5万打 | ナノ

アイラブユーなんて
言わない


年末の忘年会シーズン。バイト先の居酒屋は馬鹿みたいに忙しい。本当に馬鹿みたいに。料理を作りながら「馬鹿じゃないの」って呟いてしまうほどに。
ヘトヘトになってコートを着込み、外の喫煙所へと向かえば花巻さんが項垂れるようにして煙草をふかしていた。

「お疲れ様です」
「おー、お疲れ」

今日はエグかったなと笑う顔は疲労の色が見てとれる。

「でも今日で終わりですから」
「だな。明日から正月休みだな」

寒さに震えながらも煙草を吸わなければいけないなんて、喫煙者ってのは本当にどうしようもないと思う。そう思うのにやめられないのが煙草ってやつなんだけど。本当にどうしようもない。

「ナマエちゃんって正月どうすんの」
「どうするもなにも寝正月ですよ」
「あぁ、ぽい」
「花巻さんは実家に帰るんですか」
「まあ……」

まあ、なんだ。そこで言葉を区切った花巻さんへ視線を向けると、煙草の箱へトントンとフィルター部分を打ち付けて、煙草の葉を詰めるような動作をしている。付き合ってから時々、花巻さんはこんな仕草をすることを知った。何か話したいことがあるようなときに、そうやって頭の中を整理しているのだろうか。その一定のリズムを聞くのは嫌いではない。嫌いではないが、今は寒さから花巻さんを待っている余裕があまりない。

「言いたいことがあるなら早くしてもらっていいですか」
「ん? そーねー」

私が可愛いげの無いことを言っても、花巻さんは小さく笑うだけ。そんな顔を私は結構気に入っている。私を甘やかす態度が、どろどろに心地よい。

「……正月、一緒に年越しませんか」

トンと煙草を一度強く打ち付けて、そんな言葉を口にした。

「いいですよ」
「え、いいの?」
「駄目なんですか」
「年越すってことは、泊まる感じになると思うんだけど……。いいの?」
「駄目なんですか」
「駄目じゃないです」

花巻さんがひとり暮らしをしているマンションへ、私はまだ行ったことがなかった。特に避けていたわけではない。たまたまそういう機会がなかっただけ。花巻さんが誘って来たことがなかっただけ。

「俺のとこ来るってことで、いい?」
「はい」
「まじか……」
「誘っておいてなんですか、それ?」

どうせ元はチャラい花巻さんのことだ。部屋へすぐ連れ込むのは硬派がすることじゃない、なんて考えていつ誘っていいか迷走でもしていたのだろう。現に花巻さんは手を繋いだり、別れ際にキスをするだけでそれ以上は何もしてこなかった。それに物足りなさを感じることはあるけれど、それを通り越してなんて可愛い人なんだろうって頬が緩んでしまう。

「楽しみですね、お正月」

ふっと口から抜けた息が細く伸びて、澄んだ星空へ溶けて消えた。

------


大晦日。花巻さんとお昼頃に待ち合わせをして、一緒に買い出しへ行った。スーパーのお正月仕様の値段に内心文句を言いたくなるが、花巻さんがニコニコと「奮発しようぜ」なんて口にするからどうでもよくなった。不思議だ、花巻さんと一緒にいるといなんでも許せてしまう気持ちになる。そんな穏やかな気持ちになるから、周りの景色が、見るもの全てが綺麗に見える。

「花巻さん、綺麗ですね」
「え? なにが」
「このイクラ」
「うわ、まじか。いっちゃう?」
「いっちゃいましょう」

海鮮、肉、少しの野菜と大量のお酒を買って私たちはスーパーを後にした。

「あ、蕎麦買ってねーや」
「私はなくてもいいですけど」
「まあ、カップ麺あるからいいか」
「麺類ならなんでもいいんですか」
「気持ちよ気持ち」

年越しは紅白を見るか、バライティを見るか。初日の出は見るのか、寝るのか。お参りは今日行くのか明日行くのか、はたまた行かないのか。花巻さんとお正月を過ごすって、こんなにイベントが盛りだくさんなんだなあ、なんて感心していると不意に横を歩く花巻さんが立ち止まって「げ」と変な声を出した。

