(4)


「え、名前ちゃんと出来るじゃん」
「はい、できますよ?」
「えうっそぉ」

「名前
 リュックに教科書を詰め込んでいた彼女はゆるい声に顔を上げる。声の主は教室の扉を開けて、堂々とこちらに向かって歩いてきた。彼女はフロイド先輩と呟いて、慌ててリュックのチャックを閉めて、フロイドの元へ向かおうとする。が、フロイドが歩いてくる方が早かった。なんせフロイドは足がとっても長いので。せめても、と彼女は席から立って、フロイドを見上げる。先輩が立っているのに、後輩が座っているなんて!という気持ちである。
 フロイドは驚いている小エビをぎゅう、と奥に寄せて、彼女の席に座る。そして、彼女を自分の目の前、机に乗せて、首を傾げる。彼女は机に座るなんて真似は普段しないので、居心地悪そうに背を丸めてしまう。あと、押し込まれた小エビの「うぎゃ」という声が気になって、あまりフロイドに集中できなかった。
「名前って部活入ってる?」
「は、入ってないです」
「どっかでバイトとかしてる?」
「してないです」
「放課後何してんの?」
「ユウちゃんと一緒にいます」
「小エビちゃと?」
「はい」
 グルン、とフロイドはぎゅむぎゅむせめぎ合っている小エビwithエーデュースに視線を向ける。三人は、最近フロイドによく絡まれている彼女を密かに心配していたのだ。小エビはよくその場面に遭遇するが、エーデュースは初めてだった。フロイドに怯えていた彼女が、戸惑いながらも嬉しそうにしているので、デュースはすごく驚いていた。
 彼女は小エビであるユウにすぐ懐き、その後にデュースに懐いた。エースの意地悪や煽りが怖かったそうだ。元ワルだったとしても、薄い化けの皮だったとしても、デュースは真面目な優等生。ゆえに、大人しい気質の彼女はクラスの陽キャ、カースト第1位のエースよりも、デュースの方がとっつきやすかったのだ。その過去はエース本人に、よくイジられている。
「小エビちゃん、名前と何してんの」
「エッ、お喋りとか、補修とかいろいろです?」
「補習?二人仲良くぅ?」
「はい、こないだ雨漏れしている屋根を直しました」
 小エビはすれ違いに気づく事もなく、胸を張った。横から、エースがツッコミを入れる。
「いやいや、お前板渡しただけで。修理したの俺らじゃん」
 俺らとは、もちろんエーデュースのことである。小エビは胸を元に戻して、エースを白々しい目で見た。
「なに、か弱い私たちに屋根の上に登れと……?」
「小エビちゃんはか弱くないよ」
「強いですか私」
「強いって言うか、しぶとい?つーか図太い?」
 フロイドが首を捻りながらそう言えば、ウンウンとエーデュースが深く頷く。えー、と不満そうにしている小エビに、彼女は控えめに視線を送る。でも、この人数で喋っていると、いつ入ればいいか分からない。タイミングを図っていると、スカートの上に乗せている手が掬われる。えっと驚くと、フロイドがその両手を握って、ゆらゆらと軽く揺らす。
 フロイドは彼女が会話に入れなくなると、いつもこうやってスキンシップをとってくる。まるで、彼女がそこに居ることを確かめるように。
「か弱いってどちらかと言うと、名前じゃね?」
 エースがニヤッと笑って、なぁー?と彼女に同意を求めてくる。彼女はギョッとして、首を横にふる。折れそうになるくらい勢いよく。きっとエースは会話に参加できない彼女に気を遣ったのだろう。だが、しかし、その一言は危険だ。いい意味で大らかでマイペースな小エビと、素直でお人好しな彼女だから喧嘩にならない。この二人ではなかったら、少しでも仲の悪い組み合わせだったら、一気に亀裂が生まれる可能性がある。いや、可能性しかない。
 小エビがポーズでええ、と拗ねていると、エースの悲鳴が教室に響いた。
「イッテェ」
「カニちゃんってほんと稚魚
 フロイドは呆れた声を出して、ヒョイっと彼女を抱き上げる。膝の上に抱っこされて、彼女はまたギョッとするが、なぜか小エビも抱っこされた。女子二人は顔を見合わせて、首を傾げた。エースはデコピンをされた額を両手で押さえながら、フロイドを睨みつける。涙目で睨まれても、フロイドは何も怖くない。
「は?どういう、てかマジで痛いんだけど」
「名前はか弱いんじゃなくて、ただ弱いの。分かる?」
「わ、悪口」
「いや、事実だから」
「!」
 彼女が落ち込んだ声を出しても、フロイドはピシャリと容赦なく返す。彼女はスマッシュを打たれたような顔をして、シュンと小さくなる。小エビはおーいおーいと彼女の頭を撫でて、抱きしめる。
「名前ちゃんの強さは優しさだからね、強いって一種類だけじゃないから、ね」
 彼女は小エビに抱きついて、やっぱり信じられるのはユウちゃんだけと鼻を啜る。エースもよく気付くし、身内になると割と甘い。ただやっぱり末っ子で、男兄弟なので、詰めが甘い。女の子の意思がないところで、女の子を比較することのリスクの大きさを分かっていない。ユウちゃん一生ついていく、と決心を固めていると、フロイドが許してくれなかった。
「小エビちゃん甘やかし過ぎ。弱いなら、弱いなりに生きてかなきゃダメじゃん?だから自覚すんのは大事だよ」
「うぐッ」
「弱い弱い言わないでください!名前ちゃんは弱いんじゃなくて、打たれ弱くてビビりなだけです!」
「ウッ」
 彼女は小エビの腕からもがいて逃げると、フロイドの胸へと逃げていく。フロイドは避難してくる彼女の頭をよしよしと撫でて、小エビちゃんさぁと視線で小エビに呼びかける。小エビは自分の言葉をワンテンポ遅れて、理解して、しまったと顔を青くする。「違うんだよ名前ちゃん」フロイドに抱き付く彼女に、抱き付く小エビ。変な図だった。そもそも、引っ付いている女子を膝の上に抱き上げているフロイドがおかしい。
 エースとデュースと目を合わせて、肩をすくめた。小エビの歯を期せぬ発言の餌食は、実は割と彼女が多かったりする。小エビは基本優しくお人好しなので、意図的に他者に毒を吐くことはない。ただ割と内心で毒を含むことを考えていることが多く、もはや通常運行である。ただそれを口にするか、しないかの違い。しかも、小エビはタチが悪く、たまにソレが毒を含んでいるか自覚がない。
 許容量を超えれば、小エビは牙を向く。そんな小エビが許容量を超えなくても、牙を向くことがある。それは、単純に条件反射である。小エビは気を許せば許すほど、思っていることを率直に口にしてしまう。特に彼女相手にはとぅるんとぅるんになる。数が少ない。いや、少ないというか、彼女は小エビにとって身近にいる唯一の同性であり、一番気を許している友達なのだ。
「てか、フロイド先輩は何しに来たんですか?」
 エースの言葉に、フロイドはあっと思い出した顔をする。彼女に引っ付く小エビを剥がし、返却する。返却された小エビはストン、と座って、首を傾げる。一瞬すぎて、何が起きたか分からなかった。フロイドは彼女の脇を掴んで、彼女を子猫のように抱き上げる。
「名前、ウチでバイトしない?」
「ウチって?」
 彼女がキョトン、とすると、フロイドはにんまり笑う。
「モストロ・ラウンジ」

