5万打 | ナノ

いつか
月へ行くあなたへ


地から離れ、空中でしなる身体。キラリと透けたように輝く髪。太陽のような虹彩で見つめる先には、何が見えているのだろう。時々、木兎は普通の人間では無いように思う。飛躍して、さらに飛躍して。本当にそのままどこかへ飛んでいってしまいそうだなと感じる事がある。大空へ吸い込まれてしまうんじゃないかって。月まで飛んでいってしまうのではないかって。

バレーの試合観戦後。木兎が現地解散だから待っていてと言うので一人、体育館のエントランスで時間を持て余していた私はそんな事を考えていた。

「あれ? ミョウジじゃん」
「……木葉。試合お疲れ」
「おー、てか木兎は?」
「まだ来てないよ」
「ミョウジが待ってるからって、俺たちより先に帰ったはずなんだけど」

おかしいな、迷子か? と木葉と小見が馬鹿にしたように笑い、猿杙と鷲尾が肩を竦める。

「赤葦もいないし二人でいんじゃね?」
「あー、かもな」
「ま、そのうち来るだろ」

木兎と付き合ってから仲良くなった彼らの「一緒に待とうか」という申し出に首を横に振った。

「どうせろくでもない事だろうから、大丈夫」

それもそうだとケラケラ笑って歩く四人の背中を見送って、所在を確かめるメッセージを送るが返信はなし。どうしたものかと体育館を探し歩けば、木兎は案外すぐに見つかった。

「私ファンで!」
「いつも応援しています!」
「格好良かったです!」

きゃっきゃっ騒がしい声。その中心にいるのは満更でもない顔をした木兎。

「これ、よかったら受け取ってください!」
「マジでー!」

嬉しそうな声色。ほら、なんだか遠い人。そんな私の眼差し気づいたのは木兎ではなく後輩、赤葦だった。涼しげな瞳を私に向けて歩み寄ってくる。

「ミョウジさん」
「お疲れ」
「お疲れ様です」

私の隣に並び、黙って木兎を見据えた。

「ほっといて帰ればいいのに」

私の言葉に鞄預かってて、と足元に置かれた大きな鞄へ視線を落とし溜息を溢す。

「ビンタの一発でもしにいったらどうですか?」
「え? なんでよ」
「そうすれば早く帰れるのに」

隠しきれない苛立ちが声色に表れていて、それが本心かと思わず笑ってしまった。

「私をなんだと思ってるの」
「木兎さんの彼女だと認識してます」

そりゃそうだ。私は木兎の彼女。そんな彼女を放っておいて、可愛い女の子に囲まれている木兎。私の知らない人みたいだ。

「最近さあ、木兎ってかぐや姫かなんかじゃないかと思うんだよね」
「ハア?」

淡々としている赤葦が、珍しく低い声を出して私に歪んだ表情を見せた。おまけに「あ、やべ」なんて漏らしているし。赤葦をそうさせる程に、突拍子のない事を言い出した自覚はある。

「今はさ、普通に同じ学校にいて。同じ教室で勉強して、知ってる体育館でバレーして。私と、私たちと変わらない生活をしてるけどさ。そのうち自分のいるべき場所に行っちゃうんだろうなって」

きっと木兎は身体が動かなくなるまで、当たり前のようにバレーを続けるんだろうな。バレーをするための進路を選び、バレーのためなら日本を離れることも厭わない。プロになって、バレーのために県境も国境もぴょんぴょん兎みたいに飛び越えて、私の手の届かないところまで平気で飛んでいってしまうのだろう。それこそ月で跳ねる兎みたいに。

「将来さ、過去を思い返して、今のこの時間が奇跡みたいなものだったんだなって。そう振り返るんだろうなって思うんだよね」

何も言わない赤葦との沈黙が、柄にもなくしかも後輩にこんなことを語ってしまったと気づかされ、急に恥ずかしくなった。それを誤魔化そうと「なんてね」と口にすれば、赤葦は重そうな口を開けて「わかります」と呟いた。

そんな奇跡みたいな時間を独り占めするのは悪いかな。そんな風にも思えるから、彼女だからって理由でその時間を奪うのは気が引ける。けれど可愛い女の子の手が木兎に触れたところで、自分のこめかみの辺りがピクリと動いた。

まあ、でもそろそろいいよね。

だって私の木兎なんだもの。そんな傲った考え間違っているなんて分かっている。けれど今だけは狭い私の檻の中にいて欲しい。近々飛び立ってしまうあなたを縛らせてよ。
今、この場所で誰も呼ぶことを許されていない。私でも普段滅多に呼ばないけれど、私には許された特権。

「光太郎」

そう呼びかければ、すぐに私に太陽みたいな虹彩を向けて、分かりやすく顔を綻ばせた。そして「悪い、今行く!」と歯を見せて笑った。

「意地が悪いですね」

そう言って、鼻から抜けた息の音が呆れを見せる赤葦に「優しいの間違いでしょ」と言い返すも返事は無かった。変わりに木兎が「差し入れ貰った!」と悪びれもせずに両手の荷物を赤葦に押し付ける。

