まだ、私はまるで何も知らない、子供だったから 人間は笑いながら幸せに生きて、尊い命が尽きるまで そう、生涯を終えるまで 大事な人に囲まれ、笑っていられると思っていた。 「…名前!!」 それが当たり前の事ではないと、思い知らされたのは十二の頃。 目の前で起こったのは紛れもなく現実で。 逃げろと言われた私は何もできないどころか、何の力もないのに母と父の元に駆け寄っていた。 「お母さん!!お父さん!!」 しかも馬鹿みたいに、その名を叫びながらだ。 その声が元で人喰い鬼に気付かれ、父と母はその身を刻まれた。 血塗れになりながらも、事切れる最期の最期まで私を護ってくれた両親の姿は、今でも目に焼き付いている。 もう少しで私も両親のように鬼に切り刻まれるのだろう。 幼心にそう覚悟をし、徐々に冷たくなっていく両親を抱き締めていた。 けれど、窓の外からわずかに朝日が差した瞬間、その鬼は苦しみ焼き爛れ灰のように消えた。 本当に、一瞬に、何一つ残る事なく、消えてしまった。 「………」 ──夢、だったの? そんな事ある訳がないのに、そう考えてすぐに気付く。 鬼は消えたというのに、両親は元に戻る事なく悲惨な姿のまま息途絶えていて、二度と目を開ける事もなければ、私の名を呼んでくれる事もなかった。 あの時 私が、何かの選択肢を間違えていなければ 私が、何か出来れば、 私が、先に死んでいれば 私が、居なければ両親は今も、生きていた──? 雲路の果て 「そんな事はない」 それを真っ向から否定したのは、身寄りをなくした名前を受け入れた鱗滝左近次だった。 「鬼がそこに来た以上、余程の手練でもない限り生き残るのは不可能だ。例えお前が先に喰われていたとしても、両親は死んでいた」 天狗の面で表情は窺い知れないのに、鱗滝の声色で悲しそうなものであるのは、子供の名前でもわかった。 鱗滝の所で出会ったのは、錆兎と義勇という少年。 彼らは名前より一歳上で、新参者の事を特に警戒する訳でもなく、すんなり受け入れた。 此処に来るのは大半が身内が鬼に喰われ、孤児となった者。 その子供達を、鱗滝は『育手』として剣士にしていると、此処に来たその日に聞いた。 * * * 「……ダメだぁ!もう、身体が動かない……!」 今日も夕陽が沈むかけた夕刻、名前の身体も地面に沈んだ。 日に日に過酷になっていく修行に何とか食らいついていくものの、終わると最近はいつもこれ。 それを見下ろすのは錆兎と義勇。二人共、身体中土埃にまみれ汚れているが、しっかりとした足で立っている。 「大丈夫か?」 義勇が少し眉を曲げながら剣をしまう。 「…大丈夫大丈夫。……ダメだ待って〜。もうちょっと休ませて…」 肩で息をしながら答えるのが精一杯な名前に錆兎はしゃがみ込むとその肩へ右手を置いた。 「…呼吸が浅いから回復が遅いんだ。意識してみろ」 「……うん」 言われた通り、身体中に巡るよう深く呼吸を繰り返す。 呼吸が整っていくにつれ、鉛のように重かった身体も少しずつ動くようになった。 「……ょい、しょ…」 それでも確実に能力を超え酷使された身体は、限界を訴えるようにガクガクと震える。 何とか手をついて起き上がろうとすると、そっと義勇が右手を貸した。 「…ありがとう」 ようやく歩き出した名前の歩幅に合わせ、歩みを進めてくれる。 二人より後に鱗滝の所にやってきたという前提があったとしても、それだけではない。 明らかに能力が低く、足手まといな名前に錆兎は常に的確に享受をし、義勇は不器用ながらもいつも心配そうに、その姿を助けた。 両親を亡くし、自分の無能さと無情な現実に打ちひしがれていた名前にとって、この三人の存在はどんなに救われるものだったのか、言葉では言い表せられない。 「一週間後、最終選別へ向かえ」 最後の試練として与えられた岩を切ったその日の事だ。 名前より数日前既に岩を切っていた錆兎、義勇と共に居間に呼ばれ、そう言われた。 「「「…はい!!!」」」 三人分の返事が綺麗に揃い、お互いの顔を見合わせて少しだけ笑った。 それは認められた安堵感や仲間が一緒だという事に僅かながらあったからだろう。 最終選別で生き残る事が出来れば、晴れて鬼殺隊となる事が出来る。 しかしその場合、この山を離れなければならない。 そして、生き残れない場合でも、此処には帰ってこられない。 最終選別を受けるという事は、同時に鱗滝との別れを意味していた。 結局、鱗滝の所に来て今まで、名前が水の呼吸の使い手になる事は出来なかったが、それに派生する『雲の呼吸』を会得する事は出来た。 これも鱗滝が調べてくれた事だが、恐らく名前の祖先は、水そのものより霞や雲の方が体質的に合っていたらしい。 そうして、名前を責める事はただの一度もなかった。 このまま何も礼が出来ず、この山を去るのは寂しすぎる。 