誰が作ったかわからない西友の七草粥を食べながら



ここを見てくれている人って今でもいるのだろうか。
たまにくる拍手コメントは、ちゃんと読ませてもらってる。
どんな言葉でもほんとに嬉しいし、すべて宝物みたいに思ってる。
でもいつも期間が空いてしまうから、返事を書くべきかどうか迷う。
もうすこし頻繁にチェックしてみるのがいいんだろうか。
どうも筆不精で。


コミュニケーションとか人間関係とか人格形成とかセックスとか恋愛とかの話を人としまくっているが、本を読んでもわからないことが人と話すとすぐに理解できたり、逆に人と話してもあまりはっきりと感じることのできなかったことが本を読むと小ぎれいに言語化されていたりして、当たり前のことなんだけど人間ってバランスが大切なんだな、とここ最近は特に実感する。

私は比較的温厚な人間だけど、人間には然るべき理由で怒りの感情を相手に伝える権利があることを知っているし、そのように振る舞うことにはあまり抵抗がない。
だからたいていの場合強い言葉や態度で誰かと衝突することはあれど、その過程でどちらかが傷つくことも想定内であり、なるべくならば傷つけずに済ませたかったとしてもそうもいかないこともあるということを理解しているつもりで、だから傷つくことも傷つけることも、真っ当な理由さえあれば悪いことだとは思っていない。別にわざわざ誰かを傷つけるつもりでそうしているわけではないけど、人間には傷つくべき時や傷つけられて然るべき時もあるということだ。ちこさんの言葉を借りれば、私もまた有機的な人間なのである。
しかし、体調やタイミングのズレやつまらない誤解などから、図らずも誰かを傷つけてしまうことがある。自分自身の弱さや未熟さから、傷つくべきではない人を傷つけてしまうことがある。私にはそれがいつも恐ろしい。それは間違いだから。その傷には意味がないから。その傷跡は悲しいだけだから。弱さは時に人を強くするけれど、私のこの弱さは、一体誰を守れるというのだろう。普段は息を潜める私の弱さは肝心な時に直接、もしくは間接的に作用して、傷つくべきでなかった大切な誰かを傷つけたりする。そう、例えば、数ヶ月前に出会った、繊細で美しい人とか。

私の弱さの原因を探るとき、それのほとんどが、私を愛せずに死んだ母親へのコンプレックスに帰結する。
私は、幼い頃から少し虚栄心のあるような女の子に執着されることが多かった。
支配やコントロールという言葉が私の人生に入ってきて数年経った頃、私が支配できるのは対象の相手ではなく、関係そのものであるこということを自覚し始めた。つまり、主導権を握ろうとしたのだ。
この関係を破綻させるのも持続させるのも、私次第。そういう不健全でフェアじゃない関係を望んだのは、女性、つまり母への復讐に他ならない。
もちろん全ての女性関係がそうであったというわけではなく、ごくごく稀に相手の心に大きな空洞を垣間見た時に、私の悪魔が顔を出したり引っ込めたりしていただけではある。
ましてや男性は復讐の対象ではないためその悪魔も身を潜め、男とは特に何かに偏った人間関係を築くこともなかった。
しかしある一定の条件を満たした時に、私の悪魔はその女たちのとある欲望につけ込むのだ。ーー他者承認。
手口は簡単、女を性的対象とみなすやいなやそれまで木偶の坊のようだった男性が急に頭の回転が速くなる様をよく見かけるが、それとほぼ同様な気がする。共感。承認。受容。その類。
私は人が大好きで人を信じることを美学としているため、元々の性質としてそういうコミュニケーションの取り方をすることが多いが、そもそも普通の人間はこんなカスのような手口には引っかからないし、ある意味安心して過剰供給できる。
でも彼女たちは違う。私は、彼女たちが承認の類を底なしの器で待ち構え渇望していることを理解しながら、普段のコミュニケーションで用いるのと同等量のそれらを与え、主導権を得ようとしたのだ。私が普通にしているだけで、彼女たちは嬉しそうにする。それが、ただ、面白かった。

