雲路の果て | ナノ 17


名前が蝶屋敷へ入院した時には、一番重傷だった炭治郎も退院しており、部屋は比べ物にならないくらい静かなものだった。

安静を言い渡されているため、必要最小限の身の回りの事しか出来なかった事も辛かったが、それ以上に、家に残してきてしまった黒猫の事が気になっている。

任務で遅くなるだろうと多めに餌を用意してきたつもりだが、まさかそのまま蝶屋敷で入院になる事は全く想定してもいなかった。

その為余り眠れぬまま朝を迎え、この事をしのぶに相談するか迷っていた所に

「名前さん!大丈夫ですか!?」

善逸が姿を見せた。



雲路の



「善逸くん、どうしたの?」

素早く椅子に座る姿に名前は身体を上げると微笑んだ。
「任務が終わって戻ったら名前さんが入院してるって聞いたもので居ても立っても居られず…!」
そうしてまた両手を握る善逸だが
「心配してくれたの?…ありがとう」
屈託のない笑顔と相変わらず心地良い音に、今までの疲れが癒される。
「任務で疲れてるでしょう?私は大丈夫だからゆっくり休んで…」
「いえ大丈夫です!名前さんとこうしていられるだけで…!」
そうして善逸は、話を始める。
そのほとんどが任務先での愚痴に近かったが、暫く世間話をしたところで、名前は
「…あの、善逸くん、動物は好き?」
申し訳なさそうに聞いた。
「好きというか、まぁ大丈夫ですけど…。凶暴なやつとかじゃなければ…」
若干濁しながら答えれば
「善逸くんにお願いしたい事があるんです!」
両目を固く瞑るその顔はとても真剣で、聞こえてくるのは嘘のない音。
「何ですか?」
その迫力に圧倒され、両手を握るのを忘れて聞いた。
「うちに住んでる猫に餌をあげてほしいんです!」
そうして深く頭を下げる。
「私が入院している間、暇が出来た時で構いません…クロに餌をあげてもらえませんか!?」

本当に必死な、音がした。
歳下で、遥かに階級も低い善逸にひたすら頭を下げる姿に
(素直な人だなぁ…)
意識せずそう考える。

「いいですよ。俺で良ければ」

断る理由もないのでそう答えれば、
「ありがとう…!善逸くん!」
泣きそうな顔でまた頭を下げる姿に
(可愛いんだよ可愛いの。そういう所なんだよなぁ…男を惹き付けるところ)
と思ったのは心の中だけだった。

そうして、気付く。
あの恐怖の音が近付いてきているのに。

「…ひっ!」
思わず声を上げた善逸に名前が瞬きを繰り返す。
「…どうしたの?」
「水柱の!足音がするもので!」
この際、水柱・冨岡義勇の想いに気付けばいい。そう思って口に出した善逸の言葉は、名前にそれとは違う事を気付かせる事になる。

義勇の足音は、常に静かなものだ。
それこそ隣にいて耳を澄ましても、聞き取るのが難しい程に。

考えるように少し間を置いた後、
「…善逸くんって、もしかして耳が良いの?」
発問するも
「俺帰りますぅぅぅ!」
答える間もなく善逸が消えた数秒後、彼の言う通り、義勇が姿を現した。

「体調に変わりないか?」

そう言いながらベッドの傍らに立つ義勇に頷く。
「…うん」
「あの山の調査はお前が退院するまで延期になった。今日は、それだけ伝えにきた」
忙しいのだろう、言うや否や出口へ向かう義勇に
「…ありがとう!来てくれて!」
そう言えば、一瞬足が止まった気がするが、すぐにその背中が見えなくなった。

