5万打 | ナノ

壊れた蛇口は
閉まらない


「ねえナマエ、本当にやるの?」
「やるよ。負けたままじゃ女が廃るもの」
「いや、意味わからん」

高校の側にあるラーメン屋で、いつもは結ばない高い位置で髪を括り、胸元のリボンを外した。これが私の戦闘スタイルである。そして「おじさん、アレをお願いします」と告げてカウンターに両肘をつき、祈るようなポーズで集中力を研ぎ澄ます。そうやってラーメンの登場を待っていると、ガラガラと店内の入口が音をたてて開かれた。

「あ、東峰じゃん。部活休みなの?」

そんな会話が聞こえたが私には関係ない。だってこれから私は戦いに挑むのだから。

「体育館使えなくて」
「そうなんだ」
「それよりさ、ミョウジどうしたの?」
「あぁ、激辛ラーメンチャレンジやるんだって」
「えぇ」

馬鹿でしょ? なんて言う友達に、東峰と一緒にいるらしい澤村が感心の声を漏らしている。そんな会話の中、私の集中力を乱す人物の声が鼓膜を揺らした。

「なにそれ! 俺もやりたい!」

ビクりと背筋が伸びて思わず振り返ると、そこにはスガくんがいた。真っ白い肌に柔らかそうな髪の毛を弾ませてニカって笑った顔。私の憧れの美男子、スガくんの登場に「スガくんはやめた方がいいよ!」なんて言ってしまった。

「なんでだよー」
「だってスガくんは繊細そうだし! お腹壊しちゃうよ!」
「おいおい、それ偏見」

私の忠告を無視してスガくんは爽やかな笑顔で「おじさん、俺にも激辛のください!」なんて言って私の隣に腰を下ろした。ばくばく煩い心臓。けれど五感を刺激するような激臭によって、再び集中力を取り戻す。

「はいよ、お待ち」

ストップウォッチ片手にいつもは無表情のおじさんがしたり顔をしている。「おお!」とスガくんが目を輝かせ、「目が! 鼻が!」と悲鳴を上げる外野を余所に私は手を合わせた。

「頂きます」

ピッというストップウォッチの音と共に戦いのゴングが鳴らされた。


私が半分ほど食べ終わった頃にスガくんも激辛ラーメンを食べ始め、予想外の彼の食べっぷりに負けてたまるかなんて変な意地が働き、見事私は完食した。前回はスープを飲み干すことができなかったが、今回はスガくんの存在が私に活力をくれた。

顔中汗まみれで酷い顔をしているであろう私に対して、スガくんは「やべー!」といいながらも額に流れる汗はなぜか爽やかで、そのラーメンをすする横顔に私の視線は釘付け。オマケに私よりも早いタイムで間食してしまった彼の笑顔にバーンと胸は撃ち抜かれた。

「俺も完食!」

その笑顔に私の瞳にはハートマークが浮かんでいたであろう。今まで憧れの眺めているだけでよかった美男子が、頼もしく勇ましい男に変わった。私が恋に落ちた瞬間は、鼻が馬鹿になりそうな匂いと焼けるような喉の痛みと、燃えるように熱くなった身体。痛みを伴う恋の自覚。

完食した私とスガくんは激辛ラーメンがタダになり、お食事券三千円分を手に互いの健闘を称えあった。そうして熱い恋が生れた。
ちなみに恋が生まれたのは私だけだけれど……。しかし、この日をきっかけにスガくんと校内で会えば、挨拶を交わすようになった。今までは同じクラスの東峰絡みで、時々会話をする程度だったのに! 東峰がいなくても話せる仲! もう私の頭の中はスガくん一色になるのはあっという間。


「スガくんってなんであんなに汗が爽やかなんだろう……。絶対いい匂いしそう……」
「は?」
「ラーメン啜りながら、額と首をつたう汗を眺めたい」
「……正気なの?」

心底馬鹿じゃないの? って可愛い顔を歪める友達は、紙パック飲料のストローを噛み潰していた。折角の可愛い顔が台無しである。

「スガスガスガ、口を開けばスガ」
「だってスガくんは!」

そこまでいいかけて「俺がなに?」と、不意に私を覗き込む瞳に言葉が喉につっかえた。

「俺がなに?」

同じ言葉を繰り返してニって笑う顔が眩し過ぎて、バチンと音がなるほど勢いよく自分の顔を両手で隠した。その私の奇行にスガくんは何してんの? 大丈夫? と慌ててた声色。

