good boy | ナノ
本気を出した犬、じゃない。冨岡先生ほど恐ろしいものはない。
さっき開始を告げたばかりの鬼ごっこ兼かくれんぼは、既に1年生2名と5年生2名を捕獲して、残り時間は25分。
場所そのものは不利ではあるけれど、それを補って余りある体力と思考力は明らかに冨岡先生の方に分がある。
本気で10分以内で終わらせる事も可能だろうと考えながら、冷たいお茶を一口飲んだ。

「いや〜、速いな〜若いな〜」

隣の椅子に座り、のんびりと紙コップを口に運ぶ校長。
私の分もどうぞと置いてはくれたが、さすがに冨岡先生が1人走り回っている中では申し訳ないので気持ちだけ戴いておいた。

そうこうしている間にも、6年生の1人を連行してくるジャージ姿に、新しく注いだお茶を差し出す。

「大丈夫ですか?」
「問題ない」

涼しい口調で答えてから、それを一気に飲み干すとまた校舎に向かっていった。

「あのジャージ教師やっべぇ!」
「見つかったら終わりだよね」
「こわかったよぉ…」

子供達の会話を苦笑いで聞きつつ、時計を確認する。
想像していたよりハイペースだ。
冨岡先生の探索能力は桁外れという事か。

「あと4人ですね」

独り言に近い呟きは、校長ののんびりとした笑い声で途中から掻き消された。
「すごいねぇ。さすが噂のキメツ学園の教師だ〜」
「…噂の、とはどういう…?」
訊いていいものなのか迷ったせいで、たどたどしくなってしまう。
「そんな警戒しなくてもいいさぁ。いい意味だよ〜。この間、教育実習生への指導評価も学校長の中で評判良くってね〜。これはもう助けてもらおうって思ったんさぁ」

"助けてもらおう"とは、具体的に何を?

訊き返そうとした衝動は、生徒達の手前抑えたけれど、
「なぁ、みんなぁ?」
同意を促す校長と、頷く上級生らに若干眉は寄った。


good boy


成程。
話を聞き終えた後、納得したとほぼ同時だった。

「あと何人だ?」
両脇に抱えた3人を粗雑にこちらへ引き渡す冨岡先生には目を丸くする。
「…あと、1人です…。早い、ですね。3人いっぺんに捕まえたんですか?」
「俺の動きを止めようと罠を仕掛けていたらしい。雁首を揃えていたため返り討ちにしてきた」
「おおよそ教師とは思えない発言ですよ…」

あとは例の3年生の男の子か。
残り時間は18分。このまま冨岡先生の勝利は揺るがなさそうだ。

本気で悔しがっている子供達に、申し訳ない気持ちが沸き上がったのは一瞬。
「でもあいつなら捕まらないんじゃない?だってさ」
「シッ!言っちゃだめ!」
そわそわしている空気に期待するほどの何かがある。そう確信を得た。
またすぐに走り出そうとする背中へ名前を呼んで制する。
「冨岡先生」
「水分ならまだ大丈夫だ」
「そうですか。…いえ、そうではなくて、恐らく一筋縄ではいかないところに身を潜めていそうです。念入りに探してみてください」
周りに聞こえないよう耳打ちすれば、少し驚いたように目を見開いた。
「…どうしました?」
「突然近付いて来られたから…、口移しされるのかと思った」
「大丈夫です。それはナイです」
「そうか。人前だからか。2人きりになった時を楽しみにしてる」
「いえ、2人になってもしませんよ?」
この人ランナーズハイみたいになってるな、さては。
「終わらせてくる」
また若干、鋭い目を校舎へ向けたと思えば走り出す姿はやっぱり犬だ。
この勢いなら匂いで見つけられそう、とも考えたけれど、それはさすがに有り得なかったらしい。
制限時間の10分を切っても戻ってくる気配がない。
苦戦を強いられているのだろうか。
憂慮が募るこちらとは違い、子供達が醸す空気は段々嬉々としたものになっていく。

「…やっぱさぁ」
「ね」

内緒話の肝心のところは聞こえてこないが、顔を綻ばせているのは相当な自信があるように見受けられる。

「そんなに見つかりにくい場所があるんですか?」
「あのね、きゅうむぐっ!」
素直に答えそうになる女の子の口を塞ぐと
「知らなーい。教えなーい」」
間髪入れず誤魔化す6年生はさすがだ。

