5万打 | ナノ

痛みで支配して泣け


自分を優先すること。お互いの予定を教え合うこと。水曜日のお昼は一緒に食べること。毎日挨拶だけでも連絡を取り合うこと。覚くんと私が付き合っていくためのルール。そのルールをひとつ増やした。月に一回、覚くんの部活が休みの日に私も放課後残って勉強するのを休み、デートをすること。

特進の授業はただでさえ授業のコマが多いため、あまり時間はないし、結局覚くんを待たせてしまうことは変わらないのだけれど、私と覚くんは二人で時間を共有することを選んだ。だから月に一回はデートをしようという私の提案に、最初こそ「俺は嬉しいけど……」と渋っていた覚くんだが、例のごとく三ヶ月もすれば「何処に行く?」と嬉しそうに私にすり寄って手を握っていた。

そして今日はそのデートの日。ノートを買いたいと私の買い物に付き合ってもらって、駅のそばのショッピングモールをぶらついた。覚くんお気に入りのアイスを食べて、ゲームセンターで漸く上達した格闘ゲームをして、買う予定のない変わった雑貨を見る。月に一度のこの時間が、どうしようもなく大切な時間だと噛み締めるように二人で過ごした。

「そろそろ帰ろっか」
「そうだね」

そうやってショッピングモールを出ると、雨が降っていた。

「うわー雨だ」
「気づかなかったね」
「そだネ。ナマエちゃん傘持ってる?」
「持ってない」
「どーする?」

心配そうに私を覗く覚くんに「買う」と速答すれば、「ブルジョワー!」と声を大きくした。そうと決まれば早速雨具が売っているコーナーを探し、迷わず一番左にかけられてる傘を手に取れば「待って待って!」と覚くんに制された。

「え、なに? どうかした?」
「ナマエちゃんーせっかく買うんだからさ! 可愛いヤツ買おうよ!」

そう言って私の手から深緑色の傘を奪い取り、元の位置へ。可愛い傘か。それならとピンクの傘を手に取れば「そーじゃないでしょ!」と再び私から傘を奪った。正直傘なんてどれでもいいのに。そんな私の思考を読み取ったらしい覚くんが傘を選んで私に上げて見せた。

「コレとコレ! どっちがいい?」
「こっち、かな」
「じゃーコレとコレは?」
「……こっち」

その作業を何度か繰り返して「コレは俺のイチオシ!」と店内でばさりと広げられた傘。なんの変哲もない紺青色の傘。その傘を覚くんがさして見せる。

「どうですか? お客サマー?」

覚くんの頭上には宇宙が広がっていた。真っ赤な頭とのコントラストに目を奪われる。まるで覚くんの世界を閉じ込めているようだった。

「いいね、似合うよ」
「あ、俺が?」
「うん。それにする」
「俺に似合う傘買っても仕方なくない!?」
「どうして? 雨が降る度に覚くんを思い出すよきっと」
「ヒェー!イケメンかよ!」

おどけて見せながらも顔を綻ばせて、是非これを買ってくださいと私に傘を差し出した。そしてその傘を受け取りレジへ並んでいると、覚くんはビニール傘を手に取る。どうやら彼も傘を買う気らしい。

「傘、買わなくてもいいんじゃない?」
「俺に濡れて帰れと? 鬼! ナマエちゃんの鬼!」
「この傘に入って帰ればいいじゃん」
「へ?」
「バス乗っちゃえば寮まで傘なくてもそんなに濡れないでしょ? 駅までどうせ私も行くし」
「いや、でもさ、電車の時間とかさ」
「それくらい待つよ」

覚くんは大きな目を数回瞬かせて、言葉を濁しつつもそれならと傘を元の場所へ戻した。そして買ったばかりの傘に二人で身体を寄せ合うようにして、バス停のある駅前までとゆっくりと歩く。

