5万打 | ナノ

エンジンストール


「もうやめたい……」

寒空の中、友達と立ち寄った喫茶店で私は項垂れた。

「あれ? この前までめちゃくちゃ楽しいって言ってなかった? 車サイコーって」
「私、運転向いてない」

高三の冬休み。部活を引退して就職先も決まって、課題はないし本当に何もない休み。ただの長い長い長期休みになるはずだったのに、内定をもらった企業から入社前に免許を取っておいて下さいとの御達しがあった。それもマニュアル免許。親は出世払いだと快くお金を貸してくれて、最初こそ車の運転楽しみ! と意気揚々と自動車学校へ入校したものの、車を動かせばエンストの連続。教官にはオートマへ変更することを進められるし。それができれば私もそうしたいよ!
そんな具合で運転センスゼロの私は、自動車学校が酷く憂鬱なものとなっていた。


「あ、ナマエ。送迎バスきたよ」
「行きたくないよー」
「いや、行けよ」

冷静な友達の突っ込みに涙しながらも、渋々バスの停留所へ向かい、重い気持ちで車内へ。ぽつぽつと見慣れ始めた顔触れが席に座っていて、その中でも一際目を引く男子が一人。伊達工業のイケメン。同じマニュアルで、入校時期も一緒。座学も一緒。しかも運転が上手い。そして私がエンストして教習所内の交差点で立ち往生しているときに、大爆笑しながら横切ったのを私は知っている。

はあ、気が重い。

問題なく座学を終えて、未だに慣れない運転をする。以前よりエンストする回数は減ったが、近々仮免の試験があるから気が重い。こんなんで路上にでて大丈夫なのだろうか。いや、大丈夫ではないな……。このままでは非常にまずい。何かいい方法は無いだろうか。そんなことを考えながら一コマ休憩を挟み次の教習を待っていると、どうやら同じく休憩中であろう伊達工生のイケメンが傍に座っていた。運転の上手い彼に聞けばなにかわかるだろうか。缶コーヒー片手に携帯を弄る彼に恥を忍んで声をかけた。

「あの、マニュアル車の運転のコツとかってあるのかな」

ゆっくりと顔をあげて交わった視線。初めて正面から見たイケメンの顔に、不覚にもときめいてしまった。けれどそれは一瞬のこと。

「あ、エンスト女じゃん」

ぴしりと空気が凍る。

「え?」
「あんなにエンストできるって逆にすげーよな。エンストのコツってなんかあんの?」

にやりって笑った顔に、全身がかっと熱くなった。

「さ、最低!」
「顔真っ赤」

そしてゲラゲラと笑うイケメンに、お腹の辺りがグツグツと煮えて顔から湯気が出るんじゃないかってくらい憤怒した。もういいですと立ち上がると「コツ教えてやろうか?」と弾んだ声に視線を向ければ、携帯を顎に当てながらにっこりと笑顔を見せる。

「センスだよ、エンスト女さん」

このイケメンは最低最悪の性悪だ。


‐‐‐‐‐‐‐‐


「なにそれウケるんだけど!」
「ウケない! 本当にむかつく!」

ファミレスで「エンスト女」と呼ばれたことを、暇をもて余している友達に愚痴れば愉快愉快と大爆笑。いやいや、不愉快ですからね。本当に。

「本当に性悪なの」
「でもイケメンなんでしょ」
「あのね、イケメンだからって全てが許されるわけないじゃん!」

まーねーと適当に返事をした友達を睨み付けると、カランと鳴ったファミレス店内の入口。無意識にそちらへ視線を向け、私は慌ててメニューの冊子で顔を隠した。

「え、なにしてんの」
「静かにして」
「は? なに?」

訝しげに私を見てキョロキョロと店内を見渡した友達が「あ」と少し声を大きくした。

「もしかして自動車学校のイケメン?」

そう、だから静かにしてと伝えると、感心したように「確かにイケメン」と呟く。

「でも隠れても無駄じゃない? こっち来たんだけど」

え? なんで? と顔を上げれば、隣のテーブルに腰を下ろしたイケメンと目があった。嘘でしょ嘘でしょ。本当に最悪だ。

「お、エンスト女」

その言葉に友達の甲高い笑い声が店内に響き渡った。


‐‐‐‐‐‐‐‐


「ナマエってそんなにエンストしてるの?」
「エンストしっぱなし。運転に集中できないからマジでやめて欲しいわ」
「二口くんは運転上手いんでしょ?」
「別に、普通だから。俺は普通なだけ」

なぜか友達とイケメンが意気投合して、同じテーブルに腰を下ろしている。本当に最悪だ。イケメンの横に座るのは何度か自動車学校で見かけたイケメンと同じ伊達工生。「あんまりそういうこと言うなって」と、やんわりと私の肩をもってくれることから、彼は良心を持ち合わせた善人だと思う。

「気にしない方がいいよ。二口って性格悪いだけだから」
「おい、エンスト女にいい顔してもなんも得なんかねーぞ」
「ねえ、本当にむかつくんだけど!」

私を余所にケラケラ笑う姿が本当に腹立たしい。許されるならその綺麗な顔を一発殴りたい。

「得ならあるだろ。可愛いじゃん。そうだ、連絡先教えてよ」
「お前どこに目ついてんだよ」
「二口には関係ねーじゃん」

ね、いいでしょ? と口にする善人だと思った人は、善人ではなかった。この人たちはこんなにも私をからかって楽しいのだろうか。

「教えない!」
「そっか、残念。ならお友達は?」
「いいよ。二口くんも教えてよ」

チャラチャラしちゃってさ! なんなの!? どいつもこいつも!

「帰る!」

その場の空気なんか無視をして私は友達にお金を押し付け、ファミレスを後にした。


‐‐‐‐‐‐‐‐


ファミレスで遭遇してしまった次の日。アイツがいませんようにと願いながらバスに乗り込めば、いきなり目があった。しかもいつも私が座っている辺りに座っていて、なんなんだと眉間に皺が寄る。いっつも後ろの方に座ってるくせになんなの。そのニヤついた顔やめろ!

ふんと顔ごと逸らして後ろへ乗り込めば、「よっこらしょ」なんてわざとらしいかけ声と共にアイツが通路を挟んで隣に座り込んだ。

「ねえ、なんなの?」

これでもかってほどに睨み付けてやれば「ん」と拳をつき出された。本当なんなの?大きな拳を凝視していると「手出せよ」とぼそり。それに従えばじゃらりと小銭が掌に乗せられた。

「え、なに」
「昨日の釣銭」

昨日の釣銭。そういえば友達に二千円を押し付けて帰ったんだっけ。でもなんでわざわざコイツが。そう考えていると「金を疎かにすんじゃねーよ」なんて正論を言われた。

「……すみません。……わざわざありがとうございます」
「ぶはっ、素直かよ!」

いい加減見慣れてきた笑い方。けれど今までとは少し違って、人を馬鹿にしたような笑いじゃないことが反応に困る。どうしていいか分からずに、笑った顔から視線を逸らして窓の外へと向けた。その窓にうっすらと映る自分の頬がほんのりと赤みを差していて嫌になる。


この日を境にイケメン、二口くんと少し親しくなった。相変わらず馬鹿にされてばかりだけれど、マニュアル車のアドバイスという名の車の構造を教えてくれたり、普通の雑談をしたり。やっぱり根本的に性格は悪いが、それだけではないことを知るには充分な距離感となっていた。

「今日はエンストしなかった!」
「んなこと大声で言うなよ恥ずかしい」
「奇跡!」
「頼むから事故るなよ」
「心配してくれてるの?」
「お前の事故に巻き込まれる他者をな」

空きコマに二人でコンビニのパンをかじりながら雑談していると、ファミレスで会った伊達工生が現れた。

「あれ? いつの間に仲良くなったの?」
「仲良くねーよ」

間髪いれずに否定の言葉を口にした二口くんに、内心落ち込んでしまう自分が憎い。悔しいけれど、この性悪な男に私は引かれてしまっているのだ。本当は認めたくない。認めたくないのだけれど、それが事実なのだから仕方ない。

