short | ナノ





「…悪かった」

ベッドの傍らに設置された椅子に座って、そうボソッと呟くのは不死川くんだ。
昨日も今日も、そこには義勇だけしか座ったことがなかったし、ちょっと身体を丸めた姿も新鮮な気がする。

「不死川くんが謝ることじゃなくない?」

余りにも肩身が狭そうな顔をしてるから、そう言いながらもついつい笑いが込み上げてしまってる。

「いや、だってお前らが別れたのって完璧俺が原因だろォ?」
「うーん、まぁそれはそうなんだけど…」

違うとは強い否定ができなくて、今度は苦笑いになった。

ようやく本音を言い合って、お互いにまだ好きなことを確かめ合った後、問題がまだあると気が付いたのは面会時間を終える頃。

結局、あのキャバ嬢は義勇にとって何だったのか。

どうしても気になって蒸し返した私に、義勇は頑なに言いたがらなくて濁したまま帰ってしまったけど、そのあとに来たLINEには何ひとつ包み隠さない内容が長文で記されてた。

"不死川が惚れていると聞いた"

そこから始まった独白を読み終わった後、あぁ、何かほんと不器用だなって笑ってしまったし、義勇らしいとも思った。

あと、不死川くんっぽいな、とも。

仕事の付き合いで訪れたキャバクラに、その子はいたらしい。
最初は隣に座らせるのもすら許さなかった不死川くんは、徐々にその子の真面目さに気を許すようになった。
そうして、言われたんだって。

「親の借金を返すためにここで働いてるんだ」と。

一瞬、きょるんとした後輩の笑顔を思い出して、キャバクラ界隈ではそういうのが流行ってるのかな?なんて遠い目をしてしまったけど、本当だと義勇は確信したって言ってた。

キャバクラに行ったのは、それが目的だった、とも。

この間、家に不死川くんが来た時にポロッと口にしたのは疑心で、それならばと、伊黒くんと一緒に彼女の本心を確かめに行った。

一見な上、不死川くんとの関係を隠しての偵察だったから結局当たり障りない会話しかなくて、完全な心証と勘になるけれど、彼女は信用に値する。そう結論が出たらしい。

だけどそのことを私に報告すれば色々言われるという懸念と、伊黒くんをほぼ無理矢理連れていった後ろめたさで躊躇していたところで、私が必要以上に敵視してしまった上に、別れまで告げてしまったものだから、誰にも経緯を言えなくなってしまったらしい。

実際不死川くんもそれを知ったのは昨日の今日で、義勇に散々怒った挙句、わざわざこうして病院まで謝りにきてくれた。

だから未だに肩身を狭くしている姿に、掛ける内容は考えてしまう。

「でもさ、多分それだけじゃなかったんだと思うんだ」
「あ?」
「別れようって思った理由」

本当に、それはきっかけに過ぎなかったんじゃないかなって、今になってすごく思ってる。

「あのままだったら遅かれ早かれダメになってただろうから、これで良かったんじゃないかな」

決して不死川くんに気を遣ってるわけじゃなくて、それはきっと真実。

「離れてみなきゃ、気が付けなかったから」

こんなにも義勇が私の中にいて、義勇の中にも私がいる。そんな、何より大事なことすら見失ってた。

「……。お前らァ、元サヤになんだろォ?」

多分、義勇から聞いてるんだろう。少し安心したように溜め息を吐かれて、頭だけを動かす。

「また荷物運ぶ時は言えやァ」

それが罪滅ぼしみたいなものだってわかるから頷いたけれど、ちょっと悩んでもいる。

「あー、でも当分それはないかも」

なんて、言うのには。
だってまた険しい顔になるから。

「ちょっと考えててさ、今まで一緒にいたぶん擦れ違いがあったから、暫くは別々に住んで関係性の見直しをしようかなって」
「冨岡も承諾してんのかァ?」
「うん、まぁ。けっこー渋々だったけど」
「そうかァ…。ま、次は上手くいくといいな」
「うん」

頷いてから、名刺の写真を思い出す。

「不死川くんも、上手くいくといいね」

そう口にした時には既に立ち上がっていて、一瞬合った目もすぐに背を向けられた。

「俺は別にィ、特に望んじゃいねぇよォ」

ボソッと呟いた後、

「じゃあなァ」

振り向きもせず閉められた扉の不器用さは、全然違うのに何となく義勇に似てる気がした。


未来をしよう


あんなに不安を感じていた手術も入院も、そのあとの生活も実際はあっという間で、そこまで身構える必要はなかったんじゃないか、なんて感じてる。

でもそれは、全てが無事に終わったからそう思えるだけだっていうのも身に沁みていた。

「苗字さ〜ん!お帰りなさ〜い!」

出社した途端、クラッカーを鳴らす誰がどう見ても非常識な後輩も、それを止めないでニコニコしてる人生の先輩であるおっさん達も、どこか目新しく、微笑ましいものに見えるのは、人生の障害を乗り越えたお陰。