「ナマエちゃん変わったネ」
「そう?」
「うん。前なら無駄なことなんかしない人だったのに」

勉強優先。その合間、自分の都合のいい時間だけに覚くんと会うことしかしなかった私。確かに変わったのかもしれない。どんどん大きくなる覚くんの存在。

「覚くんがそうさせたんだよ」
「ありゃー悪いオトコ!」
「私は今の自分、結構気に入ってるよ。覚くんは嫌?」

押し黙った覚くんを見上げれば、口を結んで真剣味を帯びた表情で私を見下ろしていた。そしてすぐに口元を緩めて「好きに決まってんじゃん」と笑うのだった。


‐‐‐‐‐‐


傘をさしたいから雨の予報を見ると、少し胸が踊った。気象庁の降水確率を確認して「今日は雨が降るよ」と覚くんへメッセージを送り、家を出た日のこと。しかも今日は覚くんとのデートの日でさらに高揚する気分。そんな気持ちで一日過ごし、放課後になる頃には雨。どうせなら覚くんとこの傘に収まろうと足早に昇降口を目指した。

「おまたせ」

下駄箱の側でしゃがみこむ覚くんが、柔らかく笑って振り向く。

「待ってないヨー」

しかし見慣れぬ人影がもうひとつ。知らない女子生徒。雰囲気からして覚くんと会話をしていたように思える。覚くんがバレー部以外の人と話しているのを見たことがなかったため、初めての光景に戸惑った。

「友達?」
「同じクラスの人。傘ないんだってー」

覚くんのクラスメイト。傘を持たない女子生徒は雨宿りをしているのだろうか。

「そうなの? 覚くん傘貸してあげなよ」
「うん。でも断られた」

止みそうにない雨。私の傘を覚くんに見せれば、察しのいい彼はすぐに私の思考を理解して「カノジョの傘にいれてもらうから」と自身のビニール傘を手渡し、私の傘を持って「レッツゴー」と歩き出した。

「覚くんクラスの人と仲いいんだね」
「んー? どうだろ。さっきの人は初めて喋ったヨ」
「そうなの?」
「うん」

なんだろう。この感情は。お気に入りの傘を覚くんに持ってもらい、肩を寄せあって歩いているのに。今日はデートなのに。爪先を濡らす雨水のように鬱陶しいこの感情は。

「ナマエちゃん?」
「なに?」
「難しい顔してんよ」

私の真似をしているつもりなのか、キリッとした顔を作る覚くんの肩が濡れていた。

「傘、こっちに寄せすぎ」
「俺に合わせたらナマエちゃんずぶ濡れになっちゃうヨー?」
「ならもう少しくっつこう」

覚くんの傘を持つ腕に自分の腕を絡めて、二の腕辺りに頭を寄せた。

「わーお! ダイタン!」

そんなからかいの言葉は私の頭の中には届いていない。今自分の中にある不快感の正体を突き止めるのに、思考は忙しく働いている。バス停でバスを待つ合間も、答えの分からぬ問を自問自答し続けた。

「ナマエちゃんもしかしてヤキモチー?」

不意に鼓膜を揺らした言葉。ヤキモチ。そうか。私はヤキモチを焼いていたのだろうか。私の知らないところで、覚くんが異性と会話をしていただけで?知らなかった。自分がこんなにも懐の狭い女だったとは。

「覚くん傘買おうよ」
「唐突だネ」
「私が選んであげる」

「それは光栄だ」と笑う。不快感の正体がヤキモチだと分かっても消えないこの気持ち。覚くんの傘をさして帰る知らない女子生徒。そしてその傘を覚くんへ返して、女子生徒が使った傘を再び覚くんが使う。そう考えると不快感が増した。どうやったら晴らされるのだろう。この気持ちは。

「覚くんはビニール傘が好きなの?」
「好きかって聞かれたら困るー。でもホラ! 安いしさ! それに外が見えるじゃん?」
「そっか。でもさ、周りからも見られちゃうね」
「うん? そうネ?」

こちらを覗き込んで、私の考えを読み取ろうとしているのだろうか。悟られるより先に覚くんの手をつかみ、周りから見えないように傘を盾にした。そして瞳を閉じる。ふっと覚くんの笑ったような息づかいが聞こえて、唇が重なった。

