明るく人懐っこい彼女は虚像。 そう仮定して、考察と観察をしていると面白い事に、当て嵌まるものがいくつもある。 自分で自分を撫でる癖。 卒業式の前準備、自分だけコサージュがないという不安から来る狼狽。 言い合いになった時、反論されるとすぐに黙り込んで去っていくのもそうだ。 私と冨岡先生の関係を壊したいと言ったのは、多分、彼女の本音そのものではなくても、心情は一番近いだろう。 人懐っこく見せようとする表側と、人間を嫌う裏側が犇めき合っている。 もしかしたら、どれが本当の自分か。 彼女はそれすら、見失い始めているのかも知れない。 「煉獄先生〜!さっきの授業で集めたプリントで〜す。ど〜ぞ〜!」 「うむ!かたじけない!!君の声は良く通っていて素晴らしいな!!腹式呼吸が上手い!!」 「えへへ〜!ありがとうございま〜す!」 ニコニコとしながら席に戻る表情が、私を見止めた事で険しいものへと変わっていくのに気配で察知したが、パソコンの画面に集中しているふりをした。 good boy 結局私と冨岡先生が此処、キメツ学園に到着したのは2限目が始まった頃。 職員室に入るなり押しかけてくる教師陣に、まず倒れてもいないし病院にも運ばれていない事を淡々と説明してから、謝罪をした。 私がいつも通りなのを見て安心はしていただけたらしく、納得してデスクに戻っていく教師陣の中、自席に座ったまま、こちらを見ていた彼女。 私と目が合うと、ふい、とわかりやすく顔を逸らすだけで、そこから何も、会話という会話はしていない。 正直、何を話せば良いのかわからない、というのが本音だ。 その姿が虚像だったとしても、私がそれに触れれば、どんな形であれ彼女は傷付く。 傷付けたその先の責任を、私には取れない。 上手い言葉を掛けようとすれば、それこそ彼女は感知して益々敵対してくるだろう。 あの時、自分に渡されたコサージュが元々私の物であったと瞬時に見抜いたように。 「苗字先生、印刷機の回収の方が来ていらっしゃいますけど、立ち会い大丈夫ですか?」 扉の方から声を掛けられ、そういえばもうそんな時間かと思いながら 「大丈夫です。ありがとうございます」 小さく頭を下げてからコミュニティルームの鍵を手に、職員玄関へと向かった。 「苗字先生!お世話になっております!」 深く頭を下げてから向けられる笑顔の後ろ、同じく会釈をする2人の作業員。 軽く頭を下げ返してから口を開いた。 「お世話になっております。本日は回収だけだとお聞きしていましたが?」 「おわ!すいません!今日僕も立ち会い出来そうだったんで伺いますって朝メール入れたんですけど…!ご迷惑でしたか?」 「いえ、こちらこそ申し訳ありません。メール確認を怠っていました。どうぞ」 「失礼いたします!」 後ろをついてくるその気配は嬉々としたもので、何をそんなに舞い上がっているのかと思えば 「あの印刷機、調べてみたら現存している最後の1台なんですよ」 訊かなくても与えられた答えに、成程、と心の中で納得した。 「そうなんですか」 「それ知ったら僕もどうしても回収に立ち会いたくなっちゃって…すいません突然…」 「いえ、お気になさらないでください」 「出来るなら現役で動いてる所を見たかったんですけど…こればっかりは仕方ないですよね…」 階段を下りた所で授業終わりの冨岡先生と鉢合わせた事で、止まったその足に 「お疲れ様です」 軽く会釈をしてから通り過ぎる。 「あ、こんにちは」 背中で聞こえる声にふと振り向いてから、3人に紛れてついてくるジャージ姿を見なかった事にして歩を進める。 「…あの、苗字先生?この方は…」 「体育教師兼生活指導の冨岡先生です。きっと目的地が一緒なんでしょうね。気にしないでください」 「あぁ、そうなんですね!昨日もコミュニティルームの前に居ましたもんね!」 ばっちり覚えられてた…。 とにかくその部屋の鍵を開けると電気を付ける。 「んーと、ひとまず運ぶ導線を決めましょうか」 「そこの窓からは?これ、カーテン開けて良いですか?」 「どうぞ」 「此処からだと1回持ち上げないと運べないっすね」 3人が忙しなく動き始めたのを眺めながら邪魔にならないよう隅へ寄ると、自然に隣に肩を並べた冨岡先生に視線を向ける。 「…何で来たんですか?」 周りに聞こえてしまわぬよう、出来るだけ小声で訊ねた。 「飼い主の護衛だ」 「護衛って…」 「男3人に密室が作れる部屋。名前の危機的状況以外、何物でもない」 「流石にそれは深読みし過ぎでは?皆さん仕事で来てますからね?」 「いつ何処でどうなるかわからない。この間もそんな状況を見た」 「…え?見たんですか…?それはちょっと…確かに警戒しますね…」 「あぁ、学園物のAVはそういう展開が多い」 「………」 何だろう。 この人と話してると本当に、虚無を感じる。 「安心しろ。そんな設定の広告を見たというだけだ。お前以外の裸は見ていない」 「私職員室戻りますね。冨岡先生、後はよろしくお願いします」 逃げようとする前に、トップスの後ろを掴まれて眉を寄せる。 「駄目だ。行かせない」 言い終えるや否や、ふふと小さく笑う横顔に若干ではない恐怖を感じた。 「…何ですか?」 「今の台詞は最高に良いものだと思った」 「…ご自分で言っておいて何興奮してるんですか…」 寝不足のせいか良くわからない方向に向かってると、溜め息を吐いた瞬間 「すいません、小窓じゃなくて外に出られるような窓とか扉とかってこの部屋の近くにありますか?」 向けられた質問にドキッとしてしまう。 「それならこの右隣に掃き出し窓があります」 「確認しても良いですか?」 「えぇ、こちら」 です、と言う前につんと引っ張られる感触に眼力だけを返せば、大人しく放された事で歩を進めた。 学習室の扉から直進した先にある、外へと続く窓。 「此処を導線として取って…一度窓と扉を外させて貰って大丈夫ですか?」 「大丈夫です」 「あと、そっちの窓側の方に出来る範囲で良いので車で乗り入れるのは…」 「構いません。今の時間でしたら生徒達も外に居ないので」 「ありがとうございます!そしたら先に車入れちゃいますね」 テキパキと動いていく姿を見送って、一度コミュニティルームへ戻る。 此処から運んで隣の学習室を経由し外に出す。 という事はこの扉も外さなくてはならないか。 桟から取り外そうとした所で、スッと両手が伸びてきて、あっという間に扉が取り外された。 「ありがとう、ございます…」 それを壁に立て掛けると、不満そうに目を細める冨岡先生。 何故、頼らないのか、と、表情からそれがひしひしと伝わってくる。 「…こちらの扉もお願いしても良いですか?」 申し訳ないとは思いながらも学習室の扉を指で差せば、無言でそれを外すと壁に立て掛けていく。 「という事はあの窓もか?」 視線を向けた先、外に繋がる掃き出し窓に小さく頷く。 「出来ればお願いしたいです」 「わかった」 これまたいとも簡単に外していくものだから凄い、としか言えない。 「おわ!は、外してくれたんですか!?すいません!」 窓側につけたトラックを誘導していたその姿が戻ってきたかと思えば驚きに満ちていて、冨岡先生はそれを一瞥するとこちらへ戻ってきた。 「運ぶのは僕達でやるので…」 その言葉を聞いているんだかいないんだか、表情からはわからない。 返答しない事から、会話をする気はないのかも知れないとふと考える。 それでもコミュニティルームへ戻った際、あれから一切触られていなかった印刷機の前に立った彼が 「…良く頑張ったなぁお前。お疲れ様」 小さく呟くと優しくそれを撫でたのを見つめる瞳が一瞬、温かいものに見えた。 「…現役で動く所が見たいと言っていたな」 私の返事を聞く前に印刷機の前に立ち、電源を入れる。 「…あの…?」 当たり前に困惑する彼とは対照的に冨岡先生は 「お前の運が良ければ見られる」 その一言だけを返した。 早々に鳴り響くエラー音を掻き消すように、フロントカバーを勢い良く開け、インクが入った引き出しを素早く出し入れしてからカバーを閉めると同時に本体の右下をガンッと音を立てて蹴り上げる。 圧倒的な早業に、息を呑む暇もなかった。 そうして一度止まった機械音が、暫くしてからまた低く唸りを上げ始める。 「…え!?あれ!?な、直ってる!?え!?」 画面に食い付く彼に冨岡先生はこれまた涼しい顔でコピー用紙を渡した。 「3分と持たない。急いだ方が良い」 「…え!?良いんですか!?」 私へ振り返る表情は嬉しそうで、小さく頷くだけにしたのは、冨岡先生の優しさを無駄にしたくなかったからだ。 製本し、印刷していくのはその辺にあった要らない資料だけど、嬉しそうに操作していく後ろ姿に、こちらへ戻ってくるジャージ姿に視線を向ける。 「何ですか?さっきの技」 「此処に古くから伝わる蘇生術と聞いている。今までこれで凌いできたが、ついにあれも寿命が尽きたらしいな。恐らく止まったら二度と動く事はない」 「…良くわかりますね」 「去年の今頃、教師全員が毎日のように蘇生術を繰り返していたためだ。あれがもう限界を超えているのは音と動きでわかる。