黒子くんと夢を見るお話
「朝ですよ」

誰かが呼んでいる。
この声は私が一番好きな声だ。
でも眠い頭は重い瞼を開けようとはせず、寝返りを打って布団に顔を押し付けた。

「ほら良い天気です。お出かけ日和ですよ」

シャっと音を立ててカーテンがひかれ、窓から容赦なく太陽の光が私に差しかかる。
瞼越しに眩しさを感じて布団の中に潜る。

「こら、起きて下さい」
「んーん!」
「仕方ないですね。強硬手段です」

その声とともに布団が重力逆らって私から離された。

「あー!」
「はいはい、起きて下さい。
僕は布団を干してくるので、その間に顔を洗って来て下さいね」
「…」
「そんな不満全開な顔をしてもダメです」

ベットの上で丸まったままテツヤくんを見上げる。
テツヤくんは寝ぐせもついておらず、ちゃんと着替えていた。
布団を抱えながらテツヤくんは私を見下ろす。
そして、動かないとしない私にため息をついて部屋から出て行った。

眩しい太陽の光を睨んだら、目がチカチカしてベットに蹲った。
うう、太陽の光め…カーテンで遮断してやる。

カーテンを引こうと触れた途端、私は身体が硬直した。

「…ここ、どこ?」

窓から見た景色は見たこともない場所だ。
いや、普通の静かな住宅街に見えるんだけど…私の住んでいる所と違う。
私の部屋から見える窓の景色じゃない。
テツヤくんの部屋から見える窓の景色でも…ない。
ハッとして部屋を見渡してみると、全然知らない部屋に居た。

え?あれ?
頭は混乱しているのに気持ちは落ち着いているギャップに驚いた。
私の部屋より確実に広いし、二つもベットあるし、…なんで?
それに、どうして私がテツヤくんに起こされてるの?
お泊りなんてしてたっけ?
いろんな疑問が次々に溢れてくる。

と言うより、なんで私のこの状況を普通に受け入れてたんだ?

「名前」
「あ、」
「顔を洗っておいて下さいと言ったじゃないですか」
「…て、テツヤくん?」
「どうしたんですか?そんな驚いた顔をして」
「…テツヤくん何か、大きくなった?」
「名前寝ぼけてるんですか?」

訝しげに私を見つめるテツヤくん。
だ、だって…身長前より高くなってる気がするし、顔も大人っぽいって言うか…
私の知っているテツヤくんより目もとがシャープになってる気がする。

…やばい、テツヤくんすごくかっこよくなってる!

「…名前何一人で赤面してるんですか」
「え?あ…いや、だって、テツヤくん…」
「僕が何ですか?」
「ひっ!」

思わず変な声を上げてしまった。
大人っぽいかっこいいテツヤくんがベットに乗ってきたからだ。

「…ひどくないですか。その反応」
「いや…あはは。寝ぼけてたみたい…」

テツヤくんと目を合わせることが出来る気がせず、逸らしながらへらりと笑う。

「僕に誤魔化しは聞きませんよ?」
「え?」

ぽふっと間抜けな音を立てて私は押し倒されていた。

「…き」
「さあ、教えてもらいまし」
「きゃあああああああああああああ!」

考えるよりも身体が勝手にテツヤくんの胸を押しのけて、ベットから降りて部屋から逃走していた。

うわあああ…!
だってさ、だって、いつもより大人でかっこよくて余裕あるテツヤくんが私のこと、お、押し倒した!
しかも意地悪そうに口角を上げて、何あの色気は!
そんなテツヤくん知らないよ!

声も低いし、でも相変わらず独特の柔らかい声で…
頭の中には別人のテツヤくんで頭がいっぱい。

「あ、ここ…」

階段下りて右に曲がると、洗面所らしきものが見えた。
とりあえず顔を洗おう。
思い切り冷水ぶっかけて、この頬を冷やさねば。



…こ、これは!顔を洗っているときに気付いた違和感。
その正体は私の左手の薬指にあった。
なんだ、この、輝きをもつリングは!
…まさか、結婚指輪とか…?
ま、まっさかー

洗面所を出ると、トーストのいい匂いがした。
その匂いを辿って、洗面所と反対側にある部屋を開けてみる。

「朝ごはん出来てますよ」
「…て、テツヤくんがコーヒー飲んで新聞読んでる」
「社会人なら新聞を読むのは常識でしょう。
さっさと座って食べて下さい」
「は、はい」

テツヤくんってこんなにオカン気質だったけ?
いちごジャムが塗ってあるトーストを口に運ぶ。
あ、美味しい。
ちらっと見ても、テツヤくんは足を組んでコーヒーを片手に新聞を読んでいる。
妙に様になっているのが気になる
…さっき社会人って言ってたよね?スルーしちゃったけど。

「今日どこ行きたいところありますか?」
「え」

急に話しかけられてビックリして、思わず食パンを落とした。
皿の上で落としたのでセーフだったけど。

「やっぱり、今日の名前はおかしい気がします。」
「おかしくないよ。ちょ、ちょっとボーっとしちゃうだけだから、うん。」

ああ、やっぱり目を合わせれない!