「あー、これはビニール傘じゃ駄目だわ」

口角を上げて色っぽく笑った顔に「私が選んであげるね」と再び同じ言葉を口にすれば、覚くんはお願いしますともう一度私の唇に触れた。


‐‐‐‐‐‐‐


覚くんに対する執着心を確認し、ヤキモチを焼いた日から数週間。テスト期間が訪れた。職員室は立ち入り禁止。部活が休みの覚くん。会わない理由はなく、二人で学校を出た。テスト勉強どう?なんて話をしていると、横を走り抜ける女子生徒が視界に入った。特にそれを気に止めることなく会話を続ける。すると会話をやめざる終えない言葉が聞こえた。

「覚くん! ばいばい!」

その声に視線を向けたときには、既にこちらへ背中を向けて走り出していた女子生徒。じわりじわりと胸が焦げるように熱くなる。これは怒りだろうか。初めてだ。こんなに他人に焦げるような怒りの感情を抱くのは。覚くんは聞いたことも無いような声を出して足を止めた。それが更に怒りを増幅させる。

「なに? 今の」
「え、いや……わかんない」
「分からないの?」
「あー。……心当たりは、ある」

そうであろう。覚くんが対人関係に対して無頓着でいれる人であるわけがない。

「私に言えないようなこと?」
「そーいう訳じゃないけど……」
「けど、なに?」

初めて覚くんに対して怒りの感情をぶつけている。嫌だ、こんな自分。嫌だ、困らせたくなんかないのに。嫌だ、そんな顔をさせたいわけじゃないのに。

「もしかしたら俺に気があるかもって思って。カノジョ、ナマエちゃん一筋だヨって話はした。ナマエちゃんが心配するようなことは何もないヨ?」
「そう」
「怒ってる?」
「そう見える?」
「うん」

今日は楽しいデートなのに、なぜ他人の影響を受けてこんなに不愉快な思いをしなければならないのか。なぜ他人に振り回されなければいけないのか。揺れ動く自分の感情が面倒だ。ただ覚くんとの時間を大切に刻み込んでいきたいだけなのに。こうやっていちいち乱されているんじゃ、覚くんを常に見張るか閉じ込めておかないといけなくなる。今までは知らなかったから平気だったけれど、もう知ってしまったら遅い。

「面倒だね」
「え?」
「自分の感情が」

私の言葉をどう捉えたのかは分からないけれど、覚くんは表情を失って真っ直ぐに前を見据えていた。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐


テストが終わり、覚くんとはいつも通り。あの女子生徒の話題はお互いに出さなかった。覚くんが牽制を入れたような話から、名前も知らない女子生徒は覚くんに想いを寄せているのだろう。中学の時からこの学校のバレー部というだけで注目されるということは、ぼんやりと理解はしていたつもりだった。けれど覚くんが私にそれを悟らせないように振る舞っていたのだと初めて気がついた。

気がついたからといって、私にできること、することは無いわけで。いつも通りに過ごすしかなかった。焦げ付いた怒りが火傷をした時のように、水疱となって治癒出来ずに残っている。気を抜けばそれが痛み更に膨れる。そうして破けて溢れ出すのを今か今かと待ち構えているように膨れ続ける。

そんな雑念だらけの頭で勉強に集中できるわけもなく気分転換にと放課後、図書室で勉強を始めた。あまり頭を使わない暗記系。ひたすらにノートを黒くする。ガリガリとペンの走る音。外から聞こえる運動部の声。本をめくる音。小さな雑音が心地よい。すっと頭が空っぽになる感覚に、集中してきたと更にペンを走らせた。


そんな空っぽになった私に、声をかけてくる女子生徒が現れた。「あの、ちょっといいですか」と控えめな声量。聞き覚えのあるような、無いような。チラリと顔を見るがすぐに思い出せそうにない。そんなことより、久々のこの集中力を途切れさせたくなかった。

「今すぐじゃないと駄目ですか」
「いや、そういうわけじゃ……」
「少し待ってもらっていい?」

女子生徒が頷いたのを確認して、脳に刻み込むように再びペンの動かした。そうして先生へ質問したい事柄を整理して、痺れた腕の感覚に顔を上げて我に返った。

「あ、ごめんなさい。今、いい感じで集中してて」
「いえいえ!」

女子生徒は私に声をかけた位置から動かず、ずっと待っていたようだった。

「時間大丈夫? とりあえずここ出ようか」

この女子生徒は誰だろう。図書室からでて歩きながら頭の中の記憶を引っ張り出す。特進ではない。同じ学年色の上履。聞き覚えのある声。どこかで話したことがあった? 分からない。これ以上思考を巡らせても無駄だ。考えることを諦め、図書室から離れた人気のない静寂の場で足を止めて、私の後ろを歩く女子生徒をしっかりと見据えた。視線がぶつかり分りやすく動揺を見せる。けれどすぐに泳いだ目を私へと戻して、スカートを握りながら口を開いた。

