゜死んでも言わない(20170704Jr.誕生日/番外編)

 最悪だ。こんなに最悪な気分でケーキを作るなんて、初めてだ。カショカショ、と独特の音を立てるボウルの中身は生クリームで、私は怒りにも似た気持ちを原動力にして、泡立て器を動かし続ける。だいたい、あの人がアレックスさんの前であんなことを言うから…、こんなことになるんだ。

いつもなら、腕が痛いなんて言って友達やお姉ちゃんに代わってもらっていたけれど、不思議なことに疲れは感じなかった。ひたすら、あの人への怨念を込めているからだろうか。

「ナッシュ、明日誕生日だったのか。
 何かするか?せっかくだしな!」

すっかりナッシュさん、アレックスさん、私の三人で食卓を囲むことに慣れてしまった。なんでナッシュさんのために、ご飯を作らなきゃいけないんだろう。そう思って居ても、楽しそうなアレックスさんの姿を見てしまうと、何も言えない。お行儀が悪いと思っていても、幼い頃の箸先をかじる癖が復活してしまった。きっとここに友達か、お姉ちゃんが居るなら、注意されるに違いない。がじがじと感情を落ち着かせていると、ナッシュさんはお椀から口を離して、鼻を鳴らした。

「誕生日だからって…」

誕生日なんてわざわざ祝う年齢でもないと思っている方なのだろうか。表情から言って、くだらねぇって感じだ。そんなナッシュくんが、不意にこちらを…私の方を向いて、いや、待てよとでも言うように口を閉じる。ちょっ、ちょっと待って。私はナッシュさんの所為で、絶対要らない警戒心が育てられてしまった。無意識のうちに、首を横に振っていると、ナッシュさんが楽しそうに口角上げる。

「…ケーキ」
「ケーキ?」
「ああ、誕生日に手作りのケーキを作ってもらうとか…ガキの頃、憧れてたなと思ってよ。いつも買ったヤツだったから」
「…な、なっしゅ…お前」

はい!ダウト!絶対!嘘!
私は全力で首も、手も振って、否定したかった。意外でもないが、情に弱いアレックスさんの涙声に私はどんどん外から埋められているような気しかしない。よく見て!アレックスさん、この人薄っすら笑ってる!三人で食事をするときはアレックスさんが場を盛り上げてくれて、ナッシュさんや私は相槌に回ることが多い。その空気も災いして、完全に私は蚊帳の外だった。

一人で焦って、戸惑っていると、ナッシュさんが改めて、私を見つめる。

「…名前の作ったケーキ食いてぇ」
「いや、いやいや!アレックスさんに作って貰ったら」
「俺はアレックスより名前の料理が好きだし、アレックスはバーベキューしか出来ねぇだろ」
「そんなの、やってみないと分からないし…あ、アレックスさんも!」

最後の望みを託して、アレックスさんの方を振り向こうとした瞬間に両肩に重みを感じた。あ、あれ…?恐る恐る視線を上げると、フレーム越しに綺麗なエメラルドの瞳が潤んでいて、私もつられて潤みそうになる。あ、両肩に感じた重みはアレックスさんの手だったのか。さすが元スポーツ選手だ。同じ女性なのに、大きさがやっぱり違う。がしっと力強く掴まれ、私の眉はどんどん八の字になってしまう。

「名前…誕生日のケーキとかな、大切な日のケーキは誰が作っても同じじゃないんだ。
 作って欲しいヤツに作ってもらえること以上の幸せはない。そう言いたいんだろう、ナッシュ」
「…ああ」

私たちから顔を背けて、肩を震わせるナッシュさんの姿にもう何も言うなと、アレックスさんはうんうんと頷く。アレックスさん、違う。あの人は感動で泣いてるとかじゃなくて、笑ってるんだよ!絶対、笑ってるんだよ!

「名前…作ってくれる、よな?」
「え、あ…」
「…正直に言うとな、…私も名前の作ったケーキ食べたい」

う、う…はい。私はこくん、と振り子人形のように首を縦に繰り返し動かした。ずるい、ずるいです、アレックスさん。そんな言い方をされて、片目を瞑られたら、作るしかないじゃないですか。

***

ありえない!

