×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



02


「ただいま、綱吉」


 自室の扉をあけると、あたりまえのようにベッドに綱吉が寝転がっていた。着替えるのが面倒だったのか、学校指定の白いカッターシャツのままである。ベッドサイドに放り投げられたネクタイが、窓から入る風にふわりとたなびいた。


「……ん、」


 分厚い本から目を離さないで、綱吉は唸るような声を出した。まだ、怒っている。


「怒らないでよ」
「…………怒ってない」


 ……なんだ、その間は。鞄を机の上に置きながら、こぼれそうになった溜息を危うく飲み込んだ。呆れた空気を出そうものなら、この弟はさらに機嫌を悪化させるに違いない。それだけは勘弁してほしかった。それでなくとも、綱吉の不機嫌持続性はかなり高い。


「しょうがないでしょう、委員会だったんだから」
「待ってるって言っただろ」


 視線を本から逸らさずに、ぶっきらぼうに言い放つ。そのあいだにも、ぺらりとページが捲られる。英文だったので、何の本か、ぱっと見では分からなかった。枕元にもいくつか本が転がっている。ニーチェ、相対性理論、……少年ジャンプ、は、きっとお母さんへのカモフラージュ用だろう。まさか、ダメダメだと思っている自分の息子が、部屋で永劫回帰について思考を巡らしているだなんて知ったら、それこそおおごとである。


「だって、“ダメツナ”が図書室にいたら、変だって言ってたの、綱吉だよ?」


 う、と言葉に詰まったのは綱吉のほうだった。年度の初め、わたしが図書委員になってから、何度か昼休みに誘ったのだが、「ダメツナは図書室になんか行かない」の一点張りで、ついぞ一度も図書室に足を踏み入れることなどなかったのだ。自身は本がものすごく好きなくせに、自分で変な“枷”をつけてしまうなんて。まあ、公立の中学校にニーチェが置いてあるかどうかは疑問の残るところだけれども。


「……うっさい」


 唇を尖らせたまま、綱吉はそう呟いた。ページをめくるスピードが、まったく変わらないのだから驚きである。まだ小学生のころ、好奇心旺盛な彼に懇願され、仕方なく始めた英語教育だった。英才教育と言えば聞こえはいいが、なにしろ教授する側もされる側も“異常である”のが問題だった。あまりにも悧発で聡明だったため、まるで砂地に水がしみ込むかのように、すぐに吸収してしまったのだ。すらすらと覚えてしまうものだから、ついつい調子に乗って、高度なものも教えてしまったけれども。


「(よかったのかなあ……)」


 ぽふん、とベッドへ腰掛ける。綱吉の視線は洋書に向けられたままだったので、わたしは綱吉のつむじを見つめていた。飲み込みが早すぎて、聡慧すぎて、少し不安になる。早熟、すぎるのだ。そして、綱吉自身、それを自覚しているからこそ、さらに不安が掻き立てられる。この少年は、酷く不安定だ。アンバランスで、いつ壊れてもおかしくない危うさを内包している。“異質”から目をそらすために、自分を守るために、“ダメツナ”だなんて、面倒なことを自分から背負い込んで、全部自分で何とかしようとして。


「もっと、」頼ってくれればいいのに


 自分の口から思わず言葉が零れて、慌てて口を噤んだ。それでも、聞き逃さなかった綱吉は怪訝な顔でこちらを見上げる。ああ、その瞳が、いけない。


「もっと、何?」
「なんでもない、よ」
「嘘つくとき、絶対目を逸らすって、姉さん知ってた?」


 知ってるも何も、故意にそらしているんです、だなんて、言えるはずもなかった。綱吉の、その瞳が、いけないのだ。全部、見透かされそうになる。精神年齢でいえば、彼よりも2倍以上はなれているはずなのに、どういうことだ。「姉さん」不機嫌だからか、わたしを呼ぶその声は刺々しい。声変わりさえまだ始まっていないその声には、妙な威圧感がある。


「もっと、なに?」
「もっと、甘えていいよってこと」
「はあ?」


 思い切り眉を顰める綱吉の、ふわりと柔らかい髪に触れた。今のわたしの髪質とそっくりのそれは、ふわふわしてて気持ちいい。おもわず口元がゆるむ。それを見た綱吉が、さらに不機嫌そうになったけれど、微塵も気にならなかった。だって、本当はもう不機嫌じゃない、でしょう?


「なんで男が女に甘えるんだよ」
「あら、弟が姉に甘えちゃいけないの?」


 綱吉の視線は本に戻ってしまったけれど、そのページはなかなか捲られることがない。くすくすと笑ったら、うるさいと一蹴されてしまった。


「綱吉」
「なんだよ」
「おかあさんがケーキ買ってきてくれたんだって。いっしょに食べない?」


 ラ・ナミモリーヌのなんだけど。あそこのモンブラン、好きなんだよねえ。独り言のように呟きながら、ゆっくりと髪を撫でる。ぱたん、と綱吉が本を閉じた。そのまま、枕に突っ伏してしまう。


「綱吉?」


 すこし首を傾げて顔をのぞき込むのと、綱吉がこちらをみたのは同時だった。さっと一瞬目を逸らしてから、眉間にめいいっぱい皺を寄せてぼそりと答える。


「……姉さんの珈琲が呑みたい」


 おもわず、笑みがこぼれた。全然素直じゃないこれが、彼の精一杯の甘えなのだ。


「はい、はい」


 開け放たれた窓。ふわりと風が舞い込んで、わたしと綱吉の髪を撫ぜる。とある日の、昼下がりのはなし。











111220  下西 ただす





[ 2/12 ]