一人一木回想録 過去 - 0
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あれから幾年経ったのだろうか。手練の旅人でさえも足を踏み入れない森に根を下ろしたことなど、今の今まで忘れ去ってしまっていた。
初めは単なる思い付きだった。美國の庭で酒を呑んでいてふと疑問に思ったのだ。自身の花の匂いは人を惹き付けてやまないが、誰の目にも留まらない場所で咲いたとしたらどうなるのだろうかと。どんな生き物が寄ってくるのだろう、それとも枯れるまで独りぼっちなのだろうか。
(誰かが花に触れた)
またそんな感覚が遠い場所から伝わってくる。自身の分身であっても、あれはただの木だ。目も耳もなければ明確な思考も持ち合わせてはいない。ただ“咲いた”だとか“折れた”とかいう独特の感覚が伝わってくる。
(あんな森の奥で、一体誰と出会ったのだろう)
根々は土の中で眠りながら想像する。
もうすぐ目覚めの時が来る。その時まで答え合わせの楽しみはとっておこう。
『ねーね、あなたってすごく甘いにおいがするのね』
『こんな場所で、たったひとり咲いていて寂しくないの?』
『また会いにくるから』
『においをたどるわ』
『そうだ、友だちになろうよ』
『覚えておいて、アタシの名前はベニアよ』
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