「私、天童くんが好きなんです」

天童が好きなんです。覚くんが好き。「あぁ」と思わず声が漏れた。そして思考回路が一気に繋がった。覚くんが傘を貸した覚くんのクラスメイト。覚くんの名前を大声で呼んで走り去ったのもこの子であろう。そして私の感情を乱す根源。
じりじりと胸が焼かれ、水疱がまた膨らんだ。

「それで?」
「それで? それで、それで。告白、します」

今にも泣きそうな顔。睫毛を震わせて、唇を噛み締めている。覚くんへ告白するより勇気のいる行動であっただろう。きっと凄く人としてできた子なんだと思う。もし覚くんが私と付き合っていなければ……。やめよう、タラレバなんて。
 
「そう。話それだけ? 私先生に質問しに行きたいんだけどいいかな?」

もうこれ以上関わりたくない。これ以上胸を焦がして、嫉妬の念にかられたくない。そう思って立ち去ろうとすると「なんとも、思わないんですか?」なんて言われた。思わないわけないだろう。嫉妬と怒りでぐちゃぐちゃになっている。

「いろいろ思うよ。考えるし、嫌でも余計なことを想像する。でも決めるのは覚くんだから。それにずっと告白しないで覚くんを想い続けられるのは面白くない」

強い口調で睨み付けるようにして見据えると、女子生徒から返事はなかった。

「じゃあ、行くね」

じくり。また水疱が膨らんだ。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


水曜日のお昼。いつもなら先に来ているであろう覚くんの姿が見当たらなかった。まあ、そんな日もあるかと食堂の入口で彼を待つ。廊下を見つめてあの特徴的な赤髪を探すと、不意に交わった視線。人より高い位置にある顔。牛島くんだ。

「ミョウジ、天童は遅れる」
「そうなんだ」

遅れるということは、後から来るってことか。ならもう少し待とうと再び廊下へ視線を向ければなぜか牛島くんが私の隣に並んだ。

「え、どうしたの?」
「天童にミョウジと一緒にいてくれと頼まれた」

伝言を頼まれたんじゃなくて、一緒にいてと頼まれた。それって覚くんは来ないということなんだろうか。

「覚くん何で遅れるって言ってた?」
「理由は聞いていない。ミョウジが一人でいるだろうから声をかけて天童が来るまで一緒にいてくれと」
「そっか、ならお昼一緒に食べていいかな?」
「ああ」

牛島くんと向かい合ってお昼を食べる。胸の辺りがざわめいて口の中に入れた物の味がしない。思い当たることはひとつ。覚くんは告白されているのだろうということ。事前に連絡がこない、部活のことでもないとなるとそれしか無いだろう。
牛島くんは何も言わず、何も聞かず。黙々と食事を進めている。そうして先に食べ終わっていても、私が食べ終わるのを黙って見ていた。


「牛島くん、ありがとう。私教室に戻るから」

問題ないという顔をし、私に手を挙げて自身のクラスへと戻った牛島くん。私は教室へ戻らず食堂の入口に佇み、来るであろう覚くんを待った。けれど、待てど待てど現れない覚くん。焦りと苛立ち。今まで覚くんを待つって経験自体があまりないため、この気持ちを抑える方法を知らない。

少し歩けば気が紛れるだろうか。意味もなく購買へ立ち寄り、もしかしたら覚くんは食堂に間に合わないのかもしれないと思い、パンと飲み物を購入して食堂へ戻り再び廊下を見つめた。


