リビングに明かりをつけ玄関へ戻ると、覚くんが寒そうに腕を組んでいた。
「リビング暖かくなるの、かなり時間かかるんだよね。私の部屋でもいい?」
「こんだけ広けりゃーそうなるよネ」
私の部屋に入り暖房をつける。エアコンの起動音がいつもより煩く感じられた。床に座る覚くんの隣に腰を下ろすと、普段座ったことがないから気づかなかった。フローリングの床は冷たく、自分の体温が奪われる。
「床冷たいね」
「何も敷いてないとこんなモンでしょ」
初めて物の少ない自分の部屋に後悔。
「こっちに座って」とベッドを指差すと、「ここでいいヨ」と勉強机の椅子に座ってしまったので、仕方無く私がベッドへと腰を下ろす。
「珍しいよネ。こーいうの」
「年明け、大会で会えなかったからさ」
「そーねー」
それっきり会話はなく、エアコンの音だけが室内に響いた。頬杖をつき、なにかを考えている覚くん。私はずっとその様子を見つめていた。目が合うと「どーかした?」と聞かれて、それは覚くんの方だろうと思いながらも首を横に振る。
「そんな見つめられたらドキドキしちゃうじゃん」
冗談ぽく言う覚くんに、私も冗談ぽく強い口調で言い返した。
「最近私の事避けてるでしょ?」
予想もしていなかったのか間の抜けた返事をして、目を大きく開きそのまま固まってしまった。その態度が気に入らない。そう思うと、私は覚くんの胸ぐらを掴み思いっきり自分の方へ引っ張った。
これも予想していなかったようで、私にされるがまま。私を押し倒す形でベッドへと雪崩れ込む。咄嗟に覚くんは手をついて、腕の長さ分だけ私との距離をとった。
「とぼけないでよ」
「ダイタン過ぎるでしょ」
そう言いながら私を見下ろす覚くんが、動揺しているのが伝わってくる。
「なんで避けるの?」
「えぇー心当たりないなー」
それから私が何を言ってものらりくらりとかわされるだけで、一向に話がすすまない。
「もーいい、引っ張ってごめんね」
胸ぐらから手を離して、覚くんの胸を押す。するとそれに逆らうように押し返してきて、私に密着する。距離は、覚くんの肘と二の腕の長さ。そしてゆっくりと顔が近づく。そして耳元で、いつもより低い声を出し「俺、ナマエちゃんのこと憎かったんだ」そう言われた気がした。その言葉に驚き、身動ぎできずにいると、覚くんはぱっと私から体を離して、隣に寝転んだ。そして、「俺さ」と重々しく喉仏が動き出す。
「ナマエちゃんのこと好きだけど、ずっと憎かった」
仰向けになり手で顔を覆って表情を隠し、ポツリポツリと言葉を続けた。
「ナマエちゃんのせいで、俺は一人で平気だったのにそうじゃなくなった。一緒に過ごして知ってしまったんだよね、孤独じゃない世界みたいなのを」
きっと小学生の時の話。高学年になったときは受験勉強に追われていた。時々見かけた覚くんに私は何を思っていたんだっけ?
「だから中学いって黙っていなくなったナマエちゃんに腹が立ったよ。凄くね。それと同時にナマエちゃんにとっての俺ってそんな存在だったんだなーって落ち込んだりもした」
もしかしたら、何も思っていなかったかもしれない。
「今ならわかるよ、ナマエちゃんの家の事情があって、色々それどころじゃなかったんだろーなって。でもいいこともあったよ。ナマエちゃんがいなくなって。上手く適当に人と付き合う術を覚えた」
顔を覆っていた手を退かし、私に視線を向ける。真剣な表情、冷たい目差。
「高校でまた俺の前に現れて。ちっとも変わってない、自分にしか興味がない。それなのに今度は俺を好きだと言った。もちろん飛び上がるほど嬉しかったヨ! けど、どんどん不安になるんだ。大事なところは読めないし、わからないし。俺にとってナマエちゃんはそんな存在。怖いんだ。キミが」
今にも消えてしまいそうな声。
「好きなんだけど、怖い。俺の世界に影響をもたらすキミが怖い。俺の世界が変化することが一番怖い」
視線を逸らし再び表情を隠した。そんな覚くんを安心させてあげたい。なのに私を怖いと言って瞳を揺らした覚くんにゾクゾクしている自分もいる。私はやっぱりおかしい。
隠された表情が見たくて、気づけば私は覚くんに馬乗りになっていた。それでもこちらを見ない。顔が見えない代わりに白くて細くて、長い首。綺麗な首に手をかけた。筋張っていて、脈打っていて、熱い。そんな私の行動に覚くんは驚いて手を払おうとするが、私と目が合うとそれを止めた。
「どしたの」
動揺、恐怖、怯え、好奇。
「あまりにも綺麗だから、触りたくなった」
「俺の話、聞いてた?」
泣きそうな顔。それでも無理に笑っている。
「大丈夫だよって言って不安がなくなるなら、いくらでも言ってあげる。でもそれじゃあきっと駄目なんだよね。私は、私の事を好きでいてくれているならいいよ。……まだ続きがあるなら聞くけど」
「えー。結構勇気出して話したんだけどなぁ」
話すたびにふるえる喉。そして脈が早くなった。
ああ、なんと表現したらいいのだろう。この胸の高鳴りを。高揚感を。
「今まで言わなかったけれど、覚くんのそういう顔とか、怒った顔とか見てゾクゾクしてた」
「……え? ナニ? は?」
「私っておかしいのかもしれない。でも、これが何なのかわかったよ」
覚くんの首を解放して、心臓に耳を当てる。そして、そのまま体を預けた。
「私、興奮してたんだ。触りたくなって、体温を感じて、もっとそうやって顔を歪ませて私に興味を示していて欲しい。そういう瞳に見られてゾクゾクしてたんだ」
言い終わるより早く、私と覚くんの位置が反転していた。
「あのさぁ、あんまり煽らないでくれるかな」
「どうして? 私が怖いんでしょ?」
ハッと短く笑った覚くん。瞳の色がいつもより赤黒く見えて、空気が変わった。
「ずるい人だ」
瞳を閉じれば、ベッドのスプリングが沈む音、近づく体温。覚くんの匂い。
「本当に怖い人だ」
私と覚くんは初めてキスをした。