「後で皆で分けようぜ!」

バレーはバレー。付き合う前、私が毎回応援に行っていても、その恋心に気付かなかった木兎。彼の中ではバレーと恋愛は別のものらしい。バレーの応援は、バレー好きだと疑わない。怖いくらいの真っ直ぐさ。その残酷さを木兎は知らない。そして一生気付かないのだろう。むしろ気付かなくていいと思ってしまう。

そんな事を考える私はやっぱり、意地が悪いのだろう。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐


無事に春高出場を決めた我校、梟谷学園。木兎が誰よりも、誰よりも長くコートに立っていて欲しいと思う。けれどその反面、木兎が遠くへ行ってしまうカウントダウンにも思えてズブリズブリと底無し沼に埋まっていくような感覚。不安と恐怖。


「ヘイヘイヘーイ! なんか元気なくね!?」

部活がミーティングだけで、久々の木兎との帰り道。そんな私の不安を余所に、なあなあと顔を覗き込んではぴょんぴょんと跳ねる木兎。どうやら彼は絶好調らしい。

「木兎はさ、不安に思う事とかある?」
「ん? 不安?」

んー? と口をへの字に曲げて、顎を触る。いかにも考えているという素振りを見せるが、その頭の中はどうなっている事やら。

「ない! 春高楽しみ!」
「そっか」
「ストレートもクロスもキレッキレだし! サーブも調子いいし! レシーブはミスする時もあっけど、誰にも負ける気しねー! 俺最強!!」

前しか見えていない。前しか見ない。妥協も諦めも知らない木兎に後悔なんて言葉はないのだろうな。そんな底抜けに明るい木兎が好き。けれど最近はそんな木兎が怖い。
見上げた空に浮かぶ、あの綺麗な月まで一瞬で飛んでいってしまいそうで。どうしようもなく怖い。

「春高前にさ、部活にオフってある?」
「んん? んー、たぶんある!」
「一緒にいれないかな?」
「デート!?」
「うん」

おっしゃー! と両手を挙げて私に笑いかける顔が眩しい。眩しすぎて、見ていられない。

「その日さ、ずっと一緒にいれないかな?」
「おう! 一緒にいよーぜー!」
「朝まで」
「え?」

ピシャリと固まった木兎。

「朝までずっと一緒にいたいんだけど」
「マジで? なにそれ!なんかエロくね!?」

目を爛々と輝かせて、興奮した顔。目の前しか見えていない。そのくせに見通しのいい場所から自分の行く道をしっかりと見据えている。
ねえ、木兎。その視線の先に私はいる? どこまで木兎の未来に私はいるの?

「ばーか」
「えー? でもそういう事じゃねーの? そうだろ? なあ? なあなあ! ナマエ! ナマエちゃーん! ナマエさん!?」

煩い木兎を置いて、先を歩く。少しだけ月に近づく。きっと木兎の先を歩くのは最初で最後。木兎は私の背中を知らない。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐


友達の家に泊まる。親にそう嘘をついて出かけた冬休み。午前練で終わり、明日は春高前、木兎の高校最後の部活のオフ日。

「ナマエ!」

顔を真っ赤にさせてブンブンと手を振る木兎が私を待ち構えていた。

「ちょっと! 風邪引いたらどうすんの!」
「えー、だって待ちきれなくて」

手を握ればエヘヘなんて、馬鹿丸出しの笑顔が私を怒るに怒れなくさせる。大きな手が私の手を握って、どこへ行こうかと歩き出した。
デートはいつものように進んだ。雑貨屋でおどけて見せて、よく行くファミレスでバレーの話をしながら口元を汚す。意味もなく二人で写真を撮って、人目を忍んでキスをした。そして夕方、少しの緊張感と罪悪感を抱きながら、月から逃げるようにホテルへと身を隠した私たち。


「すげー! ベッドでけえ!」

部屋に入るなりダブルサイズのベッドへとダイブする。わははと声を出してはしゃぐ姿が木兎らしい。

「ねえ、シャワー浴びてからにしてよ」
「珍しい! ヤる気満々じゃん!」
「違う。常識」

ちえーと言いながら、椅子へ移動してテレビのチャンネルを回す。私がコートだとか荷物を整理していると「ナマエ!」と木兎が手招きをした。

「なに?」
「いいから!」

なによと近寄れば木兎の足の間に座らされて、後から抱き締められた。

「春高までのジューデン!」

木兎の匂いと、逞しい腕が私を包む。いつの間にかこんなにも好きになってしまった。いつか私から離れていく彼を。最初はそんな事考えたりしなかったのに。ただの馬鹿なクラスメイト。バレーをする真剣な顔が格好よくて、辺り一面を照らす笑い方が好き。それだけだったのに。それだけで良かったのに。