「大丈夫デス」
「そうかぁ? なんか声変だぞ」
「キノセイデス」
「そー?」

変なやつだと思われただろうか。事実、今の私は変なやつだから否定できないのが悲しい。けれど辛いものを食べていないのに真っ赤な顔を見られたら困る。絶対貴方が好きですって顔をしている。だから見られたくない。

「それより俺のこと話してたべ」
「イエ」
「まだ片言続けんの?」

んん? と隠した顔を覗き込む気配にびりびりと背筋が痺れた。スガくんは私を殺しにかかっているに違いない。そんな勘違いをしている私は言葉を発することができないまま黙りこくっていると、「はあ」と友達の口から重い重い溜息が溢れた。

「ナマエが、スガとご飯行きたいんだって」

まさかの友達の発言に「は!?」と顔を覆っていた手を離して、変な声が出た。

「言ってないよ!」
「言ってたじゃん。また激辛食べたいんでしょ」

私の友達は女神だろうか。

「おお! いこーいこー!」

そう言って笑顔を私に向けてくれたスガくんに「是非にもお願いシヤス!」と机に額を打ち付ける勢いで頭を下げた。私の行動にスガくんは呆れたように笑っていて、友達は正真正銘呆れ返っていた。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐


友達のファインプレーのおかげで一緒にご飯、激辛料理を食べに行く約束をしたものの、あまりに曖昧な約束だったなと後から気づいた。所謂あれは社交辞令だったのではと冷静になる。改めて誘ったりしたら「あ、あれって本気だったんだ」って思われないだろうか。いや、スガくんはそんな人じゃない!

「ねえ、煩いんだけど」
「え?」
「全部声に出てる」

冷ややかな視線を向ける友達に、苦笑いしながらも平謝りをしておいた。そうやって悶々とした気持ちで過ごして数週間。もうあの約束は時効だよなと思い始めた頃に稲妻が走るような出来事が。

自販機で一人小銭を入れ何を飲もうか思案していると、「おーす」と振り向かなくても誰か分かる声。

「おーい、ミョウジ?」
「はい!」
「おお、元気だなぁ」

く、笑顔が眩しいです。

「なに飲むの?」
「あ、これ」

スガくんを待たせるなんて恐れ多くて、伸ばした指先に触れたボタンを押した。

「うわー、チャレンジャーだな」

その言葉に手元を見ると「こんなの待ってた! 美味しいカレー味」とかかれた文字に顔がひきつる。

「辛いのかな。俺も買ってみよ」
「え、待って!」

私の制止を無視してスガくんはボタンをポチり。そしてガタンと音をたてて私の手元と同じ飲物を持って「買っちゃった」と笑った顔に、今ならこの得たいの知れないジュースを一気飲みできると思った。つまり死んでもいい。

「一緒に飲もーぜ」

その一言につられて校庭へ出て、ベンチに腰掛け二人で「せーの」とジュースに口をつけた。

「ん? 不味くはない、な?」
「カレー風味のスープ?」
「ああ、そんな感じだ」
「でもリピートはないかな」
「だな!」

スガくんと飲めるならリピートもあり!と心の中で叫ばずにはいられなかった。口に出せないのが非常に残念である。
ちびちびとカレー風味のスープを飲みながら、隣に座るスガくんをちらちらと盗み見る。はあ、格好いい。そうやって怪しく目を動かしていると、バチりとぶつかった視線に思わず背筋が伸びた。

「あのラーメン屋にこの前行ったんだけどさ」
「う、うん」
「今度は激辛餃子やるらしいよ。知ってた?」
「え!? 知らない!」
「またチャレンジしに行こうぜ」
「うん!」

やったー! と内心ガッツポーツしたが、すぐにこれは社交辞令かと思い直す。スガくんは優しいね、と落ち込んでしまったことを隠すように、空を仰ぎながら手元のジュースを一気飲み。するとスガくんも私の真似をするように、空を仰いでいるような気がした。スガくんは今、何を思っているのだろかとカラになったジュースを持ち直してスガくんを見ると、まさかの顔は上を向いたまま私の方へ視線を向けていた。

「ミョウジ」
「はい!?」
「いつ暇?」

こっちを見ていたことと、想定外の質問に頭の中はパニック状態。イツヒマ? 私いつ暇なの? って誰かに聞きたい。ねえ、誰が教えて! 至急!

