ふたりの世界 | ナノ
世の中結局カネだよネ!

なーんて夢のないこと、終電間際の帰り道。大して綺麗でもない夜空を眺めながら、ここ数年で何度も考えた。
宝くじあたんねーかなーとか。空からカネが降ってこねーかなーとか。未来からネコ型ロボットがきて、秘密道具で助けてくんないかなーとか。そんな頭の悪そうなことを考えてる時って、結構メンタルをやられてる時。心身ともにくったくた。もう今日は風呂入ったら寝よ。即寝しよ。そう心に決めてボロいアパートの扉を開けると、コーヒーの香りが俺を出迎えた。

「ウッソ! ナマエちゃん!?」

靴を蹴飛ばすようにして脱ぎ捨て、二歩で部屋の中に踏み入ると、実に二週間ぶりの俺の天使がそこにいた。

「お帰り。遅かったね」

コーヒーカップを片手に、開かれたままのノートパソコンから視線を上げたナマエちゃんは心なしか難しい顔をしていた。

「どしたの急に! 連絡もなしに!」
「連絡はした」

そう言われてあわててスマホを確認すると、しっかりと昨日の日付で「仕事でそっちの方に行くからよるね」と書いてあった。

「ゴメン! ほんっとーにゴメン!」
「いいよ。忙しかったんでしょ?」

ご飯適当に買って来たたから食べて、と言ったナマエちゃんと俺は、現在遠距離恋愛中。もう何年目だっけ? ってくらい、互いに距離のある生活をしている。
その原因は様々だ。まず俺。一浪して受けた試験は、まあ、目標には届かず。親に私立は無理と言われていたし、自分の進路について思うところがあったため、祝! 二浪決定! 自分の人生見直そ。見つめなーおそ、なんてのんびりとした構えでいたら、母ちゃんからこんな激励が。

「二十歳越えた学生でもない息子の面倒はみないから頑張んな!」

いやでも勉強しながらバイトもして一人暮らしはムリ! ってことで家には置いてもらい、勉強とバイトの日々。その頃ナマエちゃんは短期の留学をしたり、大学の研究室のなんかで忙しそうだったり。とにかくお互い忙しく過ごした。そんな中、俺は人生模索中という名目で様々なバイトに手を出して、だんだんそれが楽しくなってしまい、ハイ、三浪決定! さすがにヤバい! 進路どうしよう!? と真剣に悩みつつ、勉強して、バイトして。ナマエちゃんが大学三年にして、俺はやっと大学一年生! しかも、県外の大学!

「遠距離になっちゃっうネ」
「そうだね」
「かる! 綿菓子みたいにかるいネ!?」
「事実だし今年から研究室にこもることになりそうだから、どっちにしろあまり時間はとれないかも」
「そうだとしてもさ!? 不安はないの!?」
「不安。……覚くんが浮気をするとか、朝起きたら知らない人とワンナイトしまったとか。そういった類いの不安?」
「わーお! 思ってたより具体的なヤツきた!」
「私、覚くんがそういうことをしてしまう人だとは思ってないよ。万が一そういうことが起こってしまったと仮定したとしても、覚くんしか人を好きになったことがないから、正直うまく想像できないんだよね。そういうことが起こったとき、覚くんをボコボコにすれば許せるのか。相手をボコボコにすれば気が済むのか。顔も見たくないほど、嫌いになってしまうのかとか」

そんなこと言うナマエちゃんを俺はめちゃくちゃ抱いて、「遊びにきてね」とか「何も不安に思わないでね」とか「何でも不満は言ってね」とか。思い付く限りの優しい言葉を置き土産にして、宮城を発った。

大学生活は、貧乏学生そのもの。楽しいこともあったけれど、電気が止まった数知れず。それでもナマエちゃんと旅行したり、俺の住むぼろアパートで何日も一緒に過ごしたり。思い出せばいいことの方が多かった気がする。
ナマエちゃんは24歳の時に卒業。その後地元には残らず、実家から遠く離れた地にある企業へ研究者として就職。俺は25で無事大学卒業。その後は一応、先生なんて呼ばれる職業についている。まあ、主に人の話を聞く仕事。他人に感情移入することはないから、わりと向いているのかなーなんて思っている。

そんな感じの俺とナマエちゃんは、そろそろいい歳で。周りの同級生なんかは結婚だとか子どもが産まれただとかそんな話でもちきり。それなのに俺ときたら! 未だに奨学金を返済している貧乏社会人なのだ! 30までには完済を目標に、大学在学中からコツコツ返済しているが、その30歳ってのはもう目と鼻の先なわけで。そんなこんなで終業後、こっそりバイトなんてしてみてはいるものの、手元にカネが残るわけじゃないからなんだか虚しい。

あー! 世の中カネだネ!?



