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 玲次郎は吹き出してしまった口を、すかさず手で覆った。
 鹿乃が発した言葉は、強烈な力を持って玲次郎に突き刺さる。身体が熱くなり、今にも溶けてしまいそうだ。幸運にも、すぐに土に還ることのできる場所である。
 月の力を借りて、ついに思いが通じ合った。玲次郎の漆黒の羽が歓喜し、飛び上がりたいと疼くのだが、ぐっと手足に力を込める。
 玲次郎の頭の中では、英雄の短編映画が上映され始めた。彼の努力や苦悩は一切省き、終盤のハッピーエンドのみだ。恋人を置いて月を目指した英雄の顔は、当然のように玲次郎にすり替えられている。
 市民が旗を振って、玲次郎の帰還を待ち構える。しかし、機体から出た玲次郎は、市民に目もくれず、恋人である鹿乃のもとに駆け寄る。二人は目を合わせた後に、深く頷き、抱き合う。シャッター音が二人の恋物語を祝福し、記録する。再会に満足した二人は、やっと市民に手を振る。そして、カメラは市民の幸せそうな顔を捉え、空へと上昇していく。やがて、美しい夕焼け空の上に、洒落た字体で”Fin.”と締めくくる。
 その直前に、鹿乃の言葉によって、玲次郎は現実に戻された。

「……月が、好き」
 月に足を踏み入れる前に、映画は終わっていたのだった。月にも、鹿乃にも、その身は到達していない。
 玲次郎の言葉遊びのようなものだ。鹿乃は、言葉が欠けていたに過ぎない。絞り出すように、玲次郎は言った。
「俺もです」

 さっきまでの熱が急激に冷めて、舞い上がってしまった自分を恥じる。そんな玲次郎の気持ちとは関係なく、月は辺りを優しく照らしている。風が強く、雲に何度も身を隠しながらも、輝き続ける。そうやって、過ぎ行く時間を表しているようでもある。
 そんな月を仰ぎ見て、玲次郎はまた言葉を紡いだ。
「遠くて、たとえ届くことがなくても、好きです」
 祈りを込めた言葉に、玲次郎は乾いた笑みを零す。案の定、鹿乃は真意を汲み取ることはない。綺麗な横顔は真っすぐに月を見ているだけだ。
「本当に、好きなんです」
 虚しく繰り返した言葉も、鹿乃に届くことはない。ただ、不思議そうに微笑むのだった。

 一際強い風が吹き、鹿乃は立ち上がる。急いで玲次郎も追うのだが、鹿乃はさっさと風のほうへと歩いていってしまう。道無き道を、また突き進んでいく。
 玲次郎からは、鹿乃の表情が見えない。しかし、経験的に、鹿乃が好奇心で目を輝かせていることがわかった。草むらを抜ければ、鹿乃は全速力で駆けていくだろう。追いつけないと判断し、玲次郎は立ち止まる。遠ざかり、見えなくなっていく鹿乃の背中に、胸が痛む。それでも、言葉ではなく、自然の大きな力に引き寄せられていく鹿乃を、玲次郎は暖かい眼差しで見送っていた。



 鹿乃が完全に見えなくなると、草のにおいが鼻をつくようになった。首をひねって、ショートパンツを確認する。長時間座っていたために、べったりと土に汚れている。そして、尻の湿った感触に眉をひそめる。
「慣れるしかないよな……」
 誰にともなく呟いた後、月を一瞥し、玲次郎は飛び立った。

--Fin.
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