこそ我々も心して掛からなければならんな…」
「大丈夫ですよ悲鳴嶼さん。冨岡の分まで俺が動きますから」
「私もしのぶとカナヲにそれとなく周りを見ておくように伝えておくわ」
「じゃ、一旦解散って事で。LINEの通知は切らないようにな」
「わかりました。あぁ、そうだ。ちょっと待ってください」
壁際に設置された棚に移動すると右下の引き戸を開ける。
確か此処に備品として蓄えられていた筈、と箱の中を覗き込んでそれを取り出す。
「万が一のためにこれを持っておきましょう」
デスクへ置くと4人がそれを覗き込む。
「防犯ブザーか」
「成程。これは使えるな」
「どうしたの?これ」
「生徒達の忘れ物です。保管期間が過ぎて学校の備品扱いになっているので壊れても問題ありません」
「緊急時はこれで知らせる事にしよう」
「了解」
それを手に取ると早々に職員室を後にする3人を見送って考える。
何というか…、キメツ学園の教師陣の絆と表現するのが適切なのかはわからないが、それに近いものは僅かに垣間見た気がした。
"普通"ではない分、その前線で戦う教師陣の信頼関係は通常より遥かに強固なのだろう。
そう考えながら、ふと視線を感じそちらへ顔を向ければ伊黒先生がじっと私を見ている。
「…どうしたんですか?」
この人とこんなに視線が合うのは正直初めてだ。
警戒されているのか常に視線を合わせてこようとしないので、こちらも無理に目を合わせるのは遠慮していたのだが。
「…冨岡の未来の結婚相手とは、苗字の事か」
「はい?」
言っている全ての意味がわからなかった。
「…何ですかそれ。冨岡先生がそう言ったんですか?」
思わず詰め寄ってしまった私に、伊黒先生がわかりやすく後ずさりする。
無意識と言えど圧を掛けてしまった事を後悔しつつ、1歩引くとその蛇がうねうねと動いた。
「知りたいなら冨岡本人に聞け。俺から話す気はない」
それだけ言うと視線を逸らす。
明らかな拒絶に、これ以上話を伸ばしても無駄だろうと
「わかりました」
一言だけを返し、頷いた。


徐々に周知されつつある


(すみません、怖がらせてしまったみたいで)
(怖がってなどいない。勝手に勘違いするな)
(蛇で威嚇するのやめてくれませんか)


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