何事だとつられて足を止め、じっと動かない花巻さんの視線をたどる。すると慌てた様子で「別の道から行こう」と無理矢理に進行方向を変えられた。そんなあからさまに隠し事をされたら、気になってしまうのが人間の性だろう。花巻さんに腕を引かれながらも後方を確認すると、綺麗な女が数名。そして一際目を引く綺麗な男が一名。あれ?どこかで見た顔だと思考を巡らせると、男がこちらに視線を向けて「あ!」と大きな声を出した。

「マッキー!」

ぶんぶんと綺麗な出で立ちらしからぬ勢いで手を振っている。

「マッキー! 久しぶりー!」

足を止めようとしない花巻さんから舌打ちが聞こえてきた。ハナマキさん。マッキー。なるほど。

「マッキーさん。呼ばれてますよ」
「その呼び方やめてくんね」
「無視でいいんですか?」
「いい。面倒だから」

そうか。ならいいかと花巻さんに歩調を合わせると、後ろから軽快な足音がして「なんで無視するのさ!」と目の前に現れた綺麗な男は、両手を広げて通せんぼをする子供のようだった。

「マッキー! ガン無視とか酷くない!?」
「わり、聞こえなかったわ。そんじゃ、急いでるんで」
「ねえねえ! もしかしてマッキーの彼女?」

噛み合わない二人の会話。そんなのお構いなしに私をまじまじと見つめる大きな瞳が、好奇の色をしている。そうだ、この人はいつか見た写真のきらきら王子さまだ。

「花巻さんとお付き合いしています。ミョウジナマエです」

一礼して見せると、目の前の王子さまも「及川徹です」と頭を下げた。

「めっちゃいい子じゃん! 彼女!」

挨拶くらい小学生でもできますよって言葉は言わないでおいた。わざわざ自分の株を下げて花巻さんに迷惑をかけるのは本望じゃない。

「せっかくだしどっか入ろうよ」
「行かねえよ」
「えー! 及川さんが帰省して暇してるなんてなかなかないよ! 今がチャンスだよ!?」
「見りゃわかるだろ。彼女といんだよ」

花巻さんの言葉に両手に下げた袋を見た及川さんは、ははーんと不適な笑みを浮かべる。

「ならマッキーん家で飲もうよ!」
「なんでお前がついてくるんだよ!」

やいのやいの言いながらも結局及川さんも花巻さんのマンションまでついてきて、仕方なしに三人で昼間から缶ビールをあけた。


「マッキーの部屋綺麗だね」

イレギュラーな人物を含め、三人で小さなテーブルを囲い、軽いおつまみとビールで名の無い乾杯をした。花巻さんはすっかりご機嫌斜めなようで、ぶすっとしながらビールを流し込んでいる。それを気に止めることなく及川さんはぐるりと部屋を見回して感心感心といった顔をした。なんとも微妙な空気。勝手の知らない部屋で、彼氏と初対面の男。しかもその彼氏は不貞腐れてこの場の空気をどうしようという気はないらしい。

「花巻さん、キッチン借りてもいいですか」

なんとか空気を変えたくて、無い頭で絞り出した提案。

「なんかつくんの?」
「サラダは作ろうって言ってたじゃないですか」
「あぁ、俺やる。座ってて」

その提案は呆気なく却下されてしまった。どうやらこの場から一旦離れたかったのは、花巻さんも同じよう。そう言うならと黙ってキッチンへ立つ花巻さんを見送った。

「ミョウジちゃんマッキーとどこで知り合ったの?」
「バイト先が同じで」
「あ! ピザ屋?」
「居酒屋です」

「あれ?マッキーピザ屋は?」と及川さんが叫ぶと、不機嫌そうに「やめた」とキッチンから返事が返ってきた。

「あ、そう。どうせ女絡みでしょ?」

ニヤリって嫌な笑みをつくる男に花巻さんからの返事はない。そんな花巻さんに代わって、「かもしれないですね」とビールを一気に飲みきると「気にすることないよ!」なんて、言い出しっぺのくせになぜかこの場を取り繕おうとする及川さん。

「いやね、マッキー大学生になってから、ちょっと派手な子とばっか付き合ってたから心配だったんだよね」

私の知る限りちょっとどころではない。

「だからミョウジちゃんみたいな子が彼女で安心したよ」

私みたいなってなんだろう。そう思いながらまたビールを空にした。
及川さんは元々なのか、お酒のせいかよく喋る人だった。高校のときの話、及川さんの通う大学の話、バレーの話。適当に相槌を打つだけの私だけれど、それに不満はないらしい。止まることを知らない及川さんの話のせいで、買ったばかりのビールを全て空けてしまった。