「ちなみに俺は今週末の午後、暇!」

今週末の午後。日曜の午後。私っていっつも日曜日なにしてたっけ?なんてどうでもいいことは思い浮かぶのに、口はぽかんと開いたまま呼吸すら忘れている。

「なんか予定ある? 日曜日」

ぐるぐると訳のわからないことばかりが頭を駆け巡る。待って、落ち着いてくれ自分! と唱えていると、私の思考を停止させるように予鈴のチャイムが鳴り響き、それをきっかけにガバっと取り込んだ酸素のおかげかようやくことの次第を理解した。「ヤベ、もうこんな時間だ」と立ち上がったスガくんは慌ててジュースを飲み干して一言。

「ま、考えておいてな」

そう言って私に背を向けた。待って! 行きますって言わなきゃ。そう思うのに尋常じゃない鼓動のせいで、ベンチから立ち上がることも出来ない。そうやって身動ぎ出来ずにいると、不意にスガくんが振り返り不思議そうに私を見据えた。

「ミョウジ、授業遅れるぞ? 行かねーの?」
「い、行きます!」
「急げ急げ」

そう言って笑いながら手招きをしているスガくんに、今すぐ駆け出して飛び付いてしまいたい。その衝動を声へと変えた。

「激辛餃子! 行きます!」

あまりに私の衝動が強すぎたのか、想像を遥かに上回る大声に驚いた。たぶん私より驚いたであろうスガくんは目を真ん丸にさせて固まっている。……恥ずかしい。今なら死ねる。私は何回死ぬんだって、情けないやらみっともないやら。へらりと変な笑顔が顔に張り付いた。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐


ラーメン屋の午後の開店一番の時刻に集合なのだが、私はかなり早い時間からラーメン屋の前で佇んでいた。本当は思いっきりオシャレをしたかったけれど、汗まみれのどろどろになるのは目に見えている。だから服もメイクも最低限。気を使ったところといえば、汗が目立たない服と、化粧落ちを考えた顔。ほぼ素っぴん。いつもと代わり映えしない顔に、高い位置で括った髪。つまりは普段と大差無いってこと。

スガくんが現れるのを何度も時間を確認しながら待っていると、待ち合わせ時刻の5分ほど前にスガくんが姿を現した。私の姿を捉えるなり小走りに近付いてきて「ごめん、待った?」なんて言ってくれる。

「全然! 全然待ってないよ!」

私が早く来すぎただけだし。それにまさか自分が、こんなデートの待ち合わせみたいなセリフを言う日がくるなんて夢にも思っていなかったため、ただでさえ煩い心臓がこれでもかってほどに荒ぶる。

いやいや、落ち着け。

浮かれるな。これはデートではない。戦いなのだから、浮かれポンチではいられないのだ。気を引き締めろ!いくらそう思ってもゆるゆると緩む顔を、かろうじて緊張が私の理性を支えている。

「楽しみだなぁ、餃子」
「う、うん!」

スガくんの私服だ。午前は部活だと言っていたから、てっきりジャージ姿のスガくんをイメージしていたため、まさかの私服に胸はドキドキしっぱなし。やっぱりもう少しオシャレをするんだったな。

「なんか、アレだ」
「アレ?」
「制服じゃないから新鮮」

新鮮。確かに的確な言葉だ。でもスガくんは新鮮プラス格好いいです。そう考えるとスガくんが「え?」と声を上げたので、何事だと視線を向ければ真っ白い肌に赤みがさしていた。ま、まさか。

「え! 嘘!? 声に出てた!?」
「なんだよ、無意識かよ! 普通に照れるじゃん!」
「ご、ごめん!」

嘘でしょ? 信じたくない。嘘だと言って欲しい。誰か! 嘘だと言って!

スガくんよりに真っ赤になってしまったであろう顔が熱い。まだ辛いものなんて食べてないのに燃え上がりそうだ。そういえばよく友達に声に出てるって言われたっけ。あぁ、引かれたかな。何だコイツって思われたよね。醜態を取り繕うこともできずに、自分の指先をなぞりながら言葉を探していると、ガラリとラーメン屋の扉が開いておじさんが暖簾を手に「いらっしゃい」と、いつも通り無愛想に歓迎してくれた。

スガくんはさっきのことを全く気に止める様子なく「早く早く」と私を急かしてカウンター席に腰をおろした。そして早々に「おじいさん激辛餃子お願いします!」と注文をする。

「わ、私も! お願いします」

もしかしてスガくんにとっては大したことではなかったのだろうか。私からしたらとんでもない爆弾発言だったのに。それが安心するような、悲しいような……。どちらかと言えば、悲しい。
勝手に騒いで落ち込んで。もうこれは激辛餃子を食べるしかないなと開き直り、いつものように私の集中力を高めるポーズをとった。しかしカランとスガくんのお冷やから鳴った氷の音とか、隣に感じるスガくんの存在が私を集中力させてくれるはずもなく、ポーズだけで頭の中は煩悩だらけであった。

