正しい恋の進め方





 この小洒落たカフェに来るのは、初めてではなかった。
一回目は出会った日、二回目は初めてのデート、三回目は別れ話のため。

「別れよっか」
「……」

 彼女は顔を俯かせて、力一杯スカートを掴んだ。そうでもしないと、感情が溢れてしまいそうだった。



「ナマエ、最近恋人とどお?」
「え、どおって……」

 ナマエと呼ばれた少女は、ザクザクと薬草を切り刻みながら眉を下げる。彼女はハイスクールへの進学を機に家を出て、寮制の学校に通っている。彼女の通う学校は女子校だったので、予想通りのその手の話は多いに盛り上があるのだ。

「正直、付き合ってるのかどうか怪しいんだよね」
「えぇ?でも、一年生の頃に出会って、付き合ったんだよね?」
「いやぁ、付き合ったって言うか……」

 ヤることヤっているだけ、というか……。錬金術の授業中だ。さすがに、そこまで明け透けには言えない。彼女が切り刻んだ薬草をゴリゴリと擦る作業へ移行していると、友達は眉を寄せて考え込んだ。彼女が言い淀んだ意味を察すると、すぐに面白そうな顔をになった。

「大人しい顔して……」
「やだ、やめて。授業中だって」
「ふふ、
 ……じゃあ、ナマエは悲しい都合のいい女ポジションの可能性もあるってこと?」
「可能性?むしろ、その線の方が濃いって思ってる」
「ふぅん、なんでそんな風に思うの?」

 友達はぐるぐると鍋を掻き混ぜながら、首を傾げる。彼女は周りをきょろきょろと確認して、声のトーンを落とした。

「文化の違い?たぶん?」
「どういうこと?」

 彼女が言うには、地元ではお付き合いをする際には告白を経て、何なら「付き合おう」と明確に言葉にして、スタートするのが一般的だ。ところが、こちらでは何度かデートを重ねる内に付き合っていることになるとか。彼女の説明に、友達は額に手を当てて、あちゃという顔をする。この友達は中々仕草がホームドラマっぽい。

「なるほど。
 それは戸惑うかも」
「でしょ?」
「でも、何回もデートしてるなら聞いてもいいじゃない?」
「……」

 彼女は神妙な顔で、口を噤んでしまった。それが出来たら、苦労しない。脳内には、「飽きた」と言って表情を無くす想い人の姿。言えるわけない。気分屋で、飽き性の恋人に、「本当に私のこと好き?」なんて。彼女が中々続きを話さないので、友達は彼女の脇腹を腕で突いた。彼女は言いたくなかった。恋人の詳細を言えば、友達から返ってくる言葉は想像できるからだ。

「ナマエまだ何か隠してるでしょ!ねぇ!」

 友達の強い尋問に、結局彼女は洗いざらい話すことになってしまった。



 彼女はどちらかと言うと大人しくて、真面目な性格だ。そんな彼女が気分屋で飽き性な男の子と関係持つだなんて、彼女自身も想像していなかった。時々、今でさえ夢ではないだろうか?と思うのだ。きっかけは、ナンパだった。

「は、離してくださいっ」

 まだ賢者の島に来たばかりの頃、彼女はこの街の右も左も分からなかった。黒い制服を身に纏った男の子の強引さも、下衆さも、知らなかった。ただ道案内を断っただけなのに。賑やかな道を外れて、裏道に行こうする男子生徒に鈍感な彼女でも分かった。この男子生徒の目的が。彼女は必死に体重をかけて逃げようとするが、ずるずると引っ張られてしまう。腕を掴まれているだけなのに。

 ああ、もう、だめだ。完全に裏道に入ってしまう。もう誰も助けてもらえない。彼女の目から涙が落ちて、全てを諦めかけたとき、一つの影が増えた。大きく長い影が。

「陸のナンパって、そんな情けねぇやり方なの?」

 顔を上げると、彼女の腕を引っ張る男子生徒と同じ制服を着た男の子がひとり。狭い裏道の間に、立っていた。とても背が高かった。その背の高い男の子が歩み寄って、目の前に立つ。ただそれだけで、とても迫力があった。男子生徒は声も上げる暇なく、その場から走り去って行ってしまった。

