5万打 | ナノ

バースデーマジック


朝の通勤電車で携帯を弄っていると、メッセージアプリやらメールボックスやらに受信マークがついていた。いつもより多いそれを開いてみると「お誕生日おめでとうございます」なんて書いてある。美容室だったりネイルサロンだったり、お誕生日月様限定クーポンの文字に溜息。忘れていた。

今日は私の誕生日だったっけ。

満員電車に揺られながらそんなことをぼんやりと思い出した。だからってそれを祝ってくれる恋人はいないし、ケーキを用意してくれる家族とも正月以来会っていない。唯一の救いは友人からのメッセージが来ていることくらいだろうか。

誕生日であろうと会社へ行って仕事して、昨日と。一昨日と、先週と、先月と同じ。年を取るって事実以外なにも変わらない。今日もいつもの日常の始まりだ。こうやって年老いていくのかなんて、普段考えないような悲観的な思考のせいか今日の一日は「いつもの日常」より悪い日になった。

ミスをして、いつもなら小言程度で済む上司の説教は高圧的で威圧的だっし、お昼の食堂ではリピートしていたメニューが廃止されていたり。先輩から面倒な仕事を押し付けられて残業するはめになったり。誕生日と意識した途端に「今日は誕生日なのに」って叫びがじわりじわり怒りとなって沸き上がった。
いつもなら「ついてないなー」の一言で片付く出来事が、誕生日だってせいで苛立つ。なんとも単純だ。

いつもより二時間ほど遅い電車内は心なしか空いていて、腰かけたイスにどっぷりと身体が埋まる感覚。うん、疲れた。今日は誕生日だし、いつもは飲まないけれど、お酒を買って帰ろう。コンビニのチキンとちょっと小洒落たサラダと、ケーキを買おう。お疲れって自分を労おう。だって誕生日なのだから。

そうと決まれば私の行動は早く、電車を降りて足早に自分の住むマンションへ。そしてその向かえにあるコンビニへ立ち寄った。スパークリングワインとサラダ。そしてスイーツコーナーへ。プリン、シュークリーム。あ、ショートケーキ発見。しかもラスト一個。ここにきて漸く良いことあった。しかしそのケーキのパッケージを見て眉間に皺が寄る。なんでお二人様仕様しかないわけ?世の中みんながみんなお二人様なわけないじゃない。
せっかく己で盛り上げた気持ちがしなしなと萎む。でも誕生日はケーキでしょ。ショートケーキでしょ。二個食べてやる。そう思って手を伸ばせば、横から伸びてきた大きな手が先にケーキへ触れたので慌てて手を引っ込めた。

「あ、すみません」

上の方から聞こえた声に顔を上げれば、濃い目の顔立。なんとも色気溢れる男性が申し訳無さそうに眉尻を下げていた。

「いえいえ、大丈夫です」

そしてケーキから手を離して、その隣にあった輪切りのロールケーキをかごへ入れてさっさとレジへ行ってしまった。譲られて、これを買わないって選択肢はなくなり先程の男性の後ろへ並びレジを待つ。高そうなスーツ。綺麗な革靴。チラリと覗く腕時計が彼の品格を物語っている。あー、絶対彼女に頼まれたとか、彼女のためにケーキを買うつもりだったよね、絶対。それを一人でケーキ二個食べてやるなんて食意地張った私が横取りをした。そう思えば急に恥ずかしくなった。

自分の会計を終えて、数分前にコンビニを出た彼を追いかけた。

「あの! すみません!」

大きな背中に向かって声をかければ、ゆっくりと振り返る姿はなんとも様になっている。

「これ、良かったら。誰かと食べるんですよね? 私一人なんで、二個は多いし……」

自分で言っておいてなんて寂しいセリフなんだ。ドン引きされてもおかしくない。言ってから後悔しつつ、ケーキを差し出せば大きな手がそれを受け取った。

「なら一緒に食べます?」
「え?」

驚いて顔を上げれば、口角を少しだけ上げて笑っていた。
吃驚して「あ、はあ」と曖昧な返事を彼は肯定と受け取ったらしく「少し寒いけど公園でいい?」と目と鼻の先の公園に視線を向ける。

なんて寂しい女なんだって同情された? 私の返事を待つことなく公園へ入っていった彼に続いた。そしてベンチを手で払い、ハンカチを敷いてどうぞなんて言う。こんな男性が実在するなんて初めて知った。驚きのあまりこの時私は口が開いていたに違いない。

「本当にすみません」
「いや、俺が誘ったんだし」

そして腰かけた私の膝に自分が着ていた春物のコートをかけてくれる。なんなんだ。本当にこの人は人間か? なんで自然にこんなことができるの? 何を食べたら、どんな教育を受けたら、どういった恋愛を経験したらそうなるの?