だけど今、確かに"きゅう"と聞こえた。

給湯室は生徒が入れる場所ではないけれど、在校している教師が協力すればなくはないか。
先にそちらをあたってみるとして、あと学校で"きゅう"が付く場所と言ったら―…。
考えている間にも時間は進んでいく。
これは私も参戦した方がいいだろう。
足を動かした瞬間、不穏な空気を察したのか
「え!?どこ行くの!?」
慌てた様子で引き留められた。
「校舎に向かいます」
「子供相手に2人がかり〜!?卑怯じゃない!?」
「卑怯ではないです。最初から"私達"と言いましたから」
「大人げねーな〜!」
「大人げなくもなります。ジェラート代がかかっているので」
「ケチーッ!」
「ケチでも何でも結構。教師の薄給で何千円という出費は痛いんですよ」
眉ひとつ動かさず言い切った私の態度の悪さに、校長が何も咎めようとしないのは、こちらの策略を読んでの事なのだろう。
次々と悪口が発されるのは一切無視して校舎内へと向かった。

1ヶ所しかないという出入り口で靴を履き替える。
学年と名前が書かれたロッカーに外履きが入っている辺り、この中に居るのは間違いない。
だから冨岡先生のスニーカーもこの場所にある。
しかし狭い校内とは言え、今現在どこに居るかまではわからない。スマホを取り出して、耳へ当てた。

『くまなく捜索したが発見に至らない』

繋がったと同時、即座に報告してくるのも、私の行動を読んでの事だろう。
「冨岡先生、今どちらにいらっしゃいますか?」
『2階の職員室だ。ここまで見つからないとなると他の教師が匿っている可能性を考えたが、どうやらそうではないらしい』
「そうですか」
当たろうと思っていた選択肢は早々に消えた。

となると―…。

「冨岡先生、捜索している間、どこかで給食室は見かけましたか?」
『1階の突き当たりにあったが…、鍵は締まっていた』
やっぱり存在していたか。それならそこの可能性が高い。
しかしその突き当たりが今進んでいる方なのか、それとも反対なのかが悩みどころだ。
『昇降口から先ほど通り、右に進んだのならそのまま真っ直ぐ行けばある』
一瞬の沈黙だけで、こちらの考えを見抜いた返答はさすがだ。
「わかりました」
『俺もすぐに向かう。待ってろ』
言うが早いか切れた通話の後、私が着く頃には冨岡先生は既にそこに居て、念入りに銀色の扉を調べていた。

「大丈夫ですか?息が上がってますけど」
普段より少し大きく動く肩に気付いて眉を寄せる。
「職員室からここまで全速を出したためだ。すぐに治まる」
引き戸に手を掛けても先ほど聞いた通り施錠されているため、そこから開く事はない。
填め込まれた窓から中の様子は窺えるけれど見たところ、どうやらこの部屋は長い事稼働していないようだ。
その証拠に流し台から作業台まで、全てが白い布で覆われている上に少々埃も溜まっている。
昨今の少子化と過疎化で必要としなくなったのか。その背景までは読めないけれど、とにかく周辺に、あの子が身を潜めている。
しかしこの部屋以外には、隠れるのに適している場所も物もないので、やはりこの中、という選択肢しか浮かばない。
だからこそ子供達は"見つからない"。そう自信を強く持っていた。

「ここ以外でどこか入れる場所があるんですかね…?」
外と繋がる窓はあるけれど、ここから見る限りではそちらもきちんと施錠されていて、とても入り込めそうにない。
奥を注視しようと更に近付いたと同時、捕まれる肩で振り返った。
「俺が見る」
「冨岡先生、そんなに心配しなくても「何が起こるかわからない。お前は俺の後ろに居ろ」」
不覚にも、ドキッとしてしまった。
この状況で心臓をときめかせている場合じゃないのはわかっているので、態度に出さないけれど。
この人はホントにしれっとカッコイイ事を言う。その逆もまた然りだけど。
「…お願いします」
後ろに下がる私と入れ替わり、中を覗き込んだのは数秒。動きを止めた冨岡先生に問い掛ける前に外されていく窓部分に目を疑った。
「透明の板が填め込んであるだけだ」
「…成程」
ぽっかりと開いたその部分に手を掛けると身を乗り出す背中に続こうとした動きは
「ここで待ってろ」
一言で制止された。
部屋に踏み入れていく姿が見えなくなって、どうにも手持ち無沙汰になるのを思考を巡らす事で解消する。

無造作に戸に立て掛けられた板は随分と薄い。それこそ、こうして軽く触るだけでしなってしまうほどに。
こんなものが元々ここに填め込まれていたとは考えにくい。
もしかして稼働されていない分、生徒達の遊び場のようなものになっていたのか。
でもそれだと、そのまま置かれた調理器具は危険すぎる。おおらかとは言え、校長が許しているとは思えない。


「名前!避けろ!」

その声が聞こえたのは、中からガタガタと大きな物音が聞こえたのと同時だった。

置かれた状況を飲み込む前に、目の前に現れた幼顔と思い切り正面衝突していた。

ドンッ!

