「と、いうワケで!お願いします!冨岡先生!」 パンッと音を立てて合わせた両手と、深々と下げた頭を目端で捉えながら、キーボードを打っていく。 何と答えるのだろうか。聞き耳だけ立ててみるのは、それが凄く興味深い案件だからだ。 まぁ予想するに 「断る」 だろうな。心の中でだけ苦笑いをする。 「そんなぁ!あと残ってるの冨岡先生と苗字先生だけなんですよー…」 チラリと向けられた視線は、気が付いていないふりで文字を打ち続けた。 こちらにその火の粉が降りかかるのは、正直避けたい。 「去年、先輩が作った密着新聞見ました?」 「見ていない」 「不死川先生、通称シナセンの3日間!もう大好評!大反響!だったんです!私もそんな感じでいきたいんですよ!お願い!トミセン!」 もう一度合掌する姿は必死で、僅かばかり心も痛くなる。 此処で私が名乗り出て、その要望を快諾出来たらとも思うけれど、それも土台無理な話。 まず第一に、この涼しい顔で断り続けている"トミセン"の機嫌が急降下する。下手すれば暴走だ。 だから私は今、同僚として、教務主任として、一切の反応を示してはいけない。 「だったらもう一度不死川に頼めば良い。何と言われようが俺は無理だ」 取り付く島がない。 そう悟ったのか、シュンとしていく表情に胸を痛めたのはほんの一瞬。 「じゃあ苗字先生に密着し「駄目だ。それなら俺にしろ」」 完全に自ら罠に掛かりにいったトミセンと、してやったりと顔をする生徒に盛大な溜め息が出てしまった。 「じゃあ明日からよろしくお願いしまーす!」 嬉々とした背中を見送ってから、若干機嫌が下降した横顔へ視線を向ける。 「大丈夫なんですか?」 そう訊いたのは他でもない。今の案件についてだ。 「3日なら何とかなる。お前に付き纏われるよりはマシだ」 パソコン画面を見ながらだけど、その瞳は真剣なもので、返せるのは苦笑いだけになった。 先程、職員室にやってきたのは、写真部の今年度部長。 彼女は神妙な面持ちで冨岡先生の傍に来たと思えば 「校内新聞で取り上げさせてもらえませんか!?」 そう言って頭を下げた。 キメツ学園では毎年、新年度になるとPTAの広報委員会が作成する教師紹介と連動して、1人の教師にスポットを当てる校内新聞が写真部によって作られるらしい。 これまでは、学園での1日という、当たり障りない部分だけを取り上げたそれも、去年の部長によって、密着新聞と名が書き換えられた。 内容も3日間、朝から晩までのルーティーンを文字通り密着し、取材するというもの。 その記念すべき第一号に選ばれたのが、生徒人気の高いシナセンこと不死川先生。 当時の私は、そこに一切関与していなかったため全く記憶にないが、先程部長によって力説されたのは、いち教師の意外な一面が見られるという、その魅力。 実際、強面の不死川先生が昼夜兄弟達のために休む間もなく翻弄される姿に、多くの生徒が涙し、シナセンを慕う生徒が爆発的に増えたという。 今回、冨岡先生にスポットを当てようとしているのは、今まで校内新聞で取り上げていない、というか強暴なせいで取り上げられなかったのが、この1年で突然柔軟になった指導姿勢に、多くの生徒から興味が注がれている、といった期待からだ。 「頑張ってくださいね」 正直、それしか声を掛けられないな、と思う。 その一言には、色んな感情も混ざってるな、とも。 単純に3日間、他人に見られるという負担は勿論、その間、冨岡先生と私はあくまで同僚という立場を貫かなくてはならない。 生徒の大部分には知られているとはいえ、普通ではない日常を公にすれば、教育委員会 で問題にされる前に、免許の剥奪が決定するだろう。 だから、頑張ってください、それしか私からは言えない。 「褒美はあるか?」 期待に満ちた瞳に、言葉を詰まらせてしまうのは、良い予感が全くしないためだ。 正直何を所望してくるか予想した所で、こちらの斜め上を遥かに凌駕してくる。 考察するだけ無駄だけれど、容易に首を縦にも振れない。 「ご希望は?」 だから敢えて質問で返す。 見つめ合ったまま時間が過ぎた後、 「まだ決めていない」 その返しは、これまた新しいな、なんて考えた。 いつもならすぐに願望が口を突いて出てくるのに、すぐに思い浮かばないという事は、少なからずこの状況に満足感を得ているという事だろうか。 そう思うと、飼い主兼恋人としては嬉しい限りだけども。 「じゃあ考えておいてください」 「わかった」 「あ、余りにも現実的じゃないものは無理ですよ?」 「それもわかってる」 それだけで黙って仕事に向かう横顔を、普通にしてればやっぱりカッコイイ部類に入るんだよな、と冷静に分析しながら眺めた。 good boy 数人の教師に「お疲れ様です」と声を掛けつつ、時計を確認したくなる気持ちを抑えながら文字を打ち続ける。 今時刻を見た所で、溜め息が出るだけなので、余計な事はしない。 これは久し振りに戸締りを確認する事になるかもと、脳が考えた瞬間に、結局溜め息が出ていた。 「見回りを終えた」 校内の点検表を片手に戻ってきたジャージ姿に、一度顔を向ける。 「ありがとうございます。助かりました」 バインダーを受け取って、軽く目を通してから、それをひとまず校閲書類が入っているプラ籠へと置く。 「他にする事は?」 「そうですね。…今日はもう、大丈夫です。また明日お願いするかも知れません」 「わかった」 「お疲れ様でした」 暗に帰宅を促す挨拶も、傍らに立ったまま動かない冨岡先生へもう一度視線が向かう。 「どうしました?」 「遅くなるか?」 「えぇ。今日は夏期補習の件も煮詰めておきたいので。ちょっと一緒に帰るのは無理ですね」 「家で待っていたい」 この状況で、その要望は初めてなので、意味を考えてしまった。 「良い、ですけど」 平日にそう言ってくるのは珍しい。それも同時に浮かんだお陰で、返答に迷いが出たものの、あぁ、明日からの"待て"があるからか、と納得はする。 差し出された右掌に、鞄から取り出した鍵を乗せた。 それだけの事なのに、上がる口角が素直で嬉しそうで、わかりやすい。 そろそろ合鍵なんてものを渡してみて良いかも。自然とその考えに至った。 「此処から出る時に一言で良い。LINEをくれ」 「…わかりました」 意図は読めなかったけれど、拒否する必要もないのでひとまず頷けば、満足そうに帰路へ着く背中を、ただ見送る。 LINEを送る意味、とは? 思考を巡らせながら、画面を向き合った矢先、キィッと引かれた椅子と 「アイツもけっこー過保護だよなァ」 呟き声で、後ろを振り返った。 「冨岡先生ですか?」 「そォ」 今の何処にそう感じる要素があったのか。疑問を眉で表した私に四白眼が少し驚いてる。 「何だァ、お前、今のわかってなくて承諾したのかァ?」 「…まぁ、そうですね。連絡する位ならと深く考えませんでした。どういう意図があったんですか?」 「苗字に何かあった時の標になるように、じゃねェの?こっから出た時間逆算すれば、いつ位に帰って来るとかわかっから、大体の目安になんだろォ?」 「…あぁ、成程。そういう」 だから、過保護と言ったのか。 「良くわかりますね。不死川先生」 「弟達にいつも言ってからなァ」 それだけ言って、またデスクへと向かう背中に、成程というのは心の中で返す。 ひとまず仕事をしなければ、と手を動かしつつ、訊ねてみた。 「そういえば不死川先生、去年の密着新聞ですが、どのような流れだったか覚えていらっしゃいますか?簡易的なもので良いので、頭に入れておきたいのですが」 「あ?もしかしてお前が受けんのかァ?」 「いえ、私ではなくトミセンが」 何となく口に出した呼び方に、背中越しから笑いを堪えてるのが聞こえてくる。 「違和感しかねェ…」 「それは失礼しました」 少しの間の後、咳払いしてから話が続いた。 「流れも何もただ朝から晩まで周りちょこまかしてくるだけだァ」 「そのちょこまかしてくる相手と、朝から晩までというのは?」 「あ?部長、が、起きてから寝るまで」 当たり前に言いのけるものだから、思い切り眉を寄せてしまったし、打ち損じも起こしてしまう。 「泊まり、という事ですか?」 「俺の時はって話で今年はどうだか知らねェけどなァ」 直したつもりなのに、また同じミスをしてしまって手を止めた。 「最終日なんざ弟が別れたくねェって大変だったんだけどよォ」 思い出しているのか、若干柔らかくなった口調を聞きながら、全く違う事を考える。 それは、流石にまずいのでは? 去年の部長はともかく、今年は女子だ。 しかも不死川先生のように、ご家族で暮らしているならまだ倫理的に問題も感じないけれど、冨岡先生の場合、完全な単身な訳で、そこに女子生徒が泊まるなんてアウトどころじゃない。 