かわいいよ。君は悪くない。周りが悪いんだ。君は頑張ってるよ。そのままでいいんだよ。みんな君を好きだよ。

すると、

いなくなったら嫌。私を嫌わないで。あなたみたいになりたい。あなたを独占したい。あなたが好きな人に嫉妬する。

たしかにその遊びによって自分に向けられる執着への嫌悪感はかなりあったが、私は幼い頃からの繰り返しでそれに慣れていたし、その執着が私に及ぼす害を回避する術を完全に忘れてしまっていたから、違和感は無視していた。
こんな関係は破滅の可能性を大きく孕むことをわかっていたし、そのまま彼女たちに与え続けることで母への復讐を果たした錯覚に陥っていた。文字を打っていて鳥肌が立つ、なんて姑息で邪悪な一面なのだろう。何も奪ってない。物も買ってあげたりする。相手には何も求めない。客観的に見れば愛を与えているかのような構図。でも違う、見返りを求めることなんかよりずっと倫理的に逸脱した、人の尊厳を無視した行動原理が、私の中には確かにあった。
普段の人間関係との明らかな違い。私は、その対象に、人格を見出していなかった。好きも嫌いもない。ただそこにあった穴を使って、承認を出し入れして、楽しく遊んだだけ。だって、たまにするその遊びが好きだったから。
こうして書くと、なぜ私に遊び人の男友達が多いのか容易に説明がつく。そう、つまり、ある意味では、同類だから。そういうことができてしまう悪徳を持ち合わせ、冷酷で傲慢であることを自分に許してしまっている、弱い一面を持ち合わせた人間であるから。

ま、そのような人間関係の中で表面的な行動や言動に踊らされ、私が支配しようと奮闘していたのは相手との関係の主導権のみであるから、その人自身の嫉妬や独占欲なんてコントロールできるわけもなく、最終的には感情任せに、大切な友人を1人失ったというわけである。とほほ。仲直りできたらいいけれど、なかなかそうもいかないだろう。
全ては自業自得、まあそもそもその友人とは対象の女性がいなければ存在しない出会いではあったのだけど、そのあとの私の迂闊で自惚れた行動が大切な人を悩ませることになったという事実については、無視して生きていくわけにはいかない。
男とか。女とか。そういうレベルでしかものを考えられない人たちを見下していたけれど、所詮私もセックスが関連しないだけで、植え付けられた女性蔑視の中に生きていた。もちろん女として生きていく中で身につけたありふれた男性蔑視も持ち合わせてはいるが、私の女性に対するコンプレックスは男性へのそれの比にならないほど巨大だ。
でもわかってる。母親も、女である前に、母である前に、人間だったっていうこと。だから私は知りたくて、近づいて、でもその芯に触れる前に死んじゃった。
死んじゃったものはしょうがない。だからもうやめにしよう。これで最後にしようと思った。誰かを傷つけてまで満たしたい復讐心じゃない。
私の心は、いつも音楽や草花や空に吹く風に祝福されているのだから。