衝撃音と痛覚が走ったのも、ほぼ同時な気がする。
思い切り床に打ち付けた背中はどうしようもなかったけれど、後頭部だけは無意識に庇っていたらしい。

「…大、丈夫ですか?」

その小さな身体も。

「苦しい!」
「…あぁ、すみません。失礼しました」
抱き留めるのに必死で力の加減が出来ていなかった。
両腕を弛めようとするより早く、背中を鷲掴みにすると片手だけでいとも簡単にその子を立ち上がらせる冨岡先生。
お礼を言う前にドス黒く放たれるオーラに息を呑む。
まぁ、原因はわからなくもないけれど。
「俺の名前に抱き着いたな…」
「事故ですよ。落ち着いてください」
「抱き着いただけでは飽き足らず胸に顔「さぁ捕まえました!今何時でしょうね!」」
わかっているのでこれ以上いたいけな子供の前でその類の発言をさせてはいけない。
怒る気持ちはわかる。それは仕方ない。冨岡先生だから仕方ない。だけど彼は悪くないので、早々に本来の目的を思い出してもらうため時計を確認した。

「……あ」

上がったのは、意図的ではない驚きの声。
2人分の視線が浴びせられて、何と伝えようか瞬時に考える。

「残念ながら」

どちらにも取れるような発言の後、敢えて間を作った。
結果を勿体ぶってしまうのはそれぞれの瞳から高まる期待値が伝わるからなのと、一向に戻ってこない私達に痺れを切らしたであろう生徒達が走ってくる足音を聞いたためだ。

「あ!」
声を上げたのが、誰かはわからないけれどその次に続く
「捕まったのかよ!?」
若干の非難を宿した声は5年生の子のものだろう。

「捕まえはしましたが、30分を過ぎてしまっていました。私達の負けです」

最後まで言い終わらない内に響いた歓喜の叫びに、上げるつもりのなかった口角は少しだけ動いてしまう。

「やったー!!ジェラートぉ!!」
「良くやったお前!!いつもの脱走グセが役に立ったな〜!!」
「ありがとーっ!ほんと嬉しい!」

力強く肩を抱かれ、生徒達の中心に収まる彼が困惑しながら照れ臭そうに零した笑顔につられた、という事にしておこう。

しかし、こちらはこちらで機嫌を損ねていないか心配な人物が1人。
「すみません。冨岡先生」
さっきの不慮の事故も手伝って、さぞかし急降下しているかと思えば
「仕方がない。負けは負けだ」
あっさりと引き下がる涼しい横顔は、やはりこちらの狙いを確実に読み切っている。

「代わりに後でお前をめちゃくちゃに乱れさせるのを楽しみにしてる」

すれ違いざま上手く周りの喧噪に紛れて囁かれた内容は、とても恐ろしいものなのに耳打ちで良かったと思ってしまった。
ちょっとだいぶズレてきている事を自覚し直している。
いや、さすがにこの子達には聞かせられないので、そこは間違ってはいない。

「先生!さっき罠かわした時めっちゃかっこよかった!名前なんていうの!?」
「走るのもすげー速かったよな!何食ったらそんな速く走れんだ!?」

テンションの上がった生徒達から一斉に囲まれ
「冨岡義勇だ。食べ物と俊足はそれほど因果関係はない。強いて言うなら鍛える。それだけだ」
律儀に応答しているその距離の縮まり具合も。

「とみおか先生相手に逃げ切ったってすごいよね!」
「すっごーい!」

改めて称賛を浴びる表情は先ほどより柔らかくなっていて、終始それを眺めていた校長はのんびりと言った。

「だから最初から鬼ごっこかぁ〜。ふんふん。すごいな〜秀逸だな〜」

こちらの意図を正確に読み切っているからこそ、特別授業などという自由を許してくれたのだろう。

さすがキメツ学園の教頭と校長を育てたという方だ。
だからこそ生半可な覚悟でも挑めないし、中途半端な結果では帰れない。
期待に応えなくては。

改めて決意し直したところで、引き寄せられる肩にバランスを崩しそうになった。
「…冨岡先生?」
まるで守るように盾になった険しい表情に眉を寄せる。
「大丈夫さ〜。苗字先生が優秀だからってこっちに引き抜いたりはしないよ〜」
「言質を取ったと捉えるが後悔しないか?」
「いいさ〜。いやぁ、その秀才さは冨岡先生が居るからこそのもんだと僕は思うから、出来れば2人一緒にここに来て欲しいかな〜。どうせなら。この島ならほとんど年寄りしか居ないから何の心配もなく夫婦生活を送れるし、子育てものんびり出来るさ〜」
人畜無害な笑顔を受け、表情がキラキラしていくのを確かに感じて、瞬時に思った。


あぁこれは懐いたし懐かせた


(……。確かに悪くない。考えておく)
(わぁ、嬉しいなぁ。島に若い人が増えるのは大歓迎さ〜)
(すみません。さすがに住むのはちょっと…)


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