「熱でもあるんじゃないですか」
「ないない。だいじょう…な、何をする気ですか!」

テツヤくんが椅子から立ってこちらへ来ようとするので、こっちも腰を上げる。

「名前の熱を測ろうとしただけです…何で逃げるんですか?」
「だだだって、…テツヤくん大人だもん」
「大人って…そりゃあ大人ですからね」

呆れた声と同時に額感じる人肌。

「ん、熱はないみたいですね…顔がちょっと熱いですか」

私の顔をテツヤくんの両手が包み込む。

「い、いつのまにっ」
「風邪のひき始めですかね」
「…て、テツヤくんのその指輪!」

視界に入ったテツヤくんの左手の薬指にある指輪。
どこか見覚えがある指輪。
私の言葉にテツヤくんは訝しげに私を見つめる。

「結婚指輪がどうしかたんですか?」

け、結婚指輪!?

「え、テツヤくん結婚してるんだ」
「他人事みたいに言ってるんですか」
「え?」
「僕たちの結婚指輪ですよ」
「僕たち…?」
「僕と名前の結婚指輪です」

…い、一応何となくそうかな?って予想はしてたけど。
そそうか。私とテツヤくんが結婚…け、っこん…

「え、えええええ!?」

ごちん。
何かと頭がぶつかった。

「んもう。名前さっさと起きなさいよ…うー痛い」

目線を上げると顎を抑えるお母さん。
…?
部屋を見渡すと私の部屋だった。
も、もしかして…夢だったんですか?
熱くなる頬。…いや、元々熱い頬。

何て恥ずかしい夢だ、顔覆う。
ん?手に変な感触がして、自分の左手を見てみると銀色のリング。

…こ、これって、その指輪を外して中を見てみる。

「名前…とぅ…テツヤ…筆記体で書いてある」

こ、れって、夢に出て来た結婚指輪じゃない!?

「うっそおおおお!」
「名前ー!早く支度しなさい!テツヤくん来ちゃうわよー!」


「テツヤー起きてー」
「むう…」

身体が重い。何か乗っている。
柔らかくて温かい何かが僕の肩辺りに乗っている。

まだ覚醒したくない意識を沈めるように布団にもぐった。

「あーもう。起きないと布団干せないでしょ!
てっちゃんー起きてよー」

肩が揺さぶれる。
その振動が嫌で眉間に皺が寄った。

「もう、仕方ないなぁ」

ちゅっ

覚えがある柔らかい感触と可愛らしいリップ音が同時に僕を刺激した。

え、今口に何か…
目は冴えてくるが、すうっと嫌な予感がした。
どうしよう、名前…彼女以外とキスをしてしまったかもしれない。
きっと彼女がこれを知ったら悲しむ。
不可抗力とは言え…僕は彼女を裏切ってしまった。

そんな僕の思考も相手はつゆ知らずで相変わらず僕の肩を揺さぶってくる。

「いい加減にして…え、…?」
「もーやっと起きた。ほらー、ちゅー?」
「へ?」
「だから、おはようのちゅー?」

上体を軽く起こした僕に遠慮なく身体を寄せて、ご機嫌な笑顔で唇を近づける…大人の女性。
この幸せそうな笑い方、…カーテン越しに漏れる太陽の光できらきらしている綺麗な髪…
もしかして…

「名前ちゃん?」
「そうですよ。テツヤくんの名前ちゃんです」

おかしそうに彼女は笑いながら言う。
次第に不思議そうな目で僕を覗きこむ。

「な、なんですか…」
「んー名前ちゃんって随分懐かしい呼び方だなーって思ってさ。
ふふふ、今日のテツヤ何か雰囲気が何か幼いね」
「テツヤ…」

彼女は普段僕のことをテツヤくん、とくん付けだったはず…
目の前の彼女は派手ではないが、化粧をしていた。
僕の記憶の中の彼女は一度も化粧なんてしない。
元々可愛らしい顔立ちをしていたが、そのことを生かすようなナチュラルメイク…だっただろうが、魅力が増すように綺麗に化粧がされていた。

彼女の顔をぼうと眺めていると、彼女は困った顔をした。

「なーに?そんなに見つめられると恥ずかしいよ。あー、だいじょうぶ。
感触で分かったと思うけど口紅塗る前にちゅーしたから」
「?」

僕が首を傾げると彼女はムッと眉を顰めた。

「テツヤが言ったんだよ?キスするときに、口がぬめぬめするの嫌だからなるべく口紅とかしないでくれって」
「…僕が、ですか?」
「私テツヤ以外とキスする機会ないんだけど」

拗ねた顔をした彼女は自分で言って照れたのか僕にぎゅうっとくっ付いてきた。

ふんわり、香る彼女の髪の香り。
あれ、違う。僕の知ってる彼女の髪の香りと違う。

彼女を見下ろすと女性らしい曲線を描く背中に目が行った。
その背中に広がる髪に指を通すと、さらさらとした感触が気持ちいい。
香りは違うけどこのさらさら感と綺麗な髪は僕の知っている彼女だ。