あの男は強運の持ち主らしい」 「この状況で復活させた冨岡先生が凄いと思いますよ」 「名前の感慨を狙った」 表情ひとつ変えてなくても今ばかりはわかる。 それだけじゃないというのが。 「…そういう事にしておきましょうね」 ピピピッと告げるエラー音に、がっくりと肩を落とした後ろ姿も、こちらを向いた時には無邪気な笑みに変わっていた。 「ありがとうございました!初めて動いてる所を見られて感動しました!」 深々と頭を下げる彼に、冨岡先生は何も返事はしなかったけれど、包む温かさは、多分伝わっているだろう。 「…今までお疲れ様」 余韻に浸るように呟いた後、パチッと音を立てて切った主電源。 「よし!じゃあ運びます!」 気持ちを切り替えたように大きく頷く頭につられて 「よろしくお願いいたします」 そう言いながら小さく同じ動きをした。 * * * 門を出て行くトラックと社用車を見送った後、鍵を掛けるため一度コミュニティルームへ戻る。 印刷機が置かれていた場所はぽっかりと空間が空いていて、何となく物悲しい気持ちになった。 しかし同時に舞っている埃に、冨岡先生の鼻が反応したのか大きなくしゃみを聞く。 「…大丈夫ですか?」 「…くしゅっ!」 「先に職員室に戻ってて良いですよ?私此処を少し掃除していくので」 「良い。終わるまで此処に居る…」 「…じゃあせめて廊下の方に居た方が良いです。更に埃舞うんで辛いですよ」 妥協案を提示した所、納得したのか黙って外側の扉に寄り掛かる背中を目端で捉えてから、ロッカーを開けた。 ホウキとチリトリを手に、長年溜め込まれた埃を掃いていく。 黙って待つ斜め後ろの表情は淡々としていて、先程の温かさは見えない。 「冨岡先生のお陰で、喜んでましたね」 車に乗り込むまで何度も深く頭を下げていた姿を思い出す。 きっと彼にとって、貴重で尊い体験だったのだろう。 返事がないのは鼻が辛いからなのだろうか、と思いながらゴミ箱を移動させた所で 「俺に何か隠してないか?」 脈絡もない発問に自然と眉が寄った。 「何もないです」 即答してから、あれ…これはもしかして…と考えを巡らす。 今の即答は尚早だったかも知れない。 「お前が印刷機の修理に立ち会った日、俺はエントランスまで小型犬に付き纏われたと言った」 あぁ、やっぱり…。 送って貰った時に見られてた? いや、もし見てたなら例え同僚として接して欲しいと抑制していたとしても、あの状況で大人しくしているとは思えない。 もし万が一目撃していて、その場では我慢したとしても、今此処で鎌をかけるような言い方をする必要がない。 恐らく、疑念はあるけど確信がないんだ。 さて、どうしようか。 集めた埃を捨てながら考える。 まぁ、考えても答えは出てるんだけども。 「マンションの近くまで車で送って貰いました」 てっきり怒り出すかと身構えるも 「やはり、そうか。あれは名前が乗っていたのか…」 小さく呟いた声に、どういう事かを訊く前に掃除用具をロッカーへ閉まった。 「見たんですか?」 コミュニティルームを出ると扉を閉めようとする私の動きに合わせて、寄り掛かっていた背が退く。 「直接見た訳じゃない。小型犬を追い払った後、暫くしてからポストを確認しに行った時だ。念のため小型犬が居ないか、そしてお前が帰って来ていないか外へ出た」 一度言葉を止める冨岡先生に、黙って次の言葉を待ちながら鍵を閉めた。 「路肩に停まる車のライトに不自然さを覚えたが、数分もしないうちに前を通り過ぎていったため、俺もすぐマンションに入った」 「どうしてそれが私の乗った車だと思ったんですか?あの距離じゃ流石の冨岡先生でも見えないと思うんですけど」 「ドアに書かれた社名だ。すれ違った時は何処かで覚えがある程度の記憶だったが、先程見てはっきりと思い出した」 「…成程。だから含みを持たせた訊き方をしたんですね」 職員室に戻ろうと階段を上がる後ろ、足音からしていつもの冨岡先生で 「…珍しいですね。怒らないんですか?」 つい、質問を発してしまった。 「遡って考えると、あのストラップの写真を送られた時間と一致している。俺に対してのささやかな反抗だろう?」 「…違い「違わない」」 強く言い切るものだから、言葉を飲み込む事しか出来なかった。 否定出来ないのが何とも (一瞬でも不安にさせて悪かった) (いえ、別に謝らなくても…) (やはり身体に教え込む必要があるな) [ 88/220 ] [*prev] [next#] [mokuji] [しおりを挟む] [back] ← ×
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