2019/01/07



私はさあ。
高校を卒業してすぐに母親代わりだった祖母と叔母が死んで、その次の年に実の母親が死んで、その半年後に愛犬が死んで、その3年後に隣の家の幼馴染が死ぬなんて、思ってもみなかったよ。
でさあ。なんでみんな死んじゃったのに私は生きていなきゃいけないんだろうってたまに思うのね。
なんでこんなに毎日悲しいのに生きていなきゃいけないんだろうって。
そりゃあ、彼氏にずっと精神的にも支えてもらっていて、彼やまだ生きてる家族や友達のために、生きていなきゃと思うし、死ぬことにあまり興味はないし、自殺しようと思ったことなんてないんだけど、それでも、なんで辛いのに生きていなきゃいけないんだろうっていう思いが波みたいに押し寄せる夜がままあって。それは忘れた頃にやってきたり、1ヶ月くらい連続したりで不規則なんだけど、やっぱりそういう夜は自分の体が張り裂けそうで、彼氏が寝てる横で声をあげて泣くわけにもいかず頭や顔がビリビリして、たばこ吸っても呼吸が整わなくて、また、なんでこんなに苦しいのに生きてるんだろう?って疑問が浮かぶのね。
意味ないって分かるんだよ、いつまでも悲しんで傷付いてるのなんて意味ないってわかってるし、生き残った人間でやっていくしかないなって思うんだけど、今そばにいる人を大切に大切に生きていくしかできることなんかないってわかってるんだけど、わかってるんだけど、やり切れないんだよ。本当にやり切れない。
こんなにも余裕のない、情けない自分と。ただ暮れていく日々と。もう、死ぬまで生きて死ねればいいやなんて逃げてる自分と。
全てが大嫌い。ちゃんとしろ、と思う。ちゃんと自分に戻りたい。元の自分に戻りたいけれど、無理なんだろうな。だって当たり前なんだよ、彼らが死ぬ前と、死んだ後の私は、別の人だ。そう思うと、彼らは私の一部だったんだななんてありきたりなことを思う。大切な人たちを亡くすというのは、自分の一部を亡くすってことだよ。もしくは、変形する。心が。
ちゃんとしたいんだよ、私は、私の人生を生きたり、好きなことをしたり好きなことを言ったりしたいんだ。でもなんだろうなあ、例えば私がすごい研究結果を出して有名になったとしたって、どうせあの人たちはもう死んでるから知らないし、見せる人がいないやって。思うのね。子供みたいなんだけどさ。
自分のためになんか生きてなかったんだよ。私は。好きな人に褒められるために生きてた。母親に認められるために生きてた。だからアイデンティティの崩壊だよ。
私が生まれた時から見ててくれてた人たちがどんどん亡くなっちゃうんだよ?どうして?って思わない?謙ちゃんなんて、おかしいじゃん死ぬの、意味分かんないし、ほんとムカつく。なんで死ぬんだよ。馬鹿が。
自分の心の扱い方がわかんねえよ。これ以上何も失いたくなくて毎日怖くて震えてる。

2017/02/02




私はいつも私のことばかり考えている。
私を大切にしたいし、私を壊したい、ぜんぶぜんぶぜんぶ自分のことしか私はわからないし、
もっと遊びたい。遊ぼう。あっちの方にも行ってみようよ

2013/04/15



あったかくなっていくのと去年と一昨年とその前が容赦無く入ってくる。
錆びていくのを感じる。

死んだことのない人しかいないのに、健康な若者たちでさえ各々死との心の距離が違うって?


泣かないでいたいと思う。
感情過多が加速する。一度走り出したから、もう終わりなんだと思う。ブレーキがききにくいなあと思っていたけど、最初からないだけだった。

何も本気にするなよ。何も真に受けるなよ。
そこにあるのはテレビで、白痴の原因でしかないね。

2013/04/15




気を紛らわすためだけに付き合ってた。リアルとは違うところで君を好きだった。それは90パーセントが娯楽的な芝居で、10パーセントが諸々の欲求だった。
だから君には悪いと思ってる。最初から気付いてるってのは、一年前のこの雑記にも書いてある。私の人格と環境とタイミングの問題だった。

人生が芝居であることには変わりはないけど。



失いすぎた。喪失感と焦燥感が相まって、それはそれはもうからからな破壊だった。瑞々しくない破壊だった。



先月は、最近できた恋人がよく家にきていた。
そのたびに毛布に匂いが移って、その後2、3日の間はその匂いの中で眠っていた。
幸せだと言い切るにはあまりに急で、最近は今まで考えなかったことを考えるようになった、そう例えば、その幸せってやつについてとか。

幸せと快楽が完全にイコールだったこの19年間を、そろそろ考え直さなければいけないのかもしれない。ってまあ、ただの言葉だから大した話ではないけれど、自分が使う言葉を定義しておかないとただでさえグラグラな頭の中がとっ散らかって自分でも分からなくなる。するとどう、きっと、愛すべき快楽、気付くべき幸せすらいつの間にか奥の奥で錆びてくかもしれない、そんなのやだな。


感情にブレーキをかけるのは性に合わない。ブレーキをかけてるわけじゃないのに、でもやっぱ去年の10月から違和感がある、スイッチが切れたような、何にも集中できなくて、なにもなにもわからなくて、気持ちいいものでも即効性のある快楽にしか心が反応しなくて、そりゃ少しは改善したけど、元の自分に戻れるのかな。怖いよ。