「ご迷惑をおかけしました。仕事の穴を埋めてくださってありがとうございます」

頭を下げるや否や、

「ご迷惑はかけられてませんよ〜!ご心配はおかけしましたが!」

それもこちらの台詞では?なんて突っ込みたくなる言葉に吹き出してしまった。

「顔色良くなったなあ。もう無理するなよ?」

係長の言葉で、ここに戻ってこられたことを深く噛み締めながらまた頭を下げる。

「苗字さんがいない間すっごい色々あったんですからね〜!」

仕事なんて二の次どころか、データを損失したとしれっと報告してから今の彼氏との惚気を熱く語る後輩を、心から微笑ましいと思えたのは正直初めてかもしれない。


私が変わったのか、周りが変わったのか。


多分、どっちもだろう。


今まで行きつけと言えど、店側からすればただの客だった私を見るなり、

「無事退院できたんだね〜!良かった!」

心から安堵してくれた娘さんの横で、

「若い子が来るのは珍しいね」

いつもと変わらない台詞を発するおじいさんに会えて感じる嬉しさとか。


"今は、全てが愛おしく思える。"


偶然にも同じ感情を活字の中で見て、一度顔を上げた。


「読み終えたのか?」


隣から飛んできた声に、ふと我に返る。

「…あ、うん」

閉じた冊子に見る表紙の星空に、言いようのない満足感が込み上げた。

「面白かったみたいだな」

表情だけでわかるのか、そう言ったあと布団の脇に置かれたスマホ。
じゃれつくみたいに腰を抱えてくる左手に少し戸惑う。

「面白かったよ」

太腿に乗る義勇の頭にどうしていいのかわからないまま、ひとまず読み終えた冊子を傍らに置いた。

「どんな話だった?」
「…え?んー、と」

物語の概要を人に説明するのって、難しいなって思う。

父親を生き返らすためだけに"叶い星"を探し始めた少女は、色んな人と出会い、色んな現実と向き合ったことで、いつしか考えが変わっていった。

"争いがなくなればいい"と。

お父さんが生き返ったところで、何も変わらない。
それどころかむしろ、今度はもっと酷い命の奪われ方をするんじゃないか。

色んな人間、色んな環境に揉まれて成長した彼女は、ある時"叶い星"がなくなれば、全ての"願い星"が機能しないことを知る。

葛藤の末、"叶い星"を消滅させようと決め、最終的にそれを実行した。

幾重の犠牲を払って。

そんな彼女を称える者もいれば、批難する者もいる。

結果としてそれが全ての人間に正義だったのかは、読者に委ねられたところで完結した。


「人と人って難しいねって話」


簡潔に伝えたけれど、じっと向けられた瞳はどうにも納得いっていないようで、のそのそと上に這ってくる動きに身を引く。

「幸せにはなったのか?」
「なった、と思う。多分」

答えた時には目の前に顔があった。

合図みたいに口を見つめる伏し目のあと、近付く口唇に目を瞑る。

深くなる口付けに比例して身体を撫でる手に、耐え切れず顔を逸らした。

「…だめ」
「わかってる」

身体ごと下がった顔が太腿に着地して、そのまま動かなくなったのをどうにも訝し気に見てしまう。

「義勇って、そんなにくっつくタイプだった?」

絶対に聞こえてるはずなのに、答えがない。
もしかして拗ねてる…?

「こうしようとすると、お前はいつも忙しいと避けてた」
「……。それは、ごめん」

心当たりがあるから、それしか言えない。

「でもさ、やっぱりそこまでじゃなくなかった?」

シないのに、というかできないのにここまでくっつかれるのは何というか、戸惑う。

「……。なかった」
「そうだよね」

何年もずっと、感じてたのは、淡白だってこと。

あまり干渉しないし、されたがらない。

それが寂しい時もあったし、心地好い時もあった。

ここ数年はずっと寂しいの方が勝ってたから、余計に何も言えなくなって、推し量った気でいたのかも。本当は伝えなくちゃ、わからないことばかりだったのに。

「俺がこうするのは嫌か?」

見上げてくる群青色の瞳は、私の心境なんてこれっぽっちも察してない。

嬉しい。そう素直に感じてること。

「……ううん。ただちょっと重い」

だからちょっと意地悪で返したのに、

「我慢しろ」

なんて返されて、笑ってしまう。

「なーに?我儘だね〜。義勇くんは甘えん坊さんですか〜?」

きっと違うって反発してくるだろうなって思いながら撫でた髪。

「名前だからだ。こうしていたくなる」

ボソッと呟かれた台詞は全く予想もしていなくて、一気に顔が熱くなっていくのを感じた。

「そういうのって!卑怯じゃない…っ?」
「そうか?」
「そうだよっ!」

だって、言われ慣れてない。
そういうこと、わざわざ口にするような人じゃなかったから、変化に追いついていけないし反応に困る。

「離れて、思った」

真剣に見つめてくる瞳の熱さにも。

「これからはこうやって、きちんと伝えていくことにする」
「……。うん」

伸びてきた手が頬を撫でて、情けないことに頷くことしかできなかったし嬉しさで涙が滲んだ。

* * *

出社するなり、会社全体も部署もガヤガヤと騒がしい雰囲気を肌で感じた。

「どうしたの?何かあった?」

ひとまず椅子に腰を下ろして、後輩へ訊ねてみる。

「あー、何か開発部の社員が結婚するとか噂してますよ〜」

鏡を覗きながら前髪を直す彼女に違和感を覚えた。

「あんまり興味ない?」

性格から考えるにもっとテンションが上がっていてもおかしくないのに。

「知らない人の結婚はあんまり〜。もう色々懲りたしやっぱまだ遊んでたいなって思いました」
「…そう」

まぁ、まだ若いしそうなるか。

「苗字さんは〜?しないんですか?結婚」
「何で私?」
「だって彼氏とヨリ戻したんですよね〜?」
「あー、いや結婚はまだ考えてないよ。さすがに」

義勇も多分、そうだろうし。

人を羨んで焦ってたのは多分、年齢の問題だったんだろうな。
30になった今、別にどうでも良くなってる。

あれ?でも開発部で独身の人って―…

コンコン。

叩かれた後に開いた扉。

「失礼します」

見慣れたスーツ姿のあと、群青色の瞳と一瞬見つめ合って自然と逸らしていた。
見知らぬ他人のふりするの、実は結構癖になってるのかも。

「お疲れ。また資料?」
「いや、ちょっと報告に来ました」
「報告?なになに?」

係長との会話を傍耳立てていたものだから、

「結婚の」

その一言に椅子からひっくり返そうになりそうになった。

「え!?結婚するのって冨岡さんだったんですか〜!?」

興味がないとは言ってた割に思いっ切り食い付いていく後輩のお陰で、こちらの動揺は周りに伝わらなかったけど、疑問は募るばかり。

「彼女とかいなさそうだったのに〜!え〜!意外!」

また無意識な失礼さにこちらは苦笑ってしまうけど、さすがの義勇でもじと目になってる。

「彼女じゃない。家族だ」
「え?」

3秒ほど空いた間。

「い、いいなぁ結婚とか〜」

明らかに引き攣った笑顔に、あ、この子でも義勇の天然さには負けるんだ、なんて他人事みたいに考えた。

「いつするの?」
「来月には」
「結婚手当て申請した?」
「それもこれからです」

ちょっと待って。私全く、何にも聞いてないんだけど。

そう言えるはずもなく続いていく会話を、どういう顔をしていいかわからないまま耳に入れる。

「いつ知り合ったの?」
「10年前です」
「それからずっと?」
「はい」
「へ〜!長いね〜!」

訊かれるまま答えてるけど、それが私のことで合ってるのかすら正直考えてしまっていた。

「10年も一緒にいて何で今更結婚なんですか〜?」

また悪気はないながら失礼な質問。だけどちょっと、いや、かなり気になるところ。
だけど流れた沈黙に居た堪れずチラッとそちらを盗み見た。

「結婚は、あまり重要視してなかった。一緒にいられればそれでいいと」

伏せられた瞳は何かを思い出してるみたい。

「だけど今は、結婚したいと心から思う」

決意に満ちた表情を向けられて、咄嗟に逸らした。

いや、だって私聞いてないし。いや、今聞いたけど。

「冨岡さんと付き合う女の人ってどんな人なんですか〜?気になる〜!」
「どんなも何もここにいる」

ドキッとした。

もしかして今ここで関係を公表するとか?そのつもりで来たとか?
待って。どういう顔したらわかんないんだけど。

ぐるぐると考えてる間に傍に立っているスーツ姿を見上げようとして止まった。

チュッ。

音を立てて啄まれた口唇に、息も瞬きも忘れてる。

「え?えぇぇぇっ!?」

一気に騒めく部署内に、義勇はひとりだけ涼しい顔でハッキリとこう言い切った。

「名前と結婚します」

これには呆けてはいられないと我に返る。

「は…?え?何言ってんの!?ふざけてる!?」
「ふざけてない。本気だ」
「……っ!」

余りにも突然のことで、口を開けるだけで言葉が出てこない。

「嫌なのか?」
「嫌っ、じゃない…けど…っ」

こんな会社で言うこと?もうちょっと何か…

「苗字さ〜ん!良かったですね〜!!」

その叫びのあとに見るのは涙ぐんだ後輩の顔。

「結婚式には呼んでください〜!!私ブーケゲットするんでぇ!!」

何となくズレた目的ながら本気で祝福してくれるのが伝わってきたからか、何だか全部がどうでも良くなってしまって、

「うん」

なんて笑顔で答えてしまっていた。

おめでとう、なんて声が続く中、もう一度近付いてくる口唇を何の抵抗もなく受け入れたのは、完全に状況に流されているもあるけど、こういう強引さもいいかも、なんて思ってしまったから。
とどのつまり、私はどんな義勇でも好きで堪らないらしい。

「で、どんなところに惹かれたんですか〜?」

茶化すようにエアーマイクを握る手を向けられて、咄嗟に身を引いた。

「それ、言わなきゃいけない?」
「え〜、だって聞きたいじゃないですか?冨岡さんは〜?」

移動していく手が義勇の前で止まる。

自然と合った目が何度か瞬きしたから、これは困ってる時だ。間違いない。

「そんないきなり聞いてもさ」

どうにか話を逸らそうとして、

「一言で言うのは難しいが…」

その言葉で続くものだと知って、黙ることにした。

「最初は、人それぞれだと、認めてくれたことだ」

真っ直ぐ見つめられて、ふと思い出す。

そうだ、あの日見た夢には続きがあった。

乾杯を強制した私に義勇は渋々ながら付き合ってくれて、その内ボソボソと自分のことを話し出した。小さい声だったからほぼ聞き取れなかったけど、最後の方だけ。

「不死川達からは早く立ち直れと怒られる」

その言葉だけハッキリ聞こえたから酔った勢いに任せて言った。

「えー?いいじゃんいいじゃん!人間なんだから立ち直れない時だってあるよー!冨岡くんがそう思うならそれが正しいでいいんだよ〜だいじょぶだいじょぶ〜!」

そんなような、こと。

ニュアンスは違ったかもしれないけど。

「今は、ありすぎて言えない」

こんな大勢に注目されるのは慣れていないみたいで俯く義勇に、こちらまで居た堪れなくなった。

「いや、もういいよ!」

焦ってしまったせいでつっけんどんな言い方で返してしまったけど、囃し立てながらも祝福してくれる周りに、笑顔が零れた。


って言っても、2人になれば笑ってもいられない。

「ビックリしたんだからね!突然変なこと言い出した!って」

咎めるようにわざと険しい顔を作ったのに、隣を歩く義勇の表情は涼しいものだ。
本当にこういうところ、何考えてるんだがわかんない。

「…有給、使ってないだろう?」
「え?使って、ないけど…」
「俺も使ってない」
「……そう」

一度途切れた会話をどうするべきか考えていれば、

「今度、どこか、出掛けないか?旅行、とか」

急にたどたどしい口調で言うものだから、私まで緊張してる。

「どこかって…。どこに?」
「どこでもいい。名前が行きたいところに行こう」
「……。珍しい、ね」

どうにも訝しんでしまう理由をわかってるんだろうな。

「今まで、仕事にばかり感けすぎた」

でもまさか、義勇の口からそんな言葉聞く日がくるなんて、思ってもみなかった。

「だがそれは、名前がいたからこそ、できたことだった」
「内助の功ってやつだね」

ふふんって鼻で笑って誤魔化しちゃうけど、素直に嬉しいって思ってる。

上手くいかなかったあの暮らしの中でも、義勇のことを支えられていた事実があったことは、私にとっては誇らしい。

「…名前」

キュッと口唇を噛み締める動作に、ドキッとした。

「帰って、こないか?あの家に」

意味を理解している間に、

「帰ってきてほしい」

真剣な眼差しに、泣きたくなったのはただ嬉しいから。

「……。うん」

もう、頷くだけで精一杯。
だからまたぐしゃぐしゃな顔で脇目も振らず義勇に飛び付けば、優しく受け入れてくれるから、もっと涙が止まらなくなった。


たくさん泣いて、傷付いて、傷付けた。

その過去はどうやったって変わらない。

だけど今、私はとても幸せだって胸を張って言える。

それは誰と比べる必要もないんだって知ったから。

ずっと続いていくものだと思ってた日常が崩れて、ようやく思い知った。

ここにあるものに当然なんてひとつもない。

私はそれを大切にしたいし、大切にしてくれる貴男と生きていきたい。

そんな風に、思える。


誰のためとか 何のためとか
答えはひとつじゃなくていいんだよ
思いつくまま 心から向き合って
きっと未来も愛せるように
後悔すらも抱きしめられたらいいな



SUPER BEAVER
"未来の話をしよう"より抄出


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