これはもう、教師、同僚、飼い主、恋人、どの観点から見ても、どうにか回避させなくては駄目だ。 とにかく仕事を終わらせる。今はその一点に集中しよう。 そう決めて無にした頭の中、 「何か急に怖ェんだけど…。どしたァ?」 思いっ切り引いてる声で訊ねられ 「ちょっと大事な用事を思い出しまして。1分1秒でも早く仕事を終わらせようとしています」 それだけを返した。 大事な用というのは他でもない。飼い主の帰りを待つ犬だ。 明日からの密着取材、どうにかこうにか変更の手筈を整えなければならない。 それが半分以上、私情からくるものだというのは取り繕ってもすぐにバレてしまう。 だからといって、素直に言える性格でもない。 歩きながらも頭は勝手に算段を立てていて、LINEするのを忘れていたと気が付いたのは、505号室の扉を開けた時だった。 「…ただ、いま」 言い慣れていない台詞だからか、たどたどしくなってしまう。 明かりは点いているものの、姿がないので当たり前に答えは返ってこない。 やけに静かだなと思いながら、真っ直ぐリビングへ向かった所で、寝室の方から何やら声が聞こえてきた。 誰かと話してる?いや、多分口調的にこれはいつもの独り言だ。 私が帰ってきたのに気が付いてないんだろうな。 いきなり現れたらビックリするかも知れないと、何となく音を立てないように覗いた先、思わず目を窄めた上に 「何してるんですか…」 呆れに満ちた声でそう言ってしまっていた。 ビクッと身体を震わせたのは、ちょっと珍しいとも感じる。 こちらに向けられた群青の目と見つめ合って、まるで飼い主が居ない間に悪戯している犬みたいだなと考えたら、何処か仕方ないと諦めてしまいそうになった。 「何してるんですか?」 一応もう一度訊ねてから、開け放たれた3段目の引き出しと、両手に持っている透けた暖簾ならぬネグリジェへ視線を動かす。 この状況では本当に何をしているのか考えようとしても理解が追い付かないので、直接訊いた方が早い。 下着泥棒、という選択肢は早々に捨て置くけども。一応恋人同士だし、流石の冨岡先生でも、それはしないと思う。多分。 「考えていた」 「何をでしょう?」 「これを名前に着させる方法と次に買う下着だ」 「…成程。それに至った経緯は?」 「これまで4つの下着のうち、名前は紺色と誕生花、この2つしか身に着けていない。どうにも悪女系下着はまだ勇気が出ないと見受けられる。ならばもう少し、この中間の物を購入し徐々に慣らしていけば良いのではないかと算段していた」 「そういう事ですか」 何というか。あぁ、そうなんだ、としか思えなくなってる自分が複雑だ。 行動は明らかに普通ではないのに、理路整然と説明をされると納得せざるを得なくなる。 「随分早いな」 「ちょっと急ぎ目で終わらせてきました」 「LINEも来ていなかった」 「…あぁ、すみません。考え事していたので忘れてました」 「まだ荷物を全部運んでいない」 思わず首を傾げそうになった。 「荷物って、何のですか?」 「此処で暮らすにあたって必要なものだ。下着の選別に時間を掛けすぎたか…」 引き出しの中に落とす視線に倣って、そこを覗き込んでみる。 「…何してるんですか…」 本気で理解が追い付かないと、これしか言葉が出てこなくなるらしい。 明らかに私の下着が減っている上に、その代わりといったように何故か冨岡先生の下着がそこにしまわれている。 「持ってきたは良いが入れる空間がなかったため作った。お前の下着は俺の部屋に運んである」 「…まさかの下着泥棒してたんですね…」 「盗んではいない。移動させただけだ。そうしておけば俺の部屋に来た時に困らずに済むだろう」 「まぁ…そう、なんですけど」 それを持ち主の承諾なく運ぶって事が問題なんだけども、って言っても多分、というか絶対全く効かないんだろうな。 「あとはジャージと、名前1号と2号を連れてくる」 ひとまず下着に対する考察は中断したようだ。 閉められた引き出しよりも、早々に出て行こうとする背中に目を丸くする。 「ドラセナとぬいぐるみまで持ってきてどうするつもりですか?」 「決まってる。明日からの取材に必要だからだ」 今度こそ、文字通りに首を傾げた。 駄目だ。これは全くついていけない。 「すみません。冨岡先生の頭で構築されているシナリオを、不肖私にも理解出来るように教えていただけますか?」 