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気になることは、いくつもある。

だけどそれを口に出すのは、卑怯な気がしたし、何より名前を傷付ける。そんな予感から噤み続けていた。

俺と彼女は、最初から対等ではない。

そもそも始まりは、俺の一方的な好意だった。

「ずっと好きだったんだよ?」

あの時、そう言われても正直ピンと来なかったのは、俺の好きと彼女の好きはどこか微妙に、意味合いが違っていたからだ。

感じていた差異を、ここ最近でようやく形として見つけた気もしている。

「この網タイツ可愛くない?今回の衣装に合いそう!」

嬉々として提案してくる姿をどこか微笑ましいと思えてしまうのは、俺が根っからの名前の"ファン"だからだ。

でなければ、今ここで女性ものの下着に囲まれてなどいられない。

「そうだな。いいと思う」
「だよね!?」

俺の同意にぱっと笑顔を輝かせ、それを片手に忙しなく右方向へ向かっていく。

「いいスキンケア用品安く入ってるかな〜?」

ともすれば鼻歌まで聞こえてきそうな軽やかな足取りについていくのも、もはや定番と化していた。

格安衣類販売。

そう銘打ったこじんまりとしたその個人店は、名前が衣装作成で役立つものはないかと探索した結果、偶然見つけたという。

何年も前から世話になっているというそこには、衣類全般だけではなく日用雑貨、菓子類や玩具といった一見すれば統一性のないものが大量に置かれていた。

価格が据え置かれているぶんなのか、ワゴンへ乱雑に押し込まれたそれらを初めて見た時、

「ここから探すのか…」

途方もない作業だと包み隠さない胸の内を零したところ、

「宝探ししてる気分にならない?」

ワクワクした笑顔で返され、そういう考え方もあるのかと勉強にはなった。

今日も同じようにひとつひとつ手に取っては、真剣な表情で選んでいく横顔に倣う。

「何が目当てだ?」
「んっと、ボディローション」
「身体に塗るやつか」
「うん。できればジェルでいっぱい入ってるやつ」
「わかった」

そうやって俺も一緒に探し出すのは、名前にとってそこにもこだわりがあると知っているからだ。

"ダンサーは身体が資本"

当たり前のように聞こえるその教えを享受したのは、次に入ったクラスの講師だったという。

最初は単純なヒップホップを習っていたが、その中で突き詰めた自分の特性が、今、主軸としているガールズ・ヒップホップと呼ばれるもの。

その世界へ本格的に足を踏み入れてからというもの、妥協しない努力の先に待つ成果というものを身をもって知ったと言っていた。

「これはどうだ?」

ボディジェルと書かれた真っ白い円形の容器を手に取っては差し出す。

「あっ」

期待に声を上げたかと思えば、まじまじと見つめる目は「うーん」という唸りと共に窄まっていった。

「できれば美白とかじゃない方がいいなぁ」
「そうか」

早々に放棄をして、希望に近いものを再度探す。

この行動は、踊り子である名前の将来へ繋がるからだ。

"身体が資本"

