友達のすすめ | ナノ
自転車で二人乗りをしたあの日を境に、黄瀬くんは頻繁に私の部屋に来るようになった。最初こそ緊張していた私だったが、慣れてしまえば黄瀬くんとの時間はやっぱり楽しいものだった。

「なんでいっつも心太ばっか冷蔵庫にあるんスか!」
「心太美味しいじゃないですか!」
「コレ夏の食べ物じゃん」
「いつでも美味しいですよ! 黒蜜かけたらデザートになるし。でも酢醤油とからしが一番好きなんですよねー」
「いやいや……、曲がりなりにも女子大生でしょアンタ」
「正真正銘女子大生ですよ? なにか問題が?」

些細な言い争い。

「この前の彼女のせいで俺引っ越すことになったんスよー」
「それじゃーお金たまりませんね……」
「そこ!?」

再びしてくれるようになった恋バナ。

「今日俺が料理作るっス!」
「え!? 黄瀬くんが作ってくれるんですか!? やったー」

お出かけだけではできなかったこと。今まで誰かと、友達としたことがないようなこと。それらを一緒に過ごす時間はとても新鮮で、楽しい。

「ナマエー」
「どうしました?」
「俺以外の男部屋にホイホイあげたりしてないっスよね」
「そんな知り合いいないです」
「ならいいっス」

そして黄瀬くんは時々こういうことを言うようになった。変なの。多分森山さんのあのナンパ事件で私が調子に乗ったせい。心配性と呼ぶべきか、信用されていないと言うべきか。

「黄瀬くん電話鳴ってますよー」
「仕事の電話っスかね」

なんて言いながら電話に出ると、私にまで聞こえる甲高い女の人の声が鼓膜を揺らす。その声をなだめるようにして、聞いたことのない声色で話す黄瀬くんは、まるで知らない人のように思えて変な気持ちになる。その逆で私と喧嘩をした時より低く冷たい声色で話す時もあって、その時はなんだか耳を塞ぎたくなった。

黄瀬くんと一緒に過ごす時間が増えたことで、以前よりも私たちはお互いを知り、仲良くなれたと思う。だから私は黄瀬くんにどこまで踏み込んでいいのかわからなくなっていた。勿論、友達だからといってすべてを知りたいわけではないし、知ってほしいわけでもない。けれど距離が近づいたのは事実で、その距離の認識が私と黄瀬くんで違いがあることを、私は分かっていなかった。


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バイト終わり、トラブルがあって退勤時刻がいつもより遅くなった。明日大学は午後からだから、まあ大丈夫だろう。そう思って店長に「残りますよ」と言えたわけだし。
それにしても疲れたな。ご飯は店長が残ってくれたお礼にとくれた廃棄のお惣菜があるから、それと冷凍庫のご飯にしよう。それを食べたら今日は直ぐ寝よう。朝起きてから洗濯機回そう。そんなことを考えながら、重い足取りでたどり着いた自分の住むマンションの前で、見慣れた人影に驚いた。

「黄瀬くん?」
「おかえり。今日帰り遅いんスね」

もしかして約束してたっけ? 慌てて駆け寄ると、黄瀬くんは「お疲れっス」といつもと変わらない口調で言って笑った。でもなぜか目は笑っていなくて、少し空気がひりついている気がする。

「ごめんなさい。約束してたっけ?」
「してないっスよ」
「もしかして連絡くれてた? 見てなかった。すみません」
「いや、連絡もしてないっス」

あれ? そうなの? 黄瀬くんが連絡もなし来るなんて初めてで、私の思考回路は停止してしまう。そして再び慌てて動き出す。どうしたんだろう。何かあったのかと。

「えっと、とりあえず部屋に……」

入りますか? そう聞きたかったけれど、黄瀬くんが無表情でこちらを見据えていて言葉に詰まる。
何だか黄瀬くんの雰囲気が変だ。「お邪魔するっス」といつもと同じ声色なのに、据わった目を向けられるとビクビクしてしまう。怒ってる? のかな。そう思うと身体に力が入って、ガチャガチャともう使い慣れているはずの鍵を上手く回せない。

「何やってるんスか。貸して」

黄瀬くんの大きな手が私の手からゆっくりと鍵を奪い、ガチャリと鍵を開けてくれた。優しいところはいつもと一緒。でもお礼を言おうと見上げた先にあった黄瀬くんは私なんか見ていなくて、話しかけてはいけないような雰囲気にお礼の言葉は引っ込んでしまった。

「お邪魔しまース」
「あ、はい。どうぞ」

自分の部屋なのに私は黄瀬くんに続いて玄関へ入り、何故か彼の後を追う形になってしまった。

「えっと……、ご飯。ご飯食べますか?」
「お腹空いてないんでいいっス。てか俺がいきなり来たんだからそんな気を遣わなくていいっスよ」
「そっか。じゃあ、私の分だけ……」

冷凍庫を漁り、冷凍ご飯をレンジへ。いつもは何してただとか、何があっただとか会話をするのに、今日はそれがない。ただレンジの電子音だけが部屋に響いている。
“今日バイトでこんなことがあって、それでいつもより帰りが遅くなって。お礼にって貰ったこのお惣菜、結構美味しんですよ。”
頭の中に言葉は浮かぶのに、黄瀬くんと目が合わないから言葉が音にならない。