「はぁ?まだ何もしてねぇんだけど」
「……」

 背の高い男は不満そうに、足元にあった石ころを蹴飛ばした。そんなに強い力ではないだろうに。その小石は壁に当たって、壁に傷を作った。

「あ、あの……」
「え、なに、まだ居たの」

 彼女は怯えながらも、口を開いた。助けて貰ったお礼がしたい、と。背の高い男は、その言葉に目を少し見開いて、面白そうに目を細めた。ずいっと、彼女に顔を近づける。

「お礼って、なんでもいーの?」
「え、わ、私に出来ることなら……」
「だいじょうーぶ。ちゃんと出来るよ……じゃあ、行こっか」

 震えてる彼女のことも気にせずに、男は彼女の腕を引いて気分良く歩き出した。彼女が連れて行かれたのは、ホテルだった。別にいやらしいホテルではなく、至って普通のビジネスホテル。彼女はえ?え?と戸惑っているうちに、部屋に連れて行かれ、背の高い男に抱き締められていた。初めて触れる異性の温もりは、思いのか悪くなくて、彼女は男に身を委ねかけていた。

「よく見るとかわいーね。名前は?」
「え、えっと、ナマエです……」
「ナマエね、んじゃあナマエは今から俺のってことで。オーケー?」
「え、えっ、まさか、それがお礼?」
「そ。ナマエにもできることでしょ?」
「……」

 彼女が口を噤むと、フロイドはニヤニヤと笑って、そのまま彼女のファーストキスを奪った。きっと、それがトドメだった。結局、彼女はフロイドの温もりに抗えず、初体験もフロイドに奪われてしまったのだ。行きずりの関係は意外と長く続き、フロイドと彼女が身体を重ねるようになって、一年近く立とうとしていた。その間に、フロイドの気まぐれでデートをしたり、ただ昼寝をするだけの日もあって、彼女はますます関係の曖昧さに溺れていってしまった。

 彼女はパスタをくるくるとフォークに巻きつけながら、話し終える。楽しみだった昼食も、話題の所為であまり美味しく感じなかった。彼女の話を聞いていた友達は、ずっと突っ込みそうになるのを耐えていた。そして、ついに噴火した。

「そんな男やめた方がいいって!
 飽き性で、ヤることヤってるだけって!一番最悪じゃん!」
「……デスヨネ」
「えぇー、実質ナマエの片思いってこと?」
「おそらく」
「だったら、尚更聞いても……」

 私のこと好き?って聞いてもよくない?と言いかけて、友達は口を噤んだ。違う。片思いだから、聞けないのだ。片想いで、どんな形でもいいから、好きな人と繋がっていたいから。だから、怖くて聞けない。踏み込めない。全てを察した上で何も言わない友達に、彼女は申し訳なさそうに笑い返した。

「不毛な話聞かせてごめん」
「はぁ、今度美味しいもん食べに行こうね」
「ありがと」

3、

 彼女は思い出した。今日確か自分は、占いで最下位だったと。その占いでは、外出を控えるように言われていたはずだ。けれども、彼女は大して重く捉えずに、出歩いてしまった。だって、せっかくの休日だし。新しく買った服も着たかったし。でも、占いの言うことを聞いておけば良かった。

「フロイド先輩、重いです!」
「あはは、だって小エビちゃんの頭ちょうどいーんだもん」

 最近見た電子マンガの広告のようだった。数歩先から、私服姿の微妙な仲の男の子が別の女の子と楽しそうに歩いてくる。女の子の頭に肘を乗せて、ケラケラと笑うフロイド姿に、彼女は懐かしい気持ちになった。そうだ。フロイドくんはあんな風に無邪気に笑う人だった。きっと、ここで「その女の子、だれ?」と聞ける自分だったら、こんなフロイドの姿も見なくて済んだだろう。

 彼女はさっと視線を逸らして、ふたりの視界から消えるように背中を丸めた。目立たない程度に、歩くスピードを上げて通り過ぎようとした。そのとき、フロイドが顔を上げて、何かを探すように辺りを見渡す。その仕草に、彼女はなぜか後ろめたさを感じて、ぎゅう、目を閉じた。