「ビールでいい? 食い合わせ悪いけどビールしかないんだよね」
「あ、私お酒あります」

先程買ったスパークリングワインを見せると、クツクツと笑われた。

「あ、グラス……」
「どうぞ」
「すみません……頂きます」

乾杯と缶と缶のぶつかる安っぽい音。けれど一人でお酒を飲むより、何倍も温かい。ケーキの蓋を開けて、その蓋にケーキを取り分けて私にフォークとトレイに乗ったケーキを差し出してくれた。ケーキをつつきながらビールを飲む。そんな普通の仕草が色っぽくてドキドキする。

「あの、」
「ん?」
「良かったんですか? ケーキ」
「ああ、俺も一人で食べるつもりで買おうとしてたし」
「え、」
「俺、今日誕生日なんだよね」

そう言って自嘲気味に笑った顔に、寂しい男の影なんか微塵もない。ただただ格好いい素敵な男性だ。そんな彼と同じ誕生日、独り者同士。わかりやすく高揚した心臓。

「私も! 私も今日誕生日で!」
「へぇ、奇遇。それなら誕生日おめでとう」

そう言って再び缶ビールを上げて見せた彼に、私も缶ビールを上げて二度目の乾杯をした。

「お誕生日、おめでとうございます」

ふわふわと、心が温まる。コンビニの値段に合わない安っぽい味が特別な物に思える。自分の誕生日に、こんなにも素敵な男性からのお祝いの言葉。きっと今日の事は一生忘れない。けれどこの出来事を運命だって思えるほど、私は若くはない。


公園でケーキを食べ終え、そろそろ帰りますかって空気の時に、「今更だけど、知らない男についていったら危ないよ」なんて、本当に今更なことを忠告する彼は最後まで紳士であった。

「普段はそんなことしませんよ。たぶん今日は……誕生日だったから」

貴方があまりに格好いいから、という言葉は伏せておいた。誕生日なんて理由にもならないのに、彼はふっと笑って「あぁ」と少し低い声で頷く。

「俺も誕生日だから誘っちゃったしね。俺と同じで一人でケーキ食べる気だったんだって、妙な親近感わいた」

そしてスーツの胸ポケットへ手を滑らせて、すっと差し出された名刺。決して怪しいものではありません。そんな顔。別れ際に自己紹介なんて、へんてこだ。けれど慌てて私も名刺を取り出して渡した。名刺を交換して、送りますという申し出をすぐそこなのでと断り、彼、松川さんと別れた。


‐‐‐‐‐‐‐


松川さん。松川一静さん。誕生日は私と同じ3月1日。大企業勤めで近所の私が住めないようなマンションに住んでいる。紳士的で色気溢れる素敵な男性。彼女はいない。以上、私の知っていること。

夢のような誕生日から二ヶ月。私はちゃんと現実の中で生きていた。少し、ほんの少しまたあのコンビニで松川さんに会ったりしないだろうかという期待はあったけれど、そんなこともなく。いい誕生日だったとしっかり思い出にして、ゴールデンウィークを満喫していた。

溜まりに溜まった掃除をして、断捨離なんかもして、綺麗になった部屋で昼間っからお酒を飲む。なんて贅沢。ほろ酔い気分で、そうだDVDを借りようと思い立ち出かける準備をする。そしてせっかくの休みなのに、あ、アレについて調べておかなきゃ、本屋にも行くか。なんて仕事の事が頭をよぎるのが癪に触る。それが嫌だからお酒を飲んだのに。

炭酸水を流し込んで、ふんわり暖かい春の風と共に歩みを進めた。ちょっと残るお酒が気持ちいい。気になっていたDVDをレンタルして、本屋で専門書コーナーを見漁っているとお酒を飲んだことを今更後悔。お目当ての本がなくて仕方なしに別の出版社の本をめくるが、当たり前だけれど頭が働かない。もーこれでいいや。わざわざ来たのに買わないという選択肢は私にはない。

レジへ向かえば結構な人数が並んでいた。レジは五台も稼働しているというのに……。連休だもんね。どこも混むよね。諦めに似た溜息をついて最後尾へ並ぼうとすると、絶妙なタイミングで他の人と居合わせてしまった。

「すみません、どうぞ」

迷うことなく私に順番を譲ってくれる、低くて、耳障りのよい声。聞き覚えのある声。

「松川さん?」
「覚えててくれてたんだ」

少しだけ綻んだ顔。スーツではなくてラフな格好だけれど、長い手足とチラリと覗く鎖骨に目が釘付けになる。

「覚えてますよ。忘れられるわけないじゃないですか、あんな非日常的な出来事」
「確かに。誕生日マジック?」
「ふふ、なんですかそれ」

普通なら早く進めと願うレジの列だけれど、今回ばかりはゆっくり進めなんて思ってしまう。だってこんな素敵な男性と話すなんてそうそうないんだもの。しかし楽しい時間はあっというまで「こちらどうぞ」なんて呼ばれて松川さんに「すみませんお先です」と声をかけてレジへ。そして会計と共に本来欲しかった本の発注をお願いし、用紙に記入をして本屋を出れば松川さんが私に手招きをしていた。