* * *

それは名前が入院して三日目の事―
昼を過ぎ訪れた蝶屋敷。

「あら、冨岡さん。こんにちは」

胡蝶しのぶと鉢合わせした。

「………」
「こんにちは」
「………」
「相変わらずですね」
「退院したのか?」
突然投げつられた質問に、一瞬理解が出来なかったが、すぐに「あぁ」と頷く。
「名前さんですか?それならあちらで」
右手を外へ差し出した。
「伊之助くんと鬼ごっこしていらっしゃいますよ?」
同時に塀の上をドタバタと走り回る伊之助とそれを軽やかに追いかける名前の姿が視界に入った。
呆れた顔で固まる義勇だったが、すぐ我に返る。
「しばらく安静じゃなかったのか?」
「まぁ、そうだったんですけど…名前さんの治癒能力といいましょうか。明日には退院できますよ?良かったですね」
ニコニコとしているしのぶから
「あ、義勇!」
名前を呼ぶ声に視線が移る。
手を振る名前に
「オイ!止まんな!まだ修行は終わってねぇぞ!!」
伊之助の怒りの声が響いている。
「あ、ごめんね!行くよ〜!」
「ガハハハハ!」
またバタバタと走り始める二人に、更に義勇の目が死んだ。

(修行…?これの何が修行なんだ?)

「何でも、伊之助くんの集中を高めるためらしいですよ?」
心の声に答えるように口を開いたのは、しのぶ。
「名前さんが後ろから追いかけながら、伊之助くんの一部分を凝視するんです。それを伊之助くんが当てるという、言うなれば反射神経の訓練ですね」

言われてみれば確かに
「右肩!」
「正解!」
「…む!これは…左太ももだな!?」
「そう!伊之助くん反応早いね〜」
そんな会話が聞こえてくる。

黙ったまま歩みを進める義勇に、しのぶは何も言わずニコニコ見守った。

「…今度は頭だな!?」
伊之助の得意げな答えも
「違う、此処だ」
脇腹を押した人差し指、いつの間にか伊之助の背後を取っている姿に全員の時が止まる。
「…義勇!?」
「テメーこの半々羽織!!何してくれとんじゃあああああ!!」
「視線を感じたからといって同じ場所に攻撃がくるとは限らない。それに複数から狙われた場合を全く想定していないだろう。他の攻撃に無防備すぎる」
それだけ言うと、するりと塀を下りる。
「テメーコラ上等だ!!もっかいやってやんよ!オイ!逃げんな!!戻ってこい!!」
怒りを爆発させる伊之助を無視してスタスタと歩いていった。

* * *

その日の夕暮れ頃―

義勇は名前の屋敷を訪ねていた。
勿論、本人が蝶屋敷にいるため、用があるのは家人ではなく、その飼い猫。
名前が入院してから三日が経つが、その猫はずっと誰もいない家の中でどうしているのだろうと、気になったのは先程の事だ。
無断で家に入るのは、例え名前の屋敷であろうが良くない事だとわかってはいるが、気が付いてしまった今、どうしても放置する事が出来ず、悩みながらも此処に来た。

そして、目の前の扉を開けていいものか迷っていた所でガラッと、内側から開けられた戸。

「…お邪魔しました」

振り向いた拍子に、二人の目が合った。

「ぎゃあああああああああ!!水柱あああああああああ!!!」

途端に奇声を上げる善逸。

「何で此処にいいいいいいい!?」
「………」
「いや!!違いますよ!?俺不法侵入した訳じゃないですからね!?名前さんに頼まれたんです!!入院中クロちゃんに餌やってくれって!だから俺…!!」
泣きながら説明する善逸に、
「…そうか」
短く言うと入れ替わるように家の中に入っていった。
「…え?それだけ?…っていうか中入るんだ…」
呟いた善逸の声は空へ消えた。

家へ入れば、確かに黒猫が今しがた貰ったばかりの餌を美味しそうに食べている。
横には真新しい飲み水も用意されていた。

「……」

少し距離を置いてしゃがみ込む義勇に気付き、顔を上げた黒猫は少し鼻を動かすと
「にゃー」
甘えるように鳴く。
触れようか迷う右手に擦り寄る姿に、一瞬眉を寄せながら肩を揺らしたものの、そっと頭を撫でれば気持ちよさそうに撫でられる柔らかい表情に、少し口角を上げた。


Cat
似ている、気がして

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