友達のすすめ | ナノ
薄花色のカーテンの奥に見える空は、そのカーテンとよく似た色をしていた。

時計の数字と空を見比べて、日が暮れるのが遅くなと実感する。外から入り込む風はなんだか生ぬるいし、これは夏の始まりといつやつなんだろう。これが夏の始まりか。そう思うと不思議な感覚になった。だって私の思う夏は、あたり一面の田んぼの緑が波打つ海のようにして、風にさざめく。そんな景色を思い浮かべる。だからきっと、私が知っている夏とは少し違った夏が始まる。そんなことを思いながらも、このことを黄瀬くんに話したら田舎者だと笑われるのかなと想像してひとり、小さく笑った。


前髪をアルミ製のクリップで止めて、後ろ髪はワニのような大きなクリップで適当にまとめる。額とうなじを出すのは、私が机に向かうときのスタイルである。
課題のレポートを終えたのは、太陽がすっかりと沈んだ頃。窓から入る風は心地がいいくらいの温度になっていた。けれど皮膚はじっとりとした汗をまとっている。
シャワーを浴びよう。シャワーを浴びてアイスを食べよう。あ、でも今アイスは冷蔵庫にないか。それなら散歩がてらコンビニまで行って、アイスを買おう。

ドライヤーもほどほどに財布と携帯だけを持って夜道を歩いた。夜なのに少し明るい空の色。嗅ぎ慣れない空気の臭い。そんな些細なことがまだ目新しくて、冒険をしているようで楽しい。
コンビニでお気に入りのアイスを購入して、もう食べてしまおうか、部屋まで我慢しようか。どうしようかな。いやでもな。そんな問答を三回ほど繰り返した時、ポケットの携帯が着信を知らせた。
電話とは珍しい。バイト先からシフト変更の電話かな? なんて思って確認すると、電話の主は黄瀬くんで。黄瀬くんから電話なんてもっと珍しいなと驚いた。

「もしもし?」
「起きてたっスか?」

うん起きてたよ。と返事をすると、黄瀬くんが「マジでありえないんスけど」と少し声を低くさせて、息継ぎする間もなく話を始めた。
早口で話の合間に「どう思うスか」とか「ありえなくね?」とか、意見同意を求めるようなことを言いながらも、私の解答なんて聞く気はないようで。彼の言葉は途切れることなく続いた。

「はあ、マジでありえないっス」

黄瀬くんの話をまとめると、喉が渇いたため自販機へ行ったその帰り、最近別れた元彼女が自分のマンションの入り口で待ち伏せしているのを見つけた。待てど待てど帰る素振りを見せない。多少面倒な別れかたをしたため、顔をあわせたくない。今日は部屋に帰るのを諦ようと決めたのはいいが、ポケットには小銭と携帯しか入っておらず、どうしたものかと頭を悩ませているとのこと。電車に乗れないのでは行ける場所も限られていて、徒歩で行けそうな場所は私のマンションだと思い連絡をして来たということらしい。

「こっちに来るのは構わないけど、私のところも遠いですよ?」
「他に連絡した人はタクシー代が馬鹿にならないんスよ。それに元カノとのトラブルだって言ったらみんな電話切っちゃって」

これは友達の、黄瀬くんのピンチ! 何とかしなくては……。そう思ってからの私の行動は早かった。黄瀬くんに歩いて欲しいルートを指定して、電話を切りアパートまで走る。そして最近購入したばかりの自転車にまたがってペダルを踏んだ。

シャカシャカと軽快にチェーンが回る。空の色、空気の臭いなんてまったく気にならなくて、私はただ早く黄瀬くんのもとへ行くことだけを考えていた。
流れる景色。すれ違う人。いつもとは違う心臓の速度。喉に乾いた空気が張り付いたような違和感がある。けれどそれらは、ちっとも重要なことではない。私の意識は黄瀬くんへまっしぐら。だから角を曲がる度にあの髪色を探した。そしてその髪色が視界に映った時には、胸で花火が弾けたような衝撃が広がった。その衝撃は声となってさらに弾ける。

「黄瀬くーん!」

夜の町に私の声はやけに響いた。
黄瀬くんは不自然にピタリと歩みを止める。どうしたのだろうか。私は黄瀬くんの目の前で自転車を停めて、彼の顔色を伺った。しかし黄瀬くんの表情から感情を読み取るのは難しい。たぶん驚いている、のかな?

「えーと、迎えに来ました、よ?」

言葉を発してみて、自分の息がずいぶんと乱れていることに気づく。肩で息をしながら、動きの無い黄瀬くんを眺める。相変わらずいつ見ても綺麗な顔だな、とぼんやりしていると「アンタはまた」と小さく唇を震わせた黄瀬くんは火が勢いよく燃え上がるようにして、一気に捲し立てた。

「今何時だと思ってるんスか! 仮にも女なんスよ!? なんかあったらどうすんだよ!」

ビリビリと空気が揺れて、思わず背筋が伸びる。「なにもないよ」そう口にすると黄瀬くんは「これだから田舎者は」そんな言葉を吐き出して前髪をかき混ぜた。

「なんだか、いてもたってもいられなくて……」

ぱちぱちと瞳を瞬かせて、そして難しい顔。それはどんな感情なのか聞きたかったけれど、ずっと立ち話もなんだしな。私は自転車を方向転換させてから荷台を軽く叩き、ささ、遠慮なくと笑って見せると、黄瀬くんは「は?」と口を丸く開けて停止。

「私が漕ぎますから。さあ、早く乗ってください!」

さあさあ! 早く早く! と促すと黄瀬くんはあははと気抜けたような声で笑いだし、次第にそれは加速した。そして最後には大笑い。なんかヒイヒイいってない? 大丈夫かな?