「やべ」
「なに?」
「勃ちそう」
「はあ?」

私のしんみりした空気をぶち壊してシャワー浴びてくる! とすっかりその気らしい木兎。「一緒に入る?」なんて言葉に睨み付けてやれば、目を丸くさせてそそくさと浴室へ姿を消した。そして直ぐに再び姿を見せて私にも早くシャワーを浴びろと促す。

「別に浴びなくても俺は気にしないけどな!」
「ちょっと黙ってて」

分かりやすく悄気た顔をしてベッドの縁へと腰をおろし、力なく私に手を振る可愛いお馬鹿さん。もしかしたら、こんなやり取りもこれが最後なのだろうか。そんな気持ちになってしまえば、シャワーくらい一緒に浴びれば良かったかな、なんて考えてしまう。

シャワーを浴び終えて部屋へ戻れば、木兎は嬉しそうに隣に座れとベッドを叩いた。言われるがままそこへ腰をおろせば、木兎は私の顔を覗き込んでキスをするのかと思ったが、動きを止めた。

「今、何考えてる?」
「え?」

真剣な顔。太陽みたいな目で、私が奥底まで隠した気持ちを照らす。

「なんか俺に言いたいことある?」
「なんで?」
「らしくねーじゃん? ずっと一緒にいたいとか。俺はめっちゃ嬉しいけど」

野性的勘? 鋭いのか、そうじゃないのか。

「赤葦が何か言った?」

ビクリと肩を弾ませて、分かりやすく動揺して見せる木兎。あー、あの時赤葦に話したのが間違いだった。けれど意外だな。木兎に言わない方が何かと都合が良さそうなのに。

「いや、なんつーか? この前の試合の後、赤葦とナマエが一緒にいたじゃん? それで、こう、何話してたのって聞いたっつーか?」

目を泳がせて、落ち着きない顔。そして意を決したように私に向き直って「言いたいことは俺に言えよ」と射抜くような眼光が私を貫いた。
その目に私は弱い。春高が終わるまで余計なことは言いたくなかったのに。今の木兎には嘘も誤魔化しも通用しない気がする。「言えよ」って力強い声が私の隠したいもの全部を照らしつけた。

「木兎はさ、不安は無いって言ったけど、私は不安だよ」
「え? なにが?」
「全部。全部が」

なんで? なにが? と意味が分からないといった表情を浮かべる。

「木兎は卒業したら、バレーをするための進路を選ぶでしょ?」
「おう!」
「いつか日本を離れるでしょ?」
「ん? そうか?」
「海外でバレーする機会があれば迷わず行くでしょ」
「おー! 行ってみて
「その間私はどうするの?」
「んん?」
「ずっと今みたいにはいかないでしょ」
「は!? なんで!?」
「なんでって……。距離とか時間とか合わないよ」
「一緒にくりゃーいいじゃん!」

簡単に言う。そんなの無理なのに。考え無しの木兎が嫌になる。

「無理に決まってるじゃん」

木兎から視線を逸らして、弱々しい声を出した自分が情けない。真っ直ぐな彼から逃げて、不安をぶつけることしか出来ない。それを察したのか、木兎はそっと私の手に触れて、力強く握った。

「俺はさ、バレーができなくなるかもって考えるのが、まあ、ナマエの言う不安だと思う」
「……うん」
「でも今は、じじいになってバレー出来なくても、ナマエがいればいいやって思ってた。そんで不安はなくなったけど。ナマエはちげーの?」

なにそれ。

「なあ? ちげーの?」

木兎の見据える先にはずっと私がいるの?どうしてそんな事、簡単に言えるの?

「なあ、ナマエ」

握っていた手を離して、いつかの時みたいに口元に手で筒をつくり、内緒話のポーズをする。それにそっと耳を寄せれば、木兎が囁いた。

「俺のこと、好きなんじゃねーの」

自然と涙が溢れた。ぼろぼろみっともなく頬を濡らして、うんと声にならない声で返事をする。すると木兎は自分の耳に手で筒をつくって私を待ち構えた。なんでかな。何も解決なんかしていないのに、底無し沼から足が抜けた。身体が軽くなった。今なら木兎と一緒に月にだって届きそう。

「光太郎、好き」

それを言い終われば一瞬でベッドへと押し倒された。目の前には太陽が二つ。その双眼は、もしかしたら太陽であり月でもあるのかもしれない。ギラギラと眩しすぎる太陽と、闇を照らす静かなる光にも見えるから。

「光太郎」

ゆっくりと触れた唇。木兎の体温が泣きたくなるくらいに優しい。

「朝までいいんだよな」

そう言って笑った顔は、私だけが知る男の顔。

「馬鹿」

木兎の背中に腕を回して、私から彼を求めた。今は全部欲しい。太陽も月も、あなたが飛び回る大空だって欲しい。全部全部閉じ込めて、私の中で暴れて欲しい。そうやって、朝までなんかじゃなくて、どこまでも連れて行って欲しい。

月まで連れて行ってよ。

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