最終選別が近付くにつれ、その想いはより濃くなっていった。 最終選別を三日後に控えた昼ひなか 「今日は私が町に買い出しに行ってきます!」 そう提案した。 今まで、修行を最優先に考えるよう指示されていたため、基礎体力向上に役立つもの以外の家事は鱗滝が全て行っていた。 勿論、それは元柱の鱗滝にとって何の負担にもなっていなかったのは、承知の上。 自分が何か出来ないか、ずっと考えた結果がこれだった。 些細な事だというのもわかっているが、今の名前に出来る最大限の恩返し。 そんな名前の気持ちが伝わったのか、鱗滝は少しだけ嬉しそうな声色で 「わかった」 と一言で送り出した。 此処に来てから身体能力は飛躍的に上がり、正しい呼吸を使えば速く走れ疲れる事もない。 自分の体重より重い荷物も楽に運べるようにもなった事で、鱗滝は名前一人で山を降りる事を、心配はしていなかっただろう。 鱗滝に信用されるくらい、それだけ強くなった。 正直、そのうぬぼれがあったのも確かだ。 町についたのは、まだ陽が沈む前の頃。 心配をかけてはいけないと、最短時間で買い出しを済ませ、鱗滝や錆兎、義勇が喜ぶであろう様子を思い浮かべながら食材を背負い、山へと帰る途中の事。 十尺はあるであろう、野生の熊と相対した。 お互いに目が合った瞬間に、酷く飢えている事に気づく。 今の熊にとって、食糧を背負った人間なんて、それこそ恰好の餌食だった。 「グオォオオオオ!!」 重低音がビリビリと地面を揺らし、その爪が名前へと向かってくる。 確実に殺意を持って。 それに応えるように腰に構えていた刀を抜く間際、目端で捉えた。 捉えてしまった。 こちらに走り寄ってくる、赤子の熊を。 草木の影に隠れていたのだろう。 動物に表情はないという。 それでも名前には、その赤子が泣いているように見えたのだ。 『お母さん!!お父さん!!』 いつかの自分の声が重なる。 剣を振るえばこの親熊は死ぬ。 いともたやすく、殺す事が出来る。 出来るのに、迷ってしまった。考えてしまった。止まってしまった。 ガッ!!! 蹄がその身を切り裂こうとした間際、後ろへ飛んだため、致命的な傷は負わされなかったが同時に籠の肩紐がちぎれ、ゴトゴトを音を立てて食糧が地面に零れる。 「………っ!!」 体勢を整えようと右足を軸にした瞬間、名前の視界が変わった。 ズッ!と音を立て湿った葉や水気を含んだ土と共に (……崖、だった…!?) そう認識するよりも早く落下していく自分の身体。 激しく転がりながら、木にぶつかって止まった時には辺りは静寂に包まれていた。 「…………フゥ──…フゥ──…」 回復する為に、呼吸を深く吸って吐く。 熊が追ってこないという事は、名前の持っていた食糧に食らいついているんだろう、というのが窺えた。 呼吸を意識しても、段々と朦朧となる頭の中で考える。 必死に受け身をとったつもりでいたが、恐らく余り意味はなかった気がした。 あぁ、このまま死ぬかも知れない。 自分の最後はこんな、死に方なのか。 いや、これこそ、自分らしいのかも…。 そうやって、目を伏せた。 * * * 鳥の声がして、ゆっくり瞼を開けた。 おそらく雀だろうか。 (…もう、朝?) 一瞬、自分が何をしていたのかすら、失念していた。 (…やば!修行の時間!) 見慣れた天井に、慌てて身体を起こすと同時、右肩に酷い痛みが走る。 「……いっ!!?」 思わず出た小さな悲鳴に 「……起きたか」 これまた聞き慣れた、心地良い低音が響いた。 「……鱗滝、さん…」 目に入った天狗の面の次に、あの時起こった場面が次々と脳内を駆け巡る。 「…っ!」 両手で顔を覆う名前に鱗滝は音も立てず傍らに座ると、静かに口を開いた。 「…右肩と左足が折れている。動かすな」 「…ごめんなさい!鱗滝さん…!」 何に対して謝っているのか、名前本人にさえわかってはいないが、先にその言葉が出た。 ごめんなさい、また余計な事をしてしまった ごめんなさい、まるで自分が強くなった気でいた ごめんなさい、食糧を無駄にしてしまって ごめんなさい、こんな身体じゃ 最終選別に出られない 「……。お前は、四日間眠り続けていた」 静かな口調で出された言葉。 四日間…? 確か最終選別は三日後だったはずだった。 「錆兎と義勇は!?」 「…既に最終選別に向かった。生き残った場合、帰ってくるのは六日後だ」 「………」 「傷を治す事に集中しなさい」 そう言って立ち上がる鱗滝の背中に、ボロボロと涙を流すだけで、何も答える事が出来なかった。 Regret 何てことを、してしまったのだろう [mokuji] [しおりを挟む] [back] ×
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