「ちょ、アンタ! 最高っス! やっば。腹いてぇ」
「大丈夫ですか?」

それからしばらく黄瀬くんは笑っていて、私は近所迷惑にならないかとソワソワしていた。

「はぁ。笑った。久々にこんなに笑った気するっス」
「そっか。えっと、良かった? ですね」
「自転車貸して」
「あ、はい」

私が自転車から降りると、黄瀬くんが私の自転車にまたがった。もしかして私、走らなきゃいけないのかな。足の遅さには自信があるぞ。それにしても黄瀬くん、自転車似合わないなぁ。足が余ってるよ。カマキリとかクモみたいだって言ったら怒るかな。怒るだろうな。

「サドル低っ」
「それは黄瀬くんの足が長いから」

ガチャガチャとサドルを調整して、再びまたがる黄瀬くん。少し足が真っ直ぐになったけらど、うん。やっぱり似合わない。

「まぁ、こんなもんっスかね。ほら後ろ乗って」
「え?」
「普通に考えてこういうのは男が漕ぐもんスよ」
「いや、でも私重いと思うし」
「俺よりは軽いでしょ」
「でも、えっと、」
「いいから!」
「じゃ、じゃあ。失礼します」

ゆっくりと荷台にまたがる。目の前に黄瀬くんの背中。細いと思っていたけど、なんだかとても男の人の背中だと思った。

「行くっスよ。アンタはナビして」
「了解です」

暗い夜道を黄瀬くんと私を乗せた自転車はぐんぐん進んだ。時折私が右だとか左だとか言って、それに黄瀬くんが返事をした。風にのって香る黄瀬くんの匂いは、いつもの香水の匂いではなくて、私の中で言い表しようのないドキドキが喉元まで込み上げる。それは気を抜くと涙が出てしまいそうな感覚で、こんな気持ちになるのは初めてで、私にはどうしていいのかわからなかった。

「俺さっきまですんげーイラついてた」

上気した頬を優しげな声色が撫でた。

「でもナマエが自転車乗って来てくれて可笑しかった」
「うん?」
「嬉しかったっス」
「うん」
「アンタは俺を救世主とか言ったけど、ナマエもヒーローみたいな登場だったっスよ」
「それは……馬鹿にしてる?」

顔は見えないけど、黄瀬くんが笑い声をあげたから馬鹿にしているんだと思う。「笑い過ぎです」と言ったとき、黄瀬くんが小さな声で「ありがとう」と言った気がした。それは気のせいだったのかどうかはわからないけど、急にスピードがあがった自転車のせいで、それどころではなくなってしまった。


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「ずいぶんとサッパリした部屋っスね」

黄瀬くんがぐるりと部屋を見回す。正直あまり見ないでほしい。

「テレビは?」
「後で買おうと思って……、そのままで……」
「あ! このレポートって今日まで!?」
「いや、金曜日までだからまだ時間ありますよ」
「後で見せて欲しいっス!」
「いいですよー」

そういえばこの部屋に誰かを招くのは親以外で初めてだ。洗濯物をしまっておいて心底良かったと安堵する。
初めてのお客様。お茶とか、座布団の用意とか、他にもなにかおもてなし的な何かをしなければ。

「あ、黄瀬くんお腹空いてます? 今日の残りで良かったらあるけど」
「マジっスか!? 食べたい!」

冷蔵庫からあり合わせで作った物を出して、黄瀬くんの口にあうか不安に思いながらも「どうぞー」とテーブルに並べた。

「料理できるんスね」
「料理ってほどじゃないけど……。節約のためです」

いただきますと手を合わせた黄瀬くんは、恐る恐る料理を一口。そして一口、一口と箸を進めて、最後には残さず綺麗に食べてくれた。その間に私は親が泊りに来た用にと買った布団を引っ張り出しては、タンス臭くないかと慌ててみたり。新しいバスタオルを探したりと一人でバタバタしてみたり。

「そんなに気つかわなくていいっスよ」
「でもお客様ですから。あ、シャワーどうぞ。自転車のせいで汗かいたでしょ?」
「じゃーお言葉に甘えて」

黄瀬くんが脱衣所へ姿を消し、私はここで初めて緊張していることに気がついた。そりゃ黄瀬くんが私の部屋にいるんだもん。当然か。それにお泊まり会みたいできっとドキドキしているんだ。

あ、アイス一個しか買ってない。いや、その前にアイス絶対溶けてるよな。それに今何時だろ。明日って何限目からだっけ。頭のなかでぐるぐると思い浮かぶのに、身体が徐々に重くなる感覚。緊張かな。疲れかな。昨日あまり寝てないしな。少しだけ休憩しようかな。黄瀬くんのシャワーが終わるまで。

「お先すんませんでした。ナマエシャワー……、寝てる? おーい」

黄瀬くんシャワーあがったんだ。遠のく意識の中で、黄瀬くんの声が響く。寝てはいけない、寝てはいけないと思うのに、妙に黄瀬くんの声が心地よかった。

「ん、うん。おきてる」

言葉に出てるかな。頭では話しているつもりだけど、自分の口から言葉が発せられているかわからない。

「大丈夫っスか?」
「……うん」
「もう寝る?」
「……んー?」
「シャワーあびる?」
「……うん」

眠い。でもシャワーをしなきゃ。動かなきゃ。あれ? ふわふわする。それに自転車で香った黄瀬くんの匂い。まだ自転車に乗ってるんだっけ? 夢かな。ああ、夢だな。夢だから黄瀬くんが「俺の前意外で寝ぼけるの禁止っスよ」なんて言った気がしたんだ。

友達を迎えに行きましょう

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