「まさか、こんな逸材が隠れていたとは」
 大袈裟に感嘆するアズール・アーシェングロットの言葉に、彼女は「そんなことないです」と首を横に大きく振る。でも、顔は正直で嬉しそうに、テレテレと緩んでいた。慣れていないお洒落なメニュー名に多々噛んだり、噛みそうになったりするが、それ以外で彼女の給仕は完璧に近かった。やはり、男女の体格の差で食器を運べる量は少なくなってしまうデメリットはある。だが、彼女の元々の他人に気遣い、顔色を伺う性格は給仕に向いていた。
「何より、経験者であることが大きいですね」
「で、でも、こんな畏まった……え、えっと、本格的なカフェではなかったので、接客に問題なくてよかったです」
 彼女はしどろもどろに言葉を選んで、誤魔化すように笑う。アズールはさらに笑顔を深めた。良い意味でモストロラウンジの仕切りの高さを理解しているところも好感が持てる。彼女をスカウトしてきたフロイドには褒美をやらなくては。彼女がアズール先輩怖くないかも、と油断しているとき、長い腕が腰に巻き付いてきた。
「え名前ちゃんとできんのつまんない」
「エッ」
「オレが色々教えたかったのに
 フロイドは顎を彼女の肩に乗せて、プクーと頬を膨らます。彼女が理不尽な言葉に、す、すみませんと謝れば、アズールは「謝らなくていいんですよ」と呆れた声を出した。
「フロイド、彼女丁度休憩の時間です。賄いでも作ってあげたらどうです?」
「ン、名前作ってみる?」
「……え、私ホールで入りましたよね?」
 ピキッと表情を固くする彼女に、フロイドは瞳を輝かせる。
「名前料理できねーの?」
「……出来ないって言うか、あんまりしたことないです」

「名前切るの超下手!手はね、こうやって添えんの」
「……」
 にこにことご機嫌のフロイドと、どストレート下手と言われながらも、涙目になりながらも、健気にフロイドの言葉に耳を傾ける彼女。フロイドが楽しいなら、何よりと同じようににこにこしているジェイドに、アズールは頭が痛くなった。せっかく見つけた優秀な人材のためだ。彼女が参る前には、助けに入ってやろうとキッチンを後にした。

あとがき

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