「その髪さ」

髪? スガくんの方を向けば、頭の上に拳を乗せてコレコレとまるでジェスチャーゲーム。

「あ、ポニーテール?」
「食べるときはそれなの?」
「激辛食べるときはこれなの」
「そっか。それさ、新鮮プラス可愛いよな」

ぶって、変な声が出た。そんな私を見てスガくんはさっきの仕返しだと笑う。私のは冗談じゃないのに、冗談だと思われたようだ。わざわざそれを否定して気まずくなるなるのも嫌だな。だからかっかしている顔を見られないように、自分の腕に顔を埋めた。そんな私の横でスガくんはくすくすと控え目に笑っていた。意地悪だと文句を言っても許されるだろうか。少しだけ顔を上げてスガくんを見ると、頬杖をついて私を見る視線が優しげで胸がぎゅっと音を立てて痛んだ。

「はいよ、お待ち」

その声と鼻を刺激する香りにしっかりと顔を上げて、スガくんと目を見合わせた。そうして二人でゴングを鳴らしたのだった。


‐‐‐‐‐‐‐


餃子を食べながら私は制服の時は衿で隠れていて見ることができなかった、スガくんの頚筋に目が釘付け。陶器みたいに白くて、筋をつたう汗がこう、色気があるというかエロいというか。そこまで考えて破廉恥だぞ自分! と激辛餃子を二個食いして口内が痺れる感覚に浸った。
そうやって汗をかきながら激辛餃子をペロリと完食して、まだ食べたり無いねとスガくんはラーメン、私はチャーハンまで平らげてしまった。

「餃子旨かったな!」
「ね! 私はラーメンの方が火吹いたよ」
「ラーメンはスープが凄かったよなぁ」

お店を出て感想を述べあいながら来たときより涼しくなった外を歩く。同じ物を食べて、感想を言い合って、一緒に歩いて。こういうのって素敵だな。ずっと続けばいいのに。

「なにが?」
「え、嘘。また私声に出てた!?」
「また無意識かよ! 続けばいいのにって言ったぞ今」

滑りのよすぎる自分の口が怖い!

「つか今までも結構そういうことあったんだけど」
「……例えば?」
「言ってもいーのかー?」

そう言って意地悪く笑った顔にドキリと心臓が弾む。そして、もしや私の気持ちがだだ漏れだったのでは? と思うと急に、さっきまでとは別の汗がダラダラと流れる。そっとスガくんの表情を見ると真っ直ぐにこちらを見据えていて、私の考えに間違いはなさそうな気がする。それならもう言うしか無いだろう。無意識ではなく、ちゃんと意識して。

「スガくん!」

足を止めてしっかりとスガくんを見つめた。交わる視線がジリジリと焦げるように熱い。スガくんの独特な虹彩が綺麗すぎて、息を呑んでしまう。ぐっと呑み込んだ息が次の言葉を邪魔して、先程の決心が簡単に揺らいでしまう。

「スガくん……」
「ん?」
「……なんでもない、です」
「なんだよ!」

そう言ってカラリと笑う屈託のない笑顔。あぁ、やっぱり好き。好きだけど、勇気ってのはそう簡単には出せないものなんだな。

「なら俺から一個いい?」
「いっこ?」

え? もしや告白する前に振られるの?

「だ、だめ!」
「え、駄目なの?」
「……だめ。……あ、明日! 明日言うから! だからスガくんも明日にしてくれたら嬉しいです」
「明日か」
「うん」
「そっか」

それ以上会話は続かず、無言で二人の足音を聞きながら進んだ帰り道。どうせ振られるにしても、やっぱりちゃんと告白したいし。だから明日、放課後に体育館裏に呼び出して。あ、でもスガくん部活があるか。ならお昼休みに、体育館裏に来てもらって。うん、そうしよう。それがいいと作戦が決まったところで、私の足とスガくんの足が自然と違う道の方を向いた。

「あ、私こっちだから」
「そっか、じゃー明日告白すんね」
「うん、また明日」

よし、明日頑張ろうと一歩、二歩進んで足が止まった。え? 何て言ったの今? 聞き間違い? 勢いよくスガくんに視線を向ければ、ニって歯を見せて笑っていた。

「ミョウジのこと家まで送っていい?」

悪戯な笑みを浮かべてそんなことを言うスガくんに、私は今から告白をしようと思う。

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