5万打 | ナノ

空に足をつけ
地を仰ぐ


年上ってのは少し早く生まれただけで、なんでこう偉そうなのだ。年上を敬え? そりゃーそれに相応する尊敬できる人なら従うさ。けれど、反発する者にはそれなりの理由があって、そちらにも問題があることを少しは理解するべきだ。

下校時間を大幅に過ぎた時刻。誰もいない静まり返った昇降口。先程まで浴びせられていた先輩からのありがたい御言葉。つまりは説教をされていたため、怒り任せに自分の下駄箱の扉をバンと音を響かせながら閉めた。家に帰ったらアイス二個食べてやると、鼻息荒く壁のように並んだ下駄箱を抜けると、はたり。凛とした涼しげな瞳と目があった。

「……こんばんは」

咄嗟に出た間違ってはいないがきっと不正解な挨拶。

「こんばんは」

そう平然と返事をしたのは我校誰もが知るバレー部主将。北信介先輩。

「お疲れ様、です」

あまりに真っ直ぐな視線に言葉がつっかえる。北先輩はそれを気に止める様子なく「お疲れさん」と静かな口調。

「とっくに下校時間過ぎとるの知っとるか」
「あ、はい」
「二年か。どこの部や」
「吹奏楽部です」
「いつもこない遅いんか」

怒気が含まれているわけではないけれど、威圧的な質問はまるで尋問だ。その圧のせいで、言葉を交わす度に伸びる背筋。

「いつもは下校時間に帰ります」
「せやろな。自主練か」
「違います」

ほんならなんやねん。遊んどったんか。なんで規則を破ったのか言ってみろ。そんな感じの視線に、なぜ言わなければいけないのか。そもそも北先輩に何の関係があるのか。一瞬忘れていた部活の先輩のありがたい御言葉を浴びせられた怒りが、ふつふつと再び沸き上がる。

「先輩方に音楽性の違いでご指導を受けまして。その後一人で片付けと掃除をしてこの時間になりました」

自棄糞みたいな言い方に、北先輩は声色を変えずに「そうか」と納得したように呟いた。

「ほな帰るか」

そう言って歩き出した北先輩に続く。少し先を歩く先輩は、糸から吊るされているように真っ直ぐに伸びた背筋。指先までもが真っ直ぐだ。見つめた視線の先の皺一つない背中。それらは空気までも張り詰める。居心地の悪い緊張感に、息をするだけでビリビリする。そんな北先輩が十字路で足を止めた。

「どっちや」
「え?」
「帰り道どっちや」
「駅なんでこっちですけど」

駅へ続く道を指差せば迷うことなくそちらへ進行方向を変えて見せた。

「あの、駅まですぐなんで。大丈夫です」
「この時間に女一人で帰せるか」
「でも北先輩、電車通学じゃないですよね。それに送ってもらう理由もないですし……」
「理由? 理由なんてないわ。当たり前の事やん」

当たり前?
私の疑問を無視してさっさと歩き出した北先輩は不思議な人だ。下校時刻を過ぎた夜道。家の明かりと街灯が私たちのゆく道を照す。その頼り無い灯りが照すことのない、北先輩の見えない部分を覗いてみたくなった。

「あの、北先輩」
「なんや」
「先輩はいつも帰りはこの時間なんですか」
「部の二年がなかなか帰らんからな。この時間になることもある」

同学年の宮兄弟の顔が浮かんだ。それから私の質問に北先輩は淡々と答えてくれた。それが当たり前みたいに。そうやって言葉を交わしながら歩けば駅につくのはあっという間だった。

「ありがとうございました」

自然と下がる頭。

「電車降りた後は一人か」
「降りたら親が迎えに来てくれます」
「ほんなら俺はここで帰るわ」

まさか一人だと答えたら家まで送る気だったのだろうか。いやいや、さすがにそれは無いだろう。北先輩の当たり前は、私を、いやきっと万人を勘違いさせると思う。危険だ……。

「気つけて帰れよ」

そう言って踵を返した北先輩を「あの!」と呼び止めてしまった。

「私二年のミョウジナマエです! これから学校で見かけたら挨拶してもいいですか?」

北先輩は少しだけ目を大きくさせて「ええよ」と、柔らかく笑った。その顔に心臓がどんって音を立てて跳ね上がり、みるみる全身が熱を持った。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


あれから私は北先輩を探してしまう。そしてその姿が視界に入れば挨拶をした。わざわざ駆け寄ったり、後ろから追いかけたり。時には二階の窓から中庭を歩く北先輩に、先輩好きですって叫びたくなる気持ちを挨拶に変えて叫んだ。そんな私の突拍子のない行動に北先輩は顔色一つ変えず返事をしてくれる。