つい遜った言い方になってしまった、と思った所で、立ち止まった背中が振り向く。 「名前は不肖じゃない。心の隅で気が付いてはいるが、確証を得たいだけだろう?」 真剣にそう返されてしまって、これはまた相当買い被られたものだと苦笑いが零れる。 「今回は本当にわかりません」 「そうやって自分の能力をひけらかさない名前も好きだ。愛おしい」 「…それは、どうも…。ありがとうございます」 「明日に備え、今日は此処に泊まる。もし万が一、3日間お前に触れられないという最悪な事態を考え念のため英気を補給しておきたい。その際、名前には上に乗って欲しいんだが、これは褒美として消化されるのか。それを先に問いたい」 「それはご褒美として認めません無理です。お訊ねしたいのは今日この後の願望ではなくて、どうして私の部屋に着替えなどを持って来るんですか?っていう一点なのですが」 「不安要素を取り除くためだ」 即答してくる群青の瞳が真っ直ぐこちらを見ていて、良くわからないけれど、真剣に考えての行動なのだろうな、と考えた。 「去年、不死川が取材されていた時は、昼夜問わず、家にまで纏わりつかれていた。俺がそれをされるとお前が不安になるため、それを避けたい」 「お気遣い、ありがとうございます」 私がどう思うか、考えてくれたのだろうな。この人なりに。 それは素直に嬉しいと思う。 「しかし俺の家に入れないとなると、あの生徒の性格上、お前の部屋に転がり込む恐れがある。だからその選択肢を潰そうと考えた」 「…私の部屋、ですか?」 思わず面を食らってしまう。正直そこまでの予測はしていなかった。いや、出来ていなかったというべきか。 どうにか、冨岡先生の部屋に女生徒が宿泊するという案件を回避したい、それだけに捉われてしまっていたから。 この間といい、どうにも視野が狭くなってしまうな、という自覚が改めて沸いた。 「どうにか名前が隣人だという事実は隠し通したかったが、どう仮説を立てても無理だという判断に至った。それなら同棲している設定とした方が、何かと都合が良い」 「…そういう事ですか」 確かに理に適っているとは言える。 同棲しているとすれば、流石に泊まり込みの取材は遠慮してくれるかも知れないし、強行されたとしても、この部屋、更に私が居れば、倫理的な問題もクリア出来る。 「…良く、考えましたね」 「偉いか?」 疑問符が付いているのに、差し出してくる頭に小さく笑った。 「偉いです」 よしよし、と撫でた手は 「ならばその褒美で上に「駄目です」」 遮った言葉と一緒に止めるしかない。 むぅ、と唸る声は聞こえないふりで話を戻した。 「でもそうすると、私達が付き合ってるっていうのが公然となる訳ですよね…」 それもそれで、問題ではないかと疑念が沸いていく。 今までは、"付き合っているのではないか"という漠然とした噂のようなもので、私達当人が認めた訳ではない。いや、冨岡先生が個人的に訊かれた時までは正直把握していないけれど。 でも言質をとった、という話までは至っていない。 だから、何というか気持ち的にセーフというか、限りなく黒に近いグレーゾーンで踏ん張っていられたし、特に問題も勃発しなかった。 それをはっきりと"交際しています"と、校内新聞で大々的に発表してしまうのは、社会人の常識としていかがなものかと懸念が生じる。 生徒だけならともかく、それを通じて保護者が知った時、反感を買わないという保障は何処にもない。 「お前が渋ると思い校長に確認し、承諾は得た」 「…良く許しましたね。絶対反対されると思ったんですけど」 「婚約者としてなら構わないそうだ」 「…そう来ましたか…」 思わず頭を抱えたくなったのも、眉を寄せたのも、もはや条件反射で癖なんだけども、 「…嫌なのか?」 その表情が見る見る内に哀し気なものになってしまったのには、少々慌てて口を開く。 「いえ、嫌ではないです」 ただそれだけでは根本的な問題解決にはならないんだよな。 その言葉は、キラキラしていく瞳によって、自然と喉の奥に引っ込んでいた。 外堀に埋められにいく (飼い主兼恋人兼飼い猫兼婚約者か。良いな…) (ひとまずは、ですよ) (わかってる。記念に上に乗っ(嫌です無理です)) [ 146/220 ] [*prev] [next#] [mokuji] [しおりを挟む] [back] ← ×
|