2013/04/01





いい出会いがあった。


見直すことがたくさんある。
もっとシンプルに生きることができる。
視力を取り戻そう。そして素直になろう。

目的のためなら手段を選ばない。
ダサいことはしない。
どんなことがあっても毅然と。
自分に寄りかかるばかりではいけない。
いつも心に花を。

決め事は特にない。
ただ誇り高く生きることだけはやめちゃダメだ。
ありがとう。あの時駆けつけてくれたあの子にも、あの時叱ってくれたあの子にも、そしてそばにいてくれると言ってくれた君にも、心から感謝してる。ありがとう。
歩こう。



2013/03/02



それでも世界はまだ私を失ったことに気付いていない。逃げ出したのが先か追い出されたのが先かもう覚えてない。そんなのはもうどうでもいい。どちらにせよ長く昼には生きられぬ。一年も持たないよ、ここで生活するのは。

2013/01/14



悪い遊びをしようよ。誰にも秘密で。
住むとこなんかなくていい。こそ泥で小金を稼いで生活しよう。いざとなったら淫売でいい。君もやるんだよ。男も女も関係ない。売れるものは全部売って、上質な葉っぱを買って、海辺まで手を繋いで歩いていこう。そこで星が話すまで待とう。彼らしか宝の在処を知らないらしいんだ。錠剤じゃだめだ。役に立たない。

2013/01/14



たいしたことじゃない。少し疲れただけだ。
いつもそう。眠れば治る。そうでもないかも。久しぶりに先生と話した。
この鈍臭い生活をどうにかしよう。いつも救いはない。
それでもそれでもそれでも、確実に錆びていく心を、週末にはきちんと磨かなければならない。
お前もそうだよ。ここじゃない。たしかに夢見ていた。
理想郷は存在する。仕方がないのだ。許してもらわなきゃいけない。
さよならを言うのは私の仕事ではないと思っている。だから私は言わずに行く。
ここじゃないんだ。ここはもう遅い。すぐにやらないと気が済まない性分でね。
わかってたことじゃないか。いつも言っていたじゃないか。目の前のことには何も意味がなくて
君の頭ん中のそれ。それだけが真実だと
哲学でも、もちろん夢物語でも妄想でもない、たったひとつそれが、それだけが君だけの真実であり私たちの真実だということ、
嘘は現実でつくといい。ただお前の真実だけは捨てちゃだめだ。
行きたいところに行けなくなるよ。気付いてほしい。だから私はいつも人にキスをする。
途中の道は何もなくて、温かいミルクもラムもない。私をひとりぼっちでこんな寒いところにいさせないでくれ。
少し見えてはきてるけど寒すぎて挫けそうだ

2013/01/14



さて。

罪がいかにして罪になるのかという話である。生まれることが罪であり生きていくことも罪でありまた死ぬことも罪で、では、だ。
やれることは決まっているだろうに。罪を償わずして罪から逃れるには、やはり触って感じることと表現することぐらいしかないのではないかと。

まあしかしこんなにも脆く浅く汚れた器でいったいなにをどう感受するというのかはたして。
毎日寒い。見るものも増えた。ここでとどまってもかまわないとたまに思う。でもそしたらいつかまた雪国で一晩中雪に埋もれて穏やかな死を!と小声で叫んでしまうのではないかと、そう、それは嫌。私は死にたくない。

曖昧になっていた。体と心の境目も他人と自分との境目も、正確には曖昧に、していた。
とてもとても気を紛らわしたかった。去年の4月の話である。
例えば恋人。例えばテレビゲーム。例えばインターネット。
人と話すのは一番気が紛れる。その間は何も考えずに済む。
最近気付いた。私は人間をものだと思って生活していた。私の、ものにたいする愛情はとても強いけれど、でもそれは意思がある個々にはあまり好まれるものではなかったらしい。

さて。

ばかになりかった私はお望み通りばかになることができた。得たものはない。何も得たくない。これを君たちは逃避と呼んでくれるか。ただの怠慢だと言ってくれるか。それとも私をまだ甘やかす?木の下の木漏れ日で本を読んでいてもいい?



さて。どうしようか。

2013/01/13


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