思わず、テーブルにだんっ!と拳を叩きつけたいぐらいの衝動に襲われている。私は何度目か分からないけれど、壁にかけてある時計を見上げる。やっぱり、何度見ても変わらない。約束の時間はとっくの昔に過ぎている。テーブルの上には、ナッシュさんの要望のケーキと、和食が並んでいる。時間が過ぎて、ご飯は冷めてしまっているのに、私の怒りは熱くなっていくばかりだ。

イスに大人しく座ってものの、膝の上で拳を震わせる私をアレックスさんは気遣うように見つめてくれる。でも、その視線に気付いてても、上手く笑い返せなかった。

なんなの、あの人。本当に最低。知ってたけど。私の作ったケーキやご飯が無駄になるのは、もうこの際いい。いや、良くないけど、それ以上に気に入らないことがある。それはアレックスさんの優しさを踏み躙ったことだ。優しいアレックスさんに付け込んで、アイツ本当に最低。

「アレックスさん、温め直して食べませんか。もうこんな時間だし」
「…うーん、もうちょっと待ってみないか?」
「…どうせ来ないですよ」

困った笑みのアレックスさんをさらに困らせてしまうと分かっているのに、私は視線を落として拗ねることしか出来なかった。アレックスさんはそんな私の態度に、呆れも怒りもせずに、私の頭を撫でて、慰めてくれた。

「ナッシュもああ見えて、忙しいからな」
「…?」
「忙しいと言うか、…今頃仲間たちに捕まってるのかもな」

アレックスさんはどこか懐かしいものを思い出すように、目を伏せた。アレックスさんは元選手だから、ナッシュさんのような日々を送っていたのかもしれない。誕生日となれば、祝ってくれる仲間に囲まれていた日々とか…。生憎私はバスケットボールのルールも、文化も、アメリカの中での位置づけも詳しくないから、分からないけど。

アレックスさんの言葉に、一方的に思い込みで責めるのはやめようと拳を解いて、へにゃっと笑って見せた。

「うん、本当に名前はいい子だな…私ちょっと風呂に入ってくるな。眠気冷ましてくる」
「はい」

***

シャワーを止める音がして、私は自分が眠りかけていたこと気付く。次の瞬間、乱暴に扉を叩く音がして、私は漫画のように飛び上がってしまう。まだアレックスさんはお風呂に入ったままだ。怖いけれど、一応様子を見た方がいいだろう。念のために携帯を持って行こう。リビングから廊下へ、そして玄関へ…。ちょっと、扉壊れちゃう。そんな乱暴にしない…で?

「…ナッシュさん?」
「名前か?お前居んなら、さっさと開けろ!」

乱暴で、偉そうな言い方に私はムッとして、ちょっと意地悪してやろうか。思っても、素直に扉を開けてしまう。自分で思っているより、ナッシュさんに逆らってはいけないと言う習慣が身に付いているのかもしれない。なに、その恐ろしい習慣。早く直そう。扉を開けると、私は思い切り顔を顰めた。

鼻につくお酒の匂い。ドン引きするくらいに、ヨレヨレになったスーツと思われる、服装。結構フォーマルな感じだったろうに。え、ちょ、ちょ、…ちょっと!

ナッシュさんの格好に気を取られている間に、私はナッシュさんの両手に顔を掴まれ、キスされていた。何度か、唇を重ねて、啄まられて、私の意識が戻る頃には唇は離された。な、なに…?状況が掴めずに、口を押えているとナッシュさんはもう自分のペースらしい。

「アレックスは」
「…あ、お風呂。…ナッシュさんが来るの遅いから」
「…シルバーたち、つーか、女に絡まれてな…だから誕生日なんてめんどくせぇんだよ」

ナッシュさんはぼやきながらも、酷くイライラしていた。確かに、本人が望んでこの時間帯になったわけではないらしい。でも、なんでそんな…わざわざ面倒な誕生日にケーキなんて作らせたんだろう。考える意味なんてない疑問に思考回路を奪われていると、ナッシュさんに抱き締められる。抵抗する前に、抱き締められる痛みの方が来て、何もできない。

「ん…」
「な、ナッシュさん…」
「飯食うぞ」

首筋と言うか、耳元辺りで、今…思い切り、匂いを嗅がれたような…。戸惑う私はいつだって置いてきぼりで、リビングへと進むナッシュさんの背中を追いかけた。待って!アレックスさんがお風呂から出るまで、待たないと!と告げると、ナッシュさんはまた私に迫って来た。ぎゃあぎゃあ逃げ回っていると、お約束ようにアレックスさんが登場し、助けてもらった。

***

「…まあ、不味くもねぇけど、特別美味くもねぇな。
 お前料理は美味いのに、菓子作りは苦手なのか?」

私の中の、手のフォークがバキバキっと音を立てればいいのに。悲しい事に私はそんなに握力が強くない。今回のメインと言ってもいい、ケーキに!頑張って作ったケーキに!なんなの、この人、本当にきらい。もう私は感情が我慢できずに、苺にフォークをぶっさして、口の中に押し込む。アレックスさんが思い切り、ナッシュさんの頭を叩いて、説教をしてくれるが、無駄ですよ、アレックスさん。エネルギーを消費してしまうだけです。

「…なに?」
「…」

アレックスさんが説教してくれている中、ナッシュさんが私の方へ手を差し出す。偉そうに大きな手が、指先がこいこいとで言うような動きをしている。嫌だよ、用があるなら口で言えばいいのに。基本的に三人で食事をする際は、私がナッシュさんにいじめられないようにアレックスさんが間に入ってくれている。その関係でどうしても、ナッシュさんと向き合うことになるのだが。

「今日は俺の誕生日だぞ」
「…だからケーキを」
「普通用意するだろ」
「は…何を…は!まさかプレゼント要求してるの!?」

思わず色々敬語も何もかも抜けて、ドン引きした表情のままナッシュさんを見上げてしまう。そんな私の態度に、ナッシュさんは踏ん反り返って、当たり前だろ、と口にした。あ、ありえない…この人、図々し過ぎる。人にケーキまで用意させて、コケにして、…その上、プレゼントなんて。ありえない。私がノーノ―!と首を横に振れば、ナッシュさんは気に入らないと片眉をピクリと、上げる。

「まあまあ…名前はケーキや料理で忙しかったんだ。これで我慢しろ」
「え、アレックスさん用意したんですか」
「ああ、まあな。誕生日だしな」
「…」

アレックスさんはラッピングされた袋を取り出して、ナッシュさんへと渡す。その様子に、嘘だ…!と口をへの字にしていると、ナッシュさんはプレゼントを当たり前のように受け取って、私を見る。そして、鼻で笑う。…勝手な気持ちで申し訳ないが、アレックスさんに裏切られたような気持ちになった。うう、…仕方ない、か。ナッシュさんは置いておこう。誕生日に罪はない。私もイスから立って、ナッシュさんへと背中に隠していた袋を押し付けた。

「…用意してたんじゃねぇか」
「ただのスポーツタオルなんで」
「…」

目を見開いたナッシュさんは機嫌を直すように、目を細めて口角を上げるが、私の言葉にあぁ?とまた眉間に皺が寄る。ふんっ!なんて子どもっぽく、そっぽを向ける年齢でもないので、無表情のまま自分の席へ戻ろうと…するが、戻れない。腰に巻き付いた長い腕に振り返れば、ナッシュさんが何か言いたげに私を見上げている。

「今日は俺の誕生日だ」
「いや、知ってますし、だからプレゼントもケーキもご飯も作ったじゃないですか」
「言う事あるだろうが」

鈍いな、お前とナッシュさんが呆れた顔をする。きっと、ここが今日の、ううん、今までの私の怒りのピークだった。元々心は広い方ではない。私はナッシュさんの肩に両手を添えて、顔を近づけた。私の様子の変化に気付いたナッシュさんは雰囲気を作り出すように、腰を抱き直した。その隙しか、なかった。私は勢いよく、でも狙いはちゃんと定めた。

ゴンッ!

鈍く、痛そうな…ううん、痛い音が部屋に響いた。私はじんじんと痛む、額を押さえながらも、倒れ込まないように足を踏ん張る。そして、言ってやった。

「死んでも言わない!」

てめぇ、と私と同じように額を押さえながら、涙目で私を睨むナッシュさん。そして、長い腕が伸びる。私逃げる。めちゃくちゃ逃げる。

アレックスさん、後片付けはちゃんとするから、あとはお願いします!

***

俺は自室に戻ると、彼女から受け取ったプレゼントを開けるが…彼女が言っていた通り、何の変哲もないスポーツタオルが一枚入っているだけだった。あの女、本当に情の欠片のねえヤツだな。可愛くない。まあ、当たり前っちゃ当たり前か。…何かを、彼女に期待していたような自分に気付き、俺は適当に彼女から受け取った袋を放る。

そのとき、袋から一枚のカードがひらひらと舞い、俺の目元にくっ付きやがった。本当にアイツは人を苛立たせるな。怒りに任せて、カードを剥がし、破ろうとしたときに、俺はあることに気付く。



長すぎる発信音に若干イライラしながらも、待っていると不機嫌そうな彼女の声が俺の耳に届く。

「死んでも言わないんじゃなかったのか?」
「…ちっ」

俺がメッセージカードを読んだことに気付いた彼女の返事はまさかの舌打ちだった。俺はその可愛らしい舌打ちを鼻で笑うと、彼女が余計に怒ったように鼻息を荒くしたような気がする。彼女にどんな言葉を掛けようか、悩んでいると、彼女の言葉が途切れ途切れに聞こえた。

「…いし」
「聞こえねぇ」
「伝えないとは言って、…ない、し」

彼女の言葉に俺は大きく目を見開いた。確かに刺々しい物言いも、声も、いつもと変わらない。それでも、照れを含んだ声色は俺を刺激して来た。そんな彼女をもっと堪能しようと名前を呼ぶが…、不自然な沈黙の後、呆気ない機械音が空しく響く。

「…名前、おい…おい!」

あの女!通話一方的に切りやがった!

この後、何度も、何十回もかけ直したが、結局名前は出なかった。アイツ、頑固過ぎんだろ。俺はベッドに身体を預けて、何の変哲もない白いメッセージカードに鼻を近づける。僅かだが、彼女の匂いがした。

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ナッシュ・ゴールド・Jr.さまへ

お誕生日おめでとうございます

名字名前より
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