「覚くん、大丈夫?」
「ん!? ゴメン。一瞬寝てたかも」

風呂入って飯食って。ナマエちゃんとくつろぎながら温かい飲み物片手に近況報告していたのだが、どうやら俺は寝ていたらしい。

「そんなにお金大変なの?」
「え!? 俺なんか言ってた!?」
「寝言だった? 世の中お金だ、みたいなこと言ってたよ」

ダセー! 恥っずかしー!

「覚くん何か困ってる?」
「いや、ダイジョブ」
「本当に?」
「奨学金そろそろ払い終わるから、本当にダイジョブ」

まだ借金払ってて同棲とか結婚とか言ってらんねーよなーと少し悲しくなる。
月に二回、そのくらいの頻度で顔を合わせている俺とナマエちゃん。テレビ電話的なのもは頻繁にしているけれど、そろそろ一緒に暮らしたい。なんて思っていたりする。でももうずっと月に二回。そんな距離感だから、ナマエちゃんは一緒に暮らすとか結婚とか微塵も考えていないんだろうな。だって昔、「惑星もいつかは直列するしね」なーんてなんかロマンチックぽいこと言われて、どんな意味なんだろうって調べたら「惑星直列という現象は6000年間に4回しか起っていない」ですって!? それってもう何回生まれ変わらなきゃいけないのって話! でも肝心のカネが貯まらないのだから、ある意味的を得た発言だったのかもしれない。

「そっか、奨学金の返済が終わるんだ」
「ウン。そうなのヨ。間もなくなのヨ」

たぶん、このままバイトも頑張れば、ネ。
完済したらカネ貯めて。そんでナマエちゃんの住んでる所と俺の住んでる所の中間地点辺りに、一緒に住むとか。俺が職場変えるとか。もしくは、あとは、えっと、えーと。……それで、それで? あー、頭働かねぇ。眠気がヤバイ。

「ならそろそろ結婚する?」

頭を鈍器でぶん殴られたのかと思った。眠気なんかどっかにぶっ飛んでいって、驚いた勢いそのままにナマエちゃんの方へ顔を向けると、ナマエちゃんはいつもとなんら変わりない顔をしていた。

「へ? 幻聴?」
「なにが?」
「え、なんか今、結婚が、どうって」
「うん、言ったね。そろそろ結婚する? て言った」

幻聴じゃなかった。幻聴じゃなかったけど、幻聴じゃなかったけど!

「それ今言うの!?」
「駄目だった?」
「ダメっていうか、エェ!? なんで!?」
「なんで?」

あ、言葉間違えた。そう思ったけれど、ナマエちゃんはさして気にした様子はなく言葉を続けた。

「まずうちの親は、同棲するなら結婚しなさいって言ってる」
「あ、あぁ。なるほど。そうネ、俺も言われたことある」

ナマエちゃんのご両親とは毎年正月に食事を一緒にしている。その時、ナマエちゃんが席を外すと二年に一度くらいのペースで、ナマエちゃんの母ちゃんは「仕事は順調か。結婚は考えているのか」といった類いのことを聞いてくる。決まって俺は「勿論です!」なんて言っているわけなんだけど。

「今まで大きな問題なくお互いに遠距離でやってきたけど、何かあった時、すぐには駆けつけられないよね」
「だネ」
「それで例えば、事故に遭って病院に運ばれた場合。その時私に連絡がくるのは、覚くんのご両親の後だよねきっと。それで家族以外は面会ができない状況であったら、最期を看取れないよね」

他にも結婚してないといろいろな権利が得られないよね。それに、結婚すれば会社から何かと手当てがつくよね。月二回会うための交通費より、一緒に生活して家賃生活費を互いに出した方が合理的だよね。
といった、結婚についてのメリットをプレゼンするナマエちゃん。とても俺の恋人、ナマエちゃんらしい理由である。

「俺、貯金とかないし。すぐにはそのー、……無理ダヨ?」
「親に挨拶したり、住む場所、その他諸々決めるのに結局時間はかかるよ」
「確かにネ。でもさ、あの、……マジで貯金なくてさ」
「貯金、私は結構あるよ」

ナマエちゃんが、結婚ということを考えてくれて嬉しい。嬉しいはずなのに、思い付きのように言われたことに腹が立った。俺は必死に対等であれるようにって、そうなってからって本当に必死で。必死にやってきて。そこまで言葉が浮かんだけれど、それよりも先に感情が爆発してしまった。

「でしょうネ!? 大学生の時からいいトコに住んでておまけに生活費も学費も払ってくれる親がいて! カネの心配なんか生まれてこの方したことないじゃん? ナマエちゃんはさ!」

違う。こんなこと言いたかったわけじゃない。サイアクだ。

「そうだね。お金の心配はしたことないね。生まれてこの方」

そんなのナマエちゃんが悪いわけじゃない。それに、カネがあってもナマエちゃんが持っていないモノがたくさんあったことを、俺は知っている。知っているのにそんなこと言うとか、サイアク過ぎる。