「よかったら飯でも行かない?」

いきたい! けれどアルコールを含んだ身体は、受け付ける料理と受け付けない料理があるぞ……。返事をしない私を見て「なんか用事あった?」それならまたの機会になんて言われて「行きたいです」と大きな声を出してしまった。

「あ、いや、用事ではなくて……。でも、すでにお酒をひっかけておりまして……」

とてつもなく恥ずかしい。お酒を飲んで出かけるんじゃなかった。なんて女だって思われたかな。松川さんに視線を向ければなんて事はない。大きな表情の変化はなく、少しだけ考え込むような顔をしていた。

「なら酒飲めるとこ行こうか。俺も特に用事ないから酒飲んでも平気だし」

どうする? なんて色気たっぷりに囁かれれば、耳が熱くなるのが分かった。どうしてこの人は彼女がいないのだろう。不思議でならない。


松川さんが連れてきてくれたのは隠れ家的な洋食屋さん。お酒と料理をつまみながら色々な話をした。前回よりは踏みいった話。出身地とか出身大学とか。そして松川さんは意外にも私より一つ上。もっと上だと思っていた。だって同年代でこんなに素敵な人に、会ったことがない。


‐‐‐‐‐‐‐‐


松川さんと連絡先を交換したものの、連絡を取り合うことはなかった。一緒に食事をした日。つまり連絡先を交換した日に社交辞令的な会話があって、それで終わり。松川さんは凄く素敵な人。こんな人と付き合えたらなって思ったりするけれど、自分が付き合えるなんて思っていない。


久々の定時退社。たまには料理でもするかと立ち寄ったスーパー。どうせなら明日はお弁当持っていこうかななんて考えていると、不意に呼ばれた名前。

「ミョウジさん」
「え、あ! 松川さん、こんばんは」
「ここで会うの初めてだね。いつもこの時間に来るの?」

いつもコンビニで済ましますとは言えなくて、「いつもはもう二時間くらい遅いです」と嘘ではない言葉を選んだ。

「残業多いんだ」
「それもあるんですけど、職場が近くはないんで通勤時間が結構かかるんですよね」
「あぁ、だからあんまり会ったことなかったのかぁ」

そんな事を平気で言う松川さん。なんだか私を探していたみたいじゃないか。考えすぎ? うん、考えすぎだ。
世間話をしながらレジへ並び、会計を済ませて帰路につく。自然と車道側を歩いて、合わせてくれる歩幅、チラリと盗み見てそれがバレても柔らかく笑うだけで何も言わない松川さん。そんなのドキドキするに決まっている。

「松川さんって、モテるでしょう?」
「え? 急だな」

目を開いて驚いた顔。言われ慣れていそうなのに、意外だ。

「松川さんが何気なくしてることが、勘違いしちゃう女の人たくさんいそうです」
「そう? ならミョウジさんもなんか意識したりする?」

なんて意地悪な質問。

「まだ大丈夫です。でもこれ以上は、そうですね。勘違いしてしまうかも。だって松川さん紳士的過ぎますもん」
「そう?」
「そうです。座る場所にハンカチしいてくれたり、コートを膝掛けに差し出してくれたり。異性の人にあんなに良くしてもらったの初めてでしたよ」

松川さんは口を結んでしばしの沈黙を挟み、再び口を開いた。

「誕生日の日に同じ理由でケーキに手伸ばして、一緒にそれを食べる。それをなんか運命かもなんて考えたりするくらい俺は結構普通のやつだよ。それで、まあ、ああいう事したのは特別」
「……特別」
「そ、特別。誰にでもああいう事するわけじゃない」

何だそれ。ちょっと待ってほしい。だってそんなこと言われたら、歩くことすら忘れて立ち止まってしまう。

「俺、ミョウジさんが思ってるより普通の男だよ。ガラスの靴を拾えば持ち主を探すし、美人が眠っていればキスをするし。あの時助けて頂いた鶴でございますなんて言われたらきっとプロポーズする。同じ誕生日の人が現れたらそれだけで意識するよ。ミョウジさんは違うの? だったら手強いな」

横目で私を見ながら色っぽく微笑んだ顔。そんな顔を知るのは私だけだと言うなら、喜んで灰を被って毒リンゴをかじり罠にだってかかろう。けれど私が生まれたのは3月1日。それだけで許されてしまうのか。
手に持っていたスーパーの袋を置いて、履いていたパンプスをコロンと転がす。すると松川さんはふって息を吐いて口角を上げた。そして同じようにスーパーの袋を置いてかがみこみ、パンプスを拾い上げて私の足を撫でる。黙って瞳を閉じれば、唇に柔らかい感触と温もりが触れた。

「今日の夕飯、一緒に食べない?」

そんなことを言いながら私に靴を履かせる私の王子さま。王子さまを捕まえたのは私か、それとも私が捕まったのか。そんなのはどうだっていい。
3月1日から私は魔法にかかりっぱなしだったのだ。

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