確かこの道を右だった気がする。 ウインカーを出したはいいけれど、進行方向を見据えた事で少し迷いが生じた。 こんな、道とは言えないような場所を入っていくのか、と。 耳にしただけの情報なので、当たり前に疑いが沸いた。 砂利道に車のタイヤの跡は確かにある。けれど周りは雑木林で、とてもじゃないがこの先に人気のジェラート店があるとは思えない。 しかも乗用車が1台通れるか通れないかの隙間で、もし向こうから車が来たら、もしくは行き止まりだったら、バックで引き返さなくてはならない可能性もある。 正直、不安しかない。 「…本当にこっちでいいんですかね?」 それを打ち消すように、つい助手席へ意見を求めた。 「間違っていないはずだ。観光情報にもこの道が出ていた」 「そうですか」 自信に満ちた発言に、ひとまず不安は払拭されたのでそのまま進む事にする。 足場が安定していないせいで、大きく揺れる車体にまた大丈夫なのかとも思うけれど 「それで?続きは何だ?」 先を急かす冨岡先生に先ほど話していた内容を思い出した。 「…えっと…。どこまで話しましたっけ?」 「あの子供が最近この島に引っ越してきたばかりだというところまでだ」 「あぁ、そうですね。それでですね」 十分に徐行しながら、順序立てて考える。 あの子供、というのは最後に発見した3年生の男の子の事だ。 冨岡先生が生徒達を追いかけている間に、校長と既に捕まえられていた数人から聞いた話を、今申し次ぎしている。 「引っ越しの理由は両親の離婚。元々彼のお母さんがこの島の出身だったらしいんです」 「帰郷というわけか」 「そうですね。ただ問題なのは母親にとっては慣れ親しんだ場所でも、彼にとっては全く未知の土地、そして見ず知らずの祖父母、親戚だという事です」 「今まで一度も訪れてないのか?」 「えぇ」 だからこそ、あの子は未だこの島に馴染めないでいる。 余りにも小さく狭い世界だからだ。 一度でもいい。事前にこの地を訪れた記憶があったなら、顔見知りの親族が1人でも居たら、あるいは同学年、もしくは同じ境遇の子が1人でも居たら、その心境も少しは違ってきたのかも知れない。 しかし、置かれた環境ばかりはどうしようもない。 いくら親や校長を含めた大人を始め、子供達も気を遣い歩み寄ってみても、心を開くどころか彼は頑なに逆らうようになってしまったという。 「給食室の戸窓が外れていたのも、そこに関係していると先ほど校長から聞きました」 「あの子供が割ったのか。なかなか思い切りがいいな」 「良く割ったってわかりましたね」 「サッシに細かいガラス片が落ちていた。取り外せると気が付いたのもそのためだ」 「…成程」 本当にこの人の推察力と考察力は見事だ。 「それが故意によるものか、あるいは事故なのかは訊ねても答えなかったそうで、ひとまずお咎めなしとしたのはいいんですが、そこから事あるごとに給食室に籠るようになったと言っていました」 その動機も要因も、謎のまま。 ただ時間が経てば戻ってくる上に、それ以外の目立った問題行動はないため、まだ様子を見ている最中だったという。 しかし彼の行動に大人が目を瞑れば瞑るほど、他の生徒からの風当たりは強くなってしまう。 だからこそ校長は、私達に"助けて"という言葉を向けた。 雑木林を抜けた先、急に拓けた道に出たと思えば目の前に飛び込んでくるのはカラフルな看板。 英字でジェラートと書かれたそれに、本当にこんな辺鄙なところに店を構えているのかと驚いた。 駐車場らしきところに入ったはいいけれど、ひしめき合う車で停車位置が確保出来ない。 ナンバープレートを見れば、"わ"や"れ"の一文字が占めていて、ここに居るのは殆どが観光客なのだと窺えた。 「…お店にも人が並んでますね」 これは事前に電話で注文しておいて正解だった。 最初こそ予約は承っていないと難色を示されたけれど、地元の小学校の教師、かつ授業で必要としているとなれば、断りきれないのは定石。 こういう狭い世界では、地元の繋がりに重きを置くのは暗黙の了解なので、嘘も方便だなと思う。 「俺が取ってくる」 「お願いします」 シートベルトを外し、降りていく背中を見送って、ようやく効き始めたエアコンに汗が滲む額をちょっと近付けてみる。 それにしても、暑い。 今しがた頼んだばかりであろうジェラートを美味しそうに食べている女性2人組へ自然と目をやってから、意識的に空を見上げた。 気のせいか。空が近い気がする。 こんなに暑く感じるのは、そのためなのかも知れない。 確かに海に入るのも気持ち良さそうだなんて、絶対に口にしないけれど、そんな事を考えた。 good boy 「きゃー!やった〜!!」 「ジェラートぉっ!!」 学校に戻ってきた私達を見るなり歓喜に沸いていく子供達は、冨岡先生が抱えた発泡スチロールの箱へ真っ先に群がった。 全校生徒が教室に集まっても尚、余裕がある空間はどことなく不思議な感覚がある。 