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01



「ツっくんー! 遅刻するわよー」


 階段下、叫ぶような声を遮るように、頭から思いきり布団を被る。とっくに起きてはいたけれど、布団から出る気はさらさらなかった。まだ、あと少し。そうすれば、彼女がやってくるから。


「もう、ツっくんったら……名前ちゃん、わるいんだけど、ツっくん起こしてきてくれる?」
「はあい」


 とんとん、という軽い足音に呼応して、俺の心臓もどくりと波打つようだった。もうすこし、もう少しで、きっと彼女は階段を登り終える。そうして、扉の前で、俺の名前を呼んでくれる。


「綱吉、入るよ」


 コンコン。控えめなノックのあとに、そう呟いて、彼女は扉を開けた。そのまま俺のベッドを通り過ぎ、カーテンへと手をかける。シャ、という小気味よい音と共に、視界がほんのりと明るくなった。それでも布団から出ない俺に、呆れた顔の彼女。掛け布団をかぶったままだから、まったく見えないけれども、それくらいはわかるよ、俺。


「綱吉、起きてるんでしょう?」


 無視。いつものことだからか、腹を立てることもなく―――まあ呆れてはいるのだろうけれども―――小さく息を吐き出してから、俺のベッドへと腰掛けた。綱吉。アルトが俺の名前を奏でる。伸ばされた腕、それが俺にふれる前に、その手首を握って布団の中に引きずり込んだ。ぎゅ、と、正面から抱きしめる。あたたかい。


「綱吉、」
「寝てる」
「いや、起きてるでしょう」


 首筋に顔を埋めているから、振動が伝わって気持ちいい。ぼそりとつぶやいたら、素早く返された。呆れたような返答。


「遅刻、するよ?」
「んー、もうちょっと」
「だめ」


 だめ、といいつつ止めないものだから、俺は調子に乗って彼女にまわした腕の力を強める。細いけど、俺よりもふわふわしてて、抱き心地がいい。脚を絡めたら、度が過ぎたのか、頭の頂点にに手刀が落ちてきた。……地味に痛い。


「痛ぇ……」
「わたしが遅刻しちゃう」
「一緒に遅刻すればいいだろ」
「だめ」
「ちぇ、」


 唇を尖らせる。脱出しようと身じろぎしたので、いたずらに腕の力を強めてやった。とたん、眉が顰められる。ぴくりとまた右手が動いたので、仕方なく拘束していた腕を緩めた。朝から二度も叩かれるのはごめんだ。


「ほら、起きて。ごはんもできてるよ」
「んー」
「もう……せっかく一緒に登校できるのに」


 拗ねたようにそう囁かれて、どくりと心臓が震えた。背骨を突き上がるような歓喜を、必死に打ち消す。彼女に、他意はないのだ。俺の望んでいるような、それは。きっと、ただ、共に登校できたら、という純粋な思いなのだろう。そうだ、そうに違いない。それでも、俺の心臓は鼓動を早める。期待、してしまいそうに、なる。綱吉? 不思議そうに、彼女の唇が俺の名前を紡ぐ。ぎゅう、と強く抱きしめてから、首筋に吐息をぶつけるように呟いた。


「一緒に行く」


 また俺を攻撃しようとしていたのだろう右手が、ぴくりと動いてから宙を彷徨った。行き場のなくなったその手は、数瞬おいてから、ぽん、と俺の頭の上に載せられる。髪の毛を梳くように撫でられて、心地よさに思わず目を閉じた。頭を撫でられて安心する、だなんて、いったい俺はいつまでガキなんだろうか。それでも、彼女に対してだけは、これでいいと思ってしまう。そうして、実感するのだ。ああ、俺は、彼女がいなければ、


「ん、じゃあ、ほら、ちゃんと起きて」


 ぽん、と優しく頭をたたいて、彼女は微笑んだ。名残惜しくも解放すると、彼女は素早くベッドから飛び降りて、乱れた髪の毛を手櫛でなおす。あわよくばもう一度、という俺の考えを見抜いていたのかもしれない。俺ほどではないか、彼女も常人離れした勘を持っている。


「じゃあ、下で待ってるから、早く来てね」


 半開きになっていた扉を開けて、振り向いた彼女が微笑む。おー、という俺の生返事に満足したのか、彼女は髪を翻した。その後ろ姿が扉の向こうに消える直前。「あ、」意味のない言葉が口から飛び出した。律儀な彼女は振り返る。


「どうしたの、綱吉」
「あいさつ、してなかったと思って、さ」


 おはよう、姉さん。


 あっけにとられたような表情をしてから、彼女はふわりと微笑んだ。ああ、十年後も二十年後も、こうして囁き合えたなら。
 外は快晴。春が終わる、とある日の朝。






111209  下西 ただす




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