ラッキーガール | ナノ
高校入試の日、私は朝食を吐いてしまいそうな程に緊張していた。顔は熱いのに手と足の爪先は冷たいし。喉が渇いている気がするのに、トイレに行きたい気もするし。もう訳がわからない。
模試の判定は上々だった。だから、いつも通りにやれば大丈夫。そう、自信をもて! 私は大丈夫! そう思って力強く踏み出した一歩。

私は宙を舞った。

体が浮いて、視線が上の方を向いて、あっ、と思ったときにはお尻から地面にズドン。転んだ。滑った。
周りを歩く受験生は縁起が悪いと思ったのか見て見ぬふり。一瞬何が起きたか理解できなかった。けれど遅れてやってきたお尻の痛みに、現状を理解した。泣きたい。というか、泣きそう。そんなときに声をかけてくれた男子がいた。

「派手に転んだな。大丈夫?」

見上げた視線の先。綺麗な顔。私を引っ張りあげてくれて「お互い頑張ろうな」って言ってくれた。それはもう、王子さまであった。


無事に高校へ入学してから彼の名前を知った。白布賢二郎くん。私の王子さま、白布くん。あの時は「はい」とか、「うん」とかしか言えなくて、まともなお礼も言えなかったため、いつか言わなければと思っていた。
その転機が訪れたのは入学してから初めての夏。先生に押し付けられた雑用を資料室という名の物置きで行っていたとき。バンと乱暴に開かれた扉。その音にびくりと身体が跳ね上がった。

「あ、すみません」

声のした方に恐る恐る視線を向ければ、乱暴に扉を開けたとは思えない出で立ちの私の王子さま。白布くんである。
白布くんも先生に雑用を頼まれたのか、ガタンゴトンとこれまた乱暴に資料を漁りだした。ちょっとイメージと違うぞと思ったけれど、これはまたとないチャンスだ。

「あの、白布くん」

不意に名前を呼ばれて、訝しげな顔をして振り向いた白布くん。どうやら私のことを覚えていないらしい。そりゃ、入試のときとは髪型も制服も違うし。白布くんにとって印象的な出来事では無かったのかもしれないし。彼の記憶になくてもごく自然なことだ。残念では、あるけれど……。

「覚えてないかもしれないけど、入試の時転んだ私に声をかけてくれて、ありがとう」

私の言葉に少し間をあけて「あぁ、あの時の」と、何かを思い出したようにクツクツと笑った。

「よく覚えてるよ」

その言葉にドンと心臓が跳ねて身体が熱くなる。白布くんも覚えていてくれたんだ。彼の記憶の片隅にでも私の存在が! という淡い想いは一瞬で崩壊した。

「スカートの中丸見えだったし」
「……は?」
「あぁ、でもタイツで柄までは見えなかったから大丈夫」

全然大丈夫ではない。

「俺もお礼言いたかったんだよね。あれで緊張ほぐれて入試上手くいった気するし」

「ありがとう」と言って笑った顔は王子さまそのものなのに、ふつふつと怒りみたいな感情と羞恥が沸いて、何も言えなくなってしまった。
白布くんは私を気にすることなく中断していた作業を再開させて、「あったあった」と独り言を呟き、資料室を出て行った。その出る間際。

「足元には気を付けろよ」

そう言って、馬鹿にしたような笑い方が「私の王子さまなんて存在しない」と嘲笑ったように思えた。


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それから白布くんと話すことはなかった。クラスは違うし、特に接点もないし。時々見かける彼はやっぱり王子さまみたいに格好良かったけれど、あの、人を馬鹿にしたような笑みを思い出して、私は勝手に苛立っていた。

九月になり、朝と夜は過ごしやすくなったが、昼間はまだ残暑の残る暑い日が続いてる。そんな秋とも言えない日のこと。移動教室のため廊下を歩いていると、さっきまで体育で汗を流していただろう男子数名が手洗い場で顔を洗っていた。その光景よりも前方から歩いてくる白布くんに視線が奪われる。
私なんか見えていないような澄ました綺麗な顔。挨拶を交わすわけでも、目が合うわけでもない。それなのに一人でドキドキしている私は馬鹿みたいだ。
そう思っていたのに、不意に交わった視線。あっ、ていう顔。それだけでビリビリ電気が走ったように身体が、……身体が、……身体が濡れた。びしゃってバケツの水をかけられたみたいに濡れた。

「すみません!」

辺り一帯に水溜まりができていて、私の左半身はひんやりと重く水を含んでいる。なんでこんなに水がって疑問を考える暇はなかった。

「下の次は上かぁ」

私の目の前で足を止めて、感心したように呟いた白布くんの言葉に視線を下げれば、じわりと下着が透けていた。ブラウスも下に着ているキャミソールも役割を果たしていない。かっと顔が熱くなったのと同時にズボッと頭に何かを被せられた。

「早く着ろよ」

何も見えないが、手探りで触れたそれが先程まで白布くんが着ていたであろうベストであることを理解した。急いでそれに袖を通せば、オーバーサイズであるが透けた下着を隠すには充分だった。

「あ、ありがとう」
「ラッキーガールだなお前」
「え?」
「ラッキースケベばっかじゃん俺」

綺麗な顔して、王子さまの顔をして、またそういうことを言う。文句を言ってやろうと視線をあげれば、白布くんは顔を背けて難しい表情をしていて、私は何も言えなくなってしまった。

「早く保健室にでも行けよ」

背けていた顔がゆっくりこちらへ向く。目が合う。そう思うと心臓がバクバクして、私は小走りに保健室へと向かった。保健室へついてからは、スマホで友達に連絡をして体育着を持ってきてもらい、無事に湿った衣服から着替えることができた。
自分の脱いだ湿った衣類をたたむ。白布くんのベストは、より慎重にたたむ。私が持っているベストより大きいベスト。私のピンチに現れる白布くん。そんな白布くんはやっぱり王子さまで、男の人で、なんだかいい匂いがした。


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あれから二日後。伸びたり縮んだりしないようにおしゃれ着洗剤で洗い、ハンガーを何個も使って平干しさせたベストが乾いた。乾いたなら、返しに行かなければならない。そう意気込んで、丁寧に丁寧に折りたたんだベストを、なんの変鉄もない紙袋に入れ、粗品も添えて、白布くんのクラスへ向かった。すると教室につくよりも早く、背の高い男子と一緒に現れた白布くん。

「白布くん、お、おはよう」

噛んでしまった。それを隠したくて矢継ぎ早に「助かりました」と紙袋を差し出せば、背の高い男子が紙袋と私と白布くんに視線を何度も往復させた。その視線を、煩わしそうな声色で「なんでもねーよ」と白布くんが一喝。そして紙袋を受け取ってくれた。
受け取った紙袋へ視線を落とし数秒。不意にすっと視線を上げて私を見据えた白布くんはまた、嘲笑うようにして口角を上げる。

「足元と水には気を付けろよ」

にたり、と王子さまらしからぬ笑顔。それでも私の王子さまには変わりないようで、憎らしくも跳ねてしまった心臓に、これは恋だと言われた気がした。

確かに王子さまだった

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