「お酒足りないですよね。私買いに行ってきます」
「は? もう飲んだの?」

キッチンから顔を覗かせた花巻さんに「すみません」と述べると「俺が行く!」と上機嫌に及川さんが手を挙げた。

「俺なんにもお金出してないし! 行きます!」

ヘラっと緩んだ顔をして、大丈夫かと心配になってしまう。

「大丈夫ですか? 私行きますよ」
「いーのいーの。それにお酒重いじゃん? 女の子一人じゃ大変だよ」
「酒はいいから帰れよ」
「もう少しいーじゃん!」

これでこの場にいる理由ができたと言わんばかりに、意気揚々と及川さんは部屋を出ていった。そのことにより急に静けさ漂う部屋で、シンクから聞こえる水の音が鮮明に鼓膜を揺らす。

「なんか、ごめんな」

水道の音と同化するような頼りない声色に耳を傾けようと、キッチンに立つ花巻さんの隣へと並んだ。

「なにがですか?」
「いや、及川。ちゃんと追い返せなくて」
「友達は大事にしないと」
「友達ってか、まあ……」

出来上がったサラダに視線を落として、暫しの沈黙。そして視線だけをこちらへ向けて口を開いた。

「イケメンだろ? アイツ」
「そうですね。きらきら王子さま」

自分で聞いておいてふーんなんて、いじけたような顔。嫉妬なのだろうか。まあ、意中の相手を横取りなんて容易にできてしまいそうな容姿だし、もしかしたらそんな経験もあるのかもしれない。「大丈夫ですよ私B専なんで」なんて言ったら、花巻さんは怒るだろうか。そもそも花巻さんはブスなんかではないし、イケメンであるからその言葉は不適切か。

「さっきは随分楽しそうだったな」
「え? あぁ、ピザ屋の話で盛り上がっただけですよ」

無意識に嫌味たらしいことを言ってしまった。口は災いのもとなんて、よくできた言葉だとつくづく思う。どうやら「ピザ屋」ってのは花巻さんにとっての地雷らしく、舌打ちが出そうなほどに顔を歪めてしまった。

「別に気にしてませんよ?」
「……そうかよ」
「今更じゃないですか」

上から聞こえた溜息。そんなつもりじゃなかったのに、自分の口が初めて厄介だと思った。それを誤魔化したくて、サラダにのった赤いプチトマトを摘まんで口の中へ放り込むと、爽快な酸味が弾けるように口の中へ広がった。

「私、トマト嫌いだったんですよね」
「へぇ」
「ピザとかに乗ってるのは平気なんですけど、生のやつがどうも好きになれなくて」
「ひっぱんね、ピザ」
「でも不思議なことに年を取ると味覚って変わるんですかね」
「まあ、そうなんじゃね?」
「今は結構好きです」

嫌いな花巻さんを好きになったくらいだ。人は味覚以外も変わる。だからチャラい花巻さんが変わったって不思議じゃない。そこまで頭では思ったが、口にするはやめた。というよりは、口にできなかった。
ふーん、なんて言いながら私を真似るようにして、長い指先で真っ赤なトマトを摘み口の中へ。その一連の動作がなんとも官能的に見えて口を開けなくなった。優しく撫でるように触れた指先。控えめに開かれた薄い唇。ごくりと動いた喉仏。そんな邪な視線で花巻さんを恍惚と見惚れていると、「なに?」と言葉を発した唇を食べてみたくなった。

「花巻さんが下品な食べ方するから」
「……なんだそれ」

私の性を刺激する食べ方。それを下品と呼ばずなんと呼ぼうか。

「色っぽい、いやらしい、エロい食べ方でしたよ」

そう囁きながらシンクの縁に置かれた花巻さんの手の甲の血管を爪先でなぞり、視線を向ければ熱を帯びた視線が絡まる。そしてゆっくりと触れた唇。私から求めるように花巻さんの腰に腕を回せば、唇が離れては触れ、離れては触れ。次第に激しさを増す。付き合ってそれなりに時間が経ったのに、手を出してこなかった花巻さんが初めて雄を見せた。大きな掌でがっしりと後頭部を押さえ込まれ、口内を掻き回す舌。するすると私の腰を撫でる手つきが極端にいやらしい。花巻さんの手が私の服に入り込み次の行為を想像させた時、部屋のチャイムが鳴り唇が離れた。ガチャリと無遠慮に開かれる扉。

するりと簡単に私から離れ、玄関へ向かう花巻さんの腕を引いて「続きはまた後で」なんてらしくないことを言う私は、ざるのくせに酔ったのかもしれない。けれどそれはアルコールのせいではなく、花巻さんに酔ったのだ。あんなキスをして、あんな触れかたをされれば誰だって酔ってしまう。散々待たされたのだ。酔うに決まっている。


「お待たせー!」

陽気な声と外から入り込んだ空気が、さっきまでの熱を帯びた空間をあっという間に換気してしまった。


------


「及川さん寝ちゃいましたね」

騒ぐだけ騒いで、電池が切れたように眠ってしまった。そんな姿を横目に花巻さんはどこかへ電話をかけ、それを終えるとベランダへ出て煙草に火をつけた。
一瞬流れ込んだ冷たい風が私の頬を撫でて、背中がぞわりと痺れる。その感覚が妙に心地よくて、私も煙草を手にベランダの窓枠へ手をかけると、花巻さんが笑って手招きをした。その柔らかい表情に胸が締め付けられるように痛む。その痛みがどうしようもなく温かかった。

「アイツの迎えの電話したから、そのうち来ると思う」
「そうですか」

会話をしながら私の腕を引いて、背後からすっぽりと覆い被さるように抱き寄せられた。鼻を掠める花巻さんの匂いが、お腹に触れる手が身体を疼かせる。

「触りかたが下品です」
「色っぽい? いやらしい? エロい?」

まるで揚げ足を取るように先ほど私が言葉にしたセリフを口にする。意地悪な人だ。むっとして、ベランダの柵を掴む指に挟まれた煙草を奪い取り、口をつければいつも自分が口にする煙草よりもきついタールが喉を焦がすようにまとわりつく。

「先に煽ったのそっちじゃん?」
「花巻さんがヘタレだから」
「ヘタレじゃねーよ! 大事にしてたんじゃん」

大事に。そう言われて嬉しくないわけがない。今、顔を見られる位置にいなくてよかった。きっとみっともなく私の頬が緩んでいるだろうから。


「あのさ、ナマエちゃんってさ、あー」

そのさ、と言葉を濁して私の手から煙草を抜きとり、すーっと細い呼吸音が聞こえる。何度かその音が繰り返され、煙草を揉み消す気配がするが、いくらまってもその先の言葉は続かなかった。なんとなく花巻さんの聞きたがっていることがわかる気がする。そしてそれが、なかなか私に触れてこなかった最大の理由ではないかとも思う。

「初めてじゃないですよ」
「あー、そっか」

処女じゃないと駄目でしたか? と今度は私が意地の悪い言葉を述べると、花巻さんは「俺も初めてじゃねえし」と、外の静かな空気に溶けてしまうような声量で呟いた。

「でも花巻さんみたいに経験豊富ではないので」
「あのさぁ、俺だってなぁ」
「なんですか?」
「俺だって、」

「俺だって」そう何度か繰り返し、ぐっと近づいた距離。「こんな惚れてる子とやんのは初めてなんだよ」と私の肩口に顔を埋めて囁いた言葉が、耳をぞわりと掠める。

「ヘタレにもなるわ……」

全身が粟立った。ずるい人。本当にずるい人だ。チャラチャラしてたくせに。ヘタレなくせに。そんな花巻さんから逃げたくなるが、振り払って離れる気になんかは勿論ならなくて。せめて視線だけと遠くを眺めた先にある見上げた空はとっぷりと日が暮れていた。ぽつりぽつりと輝く星が怖いくらいに綺麗だった。美しかった。

「花巻さん、星が。星が綺麗ですね」
「……殺してくれてもいいよ」

新しい愛の告白なのだろうか。私も花巻さんもどうしようもない。こんな寒空の下で熱を放つ、どうしようもない男と女。早く二人きりになりたい。早く花巻さんの体温を知りたい。早くこの人と結ばれたい。その想いを隠して、背中にいる彼の手を強く強く握った。

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