「そうなの? ならさ、連絡先教えてよ。俺バイトあるからあんまり会う機会ないしさ」

あまり会わないから連絡先を交換する? 意味がわかるような分からないような。その言葉に首を傾げてしまった。

「あれ? 伝わってない? 結構マジで気があるから仲良くなりたいんだけど」
「え、」

吃驚して開いた口が閉まらなかった。そんな私を見て二口くんがコンと私の額をこずく。

「おい、口」

慌てて口を手で隠せば、伊達工生が柔らかく笑っていた。人生三度は訪れるというモテ期なのだろか。驚きのあまり言葉を発せずにいるとなぜか二口くんが口を開いた。

「コイツの携帯エンストしてんだよ」
「は? なにそれ」

え? 本当だよ。なにそれ。

「だから残念。諦めろ」

そう言って伊達工生を見据える二口くんの視線が真剣で、私は何も言えなかった。

「あぁ、そういうこと。でも二口が決めることじゃないだろ」

ゆっくりと二人の視線が私に向けられて、思わず背筋が伸びる。なによりも二口くんの真剣な眼差しに胸が痛いくらいに弾んでしまって、答えなんか決まっているようなものだった。

「え、あっと、その。エンスト中なんで……ごめんなさい」
「あーマジか。そっかぁ……。なら仕方ないな」

エンスト中なんて意味の分からないことを言ったのにも関わらず、「無理言ってごめんね」と立ち去った彼は優しい人であった。しかし、そんなことよりも二口くんがどういうつもりであんなことを言ったのか。それが気になるが、煩い心臓とさっきまでより格好よく見える二口くんの横顔に何も言えなかった。


‐‐‐‐‐‐‐


あの携帯エンスト発言から二口くんとは特に進展もなく、ついに訪れてしまった卒業検定の日。がっちがちに緊張して座り、検定の時刻まで待機していると二口くんが私の横に腰を下ろした。

「顔、青すぎじゃね?」
「緊張して……」
「普通にやりゃー大丈夫だろ」
「その普通が難しいの」
「別に落ちたって金かかるだけじゃん」

そうだけどさ! 緊張するものは緊張するんだって!

「つーかそんなんで今後どーすんの」
「……なにが?」
「運転。職場で使うんじゃねーの」
「たぶん。……どうしよう。もっと不安になってきた」

震える手をぎゅっと握りながら二口を見上げれば「おいおい」と顔を引きつらせていた。

「職種は」
「事務」
「ならそんなに使うことねーんじゃねーの」

たぶん二口くんなりの励ましなのだろうが、全然緊張が解けない。ああ、きっと落ちて親に借金が増えるんだ。でもそれだけだ。事故にだけ気をつけよう。そうしよう。試験に落ちたからって死ぬわけじゃないし。そう決心していると不意に二口くんが話題を変える。

「俺欲しい車あんだよね」
「え? そうなんだ」
「就職して頭金貯まったら買うつもり」
「そっか。なんか凄いね……」
「は? なにが?」
「私なんか運転どころか卒業検定でいっぱいいっぱいで、車買うなんて想像できない」

私に気を使ってくれているのだろうが、結局不安が募るばかり。みっともなく震え続ける手がどうしようもなく情けない。

「通勤で車必要になったりしねーの」
「うん。駅近のアパート借りて電車通勤する予定」
「運転しねーと忘れるんじゃね? マニュアルなんて特に」
「そうかも……」
「車買ったら貸してやろうか」
「ありがたいけど、それ、何ヵ月後の話?」
「わかんね」

途切れた会話に申し訳なさはあるが、私にはいろいろ余裕が無かった。だから「車買ったら隣に乗せてやろうか」という言葉に、よくも考えずにぱっと明るくなった気持ちをそのまま口に出してしまった。

「あ! それは嬉しい!」

そう言って顔を上げれば、吃驚するほど真剣な眼差しと目があって息を呑んだ。

「じゃあ、助手席空けとっからそのつもりでいろよ」

どのつもり? なんて野暮なことは言えなくて、数秒の間を挟んで私は黙って瞬きを数回。

「返事は」
「……はい」

二口くんが言ったことの意味を想像して、心臓は爆発寸前。正直もう卒業検定どころではない。けれど手の震えは止まった。先程とは違った胸のざわめきが心地よい。

「うし。ならまずエンスト女を卒業しろよ」

そう言って乱暴に頭に置かれた手。初めて見た二口くんの音のない笑顔に呼吸は停止状態。早速私が意図せずにエンストしてしまった。

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