「ナマエ?」
「あ」

 見つかってしまった。フロイドの方から、声を掛けられるなんて思っていなかった。もし目が合っても、知らないふりをされると思っていたから。だって、きっと”小エビちゃん”と呼ばれる女の子が本命なのだ。彼女はそっと視線を上げて、フロイドと小エビちゃんを伺いみる。フロイドは気まずそうな顔をして、小エビちゃんは不思議そうな顔をしていた。

 彼女は胸の痛みを忘れて、口をぽかん、と開けそうになった。どうして。フロイドくん、そんな顔してるの。まずい、見つかったって。まるで、浮気現場を恋人に見られたみたいな顔。

「小エビちゃん」
「は、はい」
「ジェイドのとこまで、一人で行ける?」
「行けます」
「ごめん。ちょっと先行ってて」
「わ……分かりました」

 小エビちゃんはフロイドの言葉に、こくん、と頷いた。そのまま彼女にぺこり、頭を下げると、その場から立ち去っていく。フロイドは小エビちゃんの背中を見送った後、やはり気まずそうに彼女を見下ろした。今度は彼女が不思議そうな顔をして、フロイドを見上げていた。その表情にフロイドは、無意識に眉を寄せる。

「ナマエ、今日ひとり?」
「う、うん」
「今から時間ある?」

 フロイドの問いかけに、彼女は大人しく頷いた。

「じゃあ、ちょっと付き合って。
 話したいことあるし」

 フロイドがいつもの癖で手を出すと、彼女もついフロイドの手を握ってしまった。その行動に、互いが目を丸くしていた。

「アー、行こ」
「うん」



 フロイドが向かった場所は、行き慣れたカフェだった。紅茶よりも、コーヒーがメインのカフェ。彼女はいつもミルクたっぷりのミルクコーヒーで、フロイドはブラックだった。今日も、彼女の前には優しい味わいのミルクコーヒーが置かれていた。

 彼女は大人しくミルクコーヒーを飲んで、待っていた。目の前で、そわそわしているフロイドが話し出すのを。フロイドはちびちびとブラックを飲んで、何度もピアスを指先で弄って、膝を揺らしていた。その落ち着きのない姿は、何かを探しているようだった。

 もしかして、言い訳とか?

「あー……、やっぱオレ向いてないや」
「?」
「ナマエ、ごめん。
 キスも、セックスもしてないけど」
「う、うん?」
「小エビちゃん、あー、さっき一緒に居た女の子のコト、今気になってて」
「えっと、可愛い子だよね」

 いきなりのストレートな単語に彼女は目を見開いたが、その後続いた言葉にホッとした。本命とのベッド事情を語られるのかと思った。気まずそうにしながらも、素直に気持ちを打ち明けてくれるフロイドに、彼女はへらり、と笑い返した。そんな彼女に、フロイドはムッと顔を顰める。あまり不機嫌なフロイドに目の当たりしてこなかった彼女は、思わず視線を逸らしてしまう。

「なにそれ、嫌味?」
「えぇ?い、嫌味じゃないよ!本当に可愛い子だと思ったからだよ?
 フロイドくんとお似合いだったし、
 むしろもう付き合ってるのかと思ったくらい……本当にお似合いだった、よ」

 ああ、どうして、こんな言葉はスラスラ言えるのだろう。フロイドに本当に言いたいことも、聞きたいことも、この口は言えないのに。彼女が怯えたようにそう捲し立てるので、フロイドは気持ち悪いものを見た顔をする。

「ナマエさ」
「はい」
「オレがカノジョいんのに、
 他の女の子に手を出すような奴だと思ってたってこと?」
「……」

 彼女が顔を上げる。驚いた顔をしてフロイドを見つめて、考え込むように眉を寄せた。

「フロイドくん、その、えっと、カノジョいるの?」
「……」

 彼女の質問に、フロイドはまた顔を顰めて、大きいため息をついた。

「オレの目の前にいんだけど?付き合って、一年のカノジョ」
「私!?」
「ナマエさぁー……オレのこと、おちょくんのもいいかげ……ゲェ!?」

 フロイドはいきなり彼女が泣き出したので、ギョッとした。フロイドの知っている彼女は、いきなり泣き出したりしない。いつも大人しくて、落ち着いていて、自分の感情をあまり出さない子だった。彼女はぼろぼろと涙を零して、ひっくひっくと小さな肩を揺らし始めた。

「ごめん。ナマエ、ごめん。
 何も思わないわけないよね、ごめん。
 ナマエが居るのに、他の子気になってごめんね」
「……」

 テーブルの向かいから、フロイドが袖で彼女の涙を拭う。ふわふわのニット素材だったので、全然痛くなかった。彼女は素直にフロイドの手を受け入れながら、首を横に振った。

「ナマエ?」
「私フロイドくんの、カノジョだったんだね」
「……は!?」



「いやいや、俺のって言ったじゃん。初めて会ったとき」
「……」
「いや、なにその顔。どういう感情なの、ナマエ」

 目を丸くして、口を大きく開いて、自分を見上げる彼女に、フロイドは眉間に皺をつくる。一年付き合っていたはずの女の子は、自分との関係を遊びだと思っていたらしい。彼女はまた涙を流しながら、口元を緩める。

「フロイドくんが初めて会ったときのこと覚えてたんだぁって嬉しくて」
「俺の記憶力バカにしてる?」
「あと、俺のって、カノジョって意味だったんだぁって思って。
 フロイドくん少女漫画の俺サマみたい」
「ね、ナマエやっぱり俺のことバカにしてるよね?」

 フロイドがムッとした顔をしても、彼女はふにゃふにゃと笑って、首を横に振る。安心して、嬉しいだけ、だと彼女は言う。フロイドは訳分かんねーとボヤキながら、彼女の涙をまた袖で拭ってやった。彼女は素直にフロイドの手を受け入れて、スッキリとした顔で笑った。

「でも、別れる前に聞けて良かった」
「ちゃんと誤解とけた?」
「うん」

 フロイドの言葉に、彼女は嬉しそうに笑う。フロイドはそんな彼女の頭を撫でて、呆れた顔をする。

「ナマエ今自分がフラれてるって分かってる?」
「うん」

 彼女は相変らず笑顔で、頷く。はあ、とフロイドはため息をつく。ナマエはいい子だから、ワーワー騒がないって思ってたけど、これはこれでムカつく。フロイドは理不尽な感情を胸にしまって、彼女の手をとった。

「最後だから、鏡まで送ってあげる」
「……ありがとう」



「あれ?ナマエどうしたの。こんな時間に」
「ちゃんと失恋してきた」
「……そっか。寮のキッチン行こ。ホットケーキ作ってあげる」
「う、ん、ありがとう」



「じぇいどぉ……俺ヘンかも」
「どこが具合でも悪いんですか?」
「……いや、そういうんじゃない」

 フロイドは枕に顔を埋めたまま、沈んでいた。ジェイドは読んでいた雑誌から顔を上げて、フロイドのベッドへ近付く。遠慮なくフロイドを仰向けにひっくり返して、フロイドの額へ触れる。自分の額と、熱さを比べてみるがいつもと変わらないようだった。

「熱はありませんね。気のせいですよ」
「だからぁーそういうんじゃないって」
「今日カノジョさんと別れたのでしょう?」
「そー」
「良かったじゃないですか。監督生さんにアピールし放題ですよ」
「……」

 ジェイドの言葉に、フロイドは顔を顰める。枕を抱き枕のように抱き締めて、唇を尖らせた。

「……そういうんじゃない」
「不可解ですね……まあ」
「なに」

 含みを持たせるジェイドを、フロイドはジト目で見上げる。

「いえ。
 ただフロイドらしくないなとは、思っていましたけど」
「なんで?」
「だって、普段のあなたならさっさと見切りをつけて、先に行くでしょう?」
「……」
「別れること自体、面倒だったなら別ですけどね」

 ジェイドはそれだけ言うと、自分のベッドへ戻っていった。雑誌の続きを読むらしい。フロイドは再びベッドに顔を埋める。目を瞑って、思い浮かぶ女の子。その女の子はふたりいた。その事実に、フロイドは反射的に枕を投げてしまった。

「ウブッ」
「ジェイド!どうしよ!
 俺このままじゃ本命決めれないクズ男になっちゃう!」
「は?」
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