0618
暑くなってきましたね。皆さん、きちんと扇子は持参していますか、水着は用意しましたか、プールには行きますか、いいですねえ、いいですねえ、なんて、嫉妬してみました。わたしは例年の如く、布団の上で何をするわけでもなく、やけに回転する無駄な思考をもて余し、すると、また例年の如く、ふと懐かしい、という感覚になる(蒸し暑さと、汗の香りは、優しさのある歌謡曲の音に似ていると、思います)。何だか寂しくなっちゃったっちゃから、あの頃を思いだして、意気揚々と数年前に熱を出していたものに順々に手を出してみたけれど、何故でしょうか、あれもこれも、数分で飽きてしまう。昔のわたしが違う人間のような気がして、虚しさ増量、もしかすると、今のわたしが別人になってしまっただけなのかもしれませんが、どう頭を捻ろうと、結局、わたしはわたしでしかないらしいので、まあ、いいや。それにしても、この懐かしい感覚に戻れない現象が、成長に伴侶する喪失というものなのですね、わたし、スタンドバイミーを思いだしました、あれは良い映画
だ。きっと、もう死ぬまでわたしは、世界に群がる、それぞれのモノに対して、あの頃のような心弾む楽しみ方を出来ないのでしょう。悔やまれるのは、心弾んでいたことに、わたし自身が気づかなかったことで、もしも、喪失されるものであることに気がつけていれば、もっと大切に、思い出として扱っていたでしょう。いや、今となってはどうかはわかりませんが、もしかすると、記憶の端に切れ端が置いてきぼりになっている程度だからこそ、温かい喪失感を味わうことができたのかもしれませんね。そういえば、今の、わたしを中心とする意味での世界(わたしを取り巻く、構成する環境のことなのですが)も、おそらくいつかは喪失するのですね、アッー切ない。
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