ふたりの世界 | ナノ
ガラリとした教室で、ナマエちゃんは忙しなくペンを走らせている。俺はただ黙って彼女の細い指を眺めた。本当は月に一度のデートの日だけど、課題が多くてヤバイと言うから今日は教室デートになった。勿論二人で街中を歩くのは好きだけれど、たまにはこういうのも悪くない。
学校の教室に閉じ込められたように二人きり。遠くから楽器の音や人の声が聞こえるが、それらがこの世界を壊す脅威にはなり得ない。白い指先に握られたペンの、彼女が文字を綴る音が心地好い。

「ねえ、ナマエちゃん」

俺につむじを向けたまま手を止めることはないが「なに?」と、柔らかい返事をしてくれるナマエちゃん。

「志望大ってどうやって決めたの?」
「親がそこに合格できたら一人暮らし許可してくれるって言うから」
「一人暮ししたいの?」
「うん。私が高校卒業したらお母さんと弟と一緒に暮らすんだって」
「へー! 家族集合じゃん!」

そうだね、とまるで他人事。相変わらず他人、家族にすら興味がないかのような態度に少しの不安と、なぜか安堵してしまう自分がいる。狭い世界にいる彼女。その檻を壊してあげたいとも思うし、そのままガチガチに鍵をかけて閉じ込めて置きたいとも思ってしまう。

「国立大だよネ。もしかして医学部?」
「まさか。医者になりたいなんて思わないし。なにより合格すらできないよ」

親が医者だし、一族が医者らしいし、跡継ぎがどうとか言っていたからありえない話ではないと思ったけれど、興味すらないのネ。

「じゃーなに学部受けるの?」
「薬学部」

なんだ。やっぱり医療に携わるか。

「薬剤師とか?」
「そこまではまだ考えてないかな」
「へー。そー」

耳障りのよいペンの音が止り、プリントを見つめていた瞳がゆっくりと俺の方へ向く。

「興味ある?」
「ん?」
「覚くんの進路の参考にいろいろ聞いてきたんじゃないの?」
「そこはカノジョの進路が気になってとか思わないの!?」

確かに進学先どころか、進学か就職かすら決めあぐねている現在なわけだが、俺が心配しているのは自分の進路なんかではない。

「世界に二人いればいい」そう言った君の言葉はまるで呪いのようだと思う。それは甘美な響きで実に魅力的。二人がいればいい。そのために周りを切り捨てて。鉛筆をナイフで削るように、切り捨てて、切り捨てて。肉親ですら切り捨ててしまいそうなナマエちゃん。最後に残る鋭くなった黒鉛の俺は、少しの力で簡単に折れてしまう存在になってしまうのではないだろうか。俺の世界に居てくれると言いながら、そのくせに永遠を約束はしてくれなくて。それでも「どうしたらそうあれるか」を考えようと言う。ナマエちゃんはどこまでもずるくて、怖い人だ。

世界に二人だけというのは、最高で最強であるけれど、きっと永遠には続かない。だから俺は、二人が共存し合える世界を作らなければいけないのだと思う。切り捨てるのではなくて、増やすようにして作り上げなければいけないのだ。まあ、具体的にどうしたらいいかは分からないんだけど。

それが俺の心配。

「覚くんは第一志望決まった?」
「んー。考え中」
「そう」

俺の心配をナマエちゃんは少しも考えてはいないのだろうな。再び動き出したペン。きっと今は目の前のプリントの、答えのある問題で頭がいっぱいなのであろう。


------


寮の談話室。大きなテレビ画面を前にバレー部の面々でテーブルを囲い、俺はお菓子をかじりながら地上波初放送の文字を眺めた。ブリュンヒルデ玲子主演。社長令嬢と貧乏高校生の格差恋愛の話。

「英太くんそれ何飯? 晩御飯? 夜食?」

隣に座る英太くんは、コンビニで買ったらしいおにぎりにかぶりついていた。さっき晩ご飯たべたよネ? もう見てるだけでお腹膨れちゃうよ俺。

「夜食。なんか腹減っちまって」
「英太くん引退したら太りそうだよネ」
「米は太らねぇだろ」

何を食べているかではなく、晩御飯をしっかりたべてこの時間に更に食べていることを指摘したかったが面倒になり、ヨカッタネとテレビ画面へ視線を戻した。

映画の内容はというと、格差のある二人は引き離されるが貧乏高校生が猛勉強して、すげー大学に入ってすげー企業に就職して。最後はプロポーズするっていうありがちなストーリー。
漫画やアニメにケチをつけるなんて好きじゃないし、夢があっていいじゃない! 漫画だもん! なんでもアリよ! って思う質なのに、今回ばかりはこんなに上手くいくわけねーじゃんって言いたくなった。

ナマエちゃんは正しい。世界に二人いればいい。でもそれは無理だからどうすればそれに近付けるか考えよう。うん。凄く正しい。矛盾もなんにもない。世界に二人だけの実現。でもそれはきっと不可能。俺とナマエちゃんはそれぞれの世界を持っていて、どうあがいてもそれがぴったりと当てはまることはないと思う。丸と三角はどう頑張っても別物だ。ただそれが、そうだな。例えばおにぎりだったらどうだろう。握り直したり。一つの大きなおにぎりに作り変えたり。そうやってナマエちゃんとの世界を作ればいいと思う。
そのために、君と今後も一緒にいるために俺は何をすべきなのだろう。何をしなければならないのだろう。俺は映画を見ながら、書くべき言葉を未だに見つけられずにいる進路調査書のプリントを思い浮かべていた。

「ねえねえ、モテモテの英太くん。お姫様はやっぱり王子様としか結ばれないよね」
「は?」

これでもかってほどに顔を歪めて、口角を震わせている。面白い顔になってんよ? 英太くん?

「うん、言いたいことはわかるよ? コイツなにいってんだ。頭沸いてんのか? って言いたいんでしょ?」
「そこまでは思ってねぇよ……」
「今のは例えが悪かったね。うん、俺が悪い。もっと分かりやすく言えば、そうだな。社長令嬢だったら、どうすれば結ばれるかな」
「そりゃー社長気に入られれば可能性はあんじゃねーの」
「じゃあ……医者の娘とは?」
「あ? それも医者に気に入られればいんじゃね」
「どうやって?」
「どうって。アピールすんだよ。俺は優秀だぞって」
「やっぱそうだよねー」
「なんだよ天童。進路は婿養子だなんて言うんじゃないだろうな」
「あー、その考えはなかったな」

だってナマエちゃんは、実家とは別の世界で生きたいと願っているのだから。

ナマエちゃんが切り捨ててしまおうとするもの。切り捨ててしまうものを、俺はナマエちゃんの世界に繋いでいてあげられる存在になれたらどうだろう。そうやって俺の世界とナマエちゃんの世界、周りの世界とくっつけて二人の世界にしてしまったらいいのではないだろうか。
うん、それがいい。なーんかしっくりきた。

「うん、決まり」
「は? 何が?」
「んーん。こっちの話」

さて、手始めに進路調査書だけれど、とりあえず親の了承とこれからの地獄になりそうな日々に俺は心せねばならない。けれど今は、この楽園を存分に楽しんだってバチは当たらないはず。

「英太くんありがとネ」
「あ?」
「お礼にお菓子あげる」

訳がわからんと言いながらも、英太くんは俺のお菓子に手を伸ばした。
晴れた気分で再びテレビへと視線を戻し、ブリュンヒルデ玲子の着ている服をナマエちゃんが着たら似合いそうだなと想像する。そして少し先の未来を想像して、彼女に会いたくなった。

世界を創るのはキミと僕

prev | back | next
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -