2話/俺の名前を呼ぶ幽霊


今日はロロにフルーツケーキを焼くか。
授業終了後、そんなことを考えながら帰る準備をしていたらリヴァルがニコニコしながら近づいてきた。

「なぁルルーシュ〜今日どっか遊びに行かねぇ〜?」
「悪いな、リヴァル。この後ロロにケーキを焼くから」

俺の前の席で友達と話していたシャーリーも会話に飛び込んできた。

「えっ? ルルケーキも作れるの!?」
「完璧超人かよ」

ふたりともそんなに驚かないでほしい。
おもしろい顔をしていて、小さく笑みをこぼしてしまう。

「だから今日は無理だ。
明日、みんなの分も生徒会室に持って行くから。
じゃあな」

鞄を手に席を離れると、ふたりは笑顔で手を振った。

「バイバイ、ルル」
「また明日な〜」

教室を出る。
今日はいい天気だ。光が射し込む廊下は明るい。

体育をサボった回数を考えれば、そろそろヴィレッタ先生が来そうだが……。

《ルルーシュっ!!》

誰かに呼ばれた。
足を止め、振り返ったが女子生徒は誰もいない。
遠く離れた所に男子生徒が数人歩いているだけだ。
気のせいか?

《……ルルーシュもあたしが見えないんだ》

また女の声が聞こえた。
誰だ?
周囲には人ひとりいないのに、至近距離で話しかけてくるような声だ。
気のせいか? 俺は疲れているのかもしれない。

止まっていた足を動かす。
廊下を進めばヴィレッタ先生と出くわした。

《なんでここにいるの!!》

やはり至近距離で女の声が。

「おい、ルルーシュ」

先生は聞こえてないのか?
戸惑い、わずかに返事が遅れてしまう。

「……こんにちは。ヴィレッタ先生」

《先生ッ!? ヴィレッタ先生!?》

また聞こえた!
至近距離の声の主は何故こんなにも驚いている。
近くに隠れているのか?

「おまえまた授業に出なかったな」

……いや、違うな。
女の声は俺にしか聞こえないようだ。

「……すみません」
「次は必ず授業に出ろ」
「はーい」
「分かってるのか? サボったら補習だからな」
「すみません先生、ロロにケーキを焼く約束してるんで。さよならっ」

ヴィレッタ先生から逃げ、廊下を走る。

「ルルーシュ!!」

先生の怒った声はあっという間に遠ざかる。
隠れて俺に話しかける声の主も、さすがにここまではついてこれないだろう。

《なんでヴィレッタが先生してるの!?》

……と思ったらまた声が!

バッと後方を確認する。
誰もいなくてゾッとした。
前に視線を戻し、さらに足を速め、校舎から脱出する。

外に出てもまだ油断はできない。
もっと離れたかったけどこれ以上は無理だった。
ガクンと脚を止め、肩で息をする。
誰だお前は! こんなになるまで走らせて!!

《ルルーシュ……そばで、大声で……大声でごめん…》

ああ、やっぱり声がする。
周りを念入りに確認したが、周囲には誰もいなかった。
なんだお前は? どこから話しかけているんだ。
周囲を確認しながら歩くものの、声の主は見当たらない。

去年の秋、リヴァルが面白がって持ってきたディスクを思い出す。
血まみれ呪い女が襲いかかってくる作品の続編だ。
姿は見えないが、声だけで主人公を恐怖のドン底に叩き落としていた。
まさか、あれか!?

《ルルーシュ……》

俺の名前を呼ぶな。

《ルルーシュ……!!》

俺の名前を呼ぶな!!

《ルルーシュ!!》

やめてくれ!!

《どうしよう……。
あたし……本物の幽霊になっちゃった……》

歩く度、女の声がだんだんと離れていく。
追いかけて来ないのか、女の声は聞こえなくなった。

最悪だ。まさか幽霊に執拗に声をかけられるとは。
無視できたのが幸いだな。反応したらきっと取り憑かれる。
幽霊は諦めたのか、どこかに行ったのか、話しかけてくることはなかった。


  ***


翌日の早朝、目覚めは良くなかった。
昨日のあれは悪い夢みたいなものだろう。
顔を洗い、歯を磨き、着替えを済ませ、エプロンを身につけてから朝食作りを開始する。

作ったものを手早く並べ、片付ける為にキッチンへ行こうとしたら、

《いいなぁ……美味しそう……》

幽霊の声がして、驚いて体がビクッとした。
ダメだ! ダメだ!! 反応するなルルーシュ・ランペルージ!!
平静を装い、キッチンに避難する。

洗い物だ洗い物!
水を流しながら、ひたすら目の前の事に集中する。

《おはよう、ルルーシュ》

至近距離から挨拶され、思わず顔をしかめてしまった。

何がおはようだお前!!
こんな朝早くに来ないでくれ!!

《ルルーシュはあたしの声……聞こえてる?》

凄まじい悪寒がして吐きそうになる。
洗っていたものを放り出し、俺はキッチンから一目散に逃げた。

《ねぇルルーシュ》

どんなに速く歩こうが声の主はついてくる。

《声聞こえてるよね?
聞こえてるなら聞こえてるって教えてほしい。
せめてあたしに……》

俺は返事しない! 返事しないからな!!

あまりの恐ろしさに、俺は唯一の拠り所である弟の部屋へ向かった。

扉をノックしてから入る。
いつもより早く起こしてしまうのは罪悪感があったが、ロロの声を聞いて早く安心したかった。

「ロロ、ロロ」
「ん……? 兄さん?」
「すまないロロ。ちょっと早いが起こしてしまって」
「どうしたの……?」

ロロは眠たそうで罪悪感がさらに重くなった。

「す、すまない本当に……。
朝食のジャムを切らして、それで、代用するものを聞こうとして……」

ロロの髪を撫でる手が情けなく震えている。喋る声もガタガタだ。

「あるものでいいよ。
……兄さん、何かあった? ジャムだけで早く起こすなんて今まで無かったでしょ?」
「何かあったと言うか、その……」

幽霊がまた話しかけるかもしれない。
その声をロロが聞いてしまうかもしれない。
見えないが、絶対周囲を漂っている。

《こんな所まで追いかけてごめんなさい……》

至近距離で話しかけられ、絶望感で体が跳ねた。

《ここにはもう来ない。
あたし、外行くね……》

本当に申し訳なさそうな声で言った後、幽霊はどこかに行ってしまった。
体の力が抜ければロロがふわりと抱きしめてくる。

「兄さん……大丈夫?
一体何があったの?」

心配する声に、俺はすぐ返事ができなかった。
ロロには幽霊の声が聞こえなかったようだ。本当に良かった。
ギュッと抱きしめ、息を吐く。

「ごめん。何もない、何もないんだ。
ただ……今はおまえのそばにいさせてくれ……」

抱きしめている内に震えは落ち着き、だけど心はざわついた。
またあの幽霊が来るのでは、という畏れで朝食が一口も喉を通らなかった。

平静を装いつつも、幽霊にいつ話しかけられても無反応でいられるよう、心の準備はしておく。
シャーリーとリヴァルは気づかなかったがヴィレッタ先生には見抜かれ、
「何かあったのか? 心配事があるなら相談に乗るからな」とまで言われた。
「心配事? 何もありませんよ」と軽く返したものの、
「私には言えないかもしれないが、ロロには打ち明けてやれよ。たったひとりの弟なんだから」と諭された。

幽霊の声が聞こえるなんて、そんな非現実的な事をロロに話せるわけがない。
絶対心配される。怖がらせてしまうかも。最悪、頭がおかしくなったと思われるかもしれない。

大丈夫だ。俺なら上手くできる。
俺なら誰にも気づかせずにやり遂げてみせる。

警戒する心をいつもの自分で覆い隠す。
神経がすり減っていくのを感じるが、それも1日で慣れてしまった。
臨戦態勢で待ち構えていたものの、いつまで経っても話しかけられない。
他所の人間の所に行ってしまったのか?
それならそれでいい。俺の前に二度と現れるな。

幽霊の声が聞こえなくなって3日後、会長の一声で花見パーティーを開くことになった。
どうして俺が人数分の弁当を用意しなきゃならないんだと思いつつも、デザートまで人数分作ってみんなに渡してやる。
リヴァル達がすごく喜んでいるのを遠目で見ながらお茶を飲んだ。
猫のコップにお茶を注ぎ、隣のロロに手渡した。

「ほら、ロロ。
おまえも水分補給」
「ありがとう兄さん」

桜の花びらが一枚、ロロの髪に落ちてくる。
指でそっと取ればロロは嬉しそうに笑った。
外は暖かくて頭上は美しい。
ロロが隣にいて、溢れる幸福感に頬がゆるんだ。
お茶を飲み終わったロロが立ち上がる。

「兄さん、僕ヴィレッタ先生のところに行ってくるね。
提出するものがあるんだ」
「ああ」

走っていくロロを見送った後、力が抜けて木に背中を預けた。
お弁当を喜んで食べている会長達をぼんやりと眺める。

《ルルーシュ》

幽霊の呟きが傍らから聞こえた。
来たな。
俺は動じず、ひたすら会長達を眺めた。

《ねぇ、ルルーシュ。
ナナリーは今どこにいるの?》

知らない名前を幽霊は言う。絶対反応するものか。
お弁当はリヴァルが最初に完食した。

《桜、きれいだね。クラブハウスにこんなにたくさん植えられてるとは思わなかった》

以前と違い、幽霊の声は本当に小さかった。
俺にしか聞こえないような声量。

《ルルーシュ……》

俺はもうお前の声には反応しない。

《誰かがそばにいる時は話しかけない。
情報を、いろんな情報を持ってくるから……だから……。
誰もいない所で話しかけてもいい……?》

例えそれが、涙の混じった声だったとしても。


  ***


その後も幽霊は話しかけてきた。
それは決まって俺がひとりの時で、俺のやる事を邪魔しないようなタイミングだった。
毎日じゃなく、週に5日。
ちょっと話したら帰っていくし、話しかけない日をわざわざ伝えてくる。
さらに、ロロと過ごすダイニングや生活区域、俺の部屋にも入らないと宣言し、それを忠実に守った。
なんだコイツは、と内心驚愕した。
俺の中に明確にある幽霊像が崩れていく。

だが俺は反応しない。ひたすら無視だ。
それでも幽霊は根気強く話しかけてくる。
独り言を飽きずに言い続ける。
馬鹿で愚かな幽霊だった。

独り言の内容は多種多様だ。
よくもまぁそんなにバリエーション豊富に話せるものだ。
俺がよく行く店の特売情報や、知らない人間の情報や、ブラックリベリオンで逮捕された黒の騎士団の情報や、テレビで報道されたニュースを調査したり、公にされていない未公開情報や、エリア11で活動する貴族の弱みなど、無視を決めた俺ですら関心を持ってしまう情報がいくつもあった。
どこでお前調べたんだと内心かなり驚いた。
使える情報はメモできないから覚えておく。

知りたい情報があれば、テレビを見たりクラスメイトとの会話を聞かせて収集させたりもした。
俺が意図的に情報を集めさせた事に幽霊は気づくことなく健気に話してくる。
利用されている事にも気づかずに。
こっちはずっと無視しているのに。
幽霊の声はもう恐ろしくない。
ただひたすら、哀れだな、と思った。

幽霊との奇妙な関係もあっという間に1ヶ月だ。
聞きたかった情報を聞く為、俺は幽霊が話しやすいよう、資料を運ぶ役目をあえて引き受けた。
誰もいない廊下を黙って歩く。

《ルルーシュ……》

いつもと違って声が弱々しい。
なんだ? 成仏するのか?
思わず足を止めそうになった。

《ルルーシュ……》

幽霊の顔は知らない。
それでも、ぼろぼろに泣いている顔が簡単に思い浮かぶような声だった。
歩きながらも意識は後ろに集中する。

泣くな。
心がぐさぐさ刺されているような罪悪感を抱いてしまう。

《ルルーシュ……》

だから泣くな。
胸の奥が痛んで息苦しい。

泣くな。
胸が痛み、頭だって鈍く痛んでくる。

泣くな。

ぼんやりと、自分の奥深くから何かが浮上する。
いつかは思い出せない。
今じゃないずっと前、泣いてほしくないと、強く思ったような気がする。

あれはいつだ。いつだった?

《寂しいよ……》

その呟きを耳にした瞬間、目の前が真っ白になった。

「(泣くなッ!!!!!!)」

叩きつけるように胸中で一喝した。
むしゃくしゃして頭が痛くなる。

「(話を聞いてやる! だから泣くな!!)」
《な、泣いてないよ!!》
「(それならなんだその声は!
幽霊のくせになんでそんな泣いてる声してるんだ!!)」
《だって寂しかったんだもん!!
みんなあたしが見えないし声も聞こえないし!!》
「(幽霊だからな!)」
《やっぱり聞こえてたんだねあたしの声!!
最初から聞こえてたんでしょ!? 最ッ初から!! ずっと無視してー!!》
「(無視するに決まってるだろう! 気味悪い幻聴だったからな!)」
《聞こえてるなら聞こえてるなりのサイン出してくれたら良かったじゃん!!》
「(反応したらロロが怖がるだろう!! あの時の早朝のあれは本当に恐ろしかったんだぞ!!)」
《あの時は本当にごめんなさい!!》

声を出していないのにドッと疲れた。
倦怠感が押し寄せ、肩で息をする。

声に出さずとも対話できるのは幸いだ。
これならロロを心配させず、周りに気を遣わずに情報を得られる。
口角が上がりそうになったが、何とか抑えて呼吸を整えた。

「(俺が望む情報を持って来い。
話を聞くのは今まで通り、俺がひとりきりの時だけだ。
対話する時刻と場所を指定するから従うこと。
話を聞けない時はその都度言うから沈黙を貫くこと。
それらを全て遵守しろ)」
《うん。全部守る。
ありがとう、ルルーシュ》

喜びが溢れた声で幽霊は返事する。
満面の笑みが頭に浮かぶほど、心の底から嬉しそうな声だった。

頼んでもいないのに情報をホイホイ持って来る哀れな幽霊は、俺の指示ひとつで世界の裏側まで行くだろう。
そこまで尽くしてくれるなら、会話ぐらいしていいと思った。


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