知っている彼女を見つけて少し安心した僕は抱きついてくる彼女を抱きしめ返した。
そのとき、ふとある違和感に気付く。

彼女を抱きしめる僕の手に違和感。正しく言うと指に。

「…?」

左手を上げて見てみると…指輪?どうして?
僕は基本アクセサリーなんてつけない…妙にしっくりくる、その指輪。

「…っと、そろそろ、お布団干さなきゃ。ほらほら、テツヤも顔洗って来て。
朝ごはんできてるから」
「え、あ、はい」

気が済んだとでも言うように顔を上げた彼女はテキパキと動いて、布団を持って部屋から出て行ってしまった。

「…顔でも洗いますか」



「今日買い物行きたいんだけど一緒に行ってくれる?」
「買い物?」
「うん、冷蔵庫の中何もない。今週仕事忙しくてさ、行けなかったんだよね」

味噌汁、白いご飯、出し巻き卵という和風の朝食をつついている僕に向き合う形で座っている彼女はチラシを見ていた。
時々この商品超安い!というリアクションを丁寧にしてくれる。

今のところトイレットペーパーとキッチンペーパーが安いらしい。
日用品ばかりだ。

…ん?彼女は今何て言った?

「あの名前ちゃん」
「なあに、テツヤくん」

あ、しまった。
よく分からないけど、今の彼女の前では呼び捨ての方が良かったのかもしれない。
ちゃん付けする度に彼女がおかしそうに笑うのが証拠だ。

「仕事って…その」
「そうそう。こないだ言ってた後輩のことなんだけどね、一回話してみたら結構良い子でしかも面白い子なの。
私が愚痴ったから心配かけちゃったよね。でもだいじょうぶ。
ふふ、テツヤが話し聞いてくれたから後輩のことちゃんと見ようって思ったんだよね。
やっぱり私はテツヤが居ないとダメだね。
きっと、社会人三年目迎えれなかったよ」

僕のことを見つめて笑う彼女に胸が締め付けられる。
可愛いだけの笑顔じゃない。
僕のことを思って笑う笑顔は優しくて愛おしそうで幸せそうで、ううん幸せいっぱい、幸せを噛みしめるようなそんな感じがする。
そんな彼女の笑顔を向けられて僕は胸が締め付けられて嬉しいのに苦しくて切なくてどこか痛い。
感じたことがあるような、ないような、気持ちになった。

「どうしたの?」
「…いえ」
「顔赤いよ?さっきから様子もおかしいし、…もしかして体調悪い?」

笑顔だった彼女の顔が心配顔になってしまった。
僕は自分の感情に整理が出来ないまま顔を俯かせた。

なんだろう、いろんな違和感がある。
なんだろう、目の前の彼女はまるで大人みたいだ…大人…
その言葉すとん胸の中に落ちてくる。

そうだ。僕の目の前に居る彼女は大人の彼女なんだ。

彼女の気配を近くに感じて顔を上げるとしょんぼり、とした彼女と目が合う。

(あ、その顔は僕の知ってる名前ちゃんと同じだ…)

そのことに安心感を覚えて僕は彼女抱きよせていた。

「ふふ、甘えん坊さんだなぁ」

僕は椅子に座ってるから彼女の胸に顔を埋める形になっていた。
見上げると彼女は照れて赤い頬しながら優しく笑っていた。

(人から触られるのが弱いのも変わってない…)

「名前かわいい…」
「えっ?」

小さく呟いて彼女を強く抱きよせた。
柔らかい彼女の胸が僕の顔を包み込む…何か、いつもより埋まる感がある。
もしかして大人の彼女だから胸も成長しているのかもしれない。

…あ、れ?これはさすがに埋まりすぎ…

柔らかい感触に顔だけじゃなく身体全体が埋まっていく…いや、これ落ち…

どんっ!

「った…?」

浮遊感が消えて固いものとぶつかる衝撃が僕を襲った。
痛む頭と腰をおさえつつ、身体を起こすと見慣れた部屋だった。

「……夢?」

上布団を巻き込んでベットから落ちてしまったようだ。
巻きつく上布団を剥いでとりあえずベットに座る。

「……リアルな夢だった」

その事実がどんどん羞恥心募らせた。
赤くなる顔を覆って何とか気持ちを落ちつかせる。

「ん?…これ、って」

頬に当たる冷たい感触に疑問を持って左手を確認すると、夢と同じ輝きをもつ指輪…。

「…この指輪僕と名前ちゃんの、結婚指輪?」

試しに指から指輪をとって内側を見てみると、テツヤto名前と筆記体で書かれていた。

「…僕と名前の、結婚指輪」

どうして夢の中で出て来たものが現実にあるんだろう。
そんな疑問より僕は羞恥心の方が勝って僕は再びベットから落ちてしまっていた。
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