食堂にいる人が疎らになった頃、足早に廊下を歩く覚くんが現れた。

「ナマエちゃん! え!? ずっとここで待ってたの!? お昼は!? てか若利くんは!?」
「牛島くんと食べたよ」
「そっか! よかったー!」

機嫌が良さそうに笑う覚くんに、ブチりと自分の中で音がした。水疱が破けた音。痛くて熱くて感情が凶器となって傷口にしみる。

「ずいぶん機嫌いいね。何かいいことでもあったの」

痛みで冷静になる頭。私の淡々とした声色に目を丸くさせて「遅れてごめんネ」と、私の顔を覗き込む覚くん。そして予鈴が鳴り、私も覚くんも言葉を続けることができなかった。

「これ、よかったら食べて」

先程購入したパンと飲み物の入った袋を押し付けて「もう行くね」と返事を待たずに背を向けた。一度だけ「ナマエちゃん!」と覚くんに呼ばれたが無視をして歩き続けた。次の授業は体育なのに、私は体育館へは向かわず主に特進の人たちが使う自習室へと向かった。放課後しか開放されていない鍵のかかった部屋。授業をサボるのは初めてだなと考えながら迷うことなく消火器BOXを開け、消火器の裏に隠された鍵を取り出すと人影が私を覆った。

「覚くん授業行かないの?」
「ナマエちゃんこそ」

鍵を開けて中へ入ると、何の躊躇もなく覚くんも私に続いた。いつの間にか私の後を追っていたらしい覚くん。扉の鍵を施錠したところで本鈴が鳴った。


「初めてきたーここ」

ぐるりと物珍しそうに室内を見渡し、放課後ここで勉強しるの? 何で鍵隠してあるの? どうして隠し場所しってるの? どういうときにその鍵使うの? ナマエちゃん実はここでよくサボってんの? と一息で話す覚くんの質問に何一つ答えず、黙って椅子に座って机に肘をつき、頭を抱えた。消化できない苛立ち。消化できない怒り。コントロールできない感情が煩わしい。

「どうして欲しい?」

私が腰をおろした隣の机の椅子を引っ張り出して、背もたれを正面に座り私を見据える覚くん。

「何したらナマエちゃんの気が収まるかなーって」
「分からない。こんなに誰かに苛立ったの初めてだし。頭では誰も悪くないって分かってるから、どうしていいか分からない」
「俺にムカツクーって言えばいいんでないの? 他の女の子と話さないでーって!」
「それで解決するの?」
「それはやってみないとじゃん? てかさ、ナマエちゃんがその苛立ちを面倒臭がった時は正直びびったヨ。そうやって切り捨てちゃうのかなって。だから今さ、抑えきれずに嫉妬してくれてるー! って! テンション上がっちゃうよネ!」

普段なら何とも思わないような言葉なのに、破けた水疱のせいか痛みを伴う怒りに変わる。椅子から立ち上り覚くんを見下ろせば、「殴ってもいいヨ!」なんて言う彼の胸倉を掴んだ。

「ワーオ! 想像以上にワイルド!」
「目閉じて。歯、食い縛って」

私の言葉に目を大きくさせて、「マジかよ」と苦笑いしながらも目を閉じて、口を閉じた覚くん。心なしか左頬をこちらへ向けている気がする。無防備な顔。ごくりと動いた喉仏。胸倉を掴んでいた手の力を弱めて覚くんの首もとを左右に引っ張れば、筋の張っている首筋が露になった。

「叫ばないでね」

そこへ遠慮なく歯を立てた。びくりと身体震わせて、反射的に私の肩を掴むが、抵抗はしない。痛みに耐えるように肩を握る手に力が入っている。そしてゆっくりと口を離せば間近で交わる視線。

「やっばいネ」
「なにが」
「前にナマエちゃんが怒った顔見てゾクゾクするって言ってたの。今なら分かるわ。めっちゃゾクゾクすんね」

覚くんの綺麗な首に、私の歯形がしっかりと刻まれている。なんでか満たされた気持ちになり、自分の唇を舌でなぞれば「気済んだ?」と、熱のこもった瞳が私を映し出していた。

「うん、さっきよりはマシ」
「そっか。あーどうしよう」
「なにが?」
「怒らせといてなんだけどさ、今度はナマエちゃんのこと泣かせたくなっちゃった」
「そっか。どうしようか? 私も覚くんを泣かせたい」

どうしようかと二人で呟きながら、唇を寄せあう。先に涙を見せるのはきっと、私の方なんだろう。

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