「いただきます」

大きくないローテブルを挟んで目の前に座る黄瀬くんは、黙って私が食べているところを眺めていた。頬杖をつき、長い睫毛の奥から刺さるような冷たい視線。何で冷たいって思っちゃうんだろう。

「……黄瀬くん」
「ん?」
「どうかしましたか?」
「何がっスか」
「いつもと、なにか違うから。何かあったのかなーと」
「別になんもないっスよ」

まただ。口元は綺麗な弧をえがいているけど、それだけで笑顔にはなっていない顔。何もないのに連絡もしないで私に会いに来るのかな? 来ないよな。だったらやっぱり何かあったと考えるのが普通だと思う。何もできなくても、話をきくことなら私にできるよね。だって私と黄瀬くんは友達だから。

「やっぱり何か変です。どうしたんですか? 何かありましたか?」
「だから何にもないって」
「でも……」
「しつこいっスね。何もないって言ってんだろ」

低くて強くなった口調に、思わず肩が震えた。黄瀬くんは干渉されるのがあまり好きではない。知っていたのに、私は踏み込もうとしてしまった。「ごめんなさい」そう言いたかったのに、情けないくらい小さい声になってしまった謝罪の言葉は黄瀬くんには届かなかっただろう。

「ご、ごめん。私先にシャワー浴びちゃいますね。バイトで汗かいちゃって。お腹空いたら適当に冷蔵庫漁って食べてください。お布団いつものとこにありますから、先に寝ちゃってても大丈夫ですよ」

早口で私は何を言っているのだろう。逃げるようにして食器を片付け、脱衣所へ身を隠す。怖かったんだと思う。その証拠に鏡に映った自分の顔は酷く不細工で、今にも涙がこぼれそうだった。
普段より長めにシャワーを浴びたのは自分の気持ちを落ち着けたかったから。友達に恐怖心を持つなんて、変だ。おかしい。話したくない事を無理に聞き出そうとした私がでしゃばり過ぎたんだ。髪を乾かしながら必死でどうしようか考えた。けれど結局いい案は浮かばなかった。
このまま脱衣所にいても駄目だ。深呼吸をして脱衣所を出ると、黄瀬くんは布団に包まっていた。内心ほっとしている自分が情けなくて、嫌になった。
私も寝よう。静かにベットに入り、目を閉じる。バイト終わりは眠くて仕方がなかったのに、ドキドキと焦りなのか緊張なのかわからないが、心臓がうるさい。たぶん、黄瀬くんに対する恐怖心。そこまで考えて違うと否定する。ちょっと怒らせてしまっただけ。明日ちゃんと謝れば大丈夫。だって、黄瀬くんと私は友達なんだから。
友達だから、その言葉を何度も唱えながら私は自分の膝を強く抱え込んだ。

どのくらい時間が経ったのだろう。眠れず秒針の音を黙って聞いていると、不意にごそりと人の動く気配がして、思わず身体に力が入った。もしかして黄瀬くん帰るのかな? 私が怒らせたから。だったら謝らないと。そう思うのに身体が動かない。
黄瀬くんが布団から起き上がる音。立ち上がり、こちらに近づいて来ている。どうしよう。どうしたらいいんだろう。私は目を硬く閉ざして固まることしかできない。

「寝た?」

とても小さい声だ。ビクリと身体が更に強張ってしまい、返事にとまどっていると「今日はスンマセン」と黄瀬くんが言葉を続けた。

「ちょっと仕事でうまくいかなくて、ナマエと話したくなったんスけど。……ナマエいないし。帰ってくるの遅いし。そんで……。八つ当たりしたっス。ごめん」

独り言のように、ぽつりぽつりと私の背中に向かって話す黄瀬くん。言葉ひとつひとつを聴いていると身体の力がぬけて、私の気持ちが軽くなった。

「……黄瀬くん」
「ん?」
「私、さっき黄瀬くんのこと、怖いって、思ってしまったんです」
「うん」
「友達なのに、怖いなんて……」
「いや、俺が悪いっス」
「友達だから無理に笑った顔とか、見たくないです」
「うん」
「怒るのは、喜怒哀楽の一つだから。ちゃんとわかりたいです」
「ん」
「だから、怒ってるときは教えてください」
「ん?」
「俺今怒ってるから放っておいて、とか。そうやって事前に教えてくれれば、そしたら、たぶん、黄瀬くんが怒ってても、もう怖くないから……」

黄瀬くんの返事がないのを不審に思い、恐る恐る振り返る。すると布団の隙間から見えた黄瀬くんは、笑うのを堪えていた。

「何で笑うんですか……」
「ぷっ、スンマ、セン」

結局黄瀬くんは笑を堪えきれなくなったようで、普通に笑いだした。少しムッとしたけど、いつもの黄瀬くんに戻ったから良かった。

「私、真剣なのに」
「スンマセンって。やっぱりアンタと友達になってよかったっスわ」

その言葉に、顔中に熱が集まるのが分かって、私は思わず布団に潜って顔を隠した。だってこんなにやけた顔、黄瀬くんに見られたくない。

仲直りをしましょう

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