今日も自分のクラスの窓から見えたグラウンドへ向かうであろう北先輩に窓を開けて叫ぶ。

「北先輩ー! こんにちはー!」

北先輩は私に向き直って手を挙げてくれた。


「よくやるね」

感心なのか呆れなのか。よくわからぬ顔で、後ろの席の角名がお茶を飲みながら長い足を私の座席の下へ投げ出している。

「だって好きになっちゃったから」
「ふーん」
「北先輩って部活でどんな?」
「どんなって……。別に変わんないよ。あんな感じ」

何事も手を抜かないし、隙がないし、圧がやばい、と一呼吸に言ってのける。そして北先輩の話をすると角名は投げ出していた足を机の下にしまいこみ、心なしか背筋が伸びていた。

「尊敬。尊敬する北先輩」
「まあ、それは否定しない。でも正論パンチは死にたくなるよ」
「なにそれ」

北先輩が窓から見えなくなったところで席につけば「北さんがミョウジと付き合うとか天と地がひっくり返ってもないだろうな」なんて嫌みを言われた。

「天と地がひっくり返ればあるかもしれないじゃん」

そんな負け惜しみみたいな言葉に角名はふんと馬鹿にしたように鼻を鳴らすだけで、何も言い返してはこなかった。


‐‐‐‐‐‐‐‐


部活の個人練習時間。いつもの練習場所にこれ見よがしに先輩がいたので、仕方なく人のいない場所を探すかと思案したが、探し歩く時間が勿体ないという結論。人通りが多いところは好かないがこの際仕方ない。中庭を抜け、開けているが運動部が行来する場所で楽器を吹いた。一応ソロパートを任されているが、近々先輩が先生に申し出てオーディションがあるだろう。負けるわけにはいかない。


気のすむまで楽器を鳴らして、喉を潤そうと足元の水筒に手を伸ばせば「凄いな」って、私の心臓を乱す声が聞こえた。

「北先輩」
「お疲れさん」
「お疲れ様です。部活休みですか?」
「ミーティングだけでおわってん」

水筒を握ったままの私に「飲まんのか」って北先輩が催促をするので、「失礼します」と口をつけた。

「自主練か」
「個人練習の時間で。もう少ししたらパート練習に戻ります」
「ほうか。そんなら邪魔したな」

そう言って背中を向けた北先輩に「あの」と、再び私は北先輩を呼び止めた。

「時間あったら少しでいいんで、聞いてもらえませんか」
「俺はええけど。音楽は聞かせてなんぼかなんか」
「音楽は聞く人に評価されるものですから」

音楽のことはよお知らんけど、そう前置きをして北先輩は私の前に立って黙ってあの時と同じように、涼しげな眼差しを向ける。二度とないチャンスだろう。だから北先輩を想って吹こう。あなたが好きですって言葉にできない気持ちを奏でよう。北先輩に届けって、伝われって。あの夜道、私の前を歩くしゃんとした後姿に。ええよって笑ってくれた先輩に。挨拶する度に募った想いを全部込めて。天と地がひっくり返れって。

そうやつて北先輩に聞かせるためだけの演奏を吹き終えると、先輩は黙って私に拍手をしてくれた。

「なんや、さっきとえらい雰囲気が違ったな」
「わかりました?」

私の気持ちわかりましたか?って期待の目を向ければ「ようわからん」とピシャリ。

「今のは練習になるんか」
「え?」
「決められたこと、決められた通りにやらんとあかんのやないか?」

部内の先輩に言われた言葉が蘇る。「あんたの強すぎる解釈は演奏の邪魔やねん。いくら上手くても合わせられんやつはうちの部にいらん」鈍器で頭を殴られたみたいな衝撃。

「……私は、演奏家です。表現者です。音楽は自由であり表現の一つです。周りに合わせるのは当然ですけど、個人の解釈も何もない演奏がお望みなら機械に歌わせればいい。機械に演奏させればいい」

北先輩に言っても仕方がないのに。音楽のことはよくわからないって、最初に言ってくれていたのに。私が聞いてくださいってお願いしたのに。部内の先輩と同じことを言われて、同じ言葉を言い返してしまった。

「それに、今のは北先輩が観客でしたから。先輩だけのために、北先輩に演奏したんです」
「そんでも部活やろ。部のためにならんことに時間使うんは意味あんのか」

鼻の奥がツーンとした。そして角名が言った言葉の意味を初めて理解した。

「時間取らせてすみませんでした。時間なので戻ります」
「そうか」
「さようなら」

北先輩の視線から今すぐにでも逃れたくて、頭を下げれば先輩も「さようなら」と、丁寧に挨拶をしてくれた。

北先輩は息をするように正しいことを言う。自分の正しさを疑わない人。たとえそれが人を傷つけたとしても、正しさを曲げることはしない強い人。そんな先輩を尊敬する。けれどそんな先輩を酷く冷たい人だと感じてしまった。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐


あれから幾日か経って、運動部の壮行会。そこで吹奏楽部は演奏をする。何度か行われたオーディションでソロパートを守り抜いた私は今日もソロを奏でる。
オーディションの時は勝てるように、勝てるような演奏をした。そして今日私は、運動部を激励する演奏をするつもりだ。北先輩が正しさを曲げないように、私も自分の演奏を曲げない。だって、私の音楽はそうだから。自分の好きに演奏するときはそうするし、聞く人の求めるものがあるときはそうする。私の練習っていうのはそれを表現するための基礎の反復練習だから。北先輩に聞かせたのは練習なんかじゃなくて、本気の本番。だから私にとってはあれが正しかったのだ。


各運動部の主将が決意表明をする。勿論北先輩も。あれから私は北先輩とすれ違えば挨拶をしたものの、以前のように追いかけたり自ら近寄ったりはしなくなった。だから久々に聞く北先輩の真っ直ぐな声に胸が締め付けられた。


「最後に、吹奏楽部から激励の演奏です」

司会者の言葉と共に始まるチューニング。そして静寂を破るようにタクトを振る先生の動きは、私と同じ思考だ。躍動しろって言っている。だから私もそれを周りに伝えるんだ。躍動しろ、飛躍しろ、最後まで走り抜けって音にするんだ。


壮行会を終えて部活を行い、いつも通りの下校時刻。同じ電車通学の部員と昇降口へ向い、下駄箱を抜けると思わず足が止まった。なぜならあの時のように北先輩と目があったからだ。

「お疲れさん」
「お疲れ様です」

部員は私に「先に行くね」と笑顔で耳打ちしてきた。ファイトなんて手振りをして。たぶんそんなんじゃないと思うけど…。恐る恐る北先輩へ視線を戻すと、先程となんら変わりない表情。

「話あって待っとった」
「……そう、ですか」
「時間ないし歩きながら話すわ」

そう言って私の横を並んで歩き出した北先輩。初めての距離感に心臓が騒ぐ。何を言われるのだろうか。想像がつかないから恐い。びくびくしながら進むと、校門を出たところですぐに北先輩は口を開いた。

「前、畑違いの俺がでしゃばった事ゆうてすまんかったな」
「えっ、いえ。そんな事ないです。……北先輩は正しいです」
「後、今日の演奏は痺れた。ちゃんとやらなあかんのは当たり前やけど、ちゃんとせよって尻叩かれた気になったわ」

予想もしていなかった言葉に驚いた。そして、ちゃんと届いたんだって胸が熱くなった。北先輩は正しい。だから嘘だってつかないし、絶対的真実に身震いすら覚える。謝って、褒めて。真実を述べる北先輩。尊敬する先輩。あぁ、やっぱり好き。好き。先輩が好き。

「私、北先輩が好きです」

自然と口から溢れ落ちた。

「今は部活が一番やから」

なんとも北先輩らしい言葉だ。そう言われるって分かってての告白。でも言わずにはいられなかった。声に出さずにはいられなかった。だって私は演奏家で表現者だから。ずっと内に秘めてなんかいられない。伝えたくなってしまうんだ。

「はい。知ってます。だから振ってください。知ってますか先輩。歴史上の偉大なる音楽家たちは恋多き人たちだったんです。たくさん恋をして、たくさん失恋をして。そうやって感性を培うんです。私も同じです。だから失恋しても平気なんです。それを音にするから」

精一杯の強がり。唇が震えて、じわりと視界が滲む。強がりきれていない私に北先輩は「困るな」とぽつり。

「気が多いんは困るな」
「え?」
「あと失恋やない。俺も好きやから」

吃驚して足を止めてしまった。北先輩は三歩ほど進んで、振り返る。その顔が涙で滲んでよく見えない。

「なんや、泣いとんのか」

そう言って自然な動作でハンカチを手渡された。そのハンカチで涙を拭えば知らない匂いが鼻を掠める。北先輩の匂い。それが更に距離感に誤差を生んで、涙が止まらない。

「時間やから歩くぞ」

そう言って握られた手。北先輩の手は想像より大きくて、骨張っていて、温かかった。

「なんもかも落ち着いたら、ちゃんと付き合おうってゆうつもりやったんやけど。聞く耳あるか?」
「……はい、待ってます。……待ってます」

グズグズと泣きながら、きっとみっともない顔でそう答えれば、北先輩は握った手に力を込めていつもみたいに「そうか」と口にした。


駅について「ありがとうございました」と伝えてあの時のように頭を下げれば、「気つけて帰れや」とあの時と同じ。そんな言葉が返ってきた。けれど違うのは北先輩が背中を向けず、ずっと私を見ていること。好きな子は最後まで見送るのが当たり前。そう言われているみたいで心臓が速度を増し、全身の毛が重力に逆らって逆立つ。まるで逆立ちしてるみたいに。まるで天と地が入れ替わったみたいに。

あ、天と地がひっくり返った。

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