「すみません。誰がどれを注文したのか正確に把握していないのでここから一列に並んで、自己申告…教えていただけますか?」 低学年には言葉の意味がわからないだろうと言い直したところで、自然と1年生から順番を作ろうとする譲り合いは見ていて微笑ましい。 「わたしいちごー」 「わたしもー」 冨岡先生がひとつずつ渡していくと 「「ありがとうございます」」 揃えたお礼はこれまた微笑ましい。 小学生と言っても、1年生なんてのは幼児に毛が生えたようなもので算段というものがない。 ほんのりピンク色をしたそれを口に運ぶとおいしいと笑い合う2人は無邪気そのものだ。 しかし数年違えば、知恵もついてくる。 「俺チョコレート!イチゴとパイナップルとクッキーとコーンフレーク乗っけたやつな!」 トッピングという手法で量と値段を嵩まししてくる手法はなかなかに賢い。 おかげで想定していた予算を軽く上回るはめになった。 それも問題を解決するための必要経費だと思えば安いものだと考えよう。本当に経費として落ちるかはちょっと難しいところだけれど。 「おいしそうだね〜」 ニコニコと見守る校長で思い出した箱を差し出す。 「教員の皆さんにも買ってきたのでどうぞ召し上がってください」 「わ〜、ほんとにぃ?こりゃ嬉しいな〜。みんな喜ぶさ〜」 それを抱えるといそいそと職員室へ向かう背を見送ったところで、目の前にある白いものに視線を留めた。 「…どうしたんですか?これ」 「名前の分だ。無難にバニラを選んでおいた」 真っ直ぐ見据える群青色に、だからあの時自分から取りにいくのを名乗り出たのかと今更理解する。 「私は…大丈夫です。冨岡先生が召し上がってください」 それで引き下がるような人じゃないのは重々承知していても断りは入れた。 すぐに反論が返ってくるかと思いきや、何度かの瞬きの後、スプーンを口に運ぶ。 やけにあっさりと言う事を聞いたものだ。 もしかして本当は冨岡先生も食べたかったのかも知れない。肉体労働をした後のこの暑さだし。 そんな常人の思考を期待してしまったのを、近付いてくる顔で後悔した。 間髪入れずにブロックした両手は、最近この人の速さにちょっと順応してきた気がする。 「何考えてるんですか」 「口移「言い方が悪かったですね。何て事を考えてるんですか。やめてください」」 いたいけな子供達の視線が、それこそ別の意味で痛い。 ポカンとしていたと瞳がキラキラ輝いていくのに、嫌な予感がした。 「先生達って付き合ってんの〜!?」 「…いえ」 「だって今キスしようとしてたじゃん!」 「それは」 「あ、じゃあ結婚してんだ!?」 「せんせいたちすきどうしなんだ〜」 止める間もなく盛り上がっていく8人と裏腹に、1人だけ明らかに表情が翳っていく。 この話題はマズイ。 そう思った時には、食べかけのジェラートを放棄して走り去る速さに制止が全く出来なかった。 「…何だよあいつ。ま〜た給食室か〜?うっぜ」 「私達何かした?」 「さぁ〜?」 呆れているこの子達は、本気でわからないのだろう。 この年齢で人の気持ちを察しろ、理解をしろというのが酷な話だ。 責められはしない。誰も悪くないんだ。 だけど、どうしても昔に感じた胸の痛みを思い出してしまう。 「追い掛けるか?」 「いえ、そっとしておきましょう」 気持ちに寄り添おうとするのは大事だけど、今はまだその時ではない。 まず彼本人から何も話を聞いていないし、追い掛けたところで出会って数時間の人間に心の奥を打ち明けるとは到底思えない。 しかし4日、実質3日でそこまでの信頼を得られるかどうか。 正直、私だけでは無理だ。 冨岡先生なら或いはその強靱な狂人さで高く聳え立つ壁をも登って、いやそれどころか粉々に壊してしまうだろうけれど。 その可能性に賭けるしかない。 「それより先生達どこまでいったんだよ〜」 含みを持たせた男の子に、つい眉を寄せた。 「何がでしょう?」 「付き合ってんだったらセッ「さぁ食べ終わった人から帰る準備しましょうね〜!早くしないと片付けを手伝ってもらいますよ〜!ついでに給食室から呼び戻す係もしてもらいま〜す!」はぁ!?ぜってーやだ!!」 急いで完食を目指す慌てた姿に、小さく息を吐く。まだ単純で良かった。 しかし今の小学生はませているというか何というか。こんなんだっけ?なんて、自然と自分の弟を思い出してしまった。 でもあの子はそういう話をした事がないから、多分性格の差かも知れない。 「ほら!食った!これでいいんだろ!?」 そう言って雑にゴミを押し付けてくる辺りはちょっと似ているけれど。悪気のない生意気さというのが。 「美味しかったですか?」 「めっちゃうまかった!ありがとな!」 だけど、にかっと笑う姿は憎めなくて、あぁ可愛いなぁなんてこちらも笑顔を返した。 * * * この島に来てから、全てが真新しい。そう感じる事が多い。 今もそうだ。 