「覚くんさ、いつも帰ってくるのこの時間なの? 私の連絡に気がつけないくらい、忙しいの? 毎日そんな疲れた顔をしているの? それに痩せたよね。絶対。ご飯食べてる? 私さ、覚くんがこのまま毎日そういう生活を続けていったらって考えたの。そうしたらさ、覚くんが過労死してるところまで想像できたんだよね」
「この数時間でそんなこと考えたの!?」
「うん。だから金銭的なことでその問題が解決できるなら、私が助けになれるかなって」

合理的な考え方。俺の為を思っての提案。でも金銭的に辛いから結婚して彼女に助けてもらうって。

「そんなん、俺がダサ過ぎて生きていけない」
「生きていけないのか。それは困るね。私、残りの人生は、そろそろ覚くんのそばで過ごしたいって思ったからプロポーズしたんだけど」
「……ぐ、刺さった」

なんつー殺し文句! 正直めちゃくちゃ嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい! けどさ!

「でもさ!? やっぱこうさ! 夜景の綺麗なホテルで結婚してください、ダイヤモンドぱっかーって! 俺がやりたかったよね!?」
「ダイヤモンドぱか?」
「指輪だよ! 指輪!」

男としてさ、そういうの用意したかったよネ。きゃー! って感動して涙するナマエちゃんを見たかったよね。いや、涙流すかどうかは怪しいところだけど。

「指輪、指輪か」

そう呟いたナマエちゃんはおもむろに俺の左手を取った。そして薬指をパクり。食べられた、と思った瞬間ごりごりと歯を立てられたのだ。
指の骨にナマエちゃんの歯が当たる。彼女の上顎と舌に撫でられながらゆっくりと回転する指。それは少しの痛みが伴ったが、それ以上に俺の指を咥えるナマエちゃんの表情に唾を飲んだ。目が釘付けになって、情欲をそそられた。そんな行為が一周したところで解放された薬指。本来指輪をはめるであろう位置は、いびつな赤い斑点で結ばれていた。

「歯形ってこうなるんだね」

感慨深そうにナマエちゃんは言った。俺は左手を天井へかざして見る。なんでかわからないけど、込み上げてくるものがあった。

「それで、覚くんの返事は?」

声を出すと泣いてしまいそうだった。だから俺は、天井を見上げたまま硬く口を閉じて、何も言わなかった。

「あーあ、振られちゃった」

その言葉に慌てて視線を下げて、ナマエちゃんを見る。すると彼女はうっそりと笑っていた。その表情は木漏れ日のような無条件の美しさで、俺はまた、今度は違った意味で言葉を失った。

「いいよ、私はいくらでも待てる。でもそろそろ近くで生活したいのは本当だから、引っ越してくるね。仕事は新幹線で通勤するから大丈夫。今までみたいに貯金はできなくなると思うけど、生活ができなくなるってことはないから」

前から考えてたんだ。プランGくらいまで。
そう言ってナマエちゃんは俺をじっと見据えた。たくさん考えてくれてたんだな、にしてもプランGて結構多いな。そう思ったら泣きそう、なんて思っていたのに、自分から出てきたのは笑い声で。そんで気が抜けた。はははって、しばらく天井を見ながら笑って「待ってるネ」なんてセリフ、ダサくて格好つかないけれど、ナマエちゃんがあまりに嬉しそうな顔をするものだから、どうでもよくなってしまった。

「やっぱり覚くんの世界は広いね」
「ん? どゆ意味?」
「そのままの意味。私が見えてないところまで見えてる感じがする」
「それはお互い様じゃん? 俺だってナマエちゃんにたくさん気づかされるヨ?」

俺とナマエちゃんはそれぞれの世界をもっていて、それを他の人よりは理解し合える関係だと思う。その世界が完全に重なることはないのかもしれない。もしそうだとしても、今は怖くない。単純に俺の中にはナマエちゃんがいて、ナマエちゃんの中にも俺がいる。俺とナマエちゃん、二人の世界はここにある。

「覚くん」

いつもより丁寧に自分の名前を呼ばれた気がした。だから慎重に、何ひとつ見逃さないようにナマエちゃんをじっくりと観察するように見る。

「今さ、私と覚くんは同じ世界を見ているよね? 二人の世界がちゃんとあるよね? その世界にちゃんと二人でいるよね?」

ずっと。何年もずっと。そうやって気にして、考えていてくれたんだね。
あー、本当に泣きそう。泣きそうだけど、そんなところ見られたくなくて、俺はナマエちゃんを抱き締めた。抱き締めて、自然と言葉が出た。

「愛してるよ、ナマエちゃん」

伝わっているかな。俺の気持ち。伝わっているといいな、俺の全てが。そう願うと同時。俺の背に回った手が、服へしがみつくようにして強く握られた。

「私も、そうだよ」

彼女の深い深い呼吸音がやけに部屋に響いた。

「愛してる」

ぎこちなく、それでいて潔白な響きに全身が粟立った。そのせいで幾度となく耐えていた感情が、瞳から一筋こぼれ落ちる。俺はこの響きを一生忘れないと思う。

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