そう言った通り、克己的な行動を心掛けていると知ったのはそれほど最近じゃない。

何の気なしにその髪の艶やかさを感じた通りに口にしたところ、すごく喜んでいた。

髪や身体の手入れは日頃欠かさないようにしているらしい。
そこを褒められるのは嬉しいと言われ、そこから思い付いたことは都度口にするようにしている。

「義勇くんって、色白いよね」

考えていた途中で聞こえた唐突の言葉に、一瞬思考が止まった。

「肌も綺麗だし、こういうの使ってる?」
「…いや、何も。特に使ってない」
「ほんと!?それでそのコンディションの良さ!?羨ましい〜…!」
「……そうか?」

そこまで意識をしたことがなかった肌に触れようとした手は、横からぬっと出てきた細い指で止まる。

「触ってみていい?」

跳ねた心臓の音が聞こえないよう願いながら、あくまで平静を装った。

「構わない」
「やった〜」

そんなことをせずとも、全く意識などせず頬に触れる指先は楽しそうだ。

「すべすべ〜!いいなぁ」

覗き込んできたことで近くなった顔を直視できずにいる。

「……名前の肌も、綺麗だろう?」
「私は念入りにケアしてこれだもん」

その言葉で動かした視線は、血色のいい口唇から動かせなくなった。

キスしたい。

唐突に沸き出した願望は、一歩後退ることで打ち消す。

「これは、どうだ?」
「ん?」

咄嗟に取った緑の容器。
良く見ないまま目の前に差し出せば、

「あ、いいかも。これにしよっ」

屈託ない笑顔を見せるから、どうにか誤魔化せたことに安堵している。

「ちょっと買ってくるね?」

それだけ言うと会計レジに向かう背中を見ながら、さっき名前が触れた感触をなぞるように頬へ触れた。


FUN for FAN?


「お腹すいたね。何食べよっか?」

満足げなその表情と、右手に持つビニール袋。

少しだけ増えた荷物を俺が持つ、なんてことは言えないまま隣をただ歩く。

「何が食べたい?」

周りを行き交う、恐らく恋人であろう男女に目がいくのは、ごく自然に繋ぎだす手と手が羨ましいと感じたからだ。

「ん〜、義勇くんは?」
「俺は……、何でもいい。名前が決めてくれ」

迷った末、結局いつも台詞に落ち着く。

決して丸投げなわけではない。決定権を委ねたのは、それも経験で知っているからだ。

最初こそ懸命に考え提案はしたものの、悉く外れだったのは少し苦い思い出として蘇ってくる。

「じゃあ…、あのね!最近ここら辺にできたっていうお店があって」

スマホを片手に始まる説明にただ耳を傾ける。

「ここ有機野菜を使ったパスタメニューが豊富でね、しかも麺が低糖質なんだって。美味しいってレッスンで話題になってて気になってたの。どうかな?」

店構えと地図を映す画面を注視して口を開いた。

「ここからすぐだな」
「うん。あ、でも…」
「行こう」

ここで手を引く勇気でもあればいいのに、ただ歩き出すことで促すことしかできない。

「うんっ」

ただ、嬉しそうな返事を背中で聞いたのは、良かったと思った。

"身体が資本"

その教えは、彼女の中の奥深くまで染みついているのだろう。

初めて足を踏み入れた"発表会"の裏側で、渡された手作りの五穀米にぎりもそうだが、基本的に名前の食生活は無駄がない。

間食もしなければ、その場しのぎで食事を摂ることもない。

きちんと身になる栄養素を計算していると知ったのは、それこそ惰性で入った何度目かのファミレスだった。

「最近好きなように食べてたら太っちゃって…」

苦笑いを零しながら掌サイズのサラダをドレッシングもかけず口に運ぶ姿が、それまで俺に無理して合わせていたのだと気付かせ、ひどく後悔したのも、苦い記憶として蘇る。

だから、選択は名前に委ねることにした。

あくまで踊り子としての自分を貫こうとする克己さに、感銘を受けたと言ってもいい。

同時に、舞台に立つだけではない、日々の努力の積み重ねを俺のせいで台無しにしたくない。そうも思った。

それは俺が、彼女のいち"ファン"だからだ。

店に着いて、テラス席希望の有無を訊かれ真っ先に「店内で」と即答できたのも、必要以上に紫外線を浴びたがらない。その習癖を知っているため。

本来なら、気にかけることのなかった事柄が名前に感化され、気になるようになった。

「寒くないか?こっちに座った方がいい」

位置的に風調が直接身体に当たるだろうと引いた椅子。

「ありがとう」

笑顔でそこへ腰を下ろした名前に満足しながら視線を上げれば、先客であろう2人組の双眸がこちらに向いていた。

俺と目が合った途端、逸らしはしたがコソコソと耳打ちをする行動にはどうにも面白くない。

時々、そうだ。

見ず知らずの他人なのに、名前を見るなり陰口を叩き始めることがある。

その全部が聞こえるわけではないがこの間耳にしたのは、

「気合い入れすぎ。自分大好き?」
「化粧取ったら全然違うんじゃない?絶対ブス」

明らかに言われる道理のない、ただの蔑みだった。

今の2人が同様の会話をしているか定かではないが、それを遮るよう自然なふりをして椅子をずらして座る。

「もっとこっちに来れば?義勇くんが寒いよ?」

そんなことを露ほども知らない無邪気な笑顔が曇らないように平静を装った。

「いや、大丈夫だ」

そう返しはしたものの、俺ではなく遥か後方を眺め出した瞳に少し身を乗り出す。

「見なくていい」
「え?」
「どうせ嫉妬だろう」
「……えー、やだなぁそれ」

忍び声でそう言うと苦笑いに近い笑みを見せるのは、きっと慣れているんだろうか。

「相手にする必要はない」

大体にして、他人の身なりを勝手に品定めする方が間違っている。
名前は誰にも迷惑などかけていないし、いつ見ても身綺麗なのは、それ相応の努力をしているからだ。

何もしていない人間が指を差して笑う権利などない。

「…そうだけど、気になっちゃう」
「堂々としていればいい」

いつもはそこまで他人のことを気にしていない彼女から出された弱音の意味を、考えている間に出された、

「だってあの人達、まだ義勇くんのことチラチラ見てる」

その台詞で、何もかもが吹き飛んだ。

俺の、こと?

口を突いて出てこなかった一言は、出さなくて正解だったように思う。

「あれ?もしかして……、わかってなかった?」

メニュー表を見るふりをしながら体勢を低くした上目づかいに心臓はまた跳ねた。

「カッコイイって内緒話してると思う。多分」
「…聞こえたのか?」
「聞こえないけど、表情でわかるよ。さっき義勇くんと目が合った時すごいわかりやすく顔赤くしてたし」

思考が追いつかず止まっている俺に、色味の良い口唇が尖る。

「嫉妬するなって言われてるのかと思った」
「違う…!それはっ」

全く噛み合っていなかったこれまでの会話に焦ったところで、小さく笑い出す名前は心の底から楽しそうで、つい口ごもった。

「何食べよっか?」

それもすぐに治まって、今度は本当にメニューへ落とす視線に倣うことにしたのは、それもいつものことだからだ。

大して、気にも留めていない。

名前は、いつもそうだ。

元々の性格なのだろう。

俺のように気になったことを深く考察をしようとしない。

楽観的というのも違うが、前を向くことが上手だ。

他人からの悪意や敵意に対しての対処に長けているのは、経験からというのもあるだろう。

正直、そこは羨ましくも思うし、少し物足りなさも感じている。

結局のところ―…

「おいしいねっ」

運ばれてきた料理を一口頬張ってはパッと咲く笑顔に、考えていたことがどうでも良くなった。

「あぁ、美味い」

こうして一緒の時間を過ごせる。それだけでいいと思うのも、俺がいち"ファン"だからだと、自負もある。

「義勇くんのも一口頂戴?」

答えるより早く麺を巻いたフォークを手ごと奪われて、その口へと収まっていた。

「ん〜、こっちもおいしいっ」

悪戯っぽく笑ったあとで、差し出された名前のフォーク。

また意味を考えるより早く、

「はい、お返しっ。あーん」

その言葉にとてもじゃないが戸惑いを隠せなくなった。

「…いや、大丈夫だ」

正直、周りの視線も痛い。

「そう?」

きょとんとした顔をしたかと思えば、大人しく食事を再開させるその口唇を意識したせいか、次の一口を運ぶのに意識してしまった。

「ご飯食べたらうち来る?」

その言葉に心臓が反応しなかったのは、それもいつものことだからだ。

「あぁ。行く」

短く返事をして、食事に集中したのは、余計なことを考えたくなかったからかも知れない。


どうして彼女と、1年もの間、何もないのか。


頭の隅では気が付いていながらも、認めないようにいていたことを、今認めざるを得ないと感じている。

俺と名前の関係性は、恋人というよりも友人に近いものなのだと、これまでの積み重ねで知った。

男女間の友情というのがどういうものか俺は知らない。

ならば、これはまさしく―…

「角度的にこういう、感じ。どう見える?」

真っ赤なバスローブから肌蹴る太腿を前に、

「序盤にしては少しあざとくないか?もう少し抑え気味でもいい」

冷静な解析をしている自分を少し呪いたくなる。

「…うーん、これくらいかな?」

裾を手繰り寄せたことで見えなくなった肌色に頷けば、印をつけるため生地に安全ピンを刺していく横顔は真剣だ。
もしかしたらその表情が見たいが故に、冷静でいようとしているのかも知れない。