生徒と共に帰宅していった半数の職員も、 「これで戸締りは完璧さ〜」 穏やかな笑顔で昇降口を施錠する校長と、時計が示す時間にも、目を疑いたくなってしまう。 時刻はまだ18時をちょっと過ぎたところだ。それなのに校内にはもう誰も残っていない。 今頃キメツ学園では、不死川先生辺りが額に青筋を浮かべてそうだ。何故って仕事に追われて。 だから思わず訊ねてしまう。 「こんなに早く終業して不都合はないんですか?」 「問題ないよ〜。特にやる事もないからね〜」 「…そうなんですか」 どうにもこうにもこのゆったりとした時間の進み具合が落ち着かないのは、染み付いた習性というものか。 やる事がない。そう言われると余計にそわそわしてしまう。 「そんな肩に力入れてないで〜。自然体自然体〜。折角来たんだからゆっくりしていけばいいさ〜」 先ほど冨岡先生を一瞬で懐かせたのといい、この人は私のそういう気質も読んでいるのだろうな。 なかなかに侮れない。 「…そう、ですね」 「そうそう。じゃあ行こうか〜」 「…どこにですか?」 「歓迎会さ〜。これからやろうって皆と話したでしょう〜」 「すみません。覚えている限りでは聞いていないのですが…」 「あ〜そう?じゃあ今言ったから行こうね〜」 これは、誘いを受けるべきなのか。 今日1日、朝からほぼ移動に費やしたのと慣れない土地のため、疲れは顕著に感じている。 正直宿に入って一息を吐きたい程に。 だけどここに居られるのは限られた時間。たった4日だ。 人生は一期一会なんて言うし、ここは多少無理をしてでも付き合うべきなのかも知れない。 生徒の問題もあるため、そこに対しての情報も得たい気持ちもある。 少し考えに時間を要してしまったせいで、答えるより早く間に入るジャージを見上げた。 「行かない。必要以上に名前を他の人間の目に触れさせたくない。惚れられたりして何かあっては事だ」 間髪入れずにきっぱりと断ってはいるけれど、それが半分以上本音ではないというのも声色で伝わってくる。 この人は確実に、私の思考を読んだ。 だからこそ自分が悪者になる事で角が立たないようにしている。 そういうところが従順な犬と言える所以なのだろう。 しかし校長も一筋縄ではいかないと、この次に思い知った。 「だったら尚更さ〜。皆に奥さんだって紹介しといた方が移住する時も楽になるよ〜。狭い島では誰も人のものに手ェ出すとか馬鹿な事しないもんさ〜。それに今日皆に顔合わせしとけば新顔だってむやみやたらと話し掛けてくる島民も居なくなるよ〜」 人畜無害な笑顔は計算なのか天然なのか。全く読めない。 「…そうか」 冨岡先生がこんな短時間で言いくるめられてるのも、初めてな気がする。 それでも私の意思を確認するように見つめてくる群青色の瞳はブレないと思った。 「宿へのチェックインの時間があるので、その後でしたら」 「それも大丈夫よ〜。2人が泊まるところの宴会場使うから〜」 これは全部計算なのかも知れない。 随分と用意がいい。そう言い掛けた言葉は喉で止めた。 「うちの島、みんな歓迎会とか大好きなんさ〜。集まってお酒呑む口実が欲しいだけで警戒しなくても大丈夫よ〜」 「心配しなくていい。お前は俺が護る」 穏やかな笑顔と決意に満ちた表情、正反対の2人に見つめられ、これはまた何と返していいかを迷う。 心なしか、この2人からどこか近親感がした。何と言えばいいのか。察知能力の高さと、何事にも動じない強靱さが似ている。 「そう、ですね」 だからだろうか。咄嗟に一言しか返せなかった。 いや、圧倒されてる場合じゃない。 「会が始まるのはこの後すぐからですか?」 「ん〜?多分7時くらいにはぼちぼちみんな集まってくるかな?苗字先生達も適当に来たらいいさ〜」 「…わかりました」 数時間という短いものだけど、何となく思う。 この島の住民達は、時間についてかなりマイペースだという事を。 いい意味でおおらか。悪い意味ではルーズと言えばいいのか。 校長だけではなく、他の教員も果ては子供達も"時間"にあまり重きを置いていないというのを感じている。 それがここの特性なのかも知れない。 「じゃあ後でね〜」 そう言ってその場を後にする校長に頭を下げてから上げたと同時 「海に行きたい」 間髪入れない提案に思わず笑ってしまう。 「そうですね。まだ時間ありますし、寄り道がてら眺めて宿に向かいましょうか」 嬉しそうにキラキラしていく瞳は、何か明確な目的でもあるのか。 その疑問を発する前に 「この島は空が近い分、水平線に落ちる夕陽が綺麗だと聞いた。名前に観せたいし共に観たい」 若干傾きかけた陽を見上げる表情に、あぁ、好きだな、なんて唐突に思った。 何でって上手く説明できないけれど (私も義勇と一緒に観たいです) (観るだけでいいのか?お前が望むなら車内で) (それ以上は何も聞かない事にしますね) [ 162/220 ] [*prev] [next#] [mokuji] [しおりを挟む] [back] ← ×
|