でなければ、説明がつかない。

部屋に2人きりだというのに、何も起こらないという理由に。

「ありがとう。あとで早速縫ってみる」

おもむろに脱いだバスローブをハンガーに掛ける背中は無防備で、少し背伸びをした足が可愛らしく思うのに、俺は出された烏龍茶を飲むだけで動けずにいる。

いつも、そうだ。

「あ、義勇くんさっ」

振り向いた満面な笑みに、視線で返事をすればすぐに台所へ消えていく。
かと思えば紙袋を片手に戻ってきては、

「チョコケーキ持って帰らない?」

差し出される右手に、小さく返事をして受け取ったのも、いつものことだ。

「また貰ったのか?」
「うん」

見たことのある有名店のロゴに、そういえばと思い出す。

「姉が食べたがっていたものだ。多分、喜ぶ」
「そう?ありがと」

困ったように微笑う表情は、俺が気を遣っていると思っているのだろうか。

「最近、多いな」

決して嫌味などではなく思ったままを口にしたが、少し硬くなった表情と「ごめん」その一言に言葉が足りなかったと気付く。

「それほど名前が認められていることだと思う。差し入れは悪いことじゃない」
「そう、かな?」

はにかんだ笑顔は嬉しそうで、彼女の世界が確立されていることが窺えた。

「あ、でもこれはね現場のスタッフ全員にって他のクラスの先生がくれたものなんだ」

だから余計に断れなかったのか。

そんな裏事情を垣間見て、思う。

結局のところ、名前のことを一番知っているのは俺なのだと。

甘いものを節制している。

勿論、完全に絶っているわけではないが、それは名前の近くにいればすぐに気が付くことだ。

それだけのことを誇らしく思うのは"ファン"だから。

「味の感想、あとで送る」

念のためだが、そう提案すれば笑顔が返ってきて、それだけで満足する。

しかし途切れた会話にどうにも落ち着かずになりそうな視線を動かした。

「増えたな」

咄嗟に出た言葉に、丸くなる瞳は目端で捉える。

「装飾品だ」

壁に設置されたワイヤーラックに吊るされたそれは、今まで見慣れたものより初めて見るものの方が多くなっていた。

「うん。最近現場で必要なことが多くて、どうにかそれなりに見えて使い回しできるものってちょっと色々集めてるんだ」
「……そうか」

一言で返したのは、今まで装飾品などに頼ろうとしなかった彼女の世界にも変化が起きていると理解を示せるほどに知識を得たからだ。

それでもどこか、心のざわつきを感じたのは何故なのか。

統一性のないそれらのひとつひとつを訊けるはずもなく、烏龍茶を飲み干した。

「明日も仕事だろう?」
「あ、うん」
「そろそろ帰る」
「え?」

立ち上がりざま口にしたからか、丸くさせる目を見ながらもう一度口を開く。

「帰る」
「……。うん、義勇くん朝早いもんね」

そうじゃない、と言えなかったのは、今できる気遣いを負担と感じてほしくなかったから。

寝不足やストレスはわかりやすく体調に現れる。

常日頃、自己管理を徹底している名前の足を引っ張ることなどできない。

いつも、そうだ。

それを理由にして、俺は早々にここを去る。

靴を履く間に、

「義勇くん」

背後から聞こえる甘い声に期待がないわけじゃない。

いつもなら、そうだ。

「キス、したいな」

恥ずかしそうに服を引っ張っては伏し目になるから、究極に俺の心を擽る。

けれど今は―…

「チョコケーキ、忘れてる」

焦ったような声と共に差し出された紙袋。

「……あぁ」

思わず冷えた声で答え、受け取った。

「じゃあ、またね」

手を振り見せる笑顔はいつもと同じなのに、ちくりと痛んだ心が顔に出ないように背を向ける。



俺は、名前の何なのだろう。



ずっと誤魔化しては言い聞かせ、抑えていた感情が噴出する